孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

「国際女性の日」に女子割礼を考える

2008-03-09 13:43:51 | 世相

(割礼に使うナイフやカミソリの写真もありましたが、見ているだけで息苦しく生理的に受け付けませんので、かわりにシエラレオネの少女達の写真です。 “flickr”より By Justin Hane)

全く知りませんでしたが、昨日8日は「国際女性の日」だったそうです。

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【3月8日 AFP】「国際女性の日(International Women's Day)」の8日、オーストラリアからアフガニスタンまでアジア・太平洋地域の各国では、さまざまな関連イベントが開催され、女性の権利拡大と機会均等を訴えた。
パキスタン、インド、インドネシア、中国などでも関連イベントが開催され、活動家らが女児の中絶から雇用機会の不均衡に至るまで、女性に対するさまざまな差別の廃止を訴えた。
制定から約1世紀となる「国際女性の日」は、世界的に続けられている雇用機会、投票権、妊娠中絶など、女性の権利平等の確立に向けた戦いを記念するもので、毎年3月8日は、女性が暴力や一向に改善されない不平等に苦しみ続ける中で、基本的人権の獲得に向け戦い続けていることを思い出すための日となっている。
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“制定から1世紀”と随分歴史のある記念日ですので確認してみると、1904年3月8日にニューヨークで、女性労働者が婦人参政権を要求してデモを起こしたことがもとになっているようです。
そしてあの1917年にロシアで起こった二月革命も、首都ペトログラードで行われた女性労働者を中心としたデモが契機となった事件だそうです。

最近目にした女性関係のニュースというと、いろんなところで話題になっているシエラレオネの女子割礼存続支持デモです。

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【3月6日 AFP】シエラレオネのカイラフンの町で4日、女性800人あまりが女子割礼の存続を訴えるデモを行った。
女性たちは、女子割礼の廃絶に向けた動きを見せているシエラレオネ政府や、廃絶運動を展開している海外の人権保護団体に抗議の声を上げた。
FGM(女子割礼)廃絶運動の支援団体「National Emancipation for Progress(進歩のための国民解放)」は、FMGの根絶に向けたワークショップやセミナーを多数開催しているが、「FGMは無害で、女性の貞操を守ってくれるし宗教的価値もある」とする人々からの反対は根強い。
デモを主催したボンド秘密結社の幹部の1人は、「力を示すために」デモを行ったと言う。「海外の支援団体から資金を受け取ってFGMに戦いを挑む組織は、負け戦をしている。われわれはわれわれの文化を守る」
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女子割礼のタイプ、行われている地域についてはウィキペディアの“女性器切除”の項目で概要がわかります。
その施術内容はおぞましくここで書く気にもなりませんが、2000年前からアフリカ赤道沿いの地域(28カ国)で広くおこなわれており、シエラレオネも9割前後の実施率になっているようです。

最近は公的には禁止する国が増えており、昨年6月には、エジプト政府が、12歳の少女が女子割礼手術後に死亡した事故を受け、同様の手術を全面禁止すると発表。
イスラム教の大ムフティ(高位のイスラム法学者、指導者)も、「女子割礼は、女性の心と身体に大きなダメージを与えるため、イスラム教でも全面的に禁止されている」と、女子割礼を禁止する「ファトワ」(宗教的勅令)を出しています。
なお、2000年の政府調査では、15-45歳の女性の97%が割礼を受けたという結果が明らかになっています。

上記引用記事に“FMGは無害で”という意見が紹介されていますが、これはあきらかな間違い・事実隠蔽です。
女子割礼は、大量出血、施術中の激痛、回復まで続く痛み、様々な感染症などを引き起こし、また、手術中のショックで意識不明や死亡に至る場合もあります。(エジプト事例は手術後の大量出血死)
後遺症としては排尿痛、失禁、性交時の激痛、性行為への恐怖、月経困難症、難産による死亡、HIV感染の危険性など、女性の生涯にわたって極度の影響を与えます。
明確に極めて危険な行為であり、長期にわたり非常に大きな苦痛を与えるものです。

シエラレオネのデモは、欧米的文化・価値観への反発、伝統を重視することでのアイデンティティーの維持に基づくもののように見えます。
確かに“for progress”と言われると、自国文化を否定されたようにも思えるかもしれません。

スーダンからヨーロッパに移住している女性についての次のような記述がありました。
「ヨーロッパのスーダン人は、貧しい人たちはこの習慣をやめたいと思っているのですが、裕福な人たちは、続けたいと望んでいます。その理由として彼女達は、経済的には不自由がなくても、差別されていることをはっきりと感じているのです。そのため、伝統的なほこりを捨てないためにも、割礼をおこなっているのです。
それに対し、スーダン国内では、貧しい人たちは習慣として続けようとしていますが、裕福な上層階級は悪い習慣としてやめたいと思っています。」(http://www.jca.apc.org/praca/back_cont/02/02Sudan.html

過去の習慣であっても、伝統として守るべきものと、悪しき因習として改めるべきものがあります。
女子割礼は極めて危険な暴力である点、更に、この習慣が“女性は性的に快楽を得てはならない”“男性の性的自由は認められても女性の自由は認められない”といった男性の女性支配、女性は男性に従属すべきという考え方と結びつき、女性の社会的地位を低くとどめる社会構造と密接に関連している点で、“守るべき文化・伝統”とは容認できません。

後者の社会における女性の地位については、“そのどこが悪い”“それこそがわが国の文化だ”という考えもあるでしょう。
しかし、極めて常識的な言い方になりますが、ものには限度というものがあります。
人間としてやるべきでない行為があります。

ただ、一般の人々が広くこの習慣を受け入れている背景には、こうした伝統云々とは別のものがあると推測されます。
まず、周囲の人々、自分の家族も行っている地域・環境にあっては、この習慣を受け入れるのに特段の理由は必要ありません。
“みんながやっていることだから”“女性として当然行うことだから”それだけの話です。
もっとも、そのように思うのは母親など周囲の人間で、当の本人は子供でまだよく理解できず恐がっているだけでしょうが。

“当然のこと”という周囲の意識を補強するのが、女性としてどうあるべきかという、“貞淑”とか“性”に関する社会意識でしょう。
日本でも、乃木大将夫人の「母の訓」にみられるように、そのような意識は昔は強く、今でも根強く残っています。

もっと現実的問題としては、割礼を受けないと売春婦扱いされたり,結婚のときに「欠陥品とされて親に婚資(男性が花嫁の父親に支払う財産や労働)が支払われなかったりする、それを恐れる親が娘に強いるということがあります。

シエラレオネの記事の中には「(女子割礼により)夫への忠誠も確固たるものになる」という女性の意見も紹介されていましたが、ここに至ると自己犠牲という心理学的問題にもなりますが、少なくとも他人に強いる理由にはならないかと思います。

いずれにしても、風習を受け入れている人々に対するものの言い方には配慮が必要であり、現実問題への慎重な対応も必要ですが、これが危険な行為であり、女性に過度に(個人的には“不当に”と思っていますが)負担を強いる行為であるという点には変わりありません。

男性として、女性とはフィフティ・フィフティの関係であるべきだと思っています。
もしそれで社会的混乱や問題が生じるというのであれば、男性も女性と同等の負担を負うべきであり、解決については女性にだけしわ寄せの来ない別のアプローチが必要であると考えます。

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