というには、少し降りすぎの雨。
夕べも、某会社さんの歓送迎会の帰り、雨脚は強かった。
一雨ごとに暖かく、なんていうのも、ちょっと、外れてきつつある。
そんな季節だね。
ところで、日曜日の、桜と桃と山吹の乱舞が、未だに目に焼き付いて離れない。
見事だった。
桜狩、という言葉もあるらしいね。
どこかで、誰だったか、使っていた、たぶん、季語にでもなっているんだろうな。
このところ、急がば回れ、って言葉が、気になっている。
その昔、ベンチャーズにあったな、こんな曲、walk do'nt run くらいだったか。
どんな曲だか思い出せないけど。
夕べは、20代からもう少しで70代へ突入くらいのメンバー構成での二次会。
そこでの選曲も、やっぱり、長幼の序を汲み取って、ま、いわゆる、空気を読んで。
ってことなんだろうな、我々に懐かしい、青春歌謡のセレクトで。
それはそれで、愛い奴じゃ、くらいの反応なんだろうけど。
これまた、この時代で言えば、もっと、自由自在、ってのもありかも、と思いつつ。
当方も、楽しんで歌ってもいたんだけど。
もう何年も言われているけれど、短いスパンで捉えても、戦後、いや、もっと短いほうがいいのか。
バブル崩壊後、あるいは、リーマンショック後、か。
もの皆、ゴーイングコンサーンでないことがあからさまになっているのだけれど。
そこはそれ、旧勢力の醸し出す、なんとも言えない。
時代の力を背景にした、ある価値観、名前も知らない、なんと言えないものが、相変わらず。
世を覆っている、という絵柄かな。
それはそれで、どうぞ、ご自由に、の世界ではあるけれどね。
四文字熟語で書けば、不易流行、ね。
変わるものと変わらないもの、とでも訳すか。
変えてはならぬもの、か。
行く川の流れは絶えずして、ってことなんだけどね、人間だけが、そんなことにこだわり。
というわけだ。
それを持って、文化文明とでもいうのかな。
途切れ途切れの記憶を、かろうじて、自我とでも名づけるのがいいのか、一人の人ということで。
紐づける、アイデンティティとでもいうか、そのツールが、おぼつかない。
と、母親のことを、強引にくくって見ると。
でも、遠い過去の記憶は残っていて、それを素材にした物語は、鮮明な映像として、彼女の中にあるのか。
この間も、下のオバから、よく覚えているね、の慨嘆が聞こえたけれど。
昨日もちょっと話に出たんだけど、細胞が一週間もしたらほとんど新たまっていて、というやつね。
なので、しばらくぶりです、と言いつつ、ほんとのところは、初めまして。
がふさわしい、人間のカラダのデキ、というね。
初めましてのカラダに、言う人に言わせると、過去生から続いている意識が乗っかっている。
なんてことになり、その意識の持ち方次第で、人生はどうにでもなる、と言う観点から。
のセッションが、明日に迫ったシフティング講座というわけだ。
これ、実のところ、かなりパワフルなものだと、予感、予測、推測、妄想してるのです。