これは、下においてある文章の続きです。映画コーヴや靖国の公開で、どうしようもなくやるせなく、切ないおもいをしている一般的な日本人のひとりとして、何か、いい方法はないかなあ。気分がすっきりとするためには、と考えている道程の一つなのです。
ところで、今は、5日の夜ですが、やっと完成しました。以前にお読みいただいている方も、4千字以上加えてあり、ずっと、読み易くなっていると感じますので、もう一度のぞいてやっていただけますと幸いです。副題5、『このままでは、虐待されて死ぬ幼児と同じだ。日本と、日本人は』
副題6、『屈辱や悲哀を晴らす機会は、必ずやって来る』
副題7、『喧嘩がとても大切なことだと、60過ぎに気が付いた私』
副題8、『論理優先のアメリカだから、喧嘩をした私』
副題9、『ニューヨークの秋には、神様もいた。論理だけがあるのではなかった』
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副題5、『このままでは、虐待されて死ぬ幼児と同じだ。日本と、日本人は』
これほどの、つらい状況(これは、前報を受けています)に、文化的には追い詰められていて、さらに、環境的にも原発で追い詰められている、惨め極まりない日本と、日本人です。
しかし皆さん、救いはあるのです。それは、小さなことからきちんと抗議をしていくことです。でないと、この真綿で締め付けられるような境遇のまま、萎縮しきってしまい、まるで、虐待で死んでいく幼児みたいなことと成ります。
日本人は大体において、喧嘩ができません。菅首相を見ていて、主人がいつも言うことは、『優しいんだね。喧嘩ができないのだ。そこがだめなんだなあ』という言葉。
ところで、私こそ、喧嘩ができないタイプだったのです。したことが無いからです。
小さいときに都会の人が、疎開用に、船橋の郊外に建てたまるで、隣のトトロみたいなうちへ住んでいた上に、兄弟がいなかったのです。我が家って、実の兄弟ですが、年が非常に離れていて、実質的に一人っ子として育ちました。で、子供同士の喧嘩なんかしたことがないのです。学校へ行き始めると学業優秀で、敬遠されるほうだから、けんかなんて売られたことが無いほうで、やったことはないのです。
で、怖がりだったのです。ところが、57歳のときに、ニューヨークではじめて喧嘩をして圧倒てきに勝っちゃったのです。それが1999年のことで、それ以来対面という形で五回ぐらい喧嘩していますが、全部勝っています。それで、『なんだ。こんなに簡単なのか。喧嘩って』と思っているぐらいです。
二回目のものはすでにこのブログの世界でも、書いていますので、今日は一回目のほうを書きましょう。
当時大学院の学生として版画の授業を取っていました。その時に、教授のアリス(仮名)が、嫉妬してきたのです。彼女は私より10歳程度若い金髪碧眼の女性ですが、大学の実力者の愛人だから教授にしてもらているといううわさのある人間です。一方の私は中年のアジア人のおばさんで、何の肩書きもないのです。で、当然のこと、彼女は自分が上だと感じているのですが、2、3回授業を続けると圧倒的に、私の方が上だと彼女の方が悟ってしまいます。
ここで、後日のエピソードを添えないと、私が嘘を言っているとか、誇大妄想狂だと、思われると困るので、きちんとそれを伝えますが、次の学期には彼女の授業をとる学生が一人もにいなかったので、彼女は大学を辞職しました。それは私と彼女のトラブルを、全学生が、うわさとして知ってしまい、「アリスのほうが悪い」と判断をしたからです。ですから、私は何もせずに、彼女にも勝ったわけですが、
実際には、彼女の子分である、日本人女学生アサコ(仮名)と、喧嘩をしたのです。
この女性は、日本の地方に在る私立の美大を出た若い女性で、自分の優秀性を信じているのですが、私のように大勢の人間を見てきた人間からみると、単純であり、かつヒステリーの要素がある女の子です。しかし単純だからこそ、虎の威を借りていじめること、いじめること、作業すらできない有様です。
二ヶ月ぐらいは暗澹たる暗い気持ちを抱きました。だって展望がないのです。救われる道がわからないからです。というのも、わたくしはこの時にすでに57歳になっていて、自分の周囲を、大体レベルのそろった人で揃えていました。あまりにも乱暴は人とか、他人を支配するような人とは、わかれるようにしていて、あさこみたいなタイプとは付き合ったことがないのです。
