このところ、習う、ということが気になっていたんで。
ちょっとお伺いを立ててみよう、とね。
羽+日、と言っても、日は、えつ、と読む字らしく。
口に一本横棒が入っている字が、元型のようで、口、つまり、 サイ、神への捧げ物を入れる器なんだけど。
それに祝詞の入った姿。
それが日、現在では、日が白に変わっている。
祝詞の入った容器を羽で摺る。
祈りの効果を刺激する。
それを繰り返すことが、習う。
文字の由来、ことに、白川さんの解釈は、神との関わりが多いんだけど。
いずれ、生命そのもの、そこに由来する自分というものについても、最終、神というような概念を当てはめないと。
どうにも行き場を失う、ということだから、それはそれで、至極当然のことなのかもしれないけどね。
羽でさする、摺る、祝詞、というのが、習う、ということ。
ある意味、祈りの 強制系とでも言えるか。
もっとも、その昔、と言っても、4000年くらいか、切実な、という言葉すらないくらいの。
暮らしの中から発された、その頃のインテリ発祥ではあるんだろうけどね。
なんてことはともかく、習うことを真摯に見つめつつ、そこからの脱却、って寸法で。
ゴールデンな日々には、ちょっとふさわしからず、かもだけど。
まわりではおもしろきことが、起こりつつある。
一筆描きすると、リアルと虚リアルがないまぜになり、そのあたりの仕組みが現れてくる。
とでもいうか。
そういえば、若かりし頃、数学で、虚数、なんての、出てきたな。
まったく、わからなかったけどね。
その虚数と実数とでも言ってみるか。
二つあって一つ、ってわけだ。
ところで、今日は、昭和の日だね、昔の天皇誕生日。
今朝、ナビが言ってたよ、AIじゃなく、ナビが、だそうだけど。
それについて、コメント欄でご指摘いただいた御仁は、この連休は、ドローンのイベントでどこかの。
会場に雪隠詰めだそうで、日本全国、働いている人は働いているわけだ。
さて、今朝のMacBookプロは少々、ご機嫌が悪く、だったので、この時間になってしまった。
そろそろ、骨ストレッチに向かうとするか。