
(アフガニスタン東部ジャララバード郊外、結婚式でのダンス ジャララバードは、タリバンの支持基盤であるパシュトゥン人の町です。 パシュトゥン人社会でも音楽・舞踏に対する考え方は地域差があるのでしょうか “flickr”より By isafmedia http://www.flickr.com/photos/isafmedia/4695426583/ )
【“タリバンに対する社会全体の恐怖心”が起こす集団ヒステリー】
4月21日ブログ「アフガニスタン イスラム保守派による女子教育妨害」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20120421)で、下記の記事を取り上げました。
****給水器に毒物? 女子生徒100人が中毒症状 アフガン****
アフガニスタンからの報道によると、北部タカール州の女子学校で17日、給水器の水を飲んだ生徒100人以上が中毒症状を訴えて入院した。地元知事はAFP通信に対し、毒物が混入されていたとの見方を示し、「女子教育に反対する者の犯行だと思う」と述べた。
地元保健当局者によると、女子生徒らは頭痛や吐き気を訴え、多くは回復して退院したものの、重い症状の生徒もいるという。学校には10~18歳の生徒が通っていた。
アフガンでは、女子教育を禁じたタリバーン政権が2001年に崩壊した後、女子教育は再開された。しかしその後も、女子教育を嫌う保守派や過激派による女子生徒や学校に対する嫌がらせや攻撃が相次いでいる。【4月19日 朝日】
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こうした女子学生の集団被害はアフガニスタンではしばしば起きていますが、これらはタリバン支持者などによる実際の攻撃ではなく、心因的な集団ヒステリーによるものであるかもしれない・・・との記事がありました。
****アフガニスタンで続く女子学生への毒攻撃、実は集団ヒステリーの可能性****
アフガニスタンの旧支配勢力タリバンによる、女子生徒たちをターゲットにした毒攻撃――これは地元新聞に定期的に取り上げられるニュースだが、ここにきて専門家らは、生徒たちの症状が集団ヒステリーである可能性を指摘している。
前週報じられた「攻撃」では、同国北部タハール州の学校の女子120人以上が失神したり体調不良を訴え、病院に搬送された。地元当局は、正体不明の「毒性の粉」で空気を汚染したとして、これをタリバンの犯行と断定した。タリバンは国を支配下においていた1996~2001年の間、女子の教育を禁止していた。
女子生徒が集団で失神する事件は今年だけでも他に2件発生しており、それぞれ「ガス攻撃」「毒が混ぜられた水」などが原因とされている。
子どもたちは大抵、病院に搬送された後すぐに家に帰される。そして毎回、当局者が原因を探るべく女子たちから毒素のサンプルをとって検査を約束する。
通常、事件のその後の情報は何ももたらされない。しかしAFPが問い合わせたところ、アフガニスタン政府および同国に駐留する北大西洋条約機構(NATO)軍も、毒が存在した証拠を1度も発見していないことが明らかになった。
他方、社会学者のロバート・バーソロミューは、全ての事例に集団ヒステリーの「特徴がみられる」と指摘している。
■過去の戦時下でも似た症例パターンが
アフガニスタン内務省のサイード・エダヤ・ハフィズ報道官は、政府による検査では「これまで、なんらかの毒やガスが使われた証拠を示すものは何もない」と語った。
さらにNATOが主導する国際治安支援部隊(ISAF)の報道官も最近、同国東部ホースト州で200人の高校生らが体調不良を訴えた際にサンプルを収集したものの、初期検査の結果は「空気、水、その他のサンプルすべてが、有害物質について陰性という結果だった」と語った。検査は今後も続けられるが、報告された症状を引き出すような異物が発見される可能性は低いという。
社会学者兼作家のバーソロミュー氏はAFPの取材に対し、これまでの事例は「集団心因性疾患、つまり集団ヒステリーの特徴がすべて現れている」と語っている。
ニュージーランドを拠点とするバーソロミュー氏は、1566年までさかのぼって欧州の学校で起きた集団ヒステリーの症例600件を研究しており、「アフガニスタンで起きている事件はそれらの症例のパターンと一致する」と明言する。「アフガニスタンの事例の明確な特徴は、多数の女子学生が集まっていること、毒物がないことが顕著なこと、一時的かつ軽微な症状、急激な体調の悪化と改善、もっともらしい噂のまん延、異臭の存在、戦時下にあることのストレスなどが含まれる」
