表題は、僕の言葉じゃないんけど、ちょっと、拝借。
って具合だ。
その前にあるのが、言葉をそのまま受け取る能力が人に備わるとこの世は、と。
日木流奈さんという、二十歳くらいの方か。
なんとかいう難しい病気で、生まれた時から3回くらい大手術をし、脳に損傷を受け。
という御仁。
なので、言葉を得るまでには随分と時間が必要だったそうで。
感じることが先にあった、というんだね。
だから、言葉やら知識やらのもつ、不確かさ、不実さ、みたいなことに敏感、とでもいうか。
知識は私を表現する手段にすぎず、学ぶとは趣味にすぎませんでした、とか。
日々というのは味わうためにある、なんてこともね。
ひと頃、よくこのブログにも書いたかも、という、「問題は解決するな」というkan.さん。
その方との対談だったんだけど。
表現がシンプルにして要所を突いているので、メモしたわけだ。
お二人の結論として、今のこの世で起きていることはギフト、っての。
等身大の関心ごとをすべて楽しむ、とかね。
今朝は、そんな彼らの言説を、ご披露したくなった次第で。
珈琲は、ケニア。
ところで、昨日、湯葉と同包で、天日にがり、が届き、早速、3〜5滴を飲み始めた。
リクツはなんだったか、忘れましたが、酸素が体内を回りやすい、だったか。
忘れたな。
は、ともかく、奨められたままに体感を味わってみむと、ってことでね。
足が吊らなくなった、とか、持久力が上がったと運動系の高校生、とかの話は覚えているんで。
いずれ、それ系の、にがり、です。
このニガリには、苦い思い出が、って親父ギャグみたいだけど、糠漬け初心者の頃。
ぬか床をさらに良きものに、ってんで、これ、入れてみたんだな。
しかし、すぎたるは及ばざるが如し、ってなもんで、ぬか床は、死に絶えた。
なんてことを、このブログのネタにしたら、始めたばかりの頃、コメントが入ったんだった。
そんなこと書かれると、せっかく、これから糠漬けをしようと思っているのに、やる気がなくなる。
くらいのコメントで、おいおい、そうなんだ、と、すかさず、ブログ名を。
糠漬け初心者、から、まわりで起こっていること、に変更、ってことがあったな。
なにせ、こう見えても臆病だからね、攻撃には弱い、ってわけで。
なんてこと、思い浮かんでくるな。
さて、今日は、webミーティングを二つ、そろそろ、次なるルーティンへ向かうとするか。