これは、突然にニューヨークというソサイエティ、特に大学院という世界に入ったから、遭遇したケースだから、どうしていいか、わからなくて、途方に暮れるというありさまです。
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副題6、『屈辱や悲哀を晴らす機会は、必ずやって来る』
ところが、神様はいたのです。それは、アリスの未熟さによって、薬がだめに成ってきたことが、そこを起点とした一連の成り行きで、わたくしは神様が、存在しているのを知りました。
アリスって言うのは、教室の政治的な支配というのには敏感ですが、版画を教える教師としての能力には欠けています。版画というのは各種の薬を使います。銅版には塩化第二鉄水溶液というのを使い、亜鉛版というのには硝酸を使って、模様を作り出します。
どちらも500倍以上の水を使って、薄めておきます。しかし、それほど薄いのですから何人もの学生が、仕事をすると効力が薄れてきます。日本の工房だと毎日入れ替えると思います。ところがアリスは二ヶ月以上ほうったらかしです。それは、大きな容器で、作るから何回も取り替えると費用がかかるということもあるでしょう。日本のはやっている私立の工房では、大体その20分の1ぐらいの量のものを用意しておいてあります。それでいいんです。特別に大きな作品を作りたい学生が出てきたら、その時は個別に対応すればいいのです。
しかも、薬がだめで事実上は、制作できないのに、宿題だけは出します。
当然のごとくみんな困ります。だけど、これは、大学院の授業だから、本学の出身学生は、学部棟へ行って借りることができます。また、寮になど入っていて、友達ができている学生は、友達とのコネで、借りることができるから、問題が余り表面化しません。困るのは、大学院で入ってきて、顔がまだ利かない学生だけです。
で、アサコを含む数人の学生は、にっちもさっちもいかなくなりました。で、本来なら私もそっち派なのですが、技術が高くて、特殊なことをやっている私は、私個人の私的な薬を持っているのです。共同で使う、お仕着せのものを使わないのです。もちろん、日本でもニューヨークでも、街の薬局で手に入るようなものではないのです。しかし、そこが経験の差で、私なら、どうすれば、2リットルもの、それが手に入るかを、嗅覚を使って見つけ出せるのでした。
特に私は深堀りという作業をするので、濃度が違います。原液というのを使っていて、毒性が高いのです。で、困っている学生のうちの、特別に能力が高く、しかも深堀りをやっている子には貸してあげていました。
あさこがそれを、羨ましがっているのはしっていました。だけど、アサコの技術では使いこなせないし、もとより乱暴すぎる彼女の態度では、技術があっても、危ないと考えていました。おっちょこちょいなのです。プレスという機械の鉄板部分(足にそれが落ちたら、粉砕骨折するだろう、5センチ厚さのもの)でも、だーっとすごいスピードで走らせるので、いつもひやひやしていました。日本製のものはストッパーが付いていますが、そこに置いてあるのは古い形式のものでストッパーが付いていないのです。
2か月目の最後頃の午前中、めずらしく、アサコの方から、私に近づいてきました。私はすぐ、「貸して」というために近づいて来たとは、わかりました。で、心の中で、『素直に、謝罪をするのなら、20CCぐらいなら、薬を分けてあげても良い』と考えていました。それを水で薄めれば、あさこたちの仕事ができる500倍溶液は作りだせます。10リットルほどは。それで、今学期中は充分です。
しかし、あさこは、素直ではなくて、ここでも肩肘を張り、しかも演出を伴って出てきました。「ねえ、川崎さん、どうして、銅版を硝酸につけてはいけないの」と質問をしてきたのです。これはいわゆるカマをかけるというやつです。で、私は激怒しました。だって、こんなに困っている段階になっても、私をだまし、引っ掛けようとしているからです。それは、『自分の方が、まだ上だ』と思っていることを示しています。
