まわりで起こっていること

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方眼紙のノートを買い求め

2017年04月27日 | Weblog

文房具屋さんまで歩き、そのついでに、久々に。

次男坊の同級生の中華屋さんにて、昼食。

日替わり定食の、豚肉と野菜の炒め物、この味はどうしてつけたのか。

なんて、自炊をするときの参考に、と。

ちょっと、甘いんだよね。

なんてことをしながら、清水銀座、駅前銀座と名付けられた道を、首は掲げはしなかッタたけど。

その一角を眺め、この辺りをごそっと取り払い、人々の蝟集するような場ができないものか。

なんて夢想しながら。

歩くのも楽しいもので。

土地には歴史があり、つまり、さまざまな方が、さまざまな思いをもち、人生を送ってきた。

その結果、その挙句の姿を眺めながらのそぞろ歩きだったわけだ。

たまにはいいもんだ。

実は、万年筆選びも、その目的の一つだったんだけど。

ときめくものがなくて、静岡のお店に行ってみようか、とも思っている。

ハガキに墨痕鮮やかに、ってのを、夢想している次第で。

そうなると、俳句の一つもひねってみたくなるね。

長の文章でなく、まさに一筆、というような。

昨日は、個人ミーティングの続き、今日、また残りを、で。

話は弾んで、どなたとのものも楽しくて、その内容を後になってメモし直す。

予習・復習みたいな感じでね。

その場でのメモもいいんだけど、ちょっと、話が途切れる感じもするからね。

このメモにインスパイアされて、新たなものが生み出され、という。

これまた、夢想ではあるけれど。

今朝は、どうも、夢想が多いね。

そうそう、昨日は、歩きながらのメモ、も試してみた。

iPhoneの、お気に入りのEvernoteの音声メモ、ってやつで、天才、が気になっていて。

genius、英語では、ジーニアス、語源は、ラテン語の、geniusゲニアス、というらしく。

ラテン語では、守護霊とか守護神とかの意味だそうだ。

天才を発揮するときは、守護神に、まさに、護られ鼓舞され、という感じで、なるほどね、と。

なんてことを下敷きに、音声メモには、地才、と入れた。

生まれてこのかた、大地とともに生きてきて、さまざまな不如意、僥倖を味わい、その挙句に。

天才に出会う、という絵柄かな。

自分の中に眠る天与の才能、ってことだけど、これは、それぞれがそれぞれの味を持っていて。

そこに、コツンと突き当たる、というね。

マイケルジャクソンだけが、天才、という定義ではないんだけどね、この天才、geniusってのは。

比較をなくした世界に現れるもの、とでもいうか。

このところの興味は、そこにあるよ。

この間のシフティングのデンで行くと、define siftということになる。

って、横文字やカタカナが多いブログになっちゃってるね。

自分をどう定義するか、今まで培ってきた定義の枠から飛び出す、と。

これは、自分、という単体ばかりでなく、自社、とか、事業、とかにも言えて。

そこに、天才性を発揮する場が出来上がると、それこそ、守護神とともにの立ち居振る舞いとなり。

パワーは倍増する、って算段だ。

さて、今日も、天才をどれだけ発揮できるでしょうか。

コメント
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