らしい。
というのは、昨日の旧東海道歩こう会のボランティアガイドさん。
順に、駿府・周防・越前、という地名になるようだ。
周防というのは、今の山口県東部。
京の公家さんたちの文化が、散って、そこで花開き。
織田信長は、そのうちの二つまで、首級をあげた、ってわけだ。
京の公家さんたちにとっては、恐怖政治の最たるものだった、とも言えるか。
現代の、アメリカのメディア総動員で、トランプ大統領阻止の論陣を張った絵柄にも似ているか。
ラストベルトと呼ばれる地に住む労働者、エスタブリッシュメントへのアンチとしてのね。
彼らの支持を取り付け、だけど、実際に政権を運営していくのには、能吏が必要で。
それらの人々は、エスタブリッシュメントの中にしかいないから。
列島でも、民主党が政権をとっても、運営そのものができなかったのも、世に言う霞が関の。
官僚さんたちの、律令制度の頃から連綿と続く、蜘蛛の糸のような、忖度も含めた。
裏に連なるネットワークなどなどを、打ち破る術を知らなかった。
のも、宜なるかな、で、大和政権そのものが、合議制で、忖度の限りを尽くす、って手法だから。
ジンギスカンやら毛沢東やらの独裁者は、なかなか、出現しないと言う風土でもあるんだろうな。
それにしても、ボランティアのガイドさんの説明を受けながらの道歩きは、楽しいもので。
いろんなネタを拾ってくるわけだ。
清見寺の境内を列車が突き抜け、駿河湾は、道路や倉庫で目隠しをされ、と言う姿。
往時の写真や絵などからすると、見事な景色が、そこにはあったのだろうけど。
それらが、時代とともに失われ、って、渡辺京二さんの「逝きし世の面影」まんま、だ。
以前、自宅からすぐ近くに八百屋さんがあって、全盛期、毎日、お客さんが訪れ、そこの。
お母さんは働き者で、なんて評判もたち、するうちに、客足が遠のき、そこを。
コンビニの経営者に貸して、家賃生活者になったのかな。
そのコンビニがオープンした時、近所の人々は、わんさと推しかけ、なんて姿眺めていた時。
八百屋さんの経営者とは親しくしていたにしても、用事がなければ、他のスーパーに行く、と言うね。
当たり前といえば当たり前の姿に、そこはかとない哀しみを感じたものだけれど。
それと似ている。
栄枯盛衰の一断面、とでも言えるか。
誰のせいでもなく、時代がね、移り変わるんだよ、くらいの言い草になっちゃうのか。
古来の名刹、清見寺にしても、汽笛一声新橋を、と言う掛け声とともに、富国強兵の御世と相成り。
徳川さんのご威光は、霞んできて、ってことなんだよね。
薩長の、やがては長州のご威光の前に、以前の群は、アリの巣を突くような、さまざまな離合集散が。
駿河の地には、瞬時に沸き起こり、なんて絵柄だね。
だから、今でも、この地に外からやってくる御仁たちの目には、中へ入り込むのは時間がかかる。
なんてことにもなり。
今日は、筋肉痛だ。
15000歩だったんだけど、このところ、あんまり、歩いてなかったからね。
そろそろ、山登りのトレーニングを開始するとしますか。