まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

大根おろし器で指をおろした

2017年04月23日 | Weblog

この間、築地のお店で買い求めたおろし器。

職人さんが、一つ一つをタガネで起こし、切れ味鋭い刃先を上に向け。

くらいのウタイのおろし器、それで、我が指を、って次第。

なんてこと、思い出していたら、その昔、カウンターの向こうで、立ちながら大根をおろしている姿。

おでん屋の「吹雪」って、ところでね。

大将が、やっていたな。

その頃、ある親方夫婦の相談に乗っていた少年、10代だった、その御仁が今や、40代も半ば、だから、30年は前の光景か。

大将は、何年か前に、すでに黄泉の国へ旅立っている。

今頃、何してるんだか。

あの店での大将との会話、相方と、子どもの頃、風邪をひくとバナナ、食べさせてくれたりして。

嬉しかったよね、みたいなところへ、負けず嫌いの大将、俺の頃は、もっと貧しくて。

なんだったか、同じシチュエーションで、バナナどころではない、もっと今思えばプアな。

食べ物をもらったことが嬉しかった、と言うわけで、貧乏競争だった。

なんてことや、ゴルフの練習場で、いいか、スイングってのは、ゆっくりと力を入れず、なんて言いながら。

当方に教えんと、しかし、そのスイングが、目にもとまらず、くらいの速さで、ちょこまか、みたいなものだったな。

意識は、何処へでも飛んで行こうと思えば、飛んでいける。

昔の参考書、自由自在、みたいなもんだ。

30年前が、今ここに鮮やかに蘇る、まるで、確実に存在するものとして。

それにしても、朝が明るくなった。

時計の同じ時刻での比較、ってことだけど、月とか太陽とかの巡りとは関係ないところで、しかし、関係もしている。

って話だけど。

このところ、母親が朝早くに食事をする、らしく。

6時前後に、妻のおきだす前に、一人で、卵かけご飯、とかね。

通常は、8時過ぎだったのが、そう言うことで。

夕べ、妹と妻との会話を聞いていたら、そんなことで、彼女にとっては、時計の刻む時刻ではなく。

体内時計なのか、どうなのかはわかりませんが。

明るい巴川を眺めていると、鳥さんたちの朝食の時間は、とうに過ぎたんだろうな、なんて思いつつ。

母親の超早の朝食に思いを馳せ。

実は、この間、痛風の御仁の、その患部への意識のシフト、ってのを、目の当たりにして。

意識ってのは、融通むげ、何処へでも行けるんだな、と言う実体験をしたんだけどね。

このことについて、詳しく書ければ、とも思いつつ。

そうだ、今日は、これから、旧東海道を歩こう会、ってわけで、興津の宿から江尻の宿への行程。

ボランティアガイドさんに同行願い、さて、どんな街と歴史に出会うことができるのか。

地名なども、時間の縦軸に積み重なった、お宝の象嵌細工のようだけど。

道を歩くわけだけど、そもそも、この道という字の由来が、白川静さんによれば、敵の首をね。

掲げて、まるで、夜道の提灯みたいなのか、その霊力で、異族の地にざわめく霊たちを鎮めながら。

ということらしく。

今日の歩きで、さしずめ、その首の役回りをしてくださるのが、現地のボランティアガイドさん、ってことになるか。

骨ストレッチをして、そろそろと出発することにします。

コメント
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