孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ネパール  進まない制憲作業  根深い「ダリット」や女性などへの差別

2015-04-06 22:20:27 | 南アジア(インド)

(授業を受ける児童婚から逃れたダリットのススミタ・カミさん(本文参照)【4月5日 AFP】)

制憲議会選挙から7年、未だ新憲法策定に至らず
ネパールでは2006年に、それまでの王制が廃止されることが発表され、議会政治の根幹をなす憲法制定の取り組みがなされていますが、政党間の対立が解消されず、いまだ憲法制定には至っていません。

2008年4月に行われた制憲議会選挙では、従来政府軍と戦ってきた共産党毛沢東派(マオイスト)が予想外に第1党となり政権を獲得しました。

しかし、武装組織を有するマオイストに対する他政党の不信感など、激しい政党間対立もあって政権は安定せず、4年間とされていた制憲期間が時間切れで終了、憲法を制定できないまま2012年5月に制憲議会は解散しました。

しばらく議会不在の状態が続いていましたが、2013年11月に再度、制憲議会選挙が行われ、マオイストは惨敗し、ネパール会議派(コングレス 王制時代からの政党で親インド路線)が第1党となりました。

ただ、議会過半数には遠く及ばず、依然として不安定な政権運営が続き、今年1月、再度の制憲期限も終了しました。

****憲法制定、期限切れ=ネパール****
ネパール制憲議会は22日、この日までとしていた憲法草案の起草期限切れを迎えた。与野党の主張の隔たりが埋まらなかったためで、新たに期限設定し、残り任期内で草案作成を目指す。

野党は「憲法は各党の総意に基づいて決められるべきだ」と主張し、投票で決めようとする与党に反発。ネムバン制憲議会議長は「政党が公約を守らなければ、国民の信頼は得られない」と野党議員の説得を試みたが、失敗に終わった。【1月23日 時事】 
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憲法の大枠については、2012年当時、主要4会派による合意がなされています。
“連邦制に関しては州の数では合意したものの、細かな境界や州名の検討は新憲法制定後に先延ばしした。また、統治制度は直接選挙の大統領と国会が選出する首相とで行政権を分担するシステムの導入で一致したが、権限の配分までは決まらなかった。”【2012年5月17日 朝日】

その後の審議内容はわかりませんが、“州の数や統治形式(大統領と首相の権能)などについてなお主要政党間で意見の相違がある”【日本ネパール協会HP】とも。

マオイストや被差別少数民族マデシの政党などの野党連合は、4月初旬のこの時期に抗議活動を予定しています。

****ネパール:憲法制定に係る反政府活動に関する注意喚起****
1 ネパールでは,2013年11月に制憲議会選挙がおこなわれ,2014年1月に開催された第2回制憲議会で,新憲法について2015年1月22日までに制定することで合意がなされました。

しかし,連立与党(ネパールコングレス,CPN-UML,RPP,CPN-ML)と野党連合(統一共産党マオイスト,RPP-N,マデシ諸党)間で,連邦制の構成等について合意が得られなかったため,現在まで憲法の制定には至っていません。

憲法制定に向けた与野党間の会談は現在も続行されていますが,野党連合は,自分たちの主張を憲法に反映させるため,カトマンズ市内で大規模な抗議集会を開催するなど連立与党に対する抗議活動を行っています。

また,本年1月13日及び20日に行われたゼネストの際には,野党連合による車両への放火が30件発生しました。

2 このような状況の下,野党連合は,抗議活動として今後以下の行動をとることを発表しています。
(1)4月2日:ネパール全土でゼネストを実施
(2)4月3日~6日:全政府機関事務所への出入りを妨害
(3)4月7日~9日:ネパール全土でゼネストを実施
【3月27日 外務省HP】
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予定どおりなら、明日から全土でゼネストに突入することになります。

