孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

中印国境紛争から50年  封印を解くインド 「やむを得ない自衛のための戦争」と中国

2012-10-21 22:01:35 | 南アジア(インド)

(中印国境を見守る中国側兵士・・・でしょうか。こんなヒマラヤの奥地では、国境と言っても判然としないものがあるでしょう。 “flickr”より By Viva Books  http://www.flickr.com/photos/35619029@N03/3325798410/

中印国境紛争から50年
ともに新興国の雄として経済的にも、政治的にもその存在感を増している中国とインドですが、途中にネパールとブータンを挟んで長く国境を接する両国は、50年前の1962年10月20日から11月21日、両軍合わせて2000名ほどの戦死者を出す国境紛争を経験しています。
いわゆる「中印国境紛争」ですが、戦闘は周到に準備していた中国側の圧勝に終わっています。

****中印国境紛争【ウィキペディア****
・・・・1950年にはチベットを侵攻するなどの強硬姿勢を示した中華人民共和国とインドは、両国の国境の解釈をめぐって対立した。(中略)こうした状況下で1959年9月にインドと中華人民共和国の両軍による武力衝突が起き、1962年11月には大規模な衝突に発展した。

この時期は、キューバ危機が起きており、世界の関心が薄れた中での中国共産党による計算し尽くされた行動であったとの見方もある。軍事的優位を確立してから軍事力を背景に国境線を画定する例は、中ソ国境紛争など他にも見られ、その前段階としての軍事的威圧は中国に軍事的優位を得るまでの猶予を与えたものとみなされる事も多い。

主にカシミールとその東部地域のアクサイチンおよびラダック・ザンスカール・バルティスターン、ブータンの東側東北辺境地区(後のアルナーチャル・プラデーシュ州)で激しい戦闘となったが、周到に準備を行い、先制攻撃を仕掛けた中国人民解放軍が勝利を収め、国境をインド側に進めた。インドの保護国だったシッキム王国では、ナトゥラ峠を挟んだ地域で小競り合いが起き、峠の西側は中国となった。

なお、1950年代後半より表面化した中ソ対立の影響で、ソビエト連邦はインドを支援していた。また印パ戦争ではパキスタンを中華人民共和国が支援しており、中ソ両国の対立が色濃く影響していた。この紛争は、インドが核兵器開発を開始するきっかけともなった。
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インド統治下の北東部山岳地帯(アルナチャル・プラデシュ州)はかつてチベットの領土あるいは支配下にあった土地も多く、チベットは中国の一部という位置づけから、中国はこうした地域に対する領有権を主張しています。現在は、62年の停戦ラインが「実効支配線(LAC)」と呼ばれる事実上の国境線になっています。

ただ、正式な国境ではなく、互いに相手が自国領土を不当に支配していると考えていますので、「国境侵犯」(他方から見れば本来の自国領土に対する通常の「国境警備活動」になります)が多発しています。
このあたりの事情については、09年10月23日ブログ「インド・中国のチベット関連紛争地をダライ・ラマ14世が訪問予定」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20091023)でも取り上げたところです。

紛争後もインド側の中国に対する警戒感は根強く、インドの核開発も宿敵パキスタンだけでなく中国も念頭に置いたものとも見られています。

ただ、インドにとっては準備もないまま戦闘に突入して喫した屈辱的な敗北であり、長くこの紛争の記憶には“ふた”がされ、表立ってはあまり触れられることはなかったようですが、今朝のTVニュースで、インド政府が50年の節目にあたり戦争犠牲者を慰霊する式典みたいなものを行うということで、これまでの封印を解いて正面から向き合う方向に姿勢の転換を見せていることが報じられていました。
いろいろな問題は多々あるものの、国力をつけてきたインドの自信のあらわれのひとつでしょうか。

一方、中国は50年前の紛争について、「やむを得ない自衛のための戦争」だったという位置付けが目立っているとのことです。

****中印紛争50年、中国「やむなき戦争」の論調****
中国では1962年の中印紛争について「やむを得ない自衛のための戦争」だったと位置づける論調が目立っている。
中国のコルカタ総領事を務めた毛四維氏は19日、自身のブログで、紛争の結果、インドが国境地域で進めていた「前進政策」を制止し、「インドを対話の道に引き戻した」と指摘した。

