この一文の中は、最初期には、児島百代、詩集というのを入れておきました。で、グーグル検索で、児島百代を、引くと、これが、出てくると思います。が、今、文書を変更して、先生の部分だけを音楽の文章へと、移動をさせました。移動先は、
2011年9月5日アップの、『日本の宗教音楽・・・・・酒井雅澄、横地康子、児島百代(書き直し後)』に移動をしています。グーグルの検索で、児島百代を、引き、ここへ、たどりついた方は、そちらへ移動をなさって、まず、そちらを、ご覧頂きたいと感じます。
そこでは、児島先生の、合唱指導のことしか出ておりませんが、いずれ、ご著書についても、再度独立をさせて、アップをさせていただくつもりです。その際は、その案内をここに入れておきましょう。
皆様、私は今テーマがあります。いろいろ、中途半端になっていることがあります。だけど、一万字制限で、言い残したことが気にかかります。
今日はまず、一般的な話題から、入らせて頂きます。そこは、誰にでもご共感を頂けるでしょう。
現代は江戸時代ではありません。それが、いい事か、悪い事かは知りませんが、身分が流動的です。それは、前の年のNHK大河ドラマ『龍馬伝』で詳しく語られていますが、土佐(高知)にあった上士と下士の差別から、身分制度を打破したいと願った下士たちのエネルギーが、薩長土肥で、集合して、明治維新を推進したわけです。
でね。身分が流動的になりましたが、一応の基準が、学歴にあったわけです。それが、壊れたという話も多いし、日経新聞などに出ている、社長就任時の経歴の欄に出身大学を明記しないケースが多くなりました。
だけど、一方では夕刊フジに高校人脈というコラムがあるように、人脈作りには、絶対に役に立つのです。この間、NHKで、乳幼児を抱えたお母さんの孤立化を問題にしていましたが、私など、学校時代の友達も相当に、信頼が置けますが、今の若い人は違うのだろうか? それは、不思議ですが、ともかく、ママである限り、子育てには近所づきあいが必要です。でも、それが、なかなか、入り込めないのは、今の若い女性が親に大切にされていて、ざっくばらんになれないことも多いからでしょう。
自分もそうだったから、よくわかります。
がいずれにしろ、男性には、会社組織とは別に、気が許せる友達としては、同窓会と、その時代の友達は重要だと思います。あらゆる意味で。ネットでつながる人脈もあるでしょうが、人と顔を接して、だべったり飲んだりした仲間は重要なはずです。
その際に、寮に入るというのも大きい形です。寮がない大学が多いと思いますが、その点では、郊外にある大学は、下宿屋が一種の寮になっているから、それも、また、人格形成には役立ちますね。
この間、銀座線の中で、青山学院の制服を着た高2の生徒が、いじめあっていて、『おやおや、こんな恵まれた子達なのに』と、驚きました。かっこよくてね。だけど、突然にひとりが、ほかの子の、髪をぐさっとつかんで、つかまれた方がとても痛がっているのに、やめなかったのです。つかまれている子の方が、体格がいいのに、どうしてか、小顔の子の方が、気が強い。そして、周りの生徒は誰も止めない。
ただ、今回は、ほかの子は追従をしなかったので、それだけは、ほっとしました。つまり、とめない事はとめないが、集団で一人をいじめる方向へは、発展をしなかったのです。
昔、横須賀線の中で、隼人学院の子達が、集団で一人の子だけをいじめていた時は、私が注意をして、ちゃんと効果がありました。が、あの時よりも、9年は過ぎているし、相手が、青山学院となると、このおばさんのいう事など聞かないだろうと思って、ただ、私の方が銀座で電車を降りる間際(というのは、いつもそうなのですが)「あなた方は、何年生」とか、「クラブはテニス?」と聞きました。どうもバドミントン部だったらしいです。ヨネックスのケースが、テニスにしては小ぶりだったから。
でも、少しは、効果があったかな? 夕方の込んでいる地下鉄の車内で、いじめあっているのは、かっこうもよくないですし、絶対にやめた方がいいです。<社会の眼が、それを批判している。学校の名誉のためにも、もったいない>という事が、少しは、わかったかもしれないから。
でもね、高校2年になっても、いじめをしあうなど幼いですが、ただ、体格はいいし、顔はいいし、元気は元気でした。一応は、成功した人生を保障されているわけです。それを悟っている。幸せさの中での、何かがそうさせる。軽い問題でしょう。
~~~~~~~~~~~~~~
だけどね。もう少し高い偏差値の学校へ行って、東大または、医学部を目指そうとしている子などに、より大きなそして、暗い問題が起きる可能性はあります。現在の時代が豊かで、ハングリー精神がないのに、親の期待が大きいから、途中でつぶれる。で、結果、結構な有名大学卒に、覇気がない。で、大学名を記さない社会が到来したのでしょう。
引きこもりが多いというのは、実は、誰(どんな家庭)でも、中学受験に走る現在の東京圏の、何らかの弊害を現しています。そこで、失敗して、幼いころから、自信をなくしたりして・・・・・
それに、孤食といって、親が忙しいと、家族一緒に食事を取らず、また、きちんと栄養のある食事を用意されないという現象もあるらしいです。時々『そういう家庭でそだったのだろうな』と、思う青少年の犯罪が出てきて、『痛ましいなあ。本当の責任は親にあるのに』と思います。