【「ダリット」、女性、「マデシ」への差別
遅々として進まない憲法制定ですが、ネパールには貧困などの経済問題のほかに、根深い差別の問題があります。

ネパールにはカースト制があり、特にその枠外と言うか、最下層に位置する「ダリット」(不可触浅眠)は、歴史的に差別と排除を受けてきました。

「ダリット」に対する差別の内容は次のようなものになっています。
・共同体における井戸・寺院・食堂などの利用が制限される
・職業選択が制限されており、清掃、皮なめしなど特定職業に限定されている
・教育や雇用の機会から排除されている。
・一緒のテーブルでは食事をしない同席・共食の拒否 【反差別国際運動(IMADR)より】

また、女性に対する性差別も深刻です。
・身体的暴力や性暴力
・政治や意思決定からの排除
・教育や経済的機会からの排除
・蔑視 【同上】

更に、ネパール南部に東西に細長く広がる平原地帯にはインド系の「マデシ」と称される人々がいます。
「マデシ」は人口の4割強を占めるとも言われますが、 旧来ネパール種族によるカーストの低位におかれ、あるいはカーストにすら組み込まれず、シチズンシップ(住民証)を得ることもできず、長い間差別されてきました。

「マデシ」は新体制のもとでは政党を組織し、大きな勢力になってきています。

本来、新憲法はこうした被差別グループの権利を守るべきものですが、そのようにはなっていない向きもあるようです。

****ネパール、「反女性」の新憲法草案に批判****
ネパール人のシングルマザー、ディープティ・グルンさん(40)はこれまで長い間、10代の娘2人の国籍を取得しようと悪戦苦闘してきた。グルンさんの娘は2人ともネパール生まれだが、幼少の頃に両親が離婚し、母親に育てられた。

少なくとも現在は、法律がグルンさんを味方している。だがネパールの制憲議会は新憲法草案で、ひとり親家庭の子どもが親の国籍を引き継ぐのを禁止することを提案しており、これが人権活動家の怒りを買っている。

グルンさんは「自分の国で難民になるようなものだ。女性に対する扱いといえば、父親の書類を要求して尋問し、拷問にかけ、苦しめることばかり。男親が子どもの市民権を申請すると、何の質問もされないのに」と訴えた。

人権活動家は、新法案が可決されれば100万人の子どもが無国籍状態になる可能性があると指摘する。ネパールではひとり親家庭の大半が母子家庭のため、女性が圧倒的に影響を受けることになる。

新法案では子どもの国籍取得の要件として、両親がともにネパール人であることを定めている。これは両親のいずれかがネパール人である場合、その子どもには国籍取得の資格があるとした2006年の市民権法を覆すことになる。

女性への法的支援を行う非政府組織(NGO)「女性・法・開発のフォーラム(FWLD)」のサビン・マルミ氏は「文言上は、男性と女性が同じように制約を受けるようにみえる。だがシングルマザーを差別するために、保守的な官僚たちが条項を悪用する余地がある」と話した。

ネパールで生まれ育ったアルジュン・クマル・サーさん(25)はネパール人の母親とインド人の父親を持ち、理論上は市民権を有している。だが申請は未だに受理されておらず、そのために仕事に就けない状態が続いている。サーさんは歴史的に差別を受けてきた少数民族マデシの出身という。【2014年12月24日 AFP】
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【「ダリット」の児童婚
「ダリット」の女性は、二重の差別を受けることにもなります。
そうした事情は、2010年2月16日ブログ「ネパール 最下層女性に対する“魔女狩り”」http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20100216でも取り上げましたが、未だに改善されていないようです。

****13歳で誘拐され結婚、「ダリット」の少女たち ネパール****
3年前のいてつく夜、当時13歳だったススミタ・カミさんは夫の家をひそかに抜け出し、ネパール北西部の片田舎にある両親の家まで走り続けた。

同国の「最下層民」とされるダリットの集落では、10代の少女の多くが強制結婚の伝統的風習に従うことを期待される。

ススミタさんは自分の意志に反する結婚から逃れた後、直ちに脅威にさらされた。夫の実家が両親に、ススミタさんを返してくれと要求したのだ。しかしススミタさんの両親はこれに拒否し、より良い人生を送りたいと切に願う娘の力になることを決意した。

現在16歳のススミタさんはAFPに対し、「親には、結婚なんかしたくない、(夫の家には)戻らないと告げました。逃げてきたのは、学校に戻りたかったからです」と語った。

