
(国際機関「国際行方不明者機関」(ICMP)が遺体の身元確認作業を続けているツズラの遺体安置施設 “flickr”より By IHH Humanitarian Relief... http://www.flickr.com/photos/37890481@N04/3997905448/in/photolist-76hj1h-7dBsew-7dBshS-9XXkQp-a5PJn6-9Y14j1-9Y156A-9Y14Kf-9Y19kC-9Y15uf-9Y13rJ-9XX8XX-9XX9Wp-9Y15Td-9Tsbia-9TrXj4-bza2Qn-9Ts44k-9RpEJo-9RmKUa-9RpEAb-9RpEQQ-8cXzHq-9RmL2v-8cXxyU-8cUg9M-bmbsxu-aMYB8T-9TuV1W-9Ts6qc-8B2guF-e9GPWh-e9GPUL-e9GPT1-9Y16yE-9XXmp6-9Y16XN-9XXdU6-9Y18JW-9Y17kU-9Y1fLC-9Y1g51-aK12H6-a3QRpx-9Y1gpy)
【民族浄化】
****ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争****
旧ユーゴスラビア連邦からの独立をめぐり92年、独立を推進する当時「モスレム人」と呼ばれたボシュニャク人(イスラム教徒)、クロアチア人(カトリック教徒)、これに反発して分離を目指すセルビア人(正教徒)の3勢力の間で勃発。セルビア人勢力を支援する連邦軍の介入で泥沼化し、95年に和平合意が結ばれた。人口440万人のうち10万人以上が死亡。相次ぐ虐殺で「民族浄化」の言葉が生まれた。【10月18日 朝日より】
*****************
犠牲者については、死者20万人、難民・避難民200万人という見方もあります。
この紛争のなかで、セルビア人勢力がボシュニャク人の男性約8000人以上をが組織的に殺害したとされる“スレブレニツァの虐殺”が起きたことは、これまでも何回も取り上げてきました。
「民族浄化」は、“安定的な自民族の勢力圏を確保し、支配地域から不安要因を取り除く目的で、自勢力の支配下に住む異民族を排除し、勢力圏を民族的に単一にする”というもので、“スレブレニツァの虐殺”に代表される大量虐殺や強制追放の他、異民族に対する各種の嫌がらせや差別的な待遇、武器の没収、資産の強制接収、家屋への侵入と略奪、見せしめ的な殺人や強姦によって、その地域の異民族が退去せざるを得ない状況に追いやる方法がとられました。
“女性らは強制収容後、組織的に強姦を繰り返し、妊娠後暫くしてから解放することによって出産せざるを得ない状況に追い込まれた。家父長的な男権社会の影響が残るボスニア・ヘルツェゴビナの村部では、女性を強姦によって妊娠させるこの方法は、効果的に異民族を排除する方法として用いられた”【ウィキペディア】
「民族浄化」の批判が高まるセルビア側に対しNATOが空爆で軍事介入したこともあって、ボスニア・ヘルツェゴビナが連邦から独立する形で95年に停戦、デイトン合意が調印されました。
なお、「民族浄化」に類する非人道的行為は、当時国際的に批判されたセルビア人勢力だけでなく、他の民族勢力にも多かれ少なかれ存在したとも言われています。
【遺族は不明者の遺体として受け入れるかどうか決めかねている】
紛争が終わって18年近くが経過しましたが、紛争の傷は未だ癒えていません。
****ボスニアの集団墓地から数百の遺体****
20年前、旧ユーゴスラビア連邦解体後に起こったボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で命を落とした数百人の遺体が入った集団墓地がボスニアで発見された。
ボスニア・ヘルツェゴビナの検察当局によると、発見された遺体は1992年夏に殺害された同国北部プリエドルとその周辺出身のボシュニャク人とクロアチア人と見られるという。
現場はプリエドル地区のトマシカという場所で、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争以来、同国で発見された集団墓地の中で最大だという。
10月31日までに、完全な遺体231体と112人の体の一部が掘り出されたが、検察当局によると、その数は時間の経過とともに増えているという。また30点以上の私物も見つかっている。
遺体の発掘は9月上旬に始まり、10メートルの深さまで進んでいる。作業は来週まで続く見込みだ。遺体は身元調査機関に送られ、法医学的分析や身元の確認が行われるという。
