(ルワンダを訪問した仏マクロン大統領 【5月27日 TRT】)
【仏マクロン大統領 「フランスは大虐殺を行った体制側にあった。謙虚に私たちの責任を認める」】
どこの国も、自国が過去に犯したと責められている事柄に向き合い、その批判を認めて謝罪するというの難しいこと。弁明しようと思えば、いろんな論点がありますので。事実関係の認識も立場が違えば異なるものにもなります。
最終的には、「心」の問題でしょう。
ここ2,3日、たまたまでしょうが、そういう話題が三つほど重なりましたので、今日はそれらを取り上げます。
最初は、ルワンダの「ジェノサイド」に関与したとされるフランス。
アフリカ・ルワンダでは1994年4月、政府の実権を握るフツ族によるツチ族虐殺が行われ、正確な犠牲者数は明らかとなっていませんが、およそ50万人から100万人の間、すなわちルワンダ全国民の10%から20%の間と推測されています。
その当時のフツ族政権と密接な関係にあったのフランスです。
この件は、2016年4月28日ブログ“ルワンダ 大虐殺から22年 多くの服役囚が刑期を終えて釈放予定 被害者・加害者はどう向き合う?”でも取り上げました。下記はそのときの記事の再録です。
++++++++++++++++++++++++【以下 2016年4月28日ブログからの再録】
【大虐殺関与をめぐってフランス・ルワンダ両国は依然対立】
国内的にはツチ・フツの対立に封印をしようとしているカガメ政権ですが、大虐殺当時のフツ系政権と親密な関係にあったフランスに対しては、フランス軍が大虐殺に関与したとして、その責任を追及しています。
一方、フランス側は、2010年にはサルコジ大統領がルワンダを訪問し「ここで起こった忌まわしい犯罪を防ぎ、止めることができなかったという過ちについて、フランスを含む国際社会は反省をまぬがれない」と述べ、虐殺前のルワンダに大きな影響力を持っていたフランスが大虐殺を防止できなかったという「甚だしい判断の誤りを犯した」ことは認めましたが、大虐殺への関与は認めず、謝罪も行っていません。
このサルコジ訪問で政治的決着がなされたのかと思いましたが、その後も大虐殺関与をめぐってルワンダ・フランスは対立は続いています。カガメ大統領はフランスを許してはいないようです。
一昨年は、カガメ大統領のフランス批判に対し、フランス側は、ルワンダ首都キガリで行われた虐殺20年の追悼式典への閣僚参加を中止するなどギクシャクしています。
****ルワンダ大虐殺へのフランス軍関与疑惑、当時の司令官が否定****
アフリカ中部ルワンダで1994年に起きたジェノサイド(大量虐殺)をめぐってフランス軍の関与が疑われている問題で、当時現地に展開していた仏軍の司令官だった退役将軍が証言し、フランス側の対応を擁護したことが7日、明らかになった。
フランス軍は94年4月、多数派フツ)人が主導する政権下で3か月間に少数派ツチ人を中心に80万人が犠牲となった大虐殺が始まる数日前に、国連主導の作戦でルワンダに部隊を展開していた。
当時フランスはフツ人主導の民族主義政権と同盟関係にあったことから、ルワンダのポール・カガメ大統領はフランス政府が大虐殺に加担したと繰り返し非難している。
情報筋が7日に明かしたところによると、国連主導のターコイズ作戦を当時率いていた仏軍のジャンクロード・ラフルカード将軍(72)は、94年6月にルワンダ西部ビセセロの丘でフツ人がツチ人を殺りくするのを放置したとの主張をめぐり、証言に立った。
この事件では生存者らが、仏軍部隊は6月27日にビセセロに戻ると約束したにもかかわらず3日後まで戻ってこず、その間に数百人のツチ人が虐殺されたと主張し、2005年にフランス国内で訴訟を起こしている。
情報筋によれば、ラフルカード将軍は訴追対象ではなく、いつでも参考人招致に応じる証人の1人として、1月12日と14日に行われた長時間の審理で証言。フランス軍の兵士がフツ人の過激派たちに武器を提供したとの疑惑について、「全くの作り話」だと改めて否定した。
