孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

シエラレオネ  たかまる政治的緊張 再び“ナタ”が・・・

2008-08-22 14:45:15 | 世相

(40年前、1968年のシエラレオネ。当時すでにAPC,SLPPの両政党は存在しており、この写真はSLPP所有建物の前でデモンストレートするAPC支持者たち。赤色はAPCのシンボルカラー。
1968年というと、APCとSLPPが連立政権を樹立した年です。 当時は結構うまくやっていたのでしょうか。 
民主主義というのは年を経るごとに成熟していくもの・・・ではないようです。“flickr”より By gbaku
http://www.flickr.com/photos/gbaku/445062955/)

西アフリカ、リベリアと国境を接するシエラレオネでは、1991年から11年間も続いた内戦が02年にようやく終結。
数万人の死者、200万人とも言われる難民だけでなく、多くの人々がナタなどで手足を切り落とされるという悲惨な戦いでした。

ダイヤモンド絡みのこの内戦については
6月26日「シエラレオネからジンバブエまで “TIA”(This is Africa.)」
http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20080626)で、
また、死亡したサンコーと並ぶこの内戦の首謀者のひとり、元リベリア大統領のテーラー被告の国際戦犯法廷については
1月30日「元リベリア大統領の国際戦犯法廷再開」
http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20080130)でも取り上げたところです。

1月30日ブログでは、昨年9月に行われた大統領選挙で、最大野党「全人民会議党」のコロマ党首が与党「シエラレオネ人民党」から出馬したベレワ副大統領を接戦で破り、シエラレオネ史上初の民主的な政権交代が特段の混乱もなく実現したことに触れて、「“平和の定着”を印象付ける結果」と記しました。

普段アクセスもまばらなこのブログですが、1週間ほど前からこのページへのアクセスが奇妙に増加し、不思議に思っていました。
どうも原因は下記の事態ではないでしょうか?

*****シエラレオネ:政治の分裂がシエラレオネを再び混沌に陥れる*****
シエラレオネの首都フリータウンでは、最大野党の全人民議会党(APC)と与党シエラレオネ人民党(SLPP)との衝突で政治的緊張が続いている。13日、APCメンバーと見られる大勢の若者が棒やナタを持ち、SLPPの本部事務所を襲撃する事件が起きた。
内戦時に政権を握っていたAPCが与党への圧力をエスカレートさせているのだ。
「この国はまたしても悲劇を繰り返そうとしているのか」と、Fourah Bay CollegeのMohamed Turay講師は嘆いた。

同国では昨年の大統領選挙以降、政治不安が高まり始めた。北部・西部のテムネ族からの支持を受けるAPCと、メンデ族の多く住む南部・東部に支持基盤を固めるSLPP。選挙結果はAPCが勝利を収めたが、国内の政治的分裂は深刻な状況に陥っている。

アーネスト・バイ・コロマ大統領は就任直後、国家統一を国民に約束した。しかし、20人の大臣のうち17人がテムネ族あるいは北部出身者で組閣を固めるなど、国内からは大統領への厳しい批判が集まっている。
APCのVictor Foe幹事長は「SLPPのメンバーこそ我々の支持者に暴力行為を行っている」と、APCによるSLPPへの暴力・破壊行為をきっぱりと否定している。【8月21日(現地8月15日) IPS】
*************

昨年9月の大統領選挙が危惧され、また、無事に行われたことを安堵したのは、記事にもあるように、2大政党がそれぞれテムネ族、メンデ族という部族を基盤としており、政治対立と部族対立が容易にオーバーラップする環境にあるからでした。

この件については、他に日本語記事が見つかりませんでしたので、これ以上の詳細はわかりません。
しかし、またしても“ナタ”に“棍棒”・・・・。
“TIA”(This is Africa.)と言ってしまえばそれまでですが、これ以上対立が激化するようであれば、なんとも残念です。



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