まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

言葉という美で溢れます。

2020年05月26日 | Weblog

表題は、僕の言葉じゃないんけど、ちょっと、拝借。

って具合だ。

その前にあるのが、言葉をそのまま受け取る能力が人に備わるとこの世は、と。

日木流奈さんという、二十歳くらいの方か。

なんとかいう難しい病気で、生まれた時から3回くらい大手術をし、脳に損傷を受け。

という御仁。

なので、言葉を得るまでには随分と時間が必要だったそうで。

感じることが先にあった、というんだね。

だから、言葉やら知識やらのもつ、不確かさ、不実さ、みたいなことに敏感、とでもいうか。

知識は私を表現する手段にすぎず、学ぶとは趣味にすぎませんでした、とか。

日々というのは味わうためにある、なんてこともね。

ひと頃、よくこのブログにも書いたかも、という、「問題は解決するな」というkan.さん。

その方との対談だったんだけど。

表現がシンプルにして要所を突いているので、メモしたわけだ。

お二人の結論として、今のこの世で起きていることはギフト、っての。

等身大の関心ごとをすべて楽しむ、とかね。

今朝は、そんな彼らの言説を、ご披露したくなった次第で。

珈琲は、ケニア。

ところで、昨日、湯葉と同包で、天日にがり、が届き、早速、3〜5滴を飲み始めた。

リクツはなんだったか、忘れましたが、酸素が体内を回りやすい、だったか。

忘れたな。

は、ともかく、奨められたままに体感を味わってみむと、ってことでね。

足が吊らなくなった、とか、持久力が上がったと運動系の高校生、とかの話は覚えているんで。

いずれ、それ系の、にがり、です。

このニガリには、苦い思い出が、って親父ギャグみたいだけど、糠漬け初心者の頃。

ぬか床をさらに良きものに、ってんで、これ、入れてみたんだな。

しかし、すぎたるは及ばざるが如し、ってなもんで、ぬか床は、死に絶えた。

なんてことを、このブログのネタにしたら、始めたばかりの頃、コメントが入ったんだった。

そんなこと書かれると、せっかく、これから糠漬けをしようと思っているのに、やる気がなくなる。

くらいのコメントで、おいおい、そうなんだ、と、すかさず、ブログ名を。

糠漬け初心者、から、まわりで起こっていること、に変更、ってことがあったな。

なにせ、こう見えても臆病だからね、攻撃には弱い、ってわけで。

なんてこと、思い浮かんでくるな。

さて、今日は、webミーティングを二つ、そろそろ、次なるルーティンへ向かうとするか。

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