栄養のある食事が、子供に与えられないという一方で、テレビにグルメ番組が横溢しているのも変だと思います。不思議です。何らかのカーストの分離が起きていて、ああいうグルメ情報を喜ぶ富裕層と、追い詰められている家庭とが両極に分かれているのかしら。
私は自分だけが、得をしたくはないです。みんなが幸せになって欲しいので、何らかの余裕が、社会全体に欲しいです。で、心だけでも豊かであってほしいのに、都心の地下鉄で、有名高校の生徒がいじめをし合っていて、ほかの子が、誰も注意できないのには、悲しみを覚えるし、こういう現象を生むのも、マスコミがいつも、その時期の弱者を苛め抜くのが、大きな影響を与えているとあると思っていて、マスメディアには、抗議をしておきたいです。
~~~~~~~~~~~~~
ところで、話がまた、自分に帰ってきて申し訳ございませんが、
前報で、「国立大学付属高校へ、ご入学おめでとう」と言って、菓子折りを持参した石川和子女史に強烈な違和感を持ち、それ以来、彼女が、『何も知らないひとなのだ。強烈なレベルで教養がないとわかった』といっています。で、そのとき、もうひとつ、大きなことがわかってしまったというのが、今日の文章を書き始めた動機です。
それは、「安野夫人が実母ではない」という確信を二度目とか、三度目として抱いたという事です。特別な示威行動なんか、しなければいいのに、それをするから、かえって、わかってしまいました。それは今でも同じです。もし、私に何らかの落ち度があるとすれば、いつも、徹底的に見えてしまう眼を持っていることです。何もかも見えてしまう眼があります。
そのときも、それを説明するのはなかなか、難しいのですが、実母ってひたすら謙虚なものなので、こんなに大げさに、かつ麗々しく、他人に祝ってもらうのはおかしいと直感したのです。実母なら、<自分の子って、自分たちにしか、大切ではない>という事を、ちゃんと知っていてわきまえているものなのです。
だって、簡単に言ってしまうと、セックスの結果、生まれるのが子供です。だから、自分たちにとっては、子孫継続の証で喜ばしいが、他人にとっては、「それが、何なの?」と言う存在です。これは、同窓会では、既に暗黙のルールとして、証明をされているみたいです。そこでは、子供や孫のことは話さないこととなっているみたいです。だけど、私自身失敗しちゃいました。三年か、五年ぐらい前まで、子供の結婚式の写真を持っていってしまったりして。あ、は、は。恥ずかしい。他人の事なんか、あげつらっては、いられませんね。批判をしては、駄目ですね。あ、は、は。
ただね、『ああ、やっと育児が終わった』と思って、そのホッと感を聞いてもらいたかったのでしょう。今はね、絶対に甘えません。あれから、数年で非常に鍛えられました。苦労はしてみるものです。
だから、去年の同窓会にも、孫の写真など持参しませんでした。だが、独身の弟によいお嫁さんでも来てくれたらいいなとおもうから、同窓会ほど派手な席で葉なくて、個人的に、お世話好きな方に、お葬式の写真を見せたりしています。弟自身は、そえを、わずらわしがっていますが、性格のよい紳士へと成長していたのが母の死をきっかけにわかったので、こんな人間が独身ではもったいないなあと思ったりして。特に遺産相続が何の問題もなく進行したのは、弟の尽力と賢さが大きかったです。
でも、子供や孫を見せびらかすのは、他人には、面白くないことだとわかってきました。それほど、今は、子供たちが結婚をしない時代なのです。というのは、インテリのご家庭で、お子様もインテリだと、結婚をしていないケースも多くて、昔は単純だったことが、今は、単純でなくなっているのです。
その、昔は単純だったことが、今は単純ではないという事のひとつに、孫が生まれないというケースもあります。
女性が働いていて、高度な仕事をしていると、ストレスで妊娠しにくくなるのかな? それと、新聞などを見ていると、仕事をやめるのが怖いので、子供は一人だとか決めたとか言うのも見ますしね。でね、うかつに孫自慢などしてはいけない時代なのです。
にこにこして、聞いてもらっていても、内心では嫌われていて、そこで、点数を落としているケースもあるのです。難しいものです。ただ、年取ってくると、自分に対して厳しい注意を課すのが億劫になってくる面もあって、「まあいいじゃあないの」と自分で自分に向かって言う場合もあります。いわゆる子供帰りです。
だけど、40代までの母親って、とても敏感で、大きく気配りをします。それは、自分の子供には、まだ、越えるべき人生の関所が、何箇所もあることを、自覚しているからです。大学入試、就活、婚活。昔は、世の中の景気がよくて、就活なんていう言葉はなかったけれど、それでも、大変で、見守るしかないから、じっと我慢の時代です。
いやあ、おやって、子供がうえの年齢になれば、なるほど、難しいところがあるのです。今は結婚しないというケースもあるけれど、離婚をするというケースも多いだろうから、親は、60とか、70になって、悩みを抱える事となったりします。
でね。自分の子の喜びごとなんて、他人には関係がないと思