銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

24-5-13 私は、鎌倉MetHotel傍他で、さんざんな復讐行為を受けた。つまり隈研吾氏は、現在最も大きな私弾圧用人物であるのだ

2024-05-14 00:34:33 | 政治

 総タイトルに書いた通りです。だが、その詳細を語るためには、本日は体力がないので、先へ伸ばします。伊藤玄二郎は、医療関係を用いて、復讐行為をしてきます。

 このケースは、伊藤玄二郎、鎌倉市長、横浜市長、神奈川区長、生活保護費、不正受給、警視庁の特務班、新宿担当などと、登場人物が、多くて、書くのが面倒くさいので、待ってください。

 でね。ちょっと待ってくださいね。先に白井夫人の続きを書いた方がいいかもしれない。キャサリン妃が、癌ではないことの続きを書いた方がいいかもしれない。

 ともかく、皆様は、信じないでしょうが、隈研吾氏はCIA-ジェントの持ち駒として、いま、最も激しく、対わたくしいじめに動いている素材です。

なお、国際キリスト教大学の現在の所有地は、19000坪、60万平米の模様です。私が在学したころは、五万坪でした。冬の夜、林に、出たのです。下宿が同じ三人の女子学生が。

 武蔵野の林としてのケヤキの、群が、細い枝の先に、先ほど上がったばかりの雨粒を、ひからせていて、空には、薄雲に包まれたお月様が、照っていました。美しい。美しい光景です。1962年入学同期三人は、20分ぐらい外にいて、その美しさを満喫して、歩いたのです。ただ、黙ってね。冬の夜。特に雨上がりの、夜の、美しさには、何も言葉がいらなかったです。五万坪の中の、三万坪ぐらいの林ですから、電気というものは、何もないのです。街灯もない。どこかの家の門灯もない。

 ただ、ただ、うっすらと、衣を着た月の光だけです。

 その三人は不思議なことに、生涯で、それぞれの時期で、文章にかかわる仕事をしてきました。

 そのうちの一人は、養子、または、養女で、親との関係が普通では無かったです。したがって、愛情を求めていたのかなあ? 男子学生とすでに付き合っていました。そして、その男子学生も彼女も、小説家になるつもりだったでしょう。高村薫みたいな、エンタメ系(直木賞系)分野ではなくて、文芸誌系(芥川賞系)を目指していたと思います。しかし、まだ、有名人にはなっていない。消息は、不明です。だから、40までで、書くのをやめちゃったのではないかなあ。

 二人目は、大切に育てられた、末っ子さんで、だから、ICU在学中に、男の子と付き合うこともなく、仕事(超・超有名企業勤務)も経験し、社内恋愛ではない結婚をして、子育てをして、その後翻訳の世界に入り、恋愛小説の翻訳をしたそうです。早川書房あたりから、新書版サイズの翻訳本を何冊も出しているはずです。だけど、富裕な中流家庭(しかも上)の、主婦だから、60歳ぐらいで、やめたのではないかなあ? その翻訳はあくまでも、彼女の能力の高さを示すためのもので、生活が懸かっていないからです。

 最後に私です。私はほとばしり出るものがあるから、ずっと、だれにも発表をしない詩とか、エッセーとかを書いていたのですが、パソコンと、インターネットの発達によって、知っている人たちだけに送るメルマガを始めて、それが、どうしてか、管理者のAOLから、「送信できない」といわれて、仕方がなくて、ブロガーになったのでした。しかし、之って、相当大勢の人が読んでいてくれます。その数値を、2012年にここで報告したら、突然、ゼロが、二つ低くされたので、今、管理者から、知らせられる数値も全然信じていません。ゼロが二つ多いはずです。

 でも、隈研吾氏を使う人間たちは、私のことを「蟷螂之斧よりも小さい、ハエの前足程度だ」と嘲笑をしているでしょう。だけど、私自身は、自分が神に選ばれたものだと、最近では、考えています。このブログに書いていることは、最新の真実です。血を流し、肉を切らせて、書いている真実です。

 で、この数年は、隈研吾氏が、激しい弾圧者として、使われていて、13日は、午前3時から、午前六時まで、前報

隈研吾氏の、トロイヤー館にはぞっとする私。大成建設の名前が伏せられているのも悪意満載だ。but 石塚雅彦さんには勝てない?!?!?     2024-05-13 04:11:23 | 政治

を書いたために、10時から出かけた鎌倉市内で、すさまじい弾圧に出会いました。

 ただね、戦勝国アメリカが、無償で、取り上げた、旧中島飛行機の、研究所跡地を使っているのだから、国際キリスト教大学・理事会は、もっと、控えめな活動をしてほしいです。

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 ここで、アメフト問題で、揺れた、日大と、対抗戦を行っていた関西学院大学について、調べたことがあるので、それを報告します。総坪数は1万3千坪程度ですが(だから、ICUより、狭いのですが)、ほとんどのキャンパス用地が、学生からの学費、父兄からの寄付、卒業生からの寄付、およびカナダの、メソジスト教会からの、寄付で、まかなわれて、購入しているものです。しかも、元の形が、山林とか、原っパであった可能性が高いです。それって、新鮮な土地です。汚れていない新鮮な土地です。

 ICUは、もらった土地ですが、くれた人は、その土地を購入したわけでは無くて、戦勝国として、奪ったというか、占領したわけですね。しかも、戦争に、色濃い影響を受けている土地です。

 これは、恥ずかしい土地です。学生はほとんど、知らないので、無邪気に過ごしているわけですが、学長や、理事会には、知識があるでしょう。これは、心して使わないといけないでしょう。

 隈研吾氏の、トロイヤー館には、そういう過去に対する気遣いがないです。

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 そして、これが、とても大切なことですが、イエスキリストは、質素な生活を送った方であり、「貧しいものよ。幸いなれ、あなたは、友を得ん」と、語った方です。

けばけばしいものきっとお嫌いだったでしょう、

 今回、急に我が家に入れ込められた、一年前の、広報で、知らされた隈研吾氏と、日本設計が、共同で、設計したとされるトロイヤー館は、派手すぎます。そしてけたたましすぎます。隈研吾氏の名声を上げるために、・・・・・すでに、名声があるわけですが、それをさらに拡張、拡大をするために、・・・・・使われているわけで、その建造費の為にまた土地を売ったのではないかなあ? 第二次世界大戦、(日中戦争時代から数えて、8年間)の間に、どれほどの、日本人・男性が亡くなったのであろう。ゼロ戦は、それを象徴しているものです

 しかし、無償で、もらったはずの、旧中島飛行機の研究所跡地は、五万坪が、いつの間にか、二万坪になっている。

 無論のこと、都に売ったり、ICU高校の敷地として割いたり、神学大学を誘致したりして、譲渡した土地があるわけで、理事会だけが、ずさんというわけでもないです。だけど、私の直感は鋭いですよ。

 隈研吾氏は、新国立競技場という莫大な維持費が、かかる、無駄なものを作って、東京都民と、国家に永遠に続く損失を与えているのですよ。

 パリ五輪の

 新しい施設は、作らない

という動きに比較すると、なんという馬鹿さ加減か? と、思っています。そして、氏の頭の中に、哲学が、無いことを、痛烈に、感じさせます。悪しき東大卒・人(びと)の典型です。「王さまは、裸です」という寓話は、この建物と設計者、隈研吾氏にこそ、ふさわしいものです。

 2024-5-14 雨宮舜( 本名 川崎千恵子 )

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