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フルカード将軍は「ターコイズ作戦の下で、武器弾薬をフツ人に提供した事実はない。弾丸1発さえもだ。仏軍兵士のいた場所では、虐殺も虐待も一切起きなかった」と述べるとともに、大虐殺の実態が明らかになるには時間がかかったと主張。
「フランスも国際社会も、地元民や政府当局の関与を全般的に過小評価していた」と説明し、ビセセロへの到着が遅れたのは部隊が120~130人と少人数だったうえ、西部キブエから尼僧たちを避難させる作戦を優先して遂行していたためだと弁明した。【2月8日 AFP】
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+++++++++++++++++++++++【以上 2016年4月28日ブログからの再録】
この問題でフランス・マクロン大統領は謝罪はしないものの、フランスの責任を認め、ルワンダ・カガメ大統領もこれを了承したようです。
****ルワンダ虐殺でフランスの責任認める マクロン大統領、謝罪はせず****
フランスのマクロン大統領は27日、訪問先のルワンダで演説し、約80万人が死亡した1994年のルワンダ虐殺で、フランスの責任を認めた。両国間で四半世紀続いた対立の解消を目指した。
マクロン氏は、犠牲者を弔うキガリ虐殺記念館で演説した。当時の仏政府はルワンダで「虐殺を進めた政権」を支援し、警告に耳を貸さなかったと振り返り、「フランスはルワンダで政治的責任を負う。歴史を直視し、ルワンダの人たちに与えた苦しみを認めねばならない」と発言した。
一方で、「フランスは共犯者ではなかった」として謝罪はしなかった。当時、ルワンダに人道介入していた仏軍が虐殺を止められなかったことについても、「兵士の名誉は傷つけられない」と述べるにとどめた。
マクロン氏の演説について、ルワンダのカガメ大統領は記者会見で、「彼の言葉は謝罪より、価値がある。真実を語った」と歓迎した。
ルワンダ虐殺は、多数派民族フツの政府や軍が、少数民族ツチの抹殺を狙った事件。94年4月、フツのハビャリマナ大統領が乗った飛行機が撃墜されたことが引き金になった。
フランスのミッテラン政権(当時)はハビャリマナ政権を支持していた。虐殺発生後は人道介入で仏軍を派遣。避難民の保護地域を設けながら、フツ民兵の蛮行を積極的に止めなかったという批判があった。
カガメ氏はかつて、ツチの反体制派指導者で、2000年に大統領に就任した。虐殺責任をめぐって両国関係は冷却化し、2006〜09年には国交断絶に発展した。
マクロン大統領は、関係改善に向け、ルワンダ虐殺をめぐる専門家委員会を設置。委員会は今年3月に報告書を発表し、ハビャリマナ大統領のツチ敵視政策を止めなかったフランスの責任を指摘した。【5月28日 産経】
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マクロン大統領も「共犯者ではない」としており、謝罪もしていないということで、その点では前出のサルコジ大統領の“大虐殺を防止できなかった誤り”を認める発言と同じですが、今回のマクロン大統領は一歩踏み込んで「(当時の)フランスは大虐殺を行った体制側にあった。謙虚に私たちの責任を認める」【5月28日 共同】とフランスの「責任」に明示的に言及しています。
また“明確な謝罪には踏み込まなかったが「私たちを許すことができる」のは大虐殺の生存者だけだと言及しており、事実上許しを請うた形。”【同上】ということで、その「心」を汲んだカガメ大統領も「彼の言葉は謝罪より価値がある。真実を語った」と評価したのでしょう。
【独外相 「われわれは今後これらの出来事を、現代の見方に基づき『ジェノサイド』と公式に呼ぶ」】
次はドイツ。
ドイツと言えば、ユダヤ人虐殺のホロコーストに関する謝罪が話題になりますが、今回はアフリカ南部の植民地ナミビア(当時に名称は「南西アフリカ」)での「歴史」に対する認識。