国際行方不明者委員会(ICMP)によると、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の最中に行方不明になった人のうち、これまでに2万2000人の所在が判明したが、全体の約3割に当たる約9000人の行方が依然として不明だという。【11月2日 CNN】
***************
身元確認にはDNA鑑定などが使用されていますが、その作業は次第に難しくなっています。
****「名もなき死」に名、正念場 ボスニア紛争不明者、身元7割確認****
1992~95年のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で集団殺害の犠牲になり、「名もなき死」をとげたとみられる行方不明者3万人の捜索と身元確認の作業が、正念場を迎えている。DNA鑑定で7割まで確認が進む一方、隠された遺体の発見は年々困難さを増す。
■家族血液もとにDNA情報蓄積
部屋の空気は冷え、少し土のにおいがした。
ボスニア・ヘルツェゴビナ北東部ツズラの遺体安置施設の棚に白や青の袋が並んでいた。
欧米各国が資金提供して96年に設置された国際機関「国際行方不明者機関」(ICMP、本部・サラエボ)がここで、ボスニア政府に協力して遺体の身元確認作業を続けている。(中略)
ツズラの南東約90キロのスレブレニツァで95年7月、セルビア人勢力が住民を連行し、約8千人を殺害したとされる虐殺の犠牲者の遺体だ。
埋められたが、発覚を防ぐため後に重機で掘り起こされ、あちこちに分散して埋め直された。このため、それぞれの遺体はバラバラになった。
ICMPは不明者の家族ら9万人が提供した血液をもとにDNAデータベースを構築。遺骨から抽出されるDNAから身元を特定する。ほかの場所で発見された遺骨からも、一致するものがあるかどうか調べる。
スレブレニツァの事件では、6300人を超える犠牲者の遺骨がICMPの鑑定で家族のもとに戻った。これを含め、全国で計3万人とされる行方不明者のうち2万2千人以上の遺体、遺骨の身元が確認された。
(法人類学の専門家)ブチェティッチさんは、ツズラの施設で遺骨を前に沈痛な表情を見せた。
2カ所で別々に見つかった遺骨がDNA鑑定で同一人物とされ、「再結合」した。だが、並んだのは腕、足、骨盤と小さな断片。頭などは見つからず、遺族は不明者の遺体として受け入れるかどうか決めかねている。「身元確認の最後の決断をする遺族にとって、現実は簡単ではないのです」
■ICMP「手法、世界の先例に」
遺体発見のペースは近年、落ちている。
以前は国連旧ユーゴ国際法廷(オランダ・ハーグ)に提出された捜査資料が大きな役割を果たし、数十~数百人規模の遺棄現場が見つかった。今は数人単位の現場が中心で、発見は関係者の証言が頼り。ボスニア政府の調査員ムラト・フルティッチさん(52)は「カギは加害者から情報が得られるかどうか」という。(中略)
ICMPはボスニアで開発した手法で世界の紛争地や災害地での身元確認に協力している。イラク、リビアに現地政府の要請で事務所を開設。宗派対立の激化から虐殺が相次いでいるシリア周辺のNGOからも、相談を受けている。
米国人のキャスリン・ボムバーガーICMP事務局長は「ボスニアは世界の先例になる」と話す。(中略)
ただ、不明者の捜索は各政府の責任だ。ICMPが主導してきたボスニアでも、今は政府の独り立ちが課題になっている。現在は遺体の発見から遺族への返還までの作業の全体を政府機関が統括する形になっているが、その代表者は「死者や不明者の統計をめぐる(民族間の)疑心暗鬼は今もある」と嘆く。
サラエボ近郊の村に住むエマ・チェキッチさん(58)と家族は紛争初期の92年5月、収容所に入れられた。自分と息子3人は解放されたが、当時41歳の夫はほかの男性ら28人と一緒に連れ去られた。
連れ去られた人々のうち、遺体が見つかったのは2人だけ。DNA鑑定で分かった。だが夫に関する手がかりは、今もない。
「夫が埋められた場所で、彼にこの21年のことを語りかけたい。夫がたどった運命を知るまで、私の戦争は終わらないんです」【10月18日 朝日】
******************
【速報値ではクロアチア人が大きく減少】
95年のデイトン合意によって、クロアチア人・ボシュニャク人がボスニア・ヘルツェゴビナ連邦、セルビア人がスルプスカ共和国というそれぞれ独立性を持つ国家体制を形成し、この二つが国内で並立する国家連合として外形上は一国を形成するというように、1国内に3民族・2国家が併存する形となっています。
