孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ミャンマー  「スー・チー政権」実現への動き  課題・不安はあるものの避けて通れぬ節目

2015-12-08 23:15:39 | ミャンマー

(12月2日、首都ネピドーでスー・チー氏と会談したミンアウンフライン国軍最高司令官 司令官のにこやかな表情からすれば、「スー・チー政権」の流れに国軍も乗っかっていこう・・・というところでしょうか。【12月3日 ミャンマーよもやま情報局】

タン・シュエ氏「スー・チー氏がミャンマーの将来の指導者になるのは、誰もが受け入れる必要のある事実だ」】
先の総選挙で圧勝して今後の政治の主導権を握りうる立場にたったミャンマーのアウン・サン・スー・チー氏ですが、周知のように現行憲法では大統領への道は閉ざされており、今後政権を主導するにしても、議会内で4分の1の軍人枠を有し、ミャンマーの政治・経済に隠然たる力を有している軍部との関係をどのようにしていくかが極めて重要な課題となっています。

そもそも、スー・チー氏が政権を担うことを認めるのかということについても、1990年5月の総選挙でスー・チーの率いる国民民主連盟(NLD)が大勝したにもかかわらず、軍政側は「民主化より国の安全を優先する」と権力の移譲を拒否した経緯があるだけに、今回総選挙圧勝後も一抹の不安が残っています。

そうした政権委譲について、スー・チー氏とテイン・セイン大統領やミン・アウン・フライン司令官の協議が行われており、概ね、選挙結果を尊重する方向で話は進んでいるようです。

****<ミャンマー>政権移行へ協議 スーチー氏「トップ会談****
ミャンマーで総選挙(11月8日)に大勝した最大野党「国民民主連盟(NLD)」を率いるアウンサンスーチー氏(70)は2日、首都ネピドーでテインセイン大統領(71)、ミンアウンフライン国軍最高司令官(59)とそれぞれ会談した。

この国の実権を握る指導者2人との相次ぐ「トップ会談」で、NLDへの「スムーズな政権移譲」に向けた実質協議が始まった。

スーチー氏は午前中、大統領府でテインセイン氏と会談。午後には国軍迎賓館で、スーチー氏が2012年の国会議員補欠選挙で政界入りして以降初めてミンアウンフライン氏との会談に臨んだ。今後のミャンマー情勢は、絶大な政治権力が憲法で保障されている国軍に対し、スーチー氏がどう協力関係を構築していけるかがカギとなっている。

スーチー氏やNLDから声明などは出ていないが、1時間の会談を終えたミンアウンフライン氏は、記者団に「国家の利益のために協力することで一致した。良い議論ができた」と語った。自らのフェイスブックには「国民の意思に沿って双方が国家の平和や統一、発展のために議論し、協力することに合意した」と書き込んだ。

政権移行プロセスが順調に進めば、来年3〜4月にNLD政権が発足する。だが憲法上、スーチー氏に大統領資格はなく、本人は憲法を超越した形で「大統領の上に立つ」と公言している。また軍人優位の憲法の改正を「民主化への最優先課題」と位置づけている。会談でこうした憲法問題が話し合われたかは不明だが「憲法の守護者」を任じる国軍とのつばぜり合いが今後本格化するはずだ。

一方、テインセイン大統領との会談は45分間に及んだ。イエトゥ大統領報道官は記者団に対し、会談では「独立(1948年)以来、この国ではスムーズな政権移譲が行われていない」ことを踏まえ「円滑な政権移譲の新しい伝統を構築することが話し合われた」と述べた。

報道官は「これ(政権移行)は私たち(テインセイン政権)の民主化改革の勝利を示すものだ」と語った。会談で憲法問題については論議の対象にならなかったという。

報道官によると、スーチー氏はテインセイン大統領に対し、民政移管(11年)後、NLDに「政治参加」への道を開いてくれたことや、今回選挙を「自由で公正」な形で実施してくれたことに謝意を示した。【12月2日 毎日】
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また、旧軍事政権のトップ、タン・シュエ氏との会談も行われています。
政治の表舞台に立つことはない同氏ですが、今も軍部に大きな影響力を有しているようです。

****スー・チー氏に「協力」伝達=旧軍政トップ―ミャンマー****
ミャンマーの軍事政権を率い民主化運動を弾圧した旧軍政トップのタン・シュエ氏が、11月の総選挙で圧勝した最大野党・国民民主連盟(NLD)のアウン・サン・スー・チー党首に対し、協力する意向を伝えたことが6日、分かった。

