孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

中国・台湾  変わる評価、変わらぬ評価  李鴻章、日本統治時代の和暦、“一つの中国”

2011-08-29 21:24:14 | 中国

(李鴻章を挟んで、左は英国首相を3回務めた保守党政治家ソールズベリ、右は同じく英国保守党政治家でインド副王を務めたジョージ・カーゾンではないでしょうか “flickr”より By ambrett http://www.flickr.com/photos/22955235@N00/542905394/

洋務運動は中国における改革開放の第一歩
不変とも思われているような歴史的な認識・評価も、時間とともに変化しうるものです。

清朝末期に西洋の軍事技術を導入し国力の増強を図る洋務運動を主導した李鴻章は、欧米列強と数多くの不平等条約を結び、下関条約で台湾を日本に割譲した「売国奴」として長く批判されてきましたが、“改革開放の第一歩”として再評価の動きがあるとか。
李鴻章はかつて孫文の提案を無視したことがありますが、後に辛亥革命を主導した孫文より李鴻章の方が当時の中国の実情に即していたと評価する見方が増えているそうです。

****再評価される李鴻章 「売国奴」から「愛国者」へ****
「李鴻章は偉大な愛国者であり、彼が主導した洋務運動は中国における改革開放の第一歩となったのです」
中国・安徽省の省都、合肥市の繁華街。同市出身の政治家、李鴻章(1823~1901年)の旧家を改築した記念館で、若い女性案内人は李鴻章の胸像を指さしながら語気を強めた。

辛亥革命前夜の清朝末期、北洋大臣(北方三省の通商・外交・防衛を担当)などを務めた李鴻章は、西洋の軍事技術を導入し国力の増強を図る洋務運動を進める一方、欧米列強と数多くの不平等条約を結んだ。1895年、日清戦争後の下関条約で台湾を日本に割譲したのも李鴻章であり、中国で長年、「売国奴」の代表的人物として批判の対象とされてきた。(中略)

しかし最近、李鴻章ら歴史上の人物の再評価が進んでいる。李鴻章記念館で7月から行われている特別展では、李鴻章が外国の投資を積極的に導入し、鉄道を整備し、紡績など中国の民族産業の振興に力を入れた点を「祖国と運命をともにし、発展を求めた」と高く評価している。
李鴻章記念館を訪れる参観者も近年、毎年30%前後で増えており、昨年は16万人を超えたという。

李鴻章は辛亥革命の10年前に死亡しているが、革命と無関係というわけではない。孫文が革命を志すきっかけを提供した人物こそ、李鴻章だったともいわれている。

若い頃、清朝の体制内改革を目指していた孫文は、28歳だった1894年、約8千字から成る改革案をときの実力者、李鴻章に送った。「人材の積極的登用」などが盛り込まれていたという。その上で李鴻章に面会を求めたが、実現することはなかった。
迫る日清開戦を回避するため、各国と交渉を重ねていた李鴻章が一介の若者の提案に耳を傾けるはずもなかったが、失望した孫文はその後、清朝の打倒を決意し、ハワイに渡って反体制組織の興中会を立ち上げるのである。

李鴻章が孫文の提案を受け入れなかったことは、後に小説や映画にもなり、改革派の孫文と保守派の李鴻章の対決という側面からクローズアップされてきた。
ところが、最近になって、当時の李鴻章の政策はむしろ中国の実情に即しており、孫文の提案の方が非現実的で、未熟だったと主張する学者が増えている。
辛亥革命は内戦を招き、社会の発展を著しく阻害したとして、李鴻章の洋務運動路線をそのまま堅持していれば「中国はもっと早く近代化を実現できたはずだ」といった主張まで飛び出している。

「一連の不平等条約を結んだのは李鴻章だけの責任ではなく、当時の中国の国力を考えれば彼はむしろ外国との交渉でよく頑張った方だ」
こう指摘するのは北京大学歴史学部の宋成有教授だ。李鴻章が「売国奴」と位置付けられた背景には、歴代政権内の権力闘争に絡み意図的に宣伝された側面があるという。

しかし近年、中国で進む学術研究の多様化により、歴史上の人物にさまざまな光があてられるようになった。
宋教授によると、清朝末期、その豪奢(ごうしゃ)な生活が国力を低下させたとして長年批判されてきた西太后も、中国の近代化への貢献を評価する研究者らがいる。
一方、農民の革命として賛美されることが多かった、同時期の太平天国や義和団については、それらの文化破壊などの側面が指摘されるようになり、評価の見直し作業が進められているという。