****ドイツ、植民地ナミビアでの「ジェノサイド」初めて認める****
ドイツ領時代のナミビアで、独軍兵士とみられる男性(右端)と鎖につながれた先住民(1904〜08年撮影)
ドイツは28日、植民地だったアフリカのナミビアで20世紀初頭に入植者らが犯した大量殺人について、自国によるジェノサイド(大量虐殺)だったと初めて認め、援助事業に11億ユーロ(約1470億円)規模の資金提供を行う方針を示した。
これを受けてナミビアは、ドイツがジェノサイドと認めたことは「正しい方向への一歩」だと歓迎した。
ドイツ人入植者らは1904〜08年、先住民のヘレロ人とナマ人数万人を殺害。歴史学者らはこれを、20世紀で最初に起きたジェノサイドとみており、問題は両国間に禍根を残した。
ドイツ政府はこれまで、入植者らによる残虐行為があったことは認めていたが、直接的な賠償は繰り返し拒んできた。
ハイコ・マース独外相は28日、声明で「われわれは今後これらの出来事を、現代の見方に基づき『ジェノサイド』と公式に呼ぶ」と発表した。
この「残虐行為」について、「ドイツの歴史的、倫理的責任を踏まえ、ナミビアと犠牲者の子孫に許しを請う」と述べた。
そして「犠牲者らが被った計り知れない苦しみを認識する証し」として、ドイツは11億ユーロ規模の経済援助事業を通じてナミビアの「復興と発展」を支援すると表明した。
今回の協議の関係筋によると、この資金提供は今後30年かけて行われる。主にへレロ人、ナマ人犠牲者の子孫の支援への充当が義務付けられるという。 【5月28日 AFP】
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****ヘレロ・ナマクア虐殺****
1904年1月12日、ドイツによる南部アフリカの侵攻により土地を追われた先住民族のヘレロ族がサミュエル・マハレロの指揮の下、ドイツ人への無差別攻撃を開始した(ホッテントット蜂起)。
これに対してドイツは8月、ロタール・フォン・トロータ将軍の指揮でこれを破り、三方から包囲して、カラハリ砂漠に追い込み、英領ベチュアナランドを目指して脱出した途上で多くが渇きのために死んだ。ベチュアナランドに辿り着いたのは1000人以下だった。
10月にはナマクア族も蜂起したが同様の結果に終わった。
ドイツは先住民を強制収容所へ収容したり強制労働に従事させた。結果、戦後の人口統計からみて、約6万人のヘレロ族(全人口8万人のうち、80%)、1万人のナマクア族(全人口2万人のうち50%)が死亡した。ヘレロ族の死者数は2万4000人~最大10万人とする推計もある。
この虐殺の特徴は、1つは餓死であり、もう1つはナミブ砂漠に追いやられたヘレロ族とナマクア族の使用する井戸に毒を入れたことによる中毒死である。【ウィキペディア】
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今回のドイツの判断は2015年に始まった和解交渉を受けてのものです。
なお“ドイツは、第2次世界大戦中のホロコースト(ユダヤ人大虐殺)被害者に対しては謝罪を繰り返し、個人補償を行ってきたが、旧植民地への正式な謝罪や補償・賠償は行ってこなかった。また、ユダヤ人以外の戦争被害への措置が不十分だとして、ポーランドやギリシャがドイツに賠償を請求する動きを見せている。”【5月28日 時事】
ということで、EU内部でギリシャ財政問題が起きたときも、ドイツのギリシャ放漫財政批判に対し、ギリシャ側からは賠償請求の議論が噴出しました。
【蘭国立美術館 「これは国の歴史なのです。私たち一人ひとりに関わる歴史です」】
三件目はオランダ。
****自国の暗部「奴隷制」 オランダ国立美術館で企画展****
展示されているのは、奴隷に罰としてはめられた鎖の足かせに、巨匠レンブラントによる奴隷制で財を築いたオランダ人夫妻の肖像画──。オランダのアムステルダム国立美術館で現在、「奴隷制」と題し、同国の植民地支配をめぐる暗い過去をテーマにした画期的な企画展が開かれている。