タン・シュエ氏の孫がフェイスブックで明らかにした。首都ネピドーにあるタン・シュエ氏の自宅で4日に行われた会談で、スー・チー氏は「私には国を害する恐れのある恨みはない」と述べるとともに、「軍を含め全ての関係当事者の協力」を求めた。

これに対し、タン・シュエ氏は「スー・チー氏がミャンマーの将来の指導者になるのは、誰もが受け入れる必要のある事実だ」と指摘。「国の発展に努めるのなら、あらゆる形で可能な限り協力する」と語ったという。【12月6日 時事】 
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両者は、軍政時代に激しく対立してきた関係にあります。

“タンシュエ氏は1992年から、民政移管が行われた2011年まで、軍政の最高首脳を務め、スーチー氏ら民主化勢力を弾圧した。スーチー氏とは02年に面会したのが最後とされる。スーチー氏は「恨みはない」と繰り返し述べ、和解を訴えてきたが、会談では80歳を超えたタンシュエ氏が自身や家族の安全の保障を求めた可能性もある。”【12月6日 朝日】

スー・チー氏とタン・シュエ氏の孫が11月19日の夕方に会ったという情報は早くからありましたので、お膳立ては水面下で進められてきたようです。

両者の会談は、ミャンマーの“変化”を印象付けるものですが、“自身や家族の安全の保障を求めた可能性”云々は何か根拠があってのことでしょうか?

性急で過重な国民の期待にどう向き合うか
今後、スー・チー氏・NLDが政権を担っていくうえで、少数民族武装勢力との紛争、宗教間の対立、国軍との関係、経済成長の促進等、課題は山積しています。

****経済成長・民族紛争、改革の手腕問われるNLD***
ミャンマー総選挙でアウン・サン・スー・チー氏が率いる国民民主連盟(NLD)政権が発足する見通しとなり、その政策に注目が集まっている。

外資呼び込みによる経済成長の果実を国民に行き渡らせ、国内の少数民族武装勢力との紛争や宗教間の対立を解消できるか、改革の手腕が問われる。

NLDは選挙公約で経済改革を掲げてきた。軍と経済界の癒着が広がる中、歳出削減で政府をスリム化した上、税金がどう使われているのか周知する仕組みを作り、透明化を図る方針だ。

世界銀行によると、1人当たりの国内総生産(GDP)は約1203ドル(約15万円)で、タイの4分の1以下。2011年の民政移管後とそれに伴う経済制裁緩和で、外資の進出が活気づく一方、国内では貧富の格差が深刻化している。

ヤンゴン近郊に住むNLD支持者の女性(50)は、飲料水の代金を借金するほどの困窮ぶりで、「政権交代で暮らしがよくなるかはわからない。でも、ほんの少し夢を見てみたい」と話す。【11月14日 読売】
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最大の難問は、スー・チー氏に負わされた「ほんの少し夢を見てみたい」という国民の期待に結果を示せるかどうかでしょう。
性急で過大な期待が、新政権の足かせ・重荷になることも考えられます。

****高過ぎる期待」重荷に=「スー・チー政権」不安も―ミャンマー****
ミャンマー総選挙でアウン・サン・スー・チー党首率いる最大野党・国民民主連盟(NLD)が政権与党・連邦団結発展党(USDP)に圧勝した。スー・チー氏に対する有権者の圧倒的な支持を反映した結果だが、国民の期待は新政権にとって重荷となる危険性も秘めている。

「国民は『あすにでも生活が良くなる』というような異常なほど高い期待」(ヤンゴンの外交筋)をNLDに抱いていると指摘される。

NLDはこれまで政権を運営したことがない。NLDに政治経験豊富な人材が不足していることを不安視する見方が強い。スー・チー氏自身、2012年の補欠選挙で下院議員に初当選して政治家として本格的な活動を始めてからまだ3年しかたっていない。

また、NLDにスー・チー氏の有力な後継候補は見当たらず、「NLDからスー・チー氏を差し引くとゼロになる」(ミャンマーの政治アナリスト)と手厳しい声もある。

こうした懸念に対し、スー・チー氏は「NLDには良い政府をリードするのに十分な人材がいる」と反論。「これまでより悪くなることはあり得ない」と政権運営に自信を示している。

一方でスー・チー氏は選挙遊説の際、「国民一人ひとり全ての願いを実現できる政府をつくることはできない」と訴え、有権者に過剰な期待を持たないよう戒める場面もあった。【11月14日 時事】 
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選挙期間中、西部ラカイン州での選挙運動における聴衆とのやり取りに以下のようなものがありました。