でね、紙にさっと化学方程式を書いて、「ここで出てくるガス(NOや、NO2)が毒だから、硝酸と銅を反応させては、いけないのよ」といいました。彼女があっけにとられているのはわかりました。当時の私は年齢が63歳です。それが、今、大学を卒業したばかりの20代前半の自分よりも、頭がよいということが信じられないみたいでした。
そのあほ面を見ているうちに、ますます、腹が立ってきました。私は大金をかけて、しかも家族に大いなる犠牲を強いて、このニューヨークに来ています。それなのに、その前年のパリに比べれば圧倒的に仕事ができていませんでした。パリの工房のメンバーの方が大人の版画家だけでレベルが高かったのですが、こちらでは、とくにアサコに、邪魔されたのも悪い条件であったからです。しかも『相手が目上なら、
まだ、仕方がないといえるけれど、実際には、こんなおばかさんに支配をされたために、不十分な制作のまま、2か月も過ぎてしまったのだわ』と、思ったら、本当に腹が立ってきて、ついに、ぴしゃっと言い放ってしまいました。
「あのね、これって、中学生レベルの反応式ですよ」と、さらに彼女の目をはっしと見据えて、「まあ、私はね。東大に勤めていましたから、こう言うものを忘れていないのですけれどね」とも。別に、東大の人たちが、こんな易しい化学方程式を毎日扱っているわけでもないのですよ。本当に易しいレベルの式なのです。ただただ、あさこさんが人格的に未熟で、頭を縦横に働かせることができないタイプだと言うだけの話です。
それがさらに証明されるのは、たった1時間もたたないうちでした。
私がお昼を食べに行っている間に、アサコは、塩化第二鉄の原液をぐわっと、教室の床に、放り投げたのでした。いえ、彼女としては、単に傾けて『こぼしてやったわ。ざまあ、みろだわ。あんた、これからは、これを、使えないでしょう。だから、あんただって、仕事ができなくなるのよ』ぐらいの、つもりだったのかもしれません。だけど、実際には、それは、まるで、殺人事件が起きたかのような現場を形成したのです。真っ赤な色をしていて、かつ粘度のあるその液体は、ちょうど、人体の大きさに広がり、まさしく、そこで殺人事件がおきたかのようでした。
版画の教室って、昼間は私しかいません。他の生徒は、週に三時間ぐらいやれば、宿題はこなせるので、朝からつめているのは、すでにプロになっている私だけなのです。だから、誰も見ていないと思ってやったのでしょうが、それはきちがい沙汰といってよいものでした。で、次の学期に担任のありすの教室は、誰も講座を、取る人がいなかったのです。アリスと、アサコが、二人で組んで私をいじめているのは、教室全部が知っていることだったからです。
で、たった24人プラス、数人が知っているだけのことでも、それが真実であり、かつ、起承転結やら、因果関係がはっきりしていることは、あっという間に伝わるということです。そのいじめは、そこまでだったら、ありきたりの平凡な話でした。が、あさこが猛毒の薬をひっくり返すという暴挙に出たことで、突然に、これ以上はない面白い話として全学に広まったのです。しかも、ひそひそとです。だって、こんな恥ずかしいことは、大学側は伏せたかったわけですから。それが、かえって噂として流布するレベルを高めたのだと思います。次の学期に学生が、一人も受講申し込みをしなかったというのは劇的なことでした。そして、ここで、挿入としてつけ加えれば真に実力のある若い男性が後任として入ってきたのでした。
元に戻ります。
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アリスは大学内へ常駐していないので、すぐ、学部棟へ行き、版画科の教授数人に現場を見に来てもらいました。みんな青ざめていました。塩化第二鉄の毒性とは強いアルカリ性にあり、ハイター(次亜塩素酸ソーダ)の原液が皮膚に引っ付くとひりひりするかんじを思い浮かべていただければ似ています。他の世界の人は知らないでしょうが、版画の世界の人は、たとえ、500倍の希釈液であっても、「塩化第二鉄は猛毒なんですよ」と、新進時代から叩き込まれます。
あさこは彫刻が専門らしいのですが、それにしても、こう言うことをやるのは狂っているとしかいえないから、珍しくこの章を仮名で書いているわけです。
