こっちは大変だったのよ。
と続くらしいけど。
これ、スーパーマンの話で。
愛しい人が事故で死んだ。
悲しみと怒りで、スーパーマンは、大気圏を飛び出し、地球の自転と逆方向へ。
超高速で回って時計の針を巻き戻し、彼女の死の前までね。
そこで彼女と遭遇、その刹那の言葉が、表題のごとくで。
何も知らない彼女は、何してたの、こっちは大変だったんだから、とのたまう。
そんなシーンを、中野京子さんというドイツ文学者が、コラムに書いていた。
彼女、たしか、ヨーロッパの有名な絵画の、その裏側を紐解いた、名前忘れたけど。
そんな本、書いている方でもあるな、たしか。
このスーパーマンと恋人とのコントラストが、面白くてね、Evernoteにクリップしといた。
とはいえ、実のところ、この逆もあって、俺がこんなにも仕事で苦労してるのに。
女房ときたら、みたいな。
なんだけど、今回、妻の入院、母親のデイサービス等々の時間をくぐり抜けてみると。
洗濯物を干す、たったそれだけでも、いつもとは違う頭を使うわけで。
家庭内労働、と身もふたもない名付けられ方をしている様々な所業、所作、仕事。
ってのがね、実は、とても、奥深く、なんてことを体感してみると。
逆スーパーマン物語、も書けるわけだ。
だから、お互いに労いの言葉を掛け合いましょうね。
なんてのは、道徳の教科書に載るんだろうけど、ベタすぎて、どうなんだろう。
言わなきゃわかんないでしょ、って言い方も、これまた、よくある話で。
しかし、知るものは言わず、言うものは知らず、なんて、とても素敵な言葉もあるしね。
だから、古い世代はダメなんだよ、なんて返す刀でバッサリと斬られそうだね。
なんて書くと、身構えながら話すなんて、ああ、臆病、なんだよね。
例の、吉田拓郎を森進一が歌った、襟裳岬が浮かんでも来るな。
ま、何れにしても、それぞれの物語をそれぞれ独自に生きている、ってのが。
まあまあ、この世のデキ、でもあるんで、それはそれで、宜なるかな、ってところか。
昨日は、6月の「歴史の旅」、それの行程表などなどの下ミーティング。
旅は、ここから始まっている。
天孫降臨の地、高千穂峡を経めぐる旅。
詳細は、まだ、書けるほどの知見はないけれど、地名、神社、などなどを目にするだけで。
心は騒ぐ。
これ、曽祖母の血かな。
かの女史は、明治から大正、昭和の初期にかけて、そこかしこを経巡った、と言う話を。
おば達にも聞いたりしているんで。
その話を、おば達は、寝物語に聞かされ、針小棒大かどうかはともかく。
ひ孫たる、当方にも伝わってきていて。
そこでまた、化学反応が起き、と言う具合。
昨日も、物部、と言う記号が語られ、とオートマチックに、蝦夷にもとび、四天王寺の物部守屋さんの祠にもとび。
四国の物部神社にもとび、ってわけで。
一つの言葉が、芭蕉じゃないけど、枯野をかけめぐる、んだね。
と言うわけで、本日も晴天なり、じゃなく、雨模様の中、一日を始めるとしますか。