休憩できる場所を探して商店街の中を歩いていると、その店が目に留まった。
「cofee shop 一星」という木製の看板が、営業中の札のように店の扉にかかっている。
ドアを開けると、三人の客がいっせいにこちらをにらみつけた。別に、にらんだわけではないのだろうが、あまりに視線が強いのでそう感じた。
どうやら、この店は商店街で働く人達のたまり場になっているようだ。まずい店に入ってしまったと思ったが、今さら踵を返すわけにもいかず、空いているテーブルについてホットを頼んだ。
店に漂う香りから、美味いコーヒーが出てきそうだった。本格的なコーヒー店にありがちな、店内が薄暗くて、いかにもという風情でジャズが流れたりしていないところも好もしい。だが、ファーストフードを思わせるような金縁に星のマークのカップは、少々いただけない。わたしが自宅で使っていたカップは、白地に小枝のような絵が描かれたものだ。亡くなった妻が選んだ物なので、壊さないよう大切に使っていた。娘にも、丁寧に扱うように言ってあった。
妻は本当にあっけなく亡くなってしまった。入院してから亡くなるまで一月もかからなかった。
わたしは当時、会社のプロジェクトチームのメンバーだった。医者に、妻の命がそう長くないと宣告され、チームを離脱して少しでも妻の側にいることにした。プロジェクトチームに加わっていることはわが社では一番のステイタスなのだが、深夜に及ぶ残業や休日出勤続きの過酷なスケジュールも強いられる。自らチームを退くことで、それ以上の出世も断念しなければならなかった。わたしの会社はこの不況でも業績を上げ続けているが、その分社内の競争は激烈だった。
わたしは、「島流し」と呼ばれている部署に配転された。「島」の人間達は、わたしと同じように、プライベートに何らかの事情を抱えていて、1日24時間、週7日といった働き方のできない者達だった。
だが、一緒に仕事をしてみると、彼らは非常に有能だった。常に限られた時間内で仕事を仕上げようとしているため、段取りがよくテキパキしていた。長時間労働を売り物にしているプロジェクトチームのメンバー達より、時間あたりの仕事単価は大きいように見えた。
春の人事異動で、外資系企業からヘッドハンティングされてきた女性マネージャーがわたし達の上司になった。前の上司は、プロジェクトの成功を評価されて栄転した。
この部では、毎年4月はプロジェクトチームのメンバー選考期間になっている。他の島の連中は、開幕スタメンを狙うプロ野球選手のように懸命にアピールした。
わたしは、さしずめ、一時は先発ローテーションを張ったこともあるが、今はバッティングピッチャーになった投手とでもいうところだろうか。
そんな風に考えていたので、ある日マネージャーに呼び出され、今年度のプロジェクトリーダーになってほしいと言われた時は驚いた。
「荻野さんは、部下の適性を見抜く目があるし、短時間で効率よく結果を出す力があります。この会社は能力主義だといわれているけど、まだまだ労働時間の長さで熱心さをはかっているところがあるわ。大事なのは何時間働いたかではなく、どれだけ仕事をこなしたかだと思うの」
プロジェクトチームの編成は、リーダーが自由に決めることができる。わたしは丸ごと「島」のメンバーを選任し、尾島という新入社員をそこに加えた。
発表するや否や、彼らはこぞって辞退を申し出た。
手塚くんはシングルマザーで小学生の子供と二人暮らし、吉野くんは妻が難病をかかえて入退院を繰り返している。緒方くんは、自分のライフスタイルを大切にしたいタイプで、学生の頃からつきあっている彼女とようやく結婚が決まったので、今年はその準備で忙しいそうだ。職人気質の沖田くんは、人を蹴落としてでも出世しようとする同僚や、上司も人の子で、個人的な好き嫌いを仕事の評価に連動させたり、おべっかをつかってすり寄ってくる者をつい引き立てたりするのにうんざりして、自分から競争を降りてしまった。今は地域のボランティア活動に参加して、それなりに充実した人生を送っており、今さらプロジェクトチームに入りたくはないという。定年間近の大島さんも、この年であんなスケジュールはこなせないと言った。新入社員の尾島くんまでが、「わたしより尾崎先輩の方が適任です」と言い出す始末だった。
わたしは、プライベートを全て犠牲にして会社に滅私奉公しなければ評価されないというのが、そもそもおかしいと考えていた。仕事さえきちんと捗っていれば、定時で帰ろうが有休をとろうがかまわないはずである。
それに、生きていれば色んなことが起きる。その度に迷惑だと切り捨てていては、せっかくの人材を失ってしまう。
「自分が頑張れる時は人の分まで頑張る。苦しい時は素直に助けを求める。それでいいじゃないか。大勢で一緒に仕事をしているのは、そのためじゃないのか」