こうした再評価にはそれぞれ特有の背景があるが、李鴻章の場合、中国の国内総生産(GDP)が日本を抜いて世界2位に躍り出るなど、高度経済成長により中国が自信を付けたことも原因の一つとみられる。【8月29日 産経】
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文革の毛沢東、天安門の小平はタブー
しかし当然ながら、現在の中国共産党支配体制に直結するような部分に関して新たな評価を試みることは“タブー”とされています。

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ただ、中国の近現代史にはまだまだタブーとされる部分が多い。
日中戦争時に日本の傀儡(かいらい)政権を率いた汪兆銘はいまだに「国賊扱い」を受けており、重慶の烈士霊園などには土下座する汪兆銘像がある。いかなるプラス評価も許されないとの雰囲気が残るため、歴史学者の間で汪兆銘を研究する人はほとんどいないという。

また、1960年代から70年代半ばにかけて中国を大混乱に陥れた文化大革命における毛沢東の役割や、89年の民主化運動を弾圧した天安門事件の際のトウ小平らの研究もタブー視されている。中国当局が下した結論が絶対視され、自由な研究は許されない。

歴史の評価が時代の変遷とともに変わるのは世の常だが、中国においては共産党の意向によって左右されるのが実態だ。約2500年前の思想家、孔子への批判と賛美が繰り返されたように、李鴻章の場合も最近の再評価が定まったわけではない。【同上】
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【「歴史事実を覆い隠したり、歴史事実から逃避したりすることはできない」】
一方、李鴻章が下関条約で日本に割譲した台湾では、教育において日本統治時代の台湾の歴史に触れる際、西暦とともに「明治」「大正」「昭和」といった日本の元号(和暦)を併記すべきだ、という意見書が出されているそうです。

****台湾・年号の表記不統一 「和暦なければ教育現場が混乱*****
日清戦争の結果、約半世紀の日本統治時代を経た台湾。その近現代史は複雑だが、台湾の学校教科書や歴史教育などで日本統治時代の台湾の歴史に触れる際、西暦とともに「明治」「大正」「昭和」といった日本の元号(和暦)を併記すべきだ、という意見書が現場の教育責任者から教育部(文科省に相当)に提出され、注目されている。

意見書を提出したのは、7月まで台湾北東部の宜蘭県政府の教育処長だった陳登欽さん(48)。台湾の歴史教科書では一部を除き、清国から日本への割譲が決まった下関条約(1895年)から、第二次大戦の終結(1945年)までの「日治時期」の台湾の出来事は西暦のみで表記。日本統治以前は西暦と清の元号を、以後は西暦と民国暦を併記している。(中略)

提案では「台湾に過去半世紀の日本統治時代が存在したのは歴史的事実だ」「子供たちには事実を知る権利がある」「1945年以前の日本領台湾と中華民国は無関係である」などを柱とした。(中略)

「歴史事実を覆い隠したり、歴史事実から逃避したりすることはできない」という陳さんの提案に、教育部では「敏感な問題であり、十分に諮(はか)ったうえで回答を示したい」として、教育研究院の教科書発展センターなどで審議中。その成り行きが注目されているが、果たして…。【8月29日 産経】
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【“一つの中国”の呪縛
台湾が親日的とは言え、日本統治に関しては、支配された側の台湾としては“敏感な問題”でしょう。
台湾及び中国にとって、“微妙かつ重大な問題”が“一つの中国”という認識です。
日本統治や李鴻章のような過去の問題ではなく、現在及び将来を左右する問題です。

中国は、本来台湾は中国の一部であり、将来的に事と次第によっては“武力”を用いても・・・という立場ですから、論旨としては明快です。

台湾は悩ましいところです。
現実的には別個の主権国家を形成していますが、そこをあからさまに主張して中国を刺激することは、安全保障上の問題を引き起こします。そこまでいかなくても、経済的に中国依存が強まっている現実においては、少なくとも経済的に中国と良好な関係を維持してことが台湾にとって不可欠である・・・という認識もあります。

台湾の中でも、中共と争った蒋介石・大陸にルーツを持つ与党・国民党は“一つの中国”と言う点では中国共産党と一致しています。どちらが呑みこむのか・・・というところは異なりますが。
もちろん、国民党も今更大陸侵攻を考えている訳ではありませんが、党是としての“一つの中国”をそのまま掲げて、“一中各表”(「一つの中国」の解釈を中台それぞれが表明する)という現実的対応で事を荒立てず、経済面を中心に中台関係強化を図っていくという立場になります。