そして、教授たちは私が願っていたようなこと、つまり、あさこを、この現場へ連れてきて、白状をさせ、謝罪させると言うところまではせず、「ひたすら、我慢をしてください。これは無かったことに、しましょう」と言外の言葉で言うのです。で、私もそれは、了承をしました。もし、あさこをここへ連れてきても、こう言う激しい性格の人は、自分がやったこと自体を忘れる可能性は強いのです。で、否定するはずです。しかも真に迫ってね。だから水掛け論になります。
この液体はもともと、大量の鉄が溶け込んでいるものですが、それが、二ヶ月の使用で銅も含んでいるので、とても重いものなのです。その上、現場は当時は工事中で、泥や、ほこりがいっぱい落ちている床だったのです。
キッチンペーパーに吸い取らせた、ごみは、大型のゴミ袋3つにも成り、清掃は、夜の12時までかかりました。それをやりながらずっと泣いていたのですよ。さめざめとね。あまりに無残なことに遭遇してしまったし、人間の弱さとか、限界というのもわかってしまって、切なくて、切なくてね。
『よく考えてみると、あさこって、自分の本当の子供より年下なんだわ。あんなに強がっていて、人を苛め抜いたけれど、実情は、未熟で、うちの子供ほども心が成長していないのよ。結局、赤子の手をひねるようなことをしてしまった見たいね、私って』とか思えば、さらに、悲しくて悲しくてね。
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副題7、『60さいになって確定的にわかる、喧嘩することの大切さ』
体のあっちこっちがひりひりするまま、終夜営業の地下鉄に乗って、アパートへ帰り、シャワーを浴びて軽い食事をとった後で、すぐ、
猛烈な勢いでアリスへメールを書き始めました。英文もアメリカにいれば、思い出すのです。そして、これも、日本語と同じで、そばにいるネイティヴのアメリカ人が目を丸くするほどの、はや書きです。英語は字数ではなくて、単語数で、あらわしますが、この日のメールは相当に長いもので、1000語は超えたと思います。三回に分けておくりました。
それが、事件がおきてから、12時間以上たったときです。直後は上に書いたようにさめざめと泣き続けていたのです。でも、アパートで冷静に考えて見ると、将来のアリスの行動が心配になりました。この人もまた、本質的には、弱いので、結果としてずるい人間になってしまいかねないからです。将来、この件で、自分が責任を取らされることを恐れて、きっと、あいまいにするだろう・・・・・と、推察ができました。悪くすると、こっちが悪者にされます。それを防ぐためには、ありとあらゆることを正確に書いておき、誰かに見せておく必要があるのです。
が、昼間、版画科のほかの教授たちという仲裁判定には最適な第三者が逃げ腰だったので当事者の、アリスにそれを、告げるほかはないのでした。
勿論あさこはだめです。彼女は言葉や、論理で、負けたと考えたとたんに、暴力行為に走ったのです。説得不可能な存在です。 次の年にそのことは知るのですが、アメリカには小事の裁判というのがあるのです。いわゆる江戸時代の長屋の大家さんみたいな仲裁の役割りを果たしてくれるところがあるのです。しかし、そんなものに頼ったって、埒は明かないです。
で、私は『親愛なる、アリス・ルーラン様』で始まる長文の英文メールを三本も連続して、書いたのでした。こういう時はまるで眠くありません。特に海外にいるときは、三か月しかいられないと思っているので、緊張しきっていて、睡眠時間は大幅に減ってきます。
私の採った対応は正しいです。人間は窮地に追い込まれたときに、もっとも大切なことは、心の尊厳を保つことです。病は気からといって、精神がしっかりしていれば、病気にはかからず、まず、体一本で立ち直ることができます。
これが、福島原発地元民へ繰り返し勧めていることです。「避難所で、グーたら、グーたら、受身で、時を過ごしていてはだめですよ。戦わなくちゃあ」と。この際、戦う相手は、東電や、政府ではないのです。それはこの際は、もうほうっておいて、明日の自分の生活を築く戦いへ、全エネルギーを向けるべきなのです。自分を変えていく、自分との戦いに入るしかないのですよ。それをやってこそ、健全な精神が保持できるのです。