今月18日に開幕した展覧会は、オランダがスリナム、ブラジル、カリブ海諸国、アジア、南アフリカの奴隷制に関与した250年間を取り上げ、奴隷にされた人々や奴隷の所有者ら10人に焦点を当てている。
アムステルダム国立美術館の歴史部の責任者、ファリカ・スメールデルス氏は内覧会でAFPの取材に応じ、「これは国の歴史なのです。一部の少数の人々だけではなく、私たち一人ひとりに関わる歴史です」と語った。
■捕まって焼き殺された奴隷の話も
10人のうちの一人は、スリナムの農園の奴隷だったワリーさんだ。1707年の奴隷反乱に参加して逃亡したが、捕まって焼き殺された。
ワリーさんに関する話の音声ガイダンスを担当したのはオランダ出身のキックボクシングの元世界チャンピオン、レミー・ボンヤスキーさん。祖先は、同じ農園から逃亡したとされている。
展示作品にはこの他、アムステルダムの富豪オーピエン・コピットと夫のマーテン・ソールマンスの肖像画も。夫妻が1634年にレンブラントに依頼して描かせたもので、ソールマンス家はブラジルの奴隷農場による砂糖の精製で巨額の富を築いた。
オランダはこれまで、奴隷貿易で果たした同国の役割について公式に謝罪したことはない。だがマルク・ルッテ首相は昨年、「Black Lives Matter(黒人の命は大切)」抗議運動が広がる中、同国で人種差別の問題が続いていることを認めた。
同展は、美術館や博物館に関する新型コロナウイルスの規制が解除され次第、一般公開されるが、当面はオンラインでの閲覧と、学校団体の見学のみ可能となっている。 【5月29日 AFP】
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元世界チャンピオン、レミー・ボンヤスキー氏の試合はTVで何度か観たことがありますが、そういう出自は知りませんでした。
上記は国立美術館で企画展で、国家としての謝罪云々ではありませんが、記事にもあるように、ルッテ首相は国内に残る人種差別問題を指摘しています。
オランダにおける奴隷制の名残をとどめるのがシンタクラース祭に欠かせない顔を黒塗りした黒人従者ズワルトピート。
(オランダにはクリスマスの聖人ニコラスの従者として、顔を黒塗りにしたブラック・ピートがいる。近年人種差別的だと否定する声が多かったが……【2020年12月23日 クーリエ・ジャポン】)
****ズワルトピート(黒人従者)に関するルッテ首相の見解一転?****
オランダにおける反人種差別デモに関する国会討論で、ルッテ首相はオランダの伝統行事であるシンタクラース祭に欠かせない黒人従者ズワルトピートに関する意見を発表した。
オランダの子どもたちにとってクリスマス以上に重要な行事「シンタクラース祭」。スペインから船に乗ってやってくるシンタクラース(聖ニコラス)は白い馬に乗り数人の黒人従者ズワルトピート(黒いピート)を従えている。子どもたちはこのお祭りの期間、毎日プレゼントを貰える。
2013年、国連がこのズワルトピートを人種差別だと批判するという事態が起き、オランダ国内で反ズワルトピート派と伝統を守りたい保持派が対立した。
一部の市町村では黒いピートを廃止し、顔を茶色に塗るなどの措置を取ってきた。これまでルッテ首相は伝統を守るという立場を通していたが、今回の米国の警官による黒人殺人事件とオランダにおける反人種差別デモに直面し、ズワルトピートがどれだけ人種差別を煽っているかを痛感したと延べた。
シンタクラース祭での黒人が辛い思いをすることをなくしたい。と首相はこれまでの立場を一転した。「数年後には顔を黒く塗ったピートは消え去るだろう。」と首相。ただし政府によるズワルトピートの廃絶や規制は考えていない。
オランダでの(構造的)人種差別は根が深く、税務署などの政府機関、労働市場、そして住宅市場でも公然と行われている。首相はこの差別の撤廃に乗り出すようだ。【2020年6月5日 ポートフォリオ・オランダニュース】
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