むしろ、謎が深まる、そんなNHKスペシャル、未解決ファイル・JFK暗殺事件の謎。
だったな。
二日間に渡り放映されたわけだけど、失礼な話、あの程度の切り込みで。
何があったんだろう、と。
なぜ、この時期の、あの内容だったのか。
たしかに、CIAの元高官が登場し、いろいろと話してもいたけれど、むしろ。
真相への道すじをぼやかしてしまった感もあり。
なんて感想を持った番組だった。
この3月の末にリリースされた、murder most foul、というディランの曲も。
オリバー・ストーンの「JFK」という映画もある中。
というのが当方の見解で、そんなことを浮かべているわが脳内を覗き込みもしてないだろうけれど。
巴川沿いの電線の上には、三羽の鳩が、まったりと皐月の朝を堪能していた。
彼らの世界観、どんなだろうな、なんて思いながら、今朝の。
珈琲、コロンビアのサマニエゴを味わっていた。
その鳩がなにかを、つまり、彼らの音?言葉?を発している。
実は、今月の半ばに、八ヶ岳でちょっとしたワークショップへの参加予定だったのだけど。
こんな状態なので、早い話が、世を挙げての自粛モードのため、参加見合わせ。
っていうメッセを今日、そちらの御仁に発信するんだけど。
昨日もアップした漆器祭りもそうだし、あれやこれやの約束事、決まりごとが一つずつ。
なくなっていく、この時代、ってのは、なかなか、見応えのある世界、とも言えて。
古来、王たる身分を捨てて出家した釈迦をはじめ、修行僧や行者と呼ばれる方々が。
寺山修司じゃないけど、書を捨てて街へ出よう、ならぬ山へ篭り、世間から距離を取り。
なんてこと、そこここで繰り広げ、つまり、放擲(ほうてき)、手放す、捨てる、捨身。
みたいなことがあったんだけど、期せずしての現在。
そんなことが、極々の日常の中に起こっているわけで。
そんなチャンスは、またとない、という時代を経験、体験できているわれわれ。
なんだよね。
これをラッキーと言わずしてなんとしよ、ってなもんだ。
くどいけど、そんなタイミングでの、JFK、だからね。
繰り言じゃなく、その裏側からのメッセージを是非とも拾いたいものだ。
メッセージってのは、表と裏と両方ある、いや、斜向かいからもあるか。
いずれにしても、せっかくのメッセージを受け取ることにしようか。
ところで、昨日の走り、よかったな。
走り終わった後のクールダウン、汗が滴り落ち、これだったな、手に入れたかったことは、ってね。
汗をかいてみたかった。
ただ、それだけ、とも言えて、少年時代にかえったような気分。
ある方が言っていた、脚ができる、という感覚、それそれ、ってわけだ。
脚ができてくると、汗も滴り落ちる。
核戦争がリアルな俎上に乗っているころ、フラジャイルとしての人間、って大江健三郎が言ってた。
なんてこと、ふと今朝、思い出してもいて。
壊れものとしての人間、ということだったけど。
今回は、核戦争ではなく、COVID-19だけど、壊れものとしての人間、ってのが、日々の人々の口の端に。
上り続け、もともとそうだったことへの、改まっての怯えや不安。
なんだけど、脚ができてくる、という感覚、それは、壊れものとしての、を踏まえつつの。
しかし、という夜明けに向かうような、そんな感じだな。
くどい言い方だけどね。
そんな気分だ。
ということで、本日の走りは、我慢することにします。