野党の民進党は、台湾の主権を重視する立場になります。
陳水扁前総統は“一辺一国”(中国と台湾はそれぞれ別の国)」とする強硬姿勢をとりました。
ただ、先述のように、中国を刺激することは安全保障上の問題になりますし、経済的関係強化は避けて通れないところがあります。
蔡主席は、“一つの中国”については明確に否定せず、中国との対話継続を重視する姿勢を見せています。

****台湾総統選:中台政策の論戦開始 候補の馬氏と蔡氏****
来年1月14日投開票の台湾総統選に向けて23日、与党・国民党候補の馬英九総統(61)と野党・民進党候補の蔡英文・同党主席(54)がそれぞれ中台政策を表明した。最大の争点を巡る論戦の始まりで、馬総統は中台関係改善の成果を改めて強調。蔡主席は中国が対台湾政策の原則として提唱する「一つの中国」を、「時代に合っていない」と指摘。戦略的互恵関係に基づく新たな対話の枠組み作りを呼びかけた。

馬総統はこの日、かつて中台軍事対立の最前線だった台湾西部の金門島を訪問。中国側から当時撃ち込まれた砲弾と台湾の砲弾の残骸で作った「平和の鐘」の完成式典に出席した。1958年8月23日は、中国軍が金門島に2カ月近く続く砲撃を始めた日だ。

馬総統は就任以来、中台関係の改善に積極的に取り組み、金門島は双方の交流拠点へと様変わりした。馬総統は式典で「殺りくの戦場が両岸(中台)の平和の道に変わった」と強調、子供たちと共に平和の鐘を11回ついた。(中略)
一方、蔡主席は台北市内で会見し、対中政策についての立場を初めて明確に表明した。最近では台湾人の約8割が中国との関係について「統一」でも「独立」でもない現状維持を望んでいると指摘。台湾の主権を強調した上で、中国が主張する「一つの中国」とは別の形の「歴史を超え、未来を展望する枠組み」が必要だと訴えた。

また、「中国の台頭は台湾にとって挑戦だがチャンスでもある」とも述べ、独立志向の強い民進党の従来姿勢を弱めた。馬総統が主張する「一中各表」(「一つの中国」の解釈を中台それぞれが表明する)とは異なる立場を表明したが、「一つの中国」については明確に否定せず、中国との対話継続を重視する姿勢を示した。【8月23日】
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“台湾人の約8割が中国との関係について「統一」でも「独立」でもない現状維持を望んでいる”という状況で、中台関係強化にしても、台湾主権重視にしても、あまりこの問題に深入りすることは中間層の反発を招きかねないという判断もあって、総統選挙開始時には敢えて両者ともこの問題に触れないという対応をとっていました。
ただ、さすがにそうもいかない重大問題ですので、今後、両党そして中国の間での論議が高まりそうです。

中国:「この政策を実施したら両岸(中台)関係は再び不安定化する」】
なお、中国はさっそく民進党・蔡主席の“「一つの中国」とは別の形の「歴史を超え、未来を展望する枠組み」”に反発しています。

****台湾総統選:中国、馬氏支持鮮明に…野党提案を拒否****
中国国務院台湾事務弁公室は24日、来年1月の台湾総統選の野党・民進党候補、蔡英文・同党主席が23日に発表した対中政策で「一つの中国」とは異なる新たな対話の枠組み作りを呼びかけたことに対して、「受け入れられない」と拒否した。また「この政策を実施したら両岸(中台)関係は再び不安定化する」と述べ、与党・国民党候補、馬英九総統との連携を継続する姿勢を鮮明にした。

中国側は、陳水扁前総統が「一辺一国(中国と台湾はそれぞれ別の国)」と表明した強硬姿勢と蔡主席の立場を同一視し、「民進党はいまだに台湾独立の立場を変えていない」と批判。「我々は両岸関係を後退させたくないし、台湾同胞に損害を与えたくない。平和発展の成果を捨てたくない」と述べた。

これに対し蔡主席は25日、「予想通り(の反応)だが、我々の説明には共に検討できる多くの課題があり、善意が含まれている」と述べ、「我々の政策をよく読んで理性的な力を発揮してほしい」と呼びかけた。【8月25日 毎日】
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“一つの中国”の呪縛は、なかなか解けそうにありません。
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