そして、私がこの一編で言いたかったことは、映画『靖国』、映画TOKYO(特に第二話、メルドの部分)、映画『コーヴ』と三連発として加えられた、日本とか、日本人の精神の根幹に踏み込む攻撃のことなのです。それに黙っていて、泣き寝入りをすることは、自らの尊厳を放棄することなのです。そのような実績が積み重ねられて行って、日本人は世界から、言いようにあしらわれる国家と国民へと堕してしまっているのです。
日本人だけは、それに、気が付かないけれど、相手方は、一種の戦争として、いじめを加えてきているのです。外に現れた形は、巧妙にも装われた、単なる文化的、作品でしかないのですが、内部から人間を破壊しぬく、凶器なのです。それらに対して、きちんと抗議をしておかないと、いけません。というのもこれは、一方的に、相手から、売られた喧嘩だからです。
無視しておきたいですよ。上品に構えておきたいですよ。だけど、ほうっておくと、際限ない被害へと、発展して、行くからです。
その、『喧嘩を買う』方法なのですが、どういう風にやったら、よいかを例として示すために、上のエピソードをさらしています。つまり、頭を使うのです。そして、言葉を使って世界へ発信を続けるのです。一方的なあく宣伝ばかり世界へ流されているから、そのひとつひとつの問題を取りあげて、それにふさわしい形で、直接に、戦って、行かないとだめなのです。
このあさこの事件が起きたのは、1999年で、わたくしが57歳の時ですが、それから、経験と時間を経るにつれ喧嘩というものは、とても大切なものだと気が付くように、なりました。
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副題9、『論理が優先されるアメリカだから、喧嘩した私』
実は、喧嘩が大切だなどということは、このブログの読者の世界では、通用しない概念かもしれないのです。私だって、そんなことは信じていませんでした。38年前に知り合ったママともが、「子供には、喧嘩をさせることはとても大切だから、絶対にさせないとだめよ」といったのですが信じられませんでした。彼女はもと幼稚園の先生で、かしこい人で、お子さんを小さいときは盛大に喧嘩させていて、大きくなったら、お医者さんにしました。
私はうちの子が、自由に友達と遊ぶことは最優先の課題にしていました。が、喧嘩はしないように仕向けた記憶はあります。で、ごく普通のサラリーマンになっています。
ところで、自分が、一生喧嘩をしたこともなくて、子供にも喧嘩を勧めない私がなぜ、ありすに長文のメールを送ったかです。それは、一種の喧嘩でした。一つには追い詰められたからです。だけど、もう一つあって、それは、『ここは、論理の国アメリカだから』という確信があったのも、事実です。
私は大勢の人から日本人離れをしているといわれます。大学が国際基督教大学ですから、そう言われるのかもしれないが、両親が持っていた雰囲気というのも大きいようです。満鉄勤務時代、父の上司がカリフォルニア大学で、博士号をとった人で、叱り飛ばすように、「上司の言うなりになるな。科学は、下から意見を上げることで進歩する」と言い続ける人で、父は、その方の思い出を繰り返し語り、心酔していた模様です。
最晩年には夫婦で週に3日はダンス教室に一緒に行っていたし、それ以前の中年期にもお金の面でも、ほかの面でも母を大切にしているのは感じました。そういう我が家について先輩の方が「あなたのお宅って、やはり、日本離れしています。とても、大陸的ですよ。やはり、満州にいた人だと感じる」とおっしゃいました。確かに見かけは、非常にささやかなひとである私が、ぼんぼんぼんぼん政治についていうのは、日本人離れしています。毎回三か月の期限つきでしたが、三回も海外で暮らしてみると、自分は日本より外国で住む方が向いていると確信をします。
が、お金や健康のこと、それから、年齢のことを、考え合わせると、68にもなってしまった今は、日本で暮らすしかないでしょう』
