まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

人当たりがして頭が痛い

2017年04月15日 | Weblog

というのが、昨夜の。

孫の誕生会の帰り、妻の弁で。

東京からもおじおばさんが登場で、孫と大人との比率ときたら。

何人もの大人に囲まれた幼児、という絵柄で。

さぞかし、生まれたばかりの孫も人当たりが、なんて会話なら、まだ話としては。

ありそうだけど、妻です。

もっとも、頭が痛い、ということと、人当たり、とを結びつける、というのも。

これまた、一つの選択、解釈ではあり。

湯治の場合には、湯中り、湯当たり、どちらだろうか、何れにしても、その時には、その昔は。

赤飯を炊いた、なんて話もあるくらいで。

あれは、日頃はわからない、カラダとココロの異和が、気分が悪い、とか、気持ちが悪い、とか。

のようなシグナルとなって。

表に出てくる、というようなもの、なんて解釈も成り立ち。

出物腫れ物所嫌わず、ってことで、出れば、それは、そのものの存在を認められた、ということで。

めでたい、と。

そのデンでいけば、昨夜の妻の中りも、めでたい、ってわけだ。

明日は、桜も満開、という便りがそこここから聞こえてきているので、母親とおばを連れての。

お花見と洒落込むとしようか、と画策しているところで。

朝一、ご近所のドブ掃除の後、そんなに遠くないところへ、なんて考えている。

カレンダーの日付を指し、両腕でハンドルを回す真似、というのが、母親への伝達手段で。

その瞬間に、いつも聞こえてくるのが、いいね、お天気にしたいね。

というもので。

心の中の泡立ちが、表情に現れる瞬間なわけで。

それに触れると、こちらにもエネルギーが入ってくる、という関係。

そういえば、昨日は、久々にある女史とお昼を食べ。

心地よい瞬間を繋いでいけば、人生が心地よいものになる、という予測、推測ができる。

みたいな話をしたんだった。

そう、来週には、シフティングの講座が待っている。

シフトする、意識のロールプレイングをしてみる、とでも言えるか。

上司と部下のロール、役割を逆さにしてみる、親と子の役割、妻と夫、なんでもありなんだろうけど。

この社会に生きていれば何事かの役割であることで、アイデンティティと呼ばれるものを満たし。

そこに納まることで、大安心を得る。

組織への帰属意識なんてのも、その同義語でもあり。

なになにである、ことに地道をあげる、って算段が、一応、性だとか、ということになっている。

ま、そこから、ちょっと、出てみようか、ってわけだ。

さて、春爛漫の土曜日、どんな展開が待っていることやら。

 

コメント
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