1963年に児童婚が禁止されたネパールだが、国連児童基金(ユニセフ、UNICEF)によると、18歳未満で結婚させられる少女の割合は現在も10人中4人に上り、低所得層であるダリットではこの比率が上昇する。

主流派の人々から敬遠されているダリットは遠隔地に居住しているため、その風習がとがめられることは皆無に近い。

2012年に非営利人道支援団体のプラン・インターナショナルとセーブ・ザ・チルドレン、ワールド・ビジョンが行った調査では、ダリットの少女4人中3人が、10代または10代になる前に結婚している実態が明らかになった。

少女が結婚相手として男性に誘拐される例も後を絶たないが、文化的慣例であるため反対する家はほとんどない。

ススミタさんは、まきを集めている最中に誘拐され、その4日後に結婚を強いられた。ススミタさんの母親のジャダネ・カミさんも、10代でこうした試練に耐えることを余儀なくされた。

「これがわたしたちの文化。こうしなければ少女たちが駆け落ちし、よその集落に行ってしまうという不安があるのです」と、当初は娘の強制結婚に反対していなかったカミさんは語った。

ネパールでは10年間の内戦を経て王政が廃止され、民主政治への移行が進んでいるが、ダリットの児童婚は根強く残っている。

■隔絶された居住地
チベット高原との境にあるフムラ区の中心地シミコットでは、ダリットの人たちが隔絶された居住地で暮らしている。干し草屋根の家屋は、カーストが高いヒンズー教徒や仏教徒の光るトタン屋根の家屋とは明らかに対照的だ。

フムラ区のバム・バハドゥル・KC副区長はAFPに対し、「ダリットはカーストの底辺にいることから苦難を強いられている。何世紀もの間、他の階級に属する人々との交流を禁止されてきた」と説明した。「これが彼らが孤立を深めた要因なのは言うまでもなく、旧習に固執し、なかなか変化しようとしない」

当局者によると、ダリットは家計面でも厳しい状況にある。子どもたちは通学をやめて働くことを強く求められ、親たちは農民として生計を立てるのが精いっぱいだ。

7人きょうだいの長女で18歳のダナ・スナールさんは、クラスで最後に残ったダリットの女子生徒だった。
他の生徒らが退学する中、ダナさんは卒業して教師になる夢を持っていたものの、14歳で誘拐され、月収わずか50ドル(約6000円)の18歳の農民と強制結婚させられた。「ずっと泣いていた。目の前の扉が閉じ、自分の夢が破れた気がした」とダナさんは振り返った。

夫の実家はダナさんに対し、退学して農業と家事に専念するよう圧力をかけた。既に生後6か月の双子の母となったダナさんは、新たな生活が「苦労ばかりの毎日」だと話す。「十分な収入がなく、1日1食のこともある。この子たちをどうやって育てるか見当がつかない」

■廃れてほしい「このひどい慣習」
専門家らは、児童婚が破壊的な影響をもたらすと指摘。政府で子どもの人権問題に取り組んでいるクンガ・サンドゥク・ラマ氏は、「未成年で子供をもうけると教育がおろそかになる上、母子ともに健康問題を抱えることになる」と警告した。

法律も無力だとラマ氏は言う。書類や写真、証人の証言など、強制的に結婚させられた事実を裏付ける証拠がないと処罰を求めることができないとされているためだ。そこで、ラジオ番組や街頭劇、放課後の児童クラブを通じて問題意識を高める活動が重点的に行われている。

もっとも、既に伝統の被害者となった少女たちにこのような啓発プログラムは不要だ。現在9年生のススミタさんは、「このひどい慣習」が廃れてほしいと強調した。

靴修理職人として月に80ドル(約9600円)を稼ぐススミタさんの父親は、制服代が45ドル(約5400円)もかかる学校に通わせるのは厳しいと認める。しかし今はススミタさんに学業を続けさせるため家族であらゆる手を尽くす考えだと述べた。

母親のカミさんは「娘に自立の機会を与えたい」と語った。「娘が逃げたのは正しいことだったと思う。私は自分に選択肢があると感じたことは全くなかったから、娘は私より勇気がある」【4月5日 AFP】
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