でも、その1999年の秋にはニューヨークにいたのです。日本にいるときより、全体により元気で機敏でした。 そして、ニューヨークにいるからこそ、論理が通用することを信じたのです。日本的に言えば、上司に対する反抗です。でも、彼女は、教授なのですから、受講生を公平に扱う義務はあります。あさこと同じか、それ以上の額である、26万円を払っていたのです。たった3ヶ月一週間に3時間の講義を受けるために。だけど、そんな基本的なことができない女性なのです。ありすは。それを私の方は、3週目からわかっていても、改善をするための戦いができなかったのです。一生に一度もけんかをしたことがなかったから、一種の動物でもある他人を、こちら側も一種の動物として威圧をすることができなくて、そういうところにつけ込まれていたのでしょう。 それに、アリスは、授業中、一回も自分の作品を見せることがありませんでした。 美大の教授としての、バックグラウンドが、整っていなかったのです。それを、わたくしに見破られているかいないか、そういうポイントも、気にしていたと、今の私から見れば、考えられます。私はアリスの恐怖心がわかっていたので、かえって同情を含んで戦えないむきもありました。 でも、いずれにしろ、気を使い、気兼ねをして、いた、私がそんな部分をかなぐり捨てて、はっきりと問題点を指摘し始めたのです。しかもものすごく論理的に。 それが、その日のメールでした。 ~~~~~~~~~~~ 副題9、『ニューヨークの秋には、神様もいた。論理だけがあるのではなかった』しかし、戦うと当然のごとく、途中は厳しいです。社会人としては、大損をします。私はありすの授業を欠席をし始めましたので、授業料が、一科目で2000ドル(当時のレートで26万円)でしたが、それはパーです。で、毎日使っていた工房も薬はなくなるし、悪い思い出もできてしまったので、使えません。
ともかく、ジリ貧に成るのを避けるために、次に働ける工房を探し始めました。帰国の期限は迫っていましたので、次の年のためです。ところで、そういう日々ですが、曜日の観念をまったくといってよいほど、失念していました。アメリカに住んでいるときは宅配の新聞はもちろんテレビは部屋に備え付けのがあっても、見ないし、携帯は持っていない人なので、曜日を忘れてしまいます。
理論の講義は続けて聞いていたので、そのリポートの制作のために、時々大学へは行きます。美大ですから、学内で展覧会が開かれています。それは大学院の棟の三階で開かれていて、版画工房は、半地下にあります。
『寄ってみるか、思い出作りのために』と、下りていきます。工事もやっているので、うるさい中を下りていくと、なんと、その日はアリスの授業がある日でした。ドアのガラスの小窓から覗いて見た、私を、みんながいっせいに見つめ返します。工事の音に邪魔されて学生が、話している雰囲気を事前に察せられなったのが災いしました。勿論入りたくなかったです。
でも、ここで、きびすを返して逃げだせば『おんながすたる』と思いました。尊厳の回復を求めて戦ったわけですから、こそこそと尻尾を巻いて逃げ出すわけにも行かないのです。
で、教室に入ってまっすぐにありすへ向かいました。「ありがとう。私は今週末に日本へ帰国します。残りの二回の授業は出られません」といいますと、「そうお、じゃあ、みんなにお別れの挨拶してから・・・・」とアリスは提案してくれました。
そこには大人の、しかもレディとして最高の礼儀と愛情をしめすアリスがいました。
その時に一瞬ですが、あさこを、探してみました。目が合うと彼女は決まり悪気に目をそらしました。だけど、その態度が色々なことを教えてくれました。まず、アリスは、私のメールの内容を、あさこには告げいてないということがわかりました。つまり、アリスは、まだ、あさこをしかってはいないのです。 つまり、あさこはこの一件で、ありすとの、同盟関係を切られたのがわかりました。私が授業に出なくなったので、アリスにとって、あさこを使う必要はなくなったし、かといって、私に関する愚痴やら何やらを、あさこに告げるほど、アリスも、馬鹿ではなかったということです。わたくしはそれだけで、アリスを信じ直しました。 黒板の前に立って、「みなさん、本当にありがとう。みなさなんと一緒に勉強した体験は、これからも、大きな宝物と成っていくでしょう。みなさんも、おしあわせで、お元気でね』といいました。すると、今まで静かだったみんなが、『チエコ、テイクケアー」とか、『チエコ、グッドラック』と口々にエールを送ってくれました。私はありすに、目顔で、お礼を述べて、教室をさりました。