バーソロミュー氏によると、戦時下では1983年のパレスチナや1989年のグルジア、1990年のコソボでも同様の症例がみられたという。同氏は「タリバンに対する社会全体の恐怖心から」数々の集団ヒステリーが起きているとの見解を示した。
アフガニスタンは過去30年間にわたって紛争状態が続いている。政府の精神衛生担当局によると、国民の半分は、紛争によるトラウマ、うつ病、不安神経症に悩まされているという。
タリバンは27日、アフガン・イスラム通信を通じ声明を発表し、女学校に対する毒による攻撃にはまったく関わりがないと主張した。【6月2日 AFP】
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真偽のほどは明らかではありませんが、上記記事のように実際の攻撃が行われていなかったということであれば、また、タリバンがそうした行為を行っていないということであれば、アフガニスタンにおける女子教育の今後を考えた場合、喜ぶべきことです。
もちろん、問題はそこで終わるのではなく、アフガニスタンで女子学生が“集団ヒステリー”を起こすような状況に置かれていること、1983年のパレスチナや1989年のグルジア、1990年のコソボなどと同じような状況にあること、“タリバンに対する社会全体の恐怖心”から解放されていないことが根本的問題として存在します。
登校途上の女子学生に酸が浴びせかけられる・・・といった事件は実際におきています。
タリバンが、“女学校に対する毒による攻撃にはまったく関わりがない”と主張するだけでなく、政権を握った場合の女子教育について、より積極的・肯定的な考えを表明してくれたらもっと安心できるのですが。
【今も、保守的な人々の間に、音楽は「害毒」との考えが】
タリバンは旧政権において、女子教育を否定し、女性の権利を著しく制限しただけでなく、音楽などの娯楽活動についても「反イスラム」としてこれを禁じ、楽器や音楽テープは焼却されました。
現在のカブールでは音楽が蘇ってはいますが、タリバンの支持基盤であるパシュトゥン人には音楽活動に参加する者があまりいないようです。
****アフガン音楽、再興の調べ タリバーンがかつて排斥****
アフガニスタンは、かつて音楽が消えた国だ。2001年まで政権を握った武装勢力タリバーンが徹底的に弾圧・排斥した。首都カブールにはいま、音楽学校ができ、子どもたちが学んでいるが、タリバーンが盛り返し、暗い影を落とす。
■国立学校、生きるすべも学ぶ
「タン、タン、タン、タン、タタターン」「ドン、ドン、ドドドン」
カブール中心部の南西約5キロに国立音楽専門学校がある。コンクリート造りの茶色い2階建て校舎に近づくと、様々な楽器の音が耳に飛び込んできた。街中には排ガスと土ぼこりを巻き上げながら走り回る車のクラクションがけたたましく響くが、ここには優しげなメロディーが流れていた。
教室に入ると、生徒たちがトランペットやバイオリン、ピアノのほか、アフガンやインドの民族楽器の練習に励んでいた。
学校は2010年に開校、生徒は現在、10~21歳の約180人。英語や算数、イスラム教の聖典コーランなど一般教養とともに、クラシックや民族音楽の演奏を10年間学ぶ。ロックやラップ、ジャズの授業もある。卒業すると短大レベルの学位が手にできる。
授業料は無料で入学試験もあるが、この学校の最大の特徴は、孤児やストリートチルドレンに入学枠のほぼ半数が割り当てられていることだ。この学校は、生きるすべを学ぶ場でもある。
東部パルワン州出身のラザ君(12)は貧しい家に生まれ、ここに入学するまで、ストリートチルドレンらを支援するNGOの施設にいた。路上で働いていたのかと尋ねると、ラザ君は「答えたくない」と少しうつむいた。いま取り組んでいるのは、アフガン伝統の弦楽器ギチャック。胴に張られた弦を弓でこすって音を出す楽器だ。「将来はプロ奏者になりたい。プロになれば稼げる」と笑った。
ファーティマさん(12)は、中部ゴール州の出身。5年前に農夫の父が何者かに殺された。「食べ物が足りないから」と親類からカブールの施設に送られ、職員の勧めでこの学校に入った。「将来はプロの音楽家になって母の前で演奏したい」と話す。