ただ、毛氏は「中印の政治的関係は過去10~20年で相当低いレベルに落ち込んだ」と述べ、「国境問題が未解決で、折につけ両国関係の雰囲気を刺激、邪魔することが政治的関係や軍事的関係、国民感情が安定しない最も大きな原因だ」と分析した。

政府系調査研究機関「中国社会科学院」の洪源研究員は、経済紙「経済観察報」(電子版)への寄稿で、紛争はインドが「中国の国内外での困難な情勢を見て、米国やソ連の援助を受けて全面的に進攻した」のを受け、中国が「自衛反撃」に出たものと解説した。【10月21日 読売】
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中印国境紛争に関連した記事で「???」という感があるのは、中国「環球時報」が紹介している、対中戦争時の日本を引き合いに出したインドメディアの記事です。

****中印国境紛争から50年、「中国はインドをはずかしめず」―インド紙****
2012年10月14日、環球時報によると、インドのタイムズ・オブ・インディアは12日、1962年に発生した中印国境をめぐる中国との大規模衝突から50年に際し、「紛争に勝利した中国はインドを辱めることがなかった。かつて中国を侵略した日本とは対照的だ」とする記事を掲載した。

記事では「62年の中印軍事衝突で戦勝国となった中国は、紛争について議論することも、(勝利について)博物館で展示することもなかった。日本の靖国神社のように民族主義の冒険的精神を記すようなものもない」と指摘。靖国神社が中国に継続的なプレッシャーをかけているのと対照的に、中国はインドを「はずかしめる」ような行為は行っていないとした。

記事はさらに、中印軍事衝突の勝利について中国の専門家が語る時、一種の謝罪の念を抱いている一方、インドでは同様の姿勢はほとんど見られないと指摘。中国の官僚や専門家は常に自制をもっており、両国の友好の発展に尽力しているとした。【10月15日 Record China】
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「日本とは対照的だ」云々は別にして、随分と中国に好意的な記事です。
中国側には好都合な記事ですが、タイムズ・オブ・インディアの記事がどういう意図で書かれたものかは、全くわかりません。

印パ関係の動向
この地域の国境紛争には、当然ながらインド・パキスタンのカシミール紛争もあります。
印パ関係については、ビザ発給問題で進展があったことも報じられています。

****印パ外相会談:ビザ発給手続き緩和で合意 人的交流促進で****
インドのクリシュナ外相は8日、訪問先のパキスタンでカル外相と会談し、人的交流を促すための査証(ビザ)発給手続き緩和の合意文書に調印し、両国の首都を結ぶ直行便を初めて就航させることで合意した。
1年半にわたる両国の信頼醸成路線の継続を確認した。08年のムンバイ同時テロで関係が悪化していた両政府は昨年2月、和平へ向けた対話再開を決めた。【9月10日 毎日】
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もっとも、カシミールでの小競り合いは今も続いているようです。
****カシミール、砲撃で3人死亡 印パ停戦ライン付近****
インドとパキスタンの係争地カシミール地方の停戦ライン付近で16日、パキスタン側から砲撃があった。PTI通信によると、インド側のジャム・カシミール州バラムラ地区の村に着弾し、通学中の子どもを含む3人が死亡した。
この地域では両国が2003年に停戦に合意した後も散発的な銃撃が起きていたが、砲弾を受けるのは初めてだという。インド側で新たな軍駐屯所を建設しており、パキスタン軍が反発したとみられている。【10月16日 朝日】
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最近、日本周辺でも尖閣諸島、竹島などの問題が表面化していますが、多くの国が多かれ少なかれ隣国との紛争は抱えています。中国と台湾、韓国と北朝鮮などは、国家の存立自体に関わる問題です。小さな紛争ではタイとカンボジアでも見られます。
そういう意味で、そうした国境・領土に関する問題は“よくある話”のひとつとして冷静に対応するのがよろしいかと思います。

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