銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

クリントン夫人の、ふわふわヘアが、話題の平和な一日

2010-05-03 23:15:28 | Weblog
 私は教育制度における差別という、硬い話題を、引き続いて書いていくつもりでしたが、世間が平和なので、ちょっと、やわらかい話題へと入っていきましょう。

 ヘアスタイルが問題なのですが、初出のオリジナルは、加藤佑子さんの『暇ダネ英語』から取っています。その加藤佑子さんのさらに、もとダネは、アメリカで読める各国の新聞が元になっています。彼女がそれをまとめるわけです。

 加藤佑子さんは、オバマ大統領の選挙中に書いた文章で、認められた人材のようですが、アメリカにいる日本人の典型で、はっきりとものをいえる人間です。それは、堤みかさんなども同じですが、日本にいる日本人とはまるで、異なってきます。
 アメリカがどこの国の属国でもないので、発言が日本でより、ずっと自由なので、そこに住んでいると、生まれたのが、日本でも、ずっと、根本に近いことをいえるのです。

 ただし、お金を稼いでいる人ですから、私ほどの、ことはおっしゃいません。原発に反対だとか、その様なことはおっしゃいません。

 でね、今週は盛り髪についてです。ご本人も「小さいことですが}とおっしゃっているが、大きなニュースがないので、新聞がクリントン国務長官(ミセスのこと)のヘアスタイルについて述べているそうです。
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 この「大きなニュースがない日」のありがたさは私も感じていて、メモには残しておいたことがあります。各、インターネットプロヴァイダーのトップ頁は思わせぶりなタイトルで、気を引きますが、あけてみると、タレントがどうしたこうしたと、言う話だったりします。

 そういう日は、私も本当にほっといたします。よかった。『本日は平和で』と思って。
新聞にクリントン夫人の髪型が、話題になっている日は、どんなに、平和なことでしょう。
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 ところが、ここで、私固有の、チャネリングをお話をさせてくださいませ。この盛り髪というヘアスタイル名ですが、私はまったく知らず、この加藤佑子さんの記事を読む、たった一日前の5月2日===マイケル・ムーア監督のレンタルDVDを見ているとき===に、初めて知った言葉なのです。

 しかもクリントン元大統領の、三人の愛人が、すべて、髪の毛が豊富で、クリントン大統領の愛人選びでは「盛り髪が、共通している」・・・・・という笑いの場面で使われているのでした。パンチが効いている、言葉として、「盛り髪」が使われていたのです。それを知った直後に、加藤佑子さんの記事を読んだのでそのタイミングの符丁に驚き入った次第です。
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 さて、ここで、誤解がないように、きちんと、かつ丁寧に、そのDVDやら、マイケル・ムーア監督の真意について、お話をしなければなりません。

 マイケル・ムーア監督が真に言いたかったことは、集団ヒステリーの恐ろしさなのです。クリントン(元)大統領に愛人がいたかどうかを、調査するために、5000万ドルが使われた(?)という件のばかばかしさを、取り上げて、アメリカ国民に対して『本当に大切なことは何なのか?』ということを訴えているのです。

 これは、アメリカのテレビ番組、the AWFUL TRUTH(直訳は、恐るべき真実) というものを、4つでひとつのDVDにまとめたものらしいのです。が、邦題はそれこそ、恐るべきもので、『アホでマヌケなアメリカ白人』というものです。

 「これって、どこの誰がつけた題なの?」 と両国の国民の親善のために心配してしまいますが、真実は、笑いというオブラートに包まないと、話せないことになっているのか、それほど語るのが、恐ろしいことなのか、こういうタイトルになっています。

 でね、あまりにタイトルが悪いので、もちろんのこと、ずっと、借りたこともなかったものです。が、ムーア監督の、シリアスな映画、を数本続けてみて、彼の力量やら、性格にすっかり感動してしまったので、こんなばかげたタイトルでも、『中身はまじめなものでしょう』と推量して借りたのですが、まさにそれはあたりでした。1999年製作とあるので、まだ、マイケル・ムーア監督が大物として、認められていない時で、彼の突撃取材が、大いに、利いている時期であって、面白いです。

 番組は、アメリカで、昔、大当たりしたルーシー・ショーなどの形式を踏襲していて、スタジオに観客を入れて、その反応(笑い転げる)もうつすのですが、司会はムーア監督自身であり、再現ドラマは、舞台上のスクリーンに映されるというかたちです。

 再現ドラマとドキュメンタリーの両方を、ここでは、併合しているのですが、やがて、ドキュメンタリーの比率が高くなっていき、映画には再現ドラマはほとんどありません。
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 彼の、常識は、一般的な多数派とは合致しないところにあります。だけど、私が見るに、ムーア監督の方に先見性があるでしょう。
 彼は特にこの the Awful Truth 内では、少数派の意見を述べているわけですが、100年後には、すべて、それが、常識になっていて、すべてはムーア監督のほうが正しかったと、なっていると思います。
 
 平和な一日にも、水面下では、恐ろしいこと(AWFULな現象)が、進行しているのかもしれませんが、今日、世界のどこにも戦争がない・・・・・アフガンや、イラクは実質的にまだ、戦闘状態なのだろうか?・・・・・というのはありがたいことですね。
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 最後になりました。クリントン夫人(現・国務長官)は、本当のことを言って、三人の愛人とのご主人の不倫を、問題にしていないと、私は推察しています。
 自分の目的と任務があるから、ご主人の面倒を、100%見ることはできないと、お考えでしょうから、それはそれ、これはこれ・・・・・でしょう。
 それに、東洋には『英雄色を好む』ということわざがありますが、トップレベルの政治家とは、多かれ少なかれ、そういう傾向を持っているのではないかなあ?

