
(中央アフリカの避難民 【10月17日 BIGLOBEニュース】)
【コンゴ:跋扈する武装勢力】
アフリカ中央部のコンゴ(旧ザイール)は、豊富な地下資源に関心をよせる周辺国の関与、隣国ルワンダの大虐殺の原因となったツチ・フツの対立の波及などもあって、内戦や武装勢力の跋扈などの混乱状態が続いています。
9月8日ブログ「コンゴ、中央アフリカ・・・アフリカ中央部で続く戦闘と混乱」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20130908)でも取り上げたように、反政府武装勢力のなかでもっとも大きなものが、東部で活動する、隣国ルワンダの支援が疑われている「M23(3月23日運動)」です。
国連安全保障理事会は今年3月、PKO史上初の試みとして、以前から活動を続けてきたコンゴでの国連平和維持活動(PKO)部隊に戦闘部隊を加えることを決議。
その国連戦闘部隊の政府軍への支援もあって、ようやくM23が降伏しました。
****コンゴ民主共和国、反政府武装勢力M23が降伏****
コンゴ民主共和国(旧ザイール)の反政府武装勢力「M23(3月23日運動)」と国連軍の支援を受けた政府軍が約1年6か月にわたり続けてきた戦闘で5日、M23が降伏することを明らかにした。M23は、「火薬庫」とも称される同国東部を拠点に活動していた。
東部・北キブ州の州都ゴマ(北方の丘陵頂上部に拠点を構えていたM23の兵士ら約200人は、同日夜間のうちに投降。その後に発表した声明でM23は、「抵抗をやめる」と述べ、「政治的な方法」を通じて目標の達成を目指す意思を明らかにした。
5日のM23の降伏について、コンゴ民主共和国政府のランバート・メンデ報道官は、「政府の完全な勝利だ」と述べた。
敗走したM23の兵士らについては、隣国ルワンダへ向かったとの見方を示している。地元当局者によると、M23の指導者スルタニ・マケンガ 大佐もその中に含まれていたという。
国連軍の支援を受けた政府軍は10月25日、M23に大規模な攻撃を仕掛けた。激しい攻撃を受けたM23は、退却を余儀なくされゴマ北方80キロの丘陵に拠点を構えた。
M23は2日に停戦を呼び掛けたが、政府軍は攻撃を続けた。3日午後には、これまで後方支援に徹してきた国連軍もより直接的な軍事行動に加わり、5日のM23の降伏へとつながった。
同国政府は、過去50年あまりで最大ともいえる軍事的勝利を受け、この勢いを維持したまま、地域内で活動する隣国ルワンダのフツ人民兵らに対しても、攻勢をかけたいとしている。
国連の専門家やコンゴ民主共和国政府は、M23がルワンダの「操り人形」だと繰り返し主張してきた。M23への武器供給にとどまらず、自国の兵士までも送り込んでいるとしてルワンダ政府を非難している。
メンデ報道官は、今後の政府軍の活動について、94年のルワンダ大虐殺に加担した後、内戦に敗れてコンゴ東部に逃げ込んだフツ系民兵が中心となっている「ルワンダ解放民主軍(FDLR)」の「武装解除」を進めるつもりと述べた。【11月6日 AFP】
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M23は、ルワンダから逃げ込んだフツ系民兵による「ルワンダ解放民主軍(FDLR)」に対抗するツチ系の武装組織「人民防衛国民会議(CNDP)」が母体となった組織です
コンゴ東部には、M23や「ルワンダ解放民主軍(FDLR)」に対抗するための自衛民兵組織「マイマイ」も存在します。
こちらも“政府軍と協調して、軍事活動や略奪、暴行を行なうほか、他の勢力と同様に少年兵を用いるなど国際世論からも非難を受けている”【ウィキペディア】という組織です。
略奪、暴行や少年兵という点では、政府軍も同じだという指摘もあります。
更に、現在はコンゴでの活動は行っていないようですが、隣国ウガンダを本拠とした、少年兵徴用で悪名高い反政府武装勢力「神の抵抗軍(LRA)」も北東部中心に活動していました。
M23降伏は安定に向けて一歩前進ではありますが、治安面だけに限っても問題は山積しています。
【弱い立場の女性や子供】
****コンゴの女性のために尽くす、ナンセン難民賞受賞の修道女****
難民支援に尽力する人に贈られる国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のナンセン難民賞。
今年の受賞者は9月17日に発表され、コンゴ民主共和国(旧ザイール)の修道女アンジェリーク・ナマイカ(46)さんに決まった。
虐待を受けた女性たちを助けるために人生をささげてきたナマイカさんは受賞の知らせを受け、自分の活動に終わりはないと語った。「キリストは人助けのためにどこへでも行きました。彼に休む暇などありませんでした。私も同じです」
彼女は長年、ウガンダの反政府武装勢力「神の抵抗軍(LRA)」の手から逃げてきた女性たちを支援してきた。今回、その功績が認められてナンセン難民賞を受賞した。賞金は10万ドル(約980万円)。
