孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ミャンマー  スー・チーさん、軟禁下13回目の誕生日

2008-06-24 13:45:34 | 国際情勢

(サイクロン被災者にその救援活動について訊ねる軍幹部 “flickr”より By TZA
http://www.flickr.com/photos/tza/2475555228/)

ミャンマーからの報道は相変わらず暗澹たる気分にさせるものばかりです。

*****ビルマ(ミャンマー)軍政、被災者に退去強要*****
「ビルマ当局は、サイクロン被災者に対して避難シェルターからの強制退去や支援物資の没収を行っている」。国際人権団体アムネスティ・インターナショナル(AI)は今週バンコクで、更なる苦難に直面している被災者の現状について報告した。
 同団体によると、サイクロン被災者のための一時避難場所となっている修道院や学校では、ビルマ軍政および軍主導の大衆組織USDA(連邦団結発展協会)が多くの避難民を追い出しているという。
 AIは、軍政による強制退去の報告をこれまでに30件以上把握していると発表。また、軍政による援助物資の押収や横流しなど不正行為についても40を越える報告があるとしている。
 国連緊急援助調整室(OCHA)のスポークスマンはIPSとの取材に応じて「ビルマ当局の行為は国際法に違反しており、決して許されるものではない」と語った。
 国連は今週、「サイクロン発生から1ヶ月が過ぎ、援助を受けることができた被災者は僅か半分ほどである」と話した。現在もなお、国際援助機関による被災地への立ち入りは制限されている。国連事務総長と軍当局との話し合い以降、デルタ地帯に入ることを許された国連機関や援助団体の数は僅か20である。【6月13日 IPS】
********************

一方で、民間のサイクロン被災者支援活動は、軍政には反政府活動に通じるものと映るようで、これら活動に対する軍事政権の妨害も行われています。
とにかく自分達意外が社会的活動を行うこと、その結果自分達の無策ぶりが明らかになることを恐れているようです。

*****ビルマ(ミャンマー):民間人の災害復興支援/援助活動は犯罪?******
トゥーラー氏は5月3日のハリケーン被害者のために寄付を募り、援助を行うグループを主宰していた。この団体は作家、芸術家、役者、コメディアンなどが参加する総勢420人のボランティアグループだった。
 6月に入り、警察がトゥーラー氏をラングーンの自宅から連れ去り、いつ釈放されるかわからない。警察は同時にサイクロン被害者と援助活動の画像を記録したコンピュータも持ち去った。トゥーラー氏は1988年と2007年にも軍事政権の抑圧に抗議する学生や僧侶への支援活動で逮捕されている。
 ビルマで長年活動するキリスト教慈善団体「ワールド・ビジョン・インターナショナル」のディーン・ハーシュ総裁はIPSの取材に応じ、市民グループ、ビジネスマンが逮捕を恐れながらも、積極的に独自の支援を組織している様子を語った。さらにハーシュ総裁は僧侶の活動にも言及。僧侶は政府や国際的NGOが入り込めないような地域にもアクセスを持ち支援活動を指導しているという。
 ビルマの安全保障専門家ウィン・ミン氏は「寺院を被災者に開放するなど支援を惜しまない僧侶と人々の間に心の絆ができた。無能力振りを露呈した軍事政権は、この絆を軍事政権への脅威として恐れる」と説明。アムネスティ・インターナショナルは、ボガレの僧院に避難した人々が政府によって排除されたと報告している。【6月15日 IPS】
*******************

更に、軍政による“官僚主義的な手続き”が支援活動を阻害しているという報告もあります。
国連や人道支援団体は支援活動を行うために2~3の省庁から許可が必要とされ、その手続きによって支援物資やスタッフ派遣が遅れ、多くの被災者を苦しめています。
その結果、「ビルマのサイクロン被害で未だに100万人以上の被災者が全く支援を受けられない危機的状況にある」(国連)、「搬送した支援物資1万1,046トンのうち、6割しか被害者に届いていない」(世界食糧計画(WFP))という状況にあります。

【軟禁下13回目の誕生日】
一方、アウン・サン・スー・チーさんは19日、63歳の誕生日を自宅軟禁下で迎えました。
3回に及ぶ断続的な拘束・軟禁により、拘束・軟禁下での誕生日は今年で13回目ですが、解放への展望は全く見えていません。

国内の民主派などは「国家防護法の定める軟禁期間は最長5年」と主張していましたが、軍政は「同法は1年を限度とする軟禁と5年を限度とする延長を定めている」とし、最長6年の軟禁は「適法」との見解を公表しました。
軍政は軟禁開始の起点を03年5月の拘束時ではなく、同年11月の尋問終了時に置いていると見られるため、スー・チーさんの軟禁は09年11月まで続く公算が大きいとされています。
更にその後についても、軍政筋によると、「一時解放後に再拘束し、新たな6年の軟禁下に置く」という選択肢も軍政内部で語られているとか。 【6月19日 朝日】

【軟禁生活の様子】
3回の拘束・軟禁を合計すると、すでに12年半という長期に及んでいる軟禁生活の詳細を上記記事が伝えています。

**********
 自宅には支援者の63歳の女性とその娘(34)が住み込みで料理など、身の回りの世話をしている。女性たちは日常生活に必要なものはメモ書きにして、敷地の入り口の警官詰め所で、買い物係の支持者の男性(45)に渡し、買いに行ってもらう。
 軍政は一切費用負担しないが、ミャンマー中部に住む支持者の宝石商の女性が、ヤンゴン在住の男性を通じて必要な代金を支払うなど支持者に支えられた生活だ。
 スー・チーさんが生まれた火曜日と、「ビルマ建国の父」でもある父、故アウン・サン将軍が生まれた土曜日には好物の野菜カレーを食べるという。近所の料理店の出前をとることもある。料理店は、スー・チーさんの健康を気遣い、化学調味料を使わず、塩分を少なめにするなどしているという。
 健康を維持するため、エアロビクスを習慣にしているという。朝晩は仏像の前で祈り、日中は瞑想(めいそう)するなどしている。健康とされるが、最近は軍政が担当医の訪問を許さず、診断が受けられない。
 自宅訪問は、上層部の許可がなければ、軍政関係者ですら禁止。電話線は切断され、外部と連絡はとれない。テレビや新聞はあるが、「軍政のプロパガンダが著しい」として見ていないという。反軍政側や海外のニュースも入るラジオが唯一の情報源という生活だという。 【6月19日 朝日】
************

少し個人的に心配なのは、外部との接触を絶たれた軟禁生活によって、思考が次第に先鋭化したり硬直化したりすることがないのか?いわゆる“浮世離れした”精神状態にならないのか?ということです。
「軍政のプロパガンダが著しい」とテレビ・新聞は避けているようですが、開放後に国民を率いるリーダーとして現実に柔軟に対応していくためには、テレビ・新聞から伝わる普通の人々の暮らしぶりとの共感を保ったほうがいいような気がしますが・・・。
そうでなくても、彼女は庶民とはかけ離れた“エリート”“お嬢様”でもある訳ですから。

それから、こんな記事もありました。
*****韓国などの国際共同事業体、ミャンマーの天然ガスを中国に販売へ****
ミャンマー沖で2つの海上ガス田を操業する国際コンソーシアム(共同事業体)の中核である韓国の大宇インターナショナルは23日、産出した天然ガスを中国石油天然気集団公司(通称ペトロチャイナ)に販売する内容の覚書を前週交わしたと発表した。【6月23日 AFP】
*****************




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 子供を取り巻く環境  紛争... | トップ | イラン  テヘランの女性専... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

国際情勢」カテゴリの最新記事