この間、築地のお店で買い求めたおろし器。
職人さんが、一つ一つをタガネで起こし、切れ味鋭い刃先を上に向け。
くらいのウタイのおろし器、それで、我が指を、って次第。
なんてこと、思い出していたら、その昔、カウンターの向こうで、立ちながら大根をおろしている姿。
おでん屋の「吹雪」って、ところでね。
大将が、やっていたな。
その頃、ある親方夫婦の相談に乗っていた少年、10代だった、その御仁が今や、40代も半ば、だから、30年は前の光景か。
大将は、何年か前に、すでに黄泉の国へ旅立っている。
今頃、何してるんだか。
あの店での大将との会話、相方と、子どもの頃、風邪をひくとバナナ、食べさせてくれたりして。
嬉しかったよね、みたいなところへ、負けず嫌いの大将、俺の頃は、もっと貧しくて。
なんだったか、同じシチュエーションで、バナナどころではない、もっと今思えばプアな。
食べ物をもらったことが嬉しかった、と言うわけで、貧乏競争だった。
なんてことや、ゴルフの練習場で、いいか、スイングってのは、ゆっくりと力を入れず、なんて言いながら。
当方に教えんと、しかし、そのスイングが、目にもとまらず、くらいの速さで、ちょこまか、みたいなものだったな。
意識は、何処へでも飛んで行こうと思えば、飛んでいける。
昔の参考書、自由自在、みたいなもんだ。
30年前が、今ここに鮮やかに蘇る、まるで、確実に存在するものとして。
それにしても、朝が明るくなった。
時計の同じ時刻での比較、ってことだけど、月とか太陽とかの巡りとは関係ないところで、しかし、関係もしている。
って話だけど。
このところ、母親が朝早くに食事をする、らしく。
6時前後に、妻のおきだす前に、一人で、卵かけご飯、とかね。
通常は、8時過ぎだったのが、そう言うことで。
夕べ、妹と妻との会話を聞いていたら、そんなことで、彼女にとっては、時計の刻む時刻ではなく。
体内時計なのか、どうなのかはわかりませんが。
明るい巴川を眺めていると、鳥さんたちの朝食の時間は、とうに過ぎたんだろうな、なんて思いつつ。
母親の超早の朝食に思いを馳せ。
実は、この間、痛風の御仁の、その患部への意識のシフト、ってのを、目の当たりにして。
意識ってのは、融通むげ、何処へでも行けるんだな、と言う実体験をしたんだけどね。
このことについて、詳しく書ければ、とも思いつつ。
そうだ、今日は、これから、旧東海道を歩こう会、ってわけで、興津の宿から江尻の宿への行程。
ボランティアガイドさんに同行願い、さて、どんな街と歴史に出会うことができるのか。
地名なども、時間の縦軸に積み重なった、お宝の象嵌細工のようだけど。
道を歩くわけだけど、そもそも、この道という字の由来が、白川静さんによれば、敵の首をね。
掲げて、まるで、夜道の提灯みたいなのか、その霊力で、異族の地にざわめく霊たちを鎮めながら。
ということらしく。
今日の歩きで、さしずめ、その首の役回りをしてくださるのが、現地のボランティアガイドさん、ってことになるか。
骨ストレッチをして、そろそろと出発することにします。