「あるドイツ人の修道女に会ったときに、自分も修道女になりたいと思いました」と、ナマイカさんは振り返る。「彼女は病人の世話をするために何度も来てくれましたが、いつも病人が多すぎて、彼女には一息つく暇も食事をする時間もありませんでした。だから私は彼女が休めるように手伝おうと思ったのです」
■神の抵抗軍の被害者にも救いの手
ナマイカさんの活動は2003年から始まった。アフリカで最も残酷な武装勢力のひとつであるLRAから誘拐や暴行などの被害を受けた女性たち、またLRAによって両親を殺されたりエイズで親を亡くした孤児たちへの支援だ。
ナマイカさんはコンゴ民主共和国の北東部、オリエンタル州のケンビサという村の敬虔(けいけん)なキリスト教徒の農家に生まれた。6人きょうだいの1人で、教育の一部は祖母から受けたという。
その後、医療支援活動を行うアウグスティノ修道会に入り、同州のドルマという町で12年間、修道女としての修行を積んだ。
そして2003年、ナマイカさんはさらに北のドゥング(Dungu)に移った。土壌が肥沃な地域で、LRAなどの武装勢力が拠点とする地域だ。
現在、国際刑事裁判所(ICC)から逮捕状が出ているジョゼフ・コニー容疑者が率いるLRAは、殺人、レイプ、腕や脚などの切断、略奪、少年兵の徴用、子供の性的搾取などで悪名高い。
ウガンダ政府に追われたLRAは2005年、国境を越えて周辺国へ逃亡した。ドゥングにいたナマイカさんは魔の手が迫ってくるのを感じ、2009年10月、LRAから逃れるためにこの町を出た。戻ってきたのは翌年の1月だ。
コンゴ民主共和国軍は、もはや国内でLRAは活動していないとしているが、ドゥングは国内で最もLRAの被害が大きかった場所で、住民32万人のうち11万人が避難民となっている。国連(UN)はLRAによる攻撃は大幅に減ったとしているが、今年だけで約50件の事件が発生し、17人が死亡したと報告している。
ナマイカさんはいつも自転車でドゥングのほこりっぽい道を走る。この地域の主要言語、リンガラ語の識字教育を行ったり、料理や洋裁も教える。「シスターがいなかったら、私は学校に行けていなかった」と、19歳のアンヌは言う。「私は料理を習いました。稼いだお金で学校にいくことができ、子供の医療費も払えるのです」
アンヌは一方的にLRAの戦闘員の妻にさせられ、妊娠させられてLRAから逃げてきたという。「アンヌ」というのも彼女の本当の名前ではない。
逃亡を試みた幼い少女を死ぬまでリンチする行為に強制的に参加させられたこともあったという。「シスターは私が経験したことを忘れるようにと助言してくれます」とアンヌは言う。
ナマイカさんの願いは、自分の支援活動がもっと拡大すること。「私はこうした女性たちと弱い立場に置かれた子供たちのスポークスウーマン。だから私はこの栄誉を彼らにささげます。彼らの存在なしに私がこの賞を受けることはなかったのですから」【10月5日 AFP】
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【中央アフリカ:暴力による死者は推計数字すらない】
一方、コンゴの北隣の中央アフリカについては、前出9月8日ブログの後、10月21日ブログ「中央アフリカの混乱拡大 フランスは介入姿勢を強める」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20131021)でも取り上げたように、混乱が収まっていません。
キリスト教徒主体の旧政権支持派がイスラム教徒主体の新政権の支配に抵抗を続ける構図になっていますが、シリア内戦が国際的関心を集めているのに比べると、地政学的な重要性も低い中央アフリカの混乱は“よくあるアフリカの混乱のひとつ”として国際社会の関心は低く、「忘れられた人道危機」とも呼ばれています。
****中央アフリカ、無法地帯 イスラム勢力とキリスト教自警団が対立****
中央アフリカ共和国で、3月に武装勢力の攻勢で大統領が国外に逃げた後、虐殺や略奪が横行する無法状態に陥っている。
国連によると避難民は人口の1割近い約40万人に上り、暴力による死者は推計数字すらない。国際社会の動きは鈍く、深刻な宗教対立で状況は悪化している。「忘れられた人道危機」と言われる現場を見た。
■教会に3万人避難
首都バンギから北に約300キロのボサンゴアまで車で移動する途中、150キロほど進んだ地点から、点在する集落に人の姿が全くなくなった。多くの家で草ぶきの屋根が焼かれ、れんがの壁は無残に壊されていた。
静寂に包まれた集落の一つに入ると、森の奥から武装した若者が走り寄ってきた。「住民は皆逃げた。我々は森にいる住民を守っている」。「アンチ・バラカ」と呼ばれるキリスト教徒の自警団だった。
中央アフリカでは今年3月、イスラム系が主体の武装勢力の連合体「セレカ」がバンギに侵攻。ボジゼ大統領が国外に脱出し、セレカの指導者ジョトディア氏が大統領就任を宣言した。