 それを、大騒ぎする傾向をマイケル・ムーア監督は戒めていたのです。

 では、今日は、ここで。2010年5月4日   雨宮 舜
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大きな玉ねぎ (教育の格差ー2)

2010-05-03 10:30:10 | Weblog
大きな玉ねぎ(感受性は、余裕の中から生まれるのだけれど)

 さて、私は朝の七時に東上線の常盤台を降りて、南側東新町にある、母の老人ホームへ向かいます。常盤台は、池袋からたった10分程度ですから、中流階級の人の家がたくさんあるところです。北側が特にきれいです。敷地が、100坪程度の住宅が、立ち並び、街路樹も植わっていて、田園調布を、模してあるらしい。そちらは、中流の上の人たちの住まいが連立しているところです。私は南側に降ります。

 古い神社脇に、プランターが並んでいて、花が植わっています。中に雪ノ下系の野草めいたものが植わっている、トロ箱(元は魚を入れてあるスチロール製の箱)がありました。
 驚いたことに、その真ん中に、直径が15センチ程度の玉ねぎがポロンとおいてありました。

 どうして、そこにそんなものがあるかの理由は推察はできます。目の前に、八百屋さんがあるので、八百屋さんが仕入れたものの中にこれが入っていて、「珍しいなあ。だけど、売り物にはならないな」と思って、このトロ箱の中においたとは推察できました。

 でも、主婦ならそれは、よくわかっていますが、玉ねぎを埋めないで、=雨が当たり、日が当たるところ=に置いていたら、芽が出たり根が出るでしょう。まったく、土で覆ってはいないのです。それは、かわいそうですよね。せっかく捨てないで、そこに、おいてあげていても、このままの状態では、半殺しみたいなものです。

 しかし、そのトロ箱を、手で掘り返して、玉ねぎを埋め込むわけにもいかないので、ただ黙って見つめていました。ほぼ五分ぐらい・・・・・

 そのとき、20メートルぐらい向こうからこれまた、制服の女の子がやってくるのが見えました。どよう日(5月1日)に制服を着ているので、もちろん、私立に通っている女子です。

 私は、やっとですが、大きな玉ねぎのそばを離れ、今度は、その女子学生(中学生だと思われる)を注目しました。私にしては、その大玉ねぎが入っている、トロ箱を、彼女にも注目をしてほしかったのです。

 私というおばさんが、5分程度立ち止まって、それを、注目していたわけですから、彼女にも、『なんで、あのおばさんは、あそこに立ち止まっていたのだろう』と、考えてほしくて、そして、この巨大な玉ねぎにも気がついてほしかったのです。

 ところが、彼女は一瞥だにしないで、駅の方へさっさと去ってしまいました。
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 その時に私の考えたことは、エリート教育いかんより、自分が幸せを感じるかどうかのほうが、大切かもしれないということです。

 私は、自分の子供にはそれが、できなかったというか、やらなかった方なのですが、親からは「過保護だったわね」と、世間がいうほど、エリート校への進学が、楽になるように手配をしてもらった人間なのです、たまたま、住んでいた町が、東横線の日吉というお受験が盛んなマチだったのも影響をしていると、感じます。が、当時は、エリート校のひとつだとみなされていた、横浜国立大学の付属中学、とか、お茶の水女子大学の付属高校に入学していました。

 だけど、当時の自分が幸せであったかな? とか、自信があったかな? と、自問自答をすると、結構そうでもないのです。将来に対する不安やら、緊張感に満ちていて、青春期って誰でもそうかもしれないけれど、決して幸せで万々歳という方でもありませんでした。今のように、誰からも注目をされない立場、にいる普通の人生のほうが、幸せです。平凡な路傍の石の立場ですが、今の方が、落ち着いていて、自信があります。


 だけど、だけど、なのです。一般的には、東京近郊なら、私立の中高一貫教育の私立へ子供を通わせた方が、のちのち人生が有利になる。・・・・・ということは皆さんが、ご承知の事実でしょう。

 この現在の、階級差が、明瞭になり始めた日本で、

 中流の上以上の階級に所属しようとするのなら、それも、また、必要な?、手段なのかもしれません。
 ところで、私は親としては、こどもに気を使わなかったほうです。何もやらなかったに等しいです。ただ、夏休みの自由研究の類は、一生懸命、本人が楽しめるように、サポートしたかな? だから、自分でものを考えることのできる子へとは育てたつもりですが、公立へ進学させた方です。だから、エリートには、なれていないかな? でも、普通にちゃんと生きています。
 そして、結果として、親より、しっかりしています。ちゃんとした、(しかし、平凡ではあるが)社会人をしています。普通です。

 ただ、この項はもっと別の方向へ入って、続きます。では、今日はこれで。2010年5月1日のことを、書き、送るのは、4日                  雨宮 舜
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