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<聴衆から「あなたはここに何を持ってきてくれたのか」と質問が飛ぶ>
 「(うわさされる与党・連邦団結発展党の利益供与を念頭に)豚も鶏もあげません。ただ(この先)権利をあげます。それによって自分で豚や鶏が買えるような生活を獲得できます」【10月30日 毎日】
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スー・チー氏の主張は正しい。正しいですが、結果を求める国民にどこまで伝わるか・・・。

また、理念を重視してきたスー・チー氏に、性急な結果を求めざるを得ない苦しい生活を送る人々の気持ちがどこまで届いているのか・・・・。何といっても彼女は国父アウン・サン将軍の娘であり、長く自宅軟禁生活を強いられたとはいえ、軍政側からもそれなりの待遇を受けていた立場にあります。

スー・チー氏の思いと生活改善を求める国民の願いが、うまく結びつくことができるか・・・大きな不安はあります。

「国軍と国民との和解」「少数民族と中央政府との和解」「宗教間対立の克服」という時間を要する最大課題はともかく、より生活に密着した問題で成果を示せれば、国民の支持を繋ぎ止めることができるとの指摘もあります。

****待ち受ける中長期的課題****
アウンサンスーチーとNLDにはこのほかにも様々な中長期的課題が待ち受けている。その中でも教育改革と保健衛生の向上、そして農村開発については早急に取り組む必要がある。

これらは国際社会が援助を通じて最も貢献できる分野でもある。実際、軍事政権期にもこれらの分野には海外からの支援が多かれ少なかれなされていた。

まず教育分野においては、軍政期に抑圧され機能を著しく低下させた国立大学の改革が必須となる。具体的には教育研究施設の改善に加え、政治的理由から地方に分散させられたキャンパスの再統合、教員の質の向上、カリキュラムの改正、入試制度の改革、学生活動の自由の保証などが急務だといえる。

これに加え、独立以来の目標である義務教育の導入、不足する小中学校教員の養成、私立学校の拡充、「暗記中心」から「考える力を養う」カリキュラムへの改善などが重点課題となる。

保健衛生については、軍政期からODAの供与や国際NGO等の活動を通じた支援がなされていた。今後も最も援助の得られやすい分野だといえる。

しかし、海外からの援助に頼るだけでなく、自ら国家予算の配分比率を高め、マラリアや各種伝染病の撲滅をはじめ、病院・保健所の拡充、医師・看護師・保健師の育成などに積極的に取り組む必要がある。

農村開発においては、無医村解消や少額負担で治療が受けられる医療制度の確立、農民に対する低利融資の拡充、農村部の生活道路の整備などが課題となる。農業自体の近代化促進も求められる。

日本をはじめとする外国の対ビルマ支援は、工業やそれに関連するインフラ整備に傾きがちだが、この国の「得意科目」はあくまでも農業であることを考えた場合、この分野の近代化にこそ一番の力を入れるべきであろう。

これら3つの分野で成果を出すことができれば、たとえ憲法改正が国軍の抵抗でうまく進まなくても、NLD政権は国民から支持を獲得し続けることが可能になろう。

民主化に向けた憲法改正、行政機構の改革、公務員の再教育、司法制度の整備といった「法による支配」が貫かれる国づくりという長期的課題は最も大切な事柄であるが、それと並行して、ここに示した中期的課題は国民の日々の生活と密接に関連するだけに、NLDはかなりの力を入れて取り組む必要がある。(後略)【11月26日 SYNODOS 根本敬氏「ビルマ(ミャンマー)総選挙に圧勝したアウンサンスーチー 軍の壁をどう乗り越えるか」】
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【「彼(大統領)は私の脇に座ることができる」】
政治家スー・チー氏の資質への疑問も多々指摘されています。
経済政策への理解のなさ、独善的とも見える「自分がトップで、自分が決める」という姿勢、自分の立場を脅かすことにもなる有能な人材を育ててこなかったこと等々。

特に、大統領になれない現状を受けて、憲法で国家元首とされる大統領の「上位に立つ」と発言、「私が党のリーダーとしてすべての決定を下す。大統領には何の権限もない」と言い切った姿勢には、「新たな独裁者の到来」と反発もあります。

“スーチー氏は自ら指名する大統領について「権威も権力もない」と強調。米紙ワシントン・ポストのインタビューで「首脳会談はどうするのか?」と聞かれ「彼(大統領)は私の脇に座ることができる」と答えた。