“ボスニア・ヘルツェゴビナの政治は国際的監視の下に置かれている。3つの主要民族から1名ずつ選ばれた代表者によって構成される大統領評議会が国家元首となる集団指導体制がとられている。大統領評議会の議長は8箇月ごとに輪番で交代し、議長は事実上のボスニア・ヘルツェゴビナの国家元首となる。”【ウィキペディア】というように、“民族”が社会制度すべての基礎となっています。
議会の議席配分や公務員採用も民族構成比で決まるため、どの民族が人口の何割を占めているかということは、極めて政治的な問題となります。
そのため人口・民族を調べる国勢調査は、計画されても調査方法などで紛糾し、これまで実施が出来ずにきました。
****ボスニア:22年ぶり国勢調査 「民族色分け」で揺れる****
第二次世界大戦後の欧州で最悪の民族紛争が起きたボスニア・ヘルツェゴビナで、1995年の紛争終結以来初めて行われた国勢調査が10月15日終わる。
ボスニアック、セルビア、クロアチアの3民族の構成比が焦点だが、民族的色分けに反対し「ボスニア人」などと自称する草の根運動も拡大。3民族をボスニアの「構成民族」と定義する憲法を揺るがす可能性も出てきた。
ボスニアの国勢調査は紛争勃発直前の91年以来22年ぶり。
旧ユーゴスラビア時代の前回調査によると、総人口約438万人の民族別構成比は▽ボスニアック人(イスラム教徒)43・5%▽セルビア人(正教徒)31・2%▽クロアチア人(カトリック教徒)17・4%の順。
このほか5・6%がいずれの民族にも属さない「ユーゴスラビア人」と答えていた。
3民族が覇権を争った紛争は95年12月の和平協定(デイトン合意)で終結。新憲法は3民族の権力分割を定めた。国勢調査で民族構成比が変われば、権力バランスも変化する。3民族の指導部が自陣営に有利にはたらくようけん制し合ったため、国勢調査は延期を余儀なくされてきた。
10月1日から始まった国勢調査でも、それぞれの民族・宗教指導者はモスク(イスラム礼拝所)や教会を通じ、自らの所属民族の明確化を訴え、国外在住者には一時帰国して回答するよう求めた。結果は来年1月に発表。
一方、ユダヤ人やロマなど少数民族は高級官僚や上院議員などへの道を閉ざされている。欧州人権裁判所は2009年12月、憲法が少数民族の人権に違反していると認定。
主要3民族の中でも若年層を中心に、民族別統治による国家運営の非効率性や政治的差別への批判も高まっている。
国勢調査による民族的な色分けに反対するNGO(非政府組織)を主宰するダルコ・ブルカンさん(34)は「国民に所属民族の公表を迫るのは差別的行為。私たちは自分の民族を申告しないよう訴えている」と毎日新聞の電話取材に語った。【10月15日 毎日】
**************
注目される調査結果は来年1月公表とのことですが、オシム監督時代の元サッカー日本代表通訳の千田善氏のブログに速報値が掲載されています。
****ボスニア国勢調査の速報値(非公式)****
10月におこなわれた22年ぶりのボスニア国勢調査の速報値(非公式)
人口は370万から380万人程度(1991年の4.377.033人より約60万人も減少)
民族構成は
ボシュニャック人 Bošnjaci 54%(1991年はムスリム人Muslimani)
セルビア人 Srbi 32.5%
クロアチア人 Hrvati 11.5%
その他 Ostali 2%(その他の中にはボスニア・ヘルツェゴビナ人Bosanci i Hercegovciと申告したものがかなりいるとのこと)
この結果を受けて、「われわれは、もっと多いはずだ」(クロアチア人幹部)、「スレブレニツァ(東部の大量虐殺のあった町)には国境の向こうからセルビア人が来て住民になりすました」(ムスリム人幹部)などクレームが続出。
虚偽申告や、国政調査員の圧力など不正行為があったかなどの調査が11月10日までおこなわれる。【10月31日 『オシムの伝言』公式ブログ http://info.osimnodengon.com/?eid=611】
*****************
91年当時の調査に比べ、クロアチア人が17.4%から11.5%に大きく割合を減らしています。ボシュニャク人の5分の1程度ということになります。民族対立の火種にならないことを願います。
“民族的色分けに反対し「ボスニア人」などと自称する草の根運動も拡大”【前出 毎日】とのことですが、速報値では“その他”は2%にとどまっています。
やはり、民族的色分けを前提にした現在の制度にあっては、民族を明らかにしないことの不利益が大きいのでしょう。
結果として、現在の制度はそのまま温存されるということにもなります。