11月の末の、暖かい日で、空は真っ青でした。校門はキャンパスの西側に配置をされており、そこへ向かう私に、 やや低い位置に座している太陽の光を透かしたプラタナスの黄金色が、見えて来ました。歩みを進めると、それは、ドームの天井に飾られたシャンデリアという感じで、私の頭上高く、覆ってきました。薄いきいろ、白に近い色、黄土色、さまざまなニュアンスを反映したきらめく、葉っぱの数々。ところところで、差し込む、黄金色の太陽の光。
その時に、私は突然に悟りました。自分はなんと幸せなのだろう。と。、そして、『こう言う瞬間こそ、大勢の人が言っている、『神の啓示を得た瞬間なのだろう』とも。
その時の私は、この文章の上のほうに書いた数々のいきさつなど、すっかり忘れた人であり、ただ、ただ、直前のアリスの立派さと、学友たちの深い同情のことだけが、頭の中で、反響をしていました。そして目は、この世成らぬ美しいきいろの群れを見つけていたのです。 世の中には、衆目の一致するところの、幸せな人というのがいます。今話題のヘンリー王子とキャサリン妃みたいな。だけど、あのお二人だって、この午後に、私が、味わったほどの幸福感を味わったことがあるかどうか。
そしてさらに悟りました。決して不安がらなくてもいいのだ。決して欲張らなくてもいいのだ。お前が正しい方向で、正しいやり方で戦っているときに、癒しは向こうから与えられる。
慰めと名誉の回復は、敵方からなされる。お前はね。ただ、できることを一生懸命やるだけでいい。目の前の課題を懸命にこなしなさい。自分自身を疑わないこと。自分自身の人生に迷わないこと。
というのも、薬が効かなくなったにも計画的になされたことではなくて、ついうっかりということですし、 あさこが、猛毒の薬を床にひっくり返したのも、私の言葉が、いやみとして効果がありすぎた結果ですが、その言葉だって、ひょいと口をついて出たものであり、事前の計画などまるで無いものであり、 その私が、教室を最後に訪ねたのも、まったくの偶然なのです。 私の方では、あの事件の日以来、あさこにも、アリスにも、二度と会いたくないと思っていたからです。 でも、あの最後の日の、偶然に得たいやしが無かったら、私は、アメリカにもアメリカ人というものに対しても、とても、いやな感想を抱いたまま、帰国をしたでしょう。このエピソード全体を俯瞰すれば、そこには、天の計らいがあったとしか思えないのです。~~~~~~~~~~~~
蛇足として、付け加えさせて下さいませ。アリスは別の大学で、教鞭をとっていて、幸せに暮らしています。アリス自身が信者さんかどうかは知りませんが、通底のところにキリスト教の信仰が在るのを感じます。人間は神の前では平等であり、かつ原罪というものを背負っているので、謙虚でなくては成らないと、感じているはずです。彼女は、そのことを、私に対しては、見かけの差で、忘れていたのです。でも、私の長文のメールを読んだときに、『あ、この人もちゃんとした人間なんだわ。蛇やヤモリじゃあないんだわ』と感じてくれたのでしょう。
私は一般的な概念で言うと、信者ではありません。洗礼も受けておらず、教会には行かず、お祈りだって仏壇に向かってしている人間です。しかし上に書いたようなエピソードに出会うときには、自分が神さまに見守られていると信じます。で、当然のこと、神様って、存在するであろうと思っております。では、今日はこれで。
蛇足の三として、付け加わえさせてください。これは、最近のテーマである政治ものの一環です。不当な弾圧とか、不当な攻撃を受けたときに、どういう風に振舞うかの、例を挙げるために、思い出を探っていたのです。というのも上の思い出こそ、子供時代に喧嘩をしたことにない私が、一生で始めたやった喧嘩であり、しかも勝った記憶のある現象なのです。では、今日はこれで、 2011年7月3日からさらしはじめ、延々と推敲を重ね、 7月5日の20時半に完成とする。雨宮舜(本名、川崎千恵子)
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