孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

パキスタン 非常事態宣言は回避

2007-08-10 18:28:25 | 国際情勢

(写真は06年1月 ワシントンで講演するブット元首相 “flickr”より By agha_khanium)

パキスタン政府は9日、「ムシャラフ大統領が国内外の脅威に対処するため非常事態宣言の発令を検討している」と発表。
アフガニスタンのカブールで開催された「ジルガ」(アフガニスタンとパキスタン両国の国境地帯の部族長や宗教指導者、両国高官ら約700人による部族長会議)についても、ムシャラフ大統領は欠席しました。
しかし、その後同日中に「非常事態宣言は発令しないことになった」旨が発表されました。

非常事態宣言検討の理由は「国内の治安悪化進行に対処するため」とされていますが、非常事態宣言が発令されれば自動的に現在の議会の任期が12か月延長されるほか、司法権限や市民的自由が制限されるところから、政治的に難題を抱えている大統領が総選挙の延期をねらったものでは・・・とも憶測されていました。

パキスタン政府筋の話では、非常事態宣言を提案する側近に対し、大統領自身が「自由で公正な選挙を日程通り行うことを願っている。この目標にとって障害となるいかなる措置にも賛成する気がない。さらに非常事態宣言の発令を要する状況ではないと考えている」と、この提案を拒絶したとのことですが・・・。

この一連の動きに対しては、アメリカの牽制も伝えられています。
ブッシュ米大統領は9日、ホワイトハウスで記者会見し、対テロ戦争で連携するパキスタンの総選挙が「自由で公正」に実施されるよう期待すると述べ、治安悪化や政情不安に直面するムシャラフ大統領が強権的な手段に訴えないよう牽制したそうです。
AP通信は、今回の非常事態宣言回避は、ライス米国務長官がムシャラフ大統領を電話で説得した結果だと報じています。

ムシャラフ大統領の直面している難題のひとつは、「赤いモスク」事件以降激しくなったイスラム原理主義勢力との対立、そしてそれに関するアメリカの圧力です。
アルカイダ勢力も潜んでいるとみられている北西部では事件以降、治安部隊等に対する自爆テロが頻発し、対立が激しくなっています。
もともと、タリバン、アルカイダ等のイスラム原理主義勢力はパキスタン軍部の思惑(アフガニスタンに自国にとって安心できる国家をつくり宿敵インドに対峙する、あるいは、カシミール地方にパキスタンの代理としてこれら勢力を送り込む等)があってこの地に根付いてきたとも言われています。
事件を契機に、“強い態度で過激派を一掃する”ことで国民の支持を集め、政権への求心力を高めようと試みたとも言われているムシャラフ政権の“変節”に対し過激派勢力が反発を強めているとのことです。

もっとも、国軍内に過激派勢力を支持する勢力が従来から強く、ムシャラフ大統領がどこまで本気でこれら過激派勢力に対しているのか、あるいは、したくてもできないのか、いまひとつ不透明な感じはあります。
アメリカもこの地域でのパキスタン軍の対応には満足していないようで、さすがにアメリカ軍を送りこむことはできないので、情報機関などを使って介入しようという意向もあるやに以前ニュースで見聞きした記憶があります。
ブッシュ大統領は「パキスタンが主権国家であることを理解する必要がある」と述べ、パキスタンとの共同歩調を維持し、単独攻撃には慎重姿勢を示したそうです。(そりゃそうでしょうね・・・。)

二番目の問題がムシャラフ大統領に批判的なチョードリー最高裁長官の存在、野党勢力の活発化です。
チョードリー最高裁長官を職務停止処分にした問題で野党勢力は結束を強め、5月には死者まで出る騒動になりました。
最高裁は7月20日にチョードリー長官の職務停止処分を違法として、長官の復職を認めました。
最高裁長官が問題となる背景には、今年11月15日に任期切れとなる大統領選と下院議員選のどちらを先に行うか、司法判断が示される可能性があることがあります。
大統領は、ムシャラフ派が多数派を占める現在の下院のまま、間接投票による大統領選を行い、再選を果たした後に下院選を行う方針でした。
しかし野党は、下院議員選を行って新たな下院を招集した後に大統領選を実施すべきだとして提訴する構え。
この場合、下院選の結果次第で大統領の再選が危うくなる恐れもあります。
チョードリー最高裁長官の復職で、総選挙前の大統領選挙は難しくなったようにも思われます。

そして三番目の問題が、ブット元首相の帰国・復職の動向です。
現在ロンドンとドバイで亡命生活を送っているベナジル・ブット元首相は今月5日、米CNNテレビのインタビューに応じ、ムシャラフ大統領が陸軍参謀長の肩書きを返上することを条件に、同大統領と政権を分担する用意があるとの意向を表明しました。
ムシャラフ大統領とブット元首相は先月27日、アラブ首長国連邦の首都アブダビで極秘会談を行い、選挙前の権力分担について協議したようですが、合意には至っていないそうです。
ただ、政府高官は「ムシャラフ大統領はパキスタン人民党議会派(PPP ブット元首相が総裁)や与党パキスタン・イスラム教徒連盟(PML)の支持が得られるのであれば、軍服を脱ぐ意思がある」と語っているそうです。

ブット元首相というと「そう言えば、そんな人がいたな・・・」程度の記憶しかありませんでした。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で確認すると、波乱万丈の人生ですね。
祖父は独立の英雄、父親は元首相という名門の令嬢で、かつ、才色兼備。
このあたりは、ミャンマーのアウサン・スー・チーみたいです。

英オックスフォードではオクスフォード・ユニオン(有名な学生クラブ・討論会だそうです。)の議長を務め、卒業後帰国。
しかし、父親は監禁・処刑。本人も自宅軟禁後、イギリスへ出国・亡命。
亡命中の身のまま、父の政党PPPの総裁に就任。
88年の総選挙で勝利して、35歳の若さで女性首相に就任。
90年には汚職を追及されて大統領から首相職を解任。
93年の選挙で再び勝利して首相へ復帰。
96年にはまた汚職等のスキャンダルで政権崩壊・解任。
ムシャラフ時代の02年の総選挙で勝利するも、拘束され亡命。

かつての政敵ムシャラフと手を組んで三度目の復活がなるか・・・というところですが。
彼女だけの問題ではないと思いますが、アジアの民政は往々にして“権力=利権”の金権体質に染まることもあって、過去の実績からして気になるところです。
また、過激派勢力、アメリカ、国内批判勢力、国軍などの微妙なバランスを必要とするパキスタンで、軍の後ろ盾なしにどこまで腕をふるえるのか・・・。

日本の安倍政権も将来も微妙ですが、パキスタンの政権の不安定化は直ちにアフガニスタン情勢、対インド関係に直結しますので気になるところです。

コメント
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