その後、セレカの兵士たちは、キリスト教徒を狙った虐殺や略奪を繰り返してきた。9月ごろから、自警団のアンチ・バラカが武装し、イスラム教徒の家を焼き払い、殺害するなど本格的な反撃に出て、衝突が激化。今や、宗教対立の様相を見せている。
ボサンゴアの教会では、敷地内に避難してきた約3万人が集まっていた。女性と子どもだけの家族が目立つ。食べて、寝る場所のすぐそばでトイレも済ませる。大量のハエがまとわりつき、悪臭がした。皆、セレカを「盗賊」と呼んだ。
デジレ司教は「家族の生死すら分からない人がここに暮らす。この周辺だけで2千人は殺されただろう」と話した。別の神父は「国民は政府、世界に見捨てられた」と言った。
教会からわずか1キロほどの学校を訪ねると、イスラム教徒の避難民が1千人以上いた。こちらでは、人々はアンチ・バラカの方を「テロリスト」と呼んだ。
セレカで46人の部下を持つというガザヨンボさん(32)は、住民殺害への関与は否定したが、略奪は認めた。「食料を得るために商店を壊した。前政権に近い金持ちや政治家から、我々は奪う権利がある」。大統領の居宅からテレビとじゅうたんを奪ってきたことを、自慢げに語った。
■国際支援、ようやく議論
中央アフリカは1960年の独立以降、政情不安が続き、豊富な地下資源も開発されず、アフリカ最貧国の一つのままだ。
ボジゼ前大統領がクーデターを恐れて軍の力を制限していたため、セレカを前に大抵の兵士が逃げ出した。セレカ自体も各武装勢力の寄せ集めのため統率されず、混乱に拍車をかけた。住民は「歴史上最悪の状況」と口をそろえる。
無法地帯と化したこの国には、多くの武装組織が活動するうえ、隣国チャドやスーダンからも武装勢力が入り込む。援助機関職員を狙った略奪が相次ぎ、殺害事件も起きた。そのため、多くの地域に人道援助物資が届かなくなっている。
こうした状況にもかかわらず、中央アフリカの現状はシリア内戦などの陰に隠れ、国際的な注目を集めてこなかった。旧宗主国のフランスは小規模な駐留部隊を持つが、自国民の保護のための活動にとどめていた。
9月以降、ようやく懸念の声が強まり始めた。
オランド仏大統領は「(政府側とアルカイダ系の戦闘が続く)ソマリア化の手前にある」と懸念を表明した。
10月10日には国連安全保障理事会で、中央アフリカに展開するアフリカ各国の部隊を増強する方針が、フランスの主導で決まった。国連平和維持活動(PKO)への移行も議論されている。ファビウス仏外相は同13日にバンギを訪れ、仏軍部隊の増派を約束した。
今月1日にも、国連安保理の会合で中央アフリカが議題となった。94年に民族対立で100万人近くが犠牲になったルワンダのような事態になると危惧する声も上がっている。
■父は縛られ、家ごと燃やされた/警察署で目隠し、兵士に襲われた
政情不安に翻弄(ほんろう)される中央アフリカの住民たちが、記者に苦しみを語った。
【家族を殺される】
<キリスト教徒のアデリーンさん(17)> 母親らと教会の廊下で暮らす。父親は集落でセレカに撃たれて死んだ。集落に近づけず、遺体は3日間、その場に放置された。「セレカが憎い。イスラム教徒も憎い」
<イスラム教徒のハワアさん(29)> 父親がアンチ・バラカに殺された。後ろ手に縛られ、家ごと燃やされたという。「以前は違う宗教でも一緒に平和に暮らしていた」
【レイプ被害】
<ボサンゴア郊外の小学生サミラさん(8)> 「警察署で目隠しをされて兵士に襲われた。叫んだけど誰も来なかった」。今年5月のことだ。警察署はセレカの拠点になっていた。
祖母マリーさん(60)によると、「一人で、はうようにして帰ってきて、股から血を流していた」。1週間以上、まともに歩けなかったという。「以前は明るい子だったのに、ほとんど話をしなくなった。食欲もなく、やせ細ってしまった」
【少年兵】
<バンギに住むムハンマド君(17)> 今年2月、セレカに加わった。まだあどけない表情が残る。昨年、警察官になる試験に合格し、1万CFAフラン(約2千円)を払ったのに、金だけだまし取られたのが直接の動機だ。
「前政権は腐っていて、国民を無視していた」。セレカの司令官は、犯罪に手を染めた男たちを殴ったり、銃殺したりしていた。バンギで母親に再会すると叱られた。部隊には「病気になった」とうそをついて抜け出したという。
【11月7日 朝日】
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虐殺、レイプ、少年兵・・・・むき出しの暴力を未だコントロールできないアフリカの一面です。それは、私たちが生きる世界の一面でもあります。
コンゴにしても、中央アフリカにしても、武装勢力がどこから、どういう形で資金を得ており、どこから、どういう形で武器の供給を受けているのか・・・そのあたりの資金・武器の国際管理が必要です。
また、武装勢力を根治するためには、政府による適正な統治が必要なことは言うまでもありません。