尾島くんを選んだのは、大きな経験をさせれば必ず大化けすると見込んだからだ。尾崎くんの方が成果は計算できるが、彼女が成長してくれれば戦力が倍加する。
わたしは何とか彼らを説き伏せて、プロジェクトに参加することを承諾させた。
プロジェクトの始動にあたって、まず、チーム全員が情報を共有できるシステムをつくった。コンピューターに強い緒方くんに、フォルダをつくって貰い、そこに必要な情報やノウハウ、時には失敗体験をどんどんアップする。それによって二度手間や、別の人間が同じ箇所でつまずくことを防ぎ、ロスを最小限に防ぐ。誰かが急に休んでも、情報が共有されていれば、別の人間がカバーすることができる。サーバーに情報がアップされると、お知らせメールが送られるようにもして貰った。
緒方くんはタイムシートもつくってくれた。各自がその日の進捗を簡単に入力するだけで、一覧性のある工程管理表ができ上がるプログラムだ。薄緑で予定期日が表示され、実際の進捗は黒で示される。遅れが生じたらその範囲が赤い帯で表示されるので、一目でわかるという仕組みだ。
他にも、連絡はメールを活用するなど、徹底的に効率化をはかった。
プロジェクトが始まったのに早い時間に退社するわたし達を、周囲は危ぶんであれこれ陰口を叩いた。前例のないことだけに、わたしは何が何でも成功させたかったが、正直、最初は手を焼いた。
一緒に一つのことに取り組んでみると、彼らは想像以上に個人主義だった。自分の仕事は必ず期限までに仕上げるが、それ以上のことを求めると不満顔をする。「プライベートを優先してもいいって言ったのは、チーフじゃないですか」「そんなこと言われるなら、わたしはもう脱けさせて貰います」
わたしは、仕方なく、自分が早朝出勤したり、遅くまで居残ってカバーした。自分が率先してやれば、そのうち皆もついてきてくれるだろう。
さすがに、これでは身が持たないと感じ始めた頃、大島さんが皆を集めて話し合ってくれた。
「きみら、荻野くんがいつも影で肩代わりしてくれてることを知ってんのか。プライベートを大事にすることと、わがまま勝手を通すことはちゃうねんで」
わたしも大島さんに説教された。
「一人で背負い込まんと、もっと腹を割って皆と話せ。コミュニケーションは、ここまでいちいち言わなあかんのかゆうぐらいでちょうどええねん。わかってくれてるはず、伝わってるはずでは、絶対相手には通じてへん」
大島さんはカミソリのように切れるタイプではないが、苦労人で人生経験が豊富なので、チーム内の調整役として力を発揮してくれた。わたしに言いにくいことは皆大島さんに相談しているようだし、同じことを話しても大島さんはもっていき方が上手いので、誰もが素直に聴いた。わたしは時々、大島さんを飲みに誘って、労をねぎらった。大島さんは古いタイプの会社員なので、本当はもっと皆と飲みたいようだが、チームの連中は、時間外の「くだらないつきあい」を嫌った。
ある日、吉野くんが思い詰めた顔で相談に来た。「妻が再入院したんです」
今回は手術することになるかもしれない、迷惑をかけたくないので、プロジェクトから外してくれという。自己主張の強いメンバーの中で、彼は常に穏和で周りに気を遣うタイプだった。
わたしはミーティングを開いて、彼の負担を軽くするよう、仕事の体制を組み直せないかを話し合った。
「冷たいって言われるかもしれませんけど」 緒方くんが口を切った。
「それでまた、ぼくら独身組にしわよせがくるんやったら、ぼくはやってられません。家庭を持ってる人って、自分が優遇されて当然みたいに思てはりませんか? ぼくは既に1回、彼女のご両親が田舎から出てきて一緒に食事したい言いはるのん、キャンセルしてるんです。こういうことがきっかけで、この先ずっとぎくしゃくしてもうたら、どないしてくれるんですか。尾島さんかって、デートのドタキャンばっかりしてるから、彼氏に別れ話持ち出されてるんですよ。独身やから気楽やとか、独身者の予定なんかたいしたことないって、決めつけんといて下さいよ。子供の参観日とかも大事かもしれませんけど、何でぼくらばっかり割食わなあきませんのん?」
たしかに、手塚くんの子供が熱を出したり、吉野くんの妻の具合が悪くなった時、わたしは無意識のうちに緒方くんと尾島くんに仕事を割り振っていた。特に、尾島くんはいやな顔をせずに黙々とこなしてくれるので、つい頼むことが多かったかもしれない。
「それは、悪かった。そういうことも含めて、もう一度体制を考え直そう」
できるなら、わたしはこのメンバーで最後までやり遂げたかった。結果的に交替があるとしても、これ以上は無理というぎりぎりのところまで努力したかった。
ここでも大島さんが人間力を発揮して、何とか皆が納得できる役割分担が決まった。