生徒たちと話していると、アフガンの多数派民族パシュトゥンが見当たらないことに気づいた。ラザ君やファーティマさんらハザラのほか、タジクやウズベクなど、パシュトゥン以外の子どもたちばかりだ。
パシュトゥンは、今も反政府武装勢力として活動を続けるタリバーンの主要民族だ。そのタリバーンは衰えるどころか、いま勢力を盛り返している。生徒の民族構成は、政治状況を如実に反映しているようだ。
■迫害への恐怖なお
校長のアフマド・サルマストさん(50)は、タリバーン政権時代、海外に逃れていたトランペット奏者だ。音楽再興を目指す教育省が招請した。
父はアフガンでは著名な作曲家。サルマストさんは父と同じ音楽家としての道を歩むため、81年にアフガンの音楽学校を卒業後、モスクワの大学に留学し、音楽の修士号を得た。だが、母国はその後、内戦に突入、タリバーン時代は国に戻れず、豪州に移り住んだ。
「アフガンでは子どもの音楽教育が20年以上できなかった。しっかりした学校をつくりたかった」と帰国理由を語る。
タリバーン政権崩壊から10年以上が過ぎたが、タリバーンの影響が強い保守的な地方では、音楽CDを売る店を狙ったテロも起きている。学校が攻撃対象になる可能性も否定できない。
だが、サルマストさんは「もう後戻りはしない。アフガンは死の国じゃない。音楽ができなくなることは二度とない」と力を込める。
不足する資金や楽器、教師の確保など課題は少なくない。しかし、音楽再興の一番のかぎとなるのは、タリバーンの迫害によって人々に残る音楽への「恐怖の呪縛」を解きほぐせるかだ。パシュトゥンをはじめ、保守的な人々の間に、音楽は「害毒」との考えが今も根を張る。
でも、サルマストさんに悲壮感はない。
アフガンは古くから東西文明交流の要衝だった。音楽も様々なものが東と西から入ってきて、伝統楽器や民族音楽をはぐくんだ。結婚式や祭りでは、昔から音楽家が呼ばれ、歌や演奏を楽しむ習慣もあった。それはどの民族にも共通したものだったという。
専門学校の卒業生には、地域に根ざした演奏家や音楽教師としての活躍が期待される。教育省には北部マザリシャリフや西部ヘラート、東部ジャララバードの地方3都市に音楽専門学校をつくる計画もある。
「音楽は内戦やテロで傷ついた人々の悲しみやトラウマを和らげることができる。生徒たちが音楽を愛する社会に変えてくれると確信している」。サルマストさんはそう力説した。【6月1日 朝日】
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イスラムを信奉する社会は世界に広く存在しますが、音楽が「反イスラム」と見られている社会は多くはありません。むしろ、多くのイスラム社会で、音楽や舞踏は生活を潤すものとして人々に愛されています。
ただ、タリバンのイスラム原理主義に大きな影響を持った、やはり原理主義的なイスラム・ワッハーブ派を国教とするサウジアラビアでは、公の場での音楽やダンスが禁じられているそうです。
【強く望まれるタリバンの文化的変革】
タリバンの偏狭とも思える“イスラム”の考え方は、こうしたワッハーブ派などの宗教的基盤の他に、パシュトゥン人独自の部族社会の慣習が色濃く反映されていると言われています。
特に、旧政権当時は、タリバンの中枢を担ったのは、外国文化や都市文化に触れることなくパシュトゥン人の社会で生活してきた人々であり、そのことが自分たちがこれまで馴染みがなかったそうした文化への厳しい拒絶反応を引き起こしたとも思われます。
タリバン旧政権崩壊から十数年が経過し、自分たちの部族社会とは異なる文化を触れあう機会も多くあったのではないでしょうか。
米軍撤退後、タリバンが政権に参画すること、あるいはタリバン支配が復活する事態もありえる状況で、女性の権利、娯楽・文化活動に対する彼らの考え方が少しでも変わっていること、あるいは、そうした面での妥協が社会の安定支配に不可欠だとの政治的認識が生まれていることを期待します。
“ターリバーンは過度に今までの娯楽や文化を否定し、また公開処刑を日常的に行うなど、過激な活動をおこなった。これは市民に対する見せしめであると同時に、娯楽の無い市民を巧妙に操る手口であり、多い時には1万人もの見物客が公開処刑に詰め掛けたといわれる。”【ウィキペディア】
公開処刑を娯楽のない社会のはけ口にするような世界の再現は避けたいものです。