まわりで起こっていること

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徳川家康は神だった

2017年04月19日 | Weblog

このベタな表題ね。

この間、某女史に教えていただいた、というのか。

山岡荘八の「徳川家康」という大河小説を、何ヶ月ぶりかに再開したらしく。

神だった、のか、神になった、のか、神である、のか、神に祭り上げられた、のか。

表現としては、いろいろとあるんだろうけど。

そんじょそこらの、戦国大名との違いが、そこにある、とも言えるか。

神とは何か、治山治水も含め、今風の表現をすれば、民草の幸せを追い求める、という壮大なビジョンをもつ。

おらが村の大将、おらが身内の総元締め、みたいなノリとは違った次元に行っちゃう祝詞だよね。

このところ、車中のミュージックは、バイオリンだな。

ディヴィッドギャレット、アンネゾフィームター。

いずれも、タルティーニの「悪魔のトリル」からなんだけどね。

なかなかいいんだよね。

この間、山の師匠に連れて行っていただいたジャズバーでの、トリオ。

その歌い手になりきって、つまり、自分が歌っている、という意識にシフトして、その場にいたんだけど。

すると、ベースの音とピアノの音と歌声が、それぞれが独立しつつ絡まっている、とでも書けるか。

そんな具合で、とても、いい空間、時間だったんだ。

そんな感じで車中ね、例えば、「悪魔のトリル」なんての、聴いてると、というか、演者になりきっていると。

まるで、瞑想状態、しかも、リアルな意識は、注意深く運転をしている、というね。

摩訶不思議な状態で。

すべて、楽しみのネタ、だな。

そういえば、つい最近、こんまり、という方がこの世にいらっしゃる、ということを知ったんだけど。

片付け、というのか、断捨離、のね、教祖さまかね。

近藤まりこさんね。

片付けようとモノを手に取った時、そこにときめきがあるか否か、だと。

この感覚、気に入っているんだ。

なんて暮らしていたら、昨日のカーテン工房の個人ミーティング、相方から。

収納の1級、2級なんて資格があるようで、片付け得意だから、そのうち、取ってみようかと考えているんです。

だって。

収納、片付け、インテリア、カーテン、って、同じ範疇で語れもするんで。

彼女には、本を書きなよ、と言ってるのです。

それも、なかなか、得難い本でもあり、表現も難しいのかも、なんだけど。

例えば、お客様とカーテンを選ぶ時、そのやり取りの、ほんの瞬間にある、次元シフト、というのか。

あっ、という刹那ね、そこを本に、しかも、電子媒体でなく、紙媒体のね。

ゴーストライターは決まってるから、われらが、自虐ネタの天才、という御仁なんだけど。

とここまで書いてくると、わかってる方はわかったらっしゃる、そんな御仁。

あの養老孟司さんも、「バカの壁」で爆発的なヒットを打ったんだけど、あれ、ある意味。

ゴーストライター作、とも言えるからね。

本というのは、中身なのか、文体なのか、装丁なのか、誰から渡されたものなのか、とかとか、受け取る時の。

さまざまな状態があるからね。

この時代に、イエスが再誕して、この本読んでみて、と言ったら、駄本であっても、絶品の。

本に早変わりするからさ。

って、書いてくると、まるで、現代に降臨したゲッペルス、ナチスのね、みたいだけどね。

好きな人が、大好きなことを、至福の状態でする、というのが。

このところのテーマでもあり、なので、天才製造機、とか、天才発見器、とか、天才発現の場、とか。

あちこちで、力んで発言しているわけだ。

世に、天才と謳われた人のようになる、という意味での天才ではなく、天から与えていただいた、つまり。

天与の才、ね、その発現、ってことだけどね。

というわけで、その第一回目の実験場が、本日、午後、弊社三階に立ち現れるのです。

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