銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

電車通学に、毎日付き添う(?)お父さん・・・(教育における差別)

2010-05-02 23:33:09 | Weblog
 五月一日は午前四時に起きました。これは珍しいことです。で、それを生かして早めに外出をしてしまおうと考えました。普通の日には午後出発が多いのです。
 その理由は、環境や自然が、午前と午後ではまったく異なるので、新しい美が発見できるからです。

 昔ならメーデーということ、ただし、最近では何にもそれに関したニュースはありません。が、土曜日なので、普通の会社は休みであり、しかもゴールデンウィークですから、早朝始発から二番目の電車でも、すでに混んでいます。鎌倉の家を五時に出て、東京駅着は、6時15分。母へのお土産を、超、早朝に開いているエキナカ・ショップで買って、6時21分の、山手線に乗りました。池袋に向かうために。すると、巣鴨か、駒込かで、親子連れが乗ってきました。休日なのにお子さん方が学校の制服を着ています。
 ぴんと、来ます。私立なのです。

 お子さん二人は私立の小学校へ通わせているというわけです。

 この時点で私は大いに興味を掻き立てられます。公立の学校がゆとり教育とかで、土曜日が休みになり、その一方で、教育制度を改変する官僚等のエリートさんたちは、ご自分のお子さんを私立に入れている・・・・・こういう現象には、ずいぶん前から気がついていて、一種の義憤を感じていたわけです。

 今、目の前の親子連れを、憎んだり、嫉妬の対象としているわけではないのですよ。むしろ、理想的な親子でした。付き添いはお母さんではなくて、お父さんです。そのお父さんですが、めがねをかけたまじめそうな人で、お医者さんか、エンジニアー等のエリート風で、休日でも、ダーク・スーツ姿です。ネクタイだけは取っているものの、回りにいる連休中の親子連れたちの、お父さんによくある、スタイルではありません。アノラック、ジャンパー、ジャケットでもない。ものすごく硬い雰囲気の人です。が、声は柔らかく、話題も楽しそうで、かつためになることらしくて、子供たちは、よりそい、全体として和気藹々とした雰囲気です。あとで、胸のバッジを見てわかったのですが、五年生の男の子と、二年生の女の子でした。二人に付き添っているお父さんは、40代初めかな?

 ほかの日、特に午後二時ごろに見た例ですが、東横線の車中で、お人形のようにかわいい・・・・・・上等なワンピースを着せた、・・・・・・2、3歳の女の子に付き添っている、若い美形のお母さんたちがいます。それに比べれば、同じ、上流階級を目指す人といっても、より、ステレオタイプからは離れている、親子連れです。女の子を連れていた女性たちは、お受験を目指しているのが、はっきりわかります。しかも一人ではなくて同じような女性が何人も乗っているのです。そして、小さい小さいわが子に、何らかのドリルめいた質問を浴びせています。それらの親子連れに比較すれば、ゆったりとしていて、上等です。

 こちらのお父さんはお受験には成功した後のご家族です。
 だからこその、余裕もある。
 私は、『このお宅は、お母さんはきっとキャリアーウーマンなのだわ。だから、土曜日はおうちで休んでいる。そして、お父さんは、子育てが大切なことがわかっている。だから、せっかくの休日である土曜日を割いて、お子様方と話し合うために、こうして電車に乗っている。お子様方はゆったりとした性格と体格で、例の、東横線で、よく出会う、こまっしゃくれたタイプではない。本当に理想的な父子だ。
 
 だけど、こういう風に付き添っていくのは、学校から要請されているのか、それとも、海外勤務だったのだろうか?』と、考えているうちに、疑問が次々にわいてきて、質問をせざるを得なくなってきました。それで、自分が降りる寸前に話しかけたのです。

 すると驚いたことに、このお父さんは、月曜日から、土曜日まで、毎日、お子さん方の電車通学に付き添っておられるのでした。6時30分に電車に乗るわけですから、朝起きるのは五時台でしょう。すごい体力と気力です。エリートとは勤勉なのですね。

 しかも、別に海外勤務の経験はないそうです。驚きました。パリなどでは、小学校の通学は親が送り迎えをします。でも、日本だと、小学生でも、親は送り迎えをしませんよね。私立の電車通学の子だって、普通は親は付き添いません。こどもは、一年生でも、数ヶ月内でなれて、お友達同士で、通っています。鎌倉の清泉小学校などはそうです。それが、こちらのお父さんは、毎日、送り迎えをなさっているとのこと。本当に驚きました。
 ネクタイは、バッグの中に入れていて、お子様方と別れたら、会社へ向かうのでしょう。
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 その驚きのあとで、東上線に乗ったのです。すると、部活の競技会に向かうらしいおそろいのジャージーを着た中学生とか、クラブの競技会へ向かう同じくおそろいのジャージーを着た小学生たちに出会いました。中学生には付き添いの大人がいなくて、小学生にはコーチらしい人が一人で、三十人ぐらいを指揮しています。こちらのお子さん方は、もちろん、公立へ通っているお子さん方です。

 中学生の方は、みんなそろって携帯をあけていて、どんよりした感じです。動きが活発ではない。しかし、小学校の低学年らしい、子供たちの方は明るい活発な感じです。携帯を使っていないので、お互いの気持ちや心が、友達や先生(コーチ)の方へ向かっていて、心身ともに健康な感じです。ちょうど明るい日差しがホームに差し込んでいて、幸せな感じです。しかし、低学年です。ということは、四年生以上の高学年は、スポーツクラブに所属していられない。受験用の塾に通うために・・・・・などと、推察します。

 どちらが素敵だとか、幸せだろうか?などという判断はここではいたしません。
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 ただ、ありふれた陳腐な表現ですが、心理的に幸せであることと、お金持ちであることは連動はしません。その件について、明日、別のエピソードをアップさせてくださいませ。

 ただし、金銭的な側面で、追い詰められていないことは、大切です。必要最小限度に、満たされていることは必要です。いわゆる中流階級程度の、余裕があることは必要です。

 ところで、その反対に、『負の連鎖』ということも言われます。それに陥ってはだめなのしょう。ただ、それに陥っている人もいて、よく虐待のニュースなどを聞きます。そういう人と比較すると、上に上げたお父さんと、その子供たちなど、なんと幸せなことでしょう。

 ただ、今日の文章を終わるにあたって、強調したいことは、
 ここで私が望んでいる、一番大切なことは、階級差が、大きくなりすぎないことなのです。日本のよさは階級差がひどくないことだったのです。江戸時代から、『庶民が、ほかの国より、清潔で幸せそうだ。子供をよくかわいがる』とはそのころ、日本を観察した、外国人の紀行文に出ています。

 そのためには教育は平等でなければならないので、公立が、土曜日が休みで、私立が、土曜日も授業があるのは、問題です。

 子供を持っている人に、お小遣い的な、お金を上げる今の民主党の政策より、学級内・生徒定員数を減らしたり、先生のお給料を上げたりする制度的な、補強をするほうがずっと、政治として上のような気がしますが、どうなのでしょう? 国として借金がとても多いと聞いていますが、バラまきばかりやっているのはどうなのかなあ?

 政治とはもっと違うものだと思うけれど。??? この項は続きます。 

             2010年5月1日書く。送るのは二日    雨宮舜
コメント
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