自らが想定する「大統領の上」のポストについて、以前の記者会見で「(今は存在しない)首相か?」と問われ「首相職は(かつて)大統領の下だった。私は上だ」と一蹴している。”【12月1日 毎日】

ミャンマー憲法は大統領について「他の全ての者に優越する」と規定しており、スー・チー氏の発言に対しては「憲法違反」と批判する声も上がっています。

たとえ大統領になれなくても、自分が全責任を負って変革実現を断行するという国民へのアピールかとも思いますが、さすがに「そこまで言うか・・・」という感も。当然、憲法を無視するような発言への軍部の反発もあります。

これについては、「スー・チー大統領」を軍に認めさせるための“はったり”“駆け引き”との見方も。

*****<ミャンマー>スーチー氏、軍と攻防へ 「大統領の上」巡り*****
・・・・そうした中、スーチー氏が「大統領の上に立つ」と公言するのは、ある種のはったりで、最高司令官との今後の交渉で駆け引きに使うのでは、との臆測が流れている。

英BBCの元記者、ラリー・ジェーガン氏はバンコク・ポスト紙で「スーチー氏は最終的に大統領ポストを手に入れる可能性がある」と指摘する。憲法で「スーチー大統領」を阻むのは、息子が英国籍だという「親族の国籍条項」だ。NLD幹部の情報として、国軍がこの条項の「一時停止」を受け入れる可能性があるという。

国軍としては、憲法を超越するスーチー氏の立場を黙認するより、緊急避難的に「スーチー大統領」を容認した方が、憲法へのダメージは少ないとの判断がある、との見方だ。【12月1日 毎日】
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やや、穿ちすぎの見方のように思えますが・・・どうでしょうか。

11月8日、投票後の多くの人々は満面の笑みだった
スー・チー氏自身にも、未経験者が並ぶNLD議員にも問題・不安は多々ありますが、それでも、ミャンマーが経験した歴史を考えれば、「スー・チー政権」はミャンマーにとって、先に進むためにどうしても通らねばならない節目でしょう。

11月総選挙では、テイン・セイン政権の実績への評価ではなく、現政権が引きずる軍政以来の流れの清算が多くの国民から求められました。

****アウン・サン・スー・チー氏解放5年目の圧勝、ミャンマー****
多くの笑顔、そして驚くほど話したがる人々──ミャンマーの先日の選挙は、私の中でこのように記憶されるだろう。

アウン・サン・スー・チー氏率いる最大野党、国民民主連盟(NLD)が圧勝し、50年以上にわたった軍政に終止符が打たれた歴史的な選挙だった。

祖国ミャンマーの選挙はこれまでにも取材してきたが、投票所を去る際に人々が笑顔を見せる姿は目にしたことがなかった。だが11月8日、投票後の多くの人々は満面の笑みだった。

投票所の外では早朝5時から列ができていた。老若男女、家族や友達と一緒に来ている人が多く、通りに列を作っていた。彼らの表情は決然としていたが、直前になって投票が妨害されることを恐れているかのように、不安も入り混じっていた。

そして投票用紙を箱に入れ終わると、彼らは喜んで自分の選択を記者たちに語った──「スー母さん」。スー・チー氏はミャンマーの人々から愛情を込めてこう呼ばれている。

この選挙のためにミャンマーへ押し寄せたメディアに対し、口を開きたがらない人も多少はいたが、多くの人が自分の投票についてオープンに語ったことに衝撃を受けた。私が話したほぼ全員が、スー・チー氏のNLDに投票していた。結局NLDは3分の2の議席を獲得して両院の主導権を握り、次期大統領を選出できる立場となった。

スー・チー氏が連邦議会議員に選出された2012年の補欠選挙でも、投票所の外で自分の支持政党や実際の投票について口を開く人は一人もいなかった。

さらに前回2010年の総選挙といえば、まだ完全に軍政下で、国内の記者たちは投票所に行って取材することも有権者に話を聞くこともできなかった。軍政はメディアを案内する部隊を組織し、私は政府の「番人」たちに囲まれながら選挙取材を行った。

あれから5年で多くのことが変わった。11月8日、世界中から押し寄せた報道陣は、最大都市ヤンゴン(Yangon)中心部の小さな学校で投票しようとするスー・チー氏の周りに集まった。世界のカメラが長年の軍政下を生き抜いた民主化運動を今も象徴するスー・チー氏の一挙手一投足を撮影した。(後略)【12月8日 AFP】
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問題は多々出てくるでしょうが、それはそれで。その時点で、「じゃ、どうすれば?」を考えればいい話です。

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