大島さんは終業後、尾島くんと小会議室で話し込んでいた。おそらく、自己犠牲に徹するだけでは良好な人間関係は築けないことや、本当に大切な人なら、あきらめずにコミュニケーションをとることが必要だなどと話してくれたのだろう。大島さんがいてくれて本当に良かった。わたしは自分の未熟を痛感した。
その後も様々なイレギュラーやすったもんだがあった。が、わたしも含めて皆が次第に連携のコツをつかんでいった。もともと能力のある人間ばかりなので、しっくりとかみ合えばぐんと成果が上がった。
プロジェクトは予定通り完成し、後は集大成のプレゼンを行うだけである。
我が社のプロジェクトは内外から注目されているので、プレゼンも大きな会場で大々的に行う。
間の悪いことに、吉野くんの妻の手術日と、手塚くんの子供の学芸会がプレゼン当日に重なってしまった。緒方くんも、婚約者の両親から、この日に会食できないかと打診されたという。沖田くんは、一人暮らしをしていた父親が認知症ぎみなので、少し前から同居するようになっていた。
「吉野さんはともかく、ぼくらはプレゼンに出ないわけいかないですよね」
さしもの緒方くんもそう言ったが、わたしは全員が雁首を揃える必要はないと思っていた。手塚くんには事前の準備を中心になってやって貰い、緒方くんには、できるだけ会場に近い店を予約して、前半部分のスライド係を担当して貰うことにした。沖田くんは、プレゼンの最中に家から助けを求める電話がかかってきてもいいように、遊軍的なサポートを頼んだ。後は残りのメンバーだけでも手は足りる。
課長からは、「プロジェクトのメンバーがプレゼンに出席しないなんて前代未聞だ」と文句を言われたが、「用もないのに頭数だけいてもしょうがない」と言い返した。マネージャーは承認してくれた。
当日、わたしは吉野くんの妻の入院する病院に立ち寄った。手術は午前10時からと聞いていたが、何やら慌ただしい。容体が急変したので、すぐに手術を開始するという。輸血用の血液がまだ届いていないというので、血液型が同じわたしは輸血を申し出た。
「少したくさんとりましたから、しばらく休んでいて下さいね」
看護師にそう言われたが、そんな時間はなかった。わたしはタクシーで会場に向かった。あの程度の量なら、若い頃しょっちゅう献血したのに、今日は妙に頭がふらふらした。疲れもたまっていたのだろうが、やはり年を取ったのだろう。気休めにトマトジュースを飲んで、前半部分を乗り切ったが、30分の休憩の間にとうとう動けなくなってしまった。後半の発表者は大島さん、スライド係は尾島くん、わたしは進行係を務めねばならなかった。
わたしは、他の部署に応援を要請しなかったことを悔やんだ。課長と言い合いになったので、意地になってしまったのだ。沖田くんは予想通り、「お義父さんが暴れて大変なの」という電話を受けて帰宅していた。
「チーフ!」と呼ばれて懸命に顔を上げた。手塚くんの姿が見える。おいおい、この程度の貧血で幻覚が見えるか?
それは本物の手塚くんだった。学芸会が終わった後、どうしてもプレゼンが気になってかけつけてくれたのだ。彼女が女神に見えた。手塚くんには、常に冷静に全体を俯瞰できる目がある。わたしは自分の役目を彼女に託した。
プレゼンは無事終了した。
われわれは、プロジェクトの内容だけでなく、新しいワーキングスタイルを提示したとして、マスコミにも取り上げられた。
わたしは次のプロジェクトでもリーダーに指名された。かつてない大規模なもので、これを成功させたら役員に推薦すると、マネージャーは言った。
一度は出世街道から外れたものと思っていたわたしには、信じられない成り行きだった。
この時、自分の足元に口を開けつつある落とし穴に、わたしは気づいてもいなかった。
(つづく)
ジャズでも、コルトレーンはアレですが、ビル・エバンスなら許せるでしょう?
わたしはジャズは好きですよ!
だから子供ちゃん達もしょっちゅう来るんだと思います。
ここんとこ、本当に寒いですね。ダーリンも風邪ひかないでね!
客一人一人にいろんな想いや考えがある人らがいますよね・・・
独身組は大変ですね、「既婚者は子供らの為に正月やクリスマスは休ませてくれるけど、うちら独身は夜勤じゃ~~~~」って激怒していた看護師さんいましたね、当時新人の病院事務職だった私はこんな愚痴ばかり聞いていたような・・・・
いろんな客が集いますけど、この店・・・私の思い出を色々ダイジェストさせてくれる店ですね
わたしは子供の病気や学校行事で休むのは構わないけど、子供を錦の御旗みたいにふりかざして自分の都合ばかり通す人は腹立ちますね。
やはり、譲って貰ったら今度は自分が…という気持ちは持ってほしいです。
素敵な作品ですね。
ほのぼのした作品ですね。
心和みました。
ありがとうございました。
いつも、コメント&応援ポチに、深謝です。
前回で終わるつもりだったんですが、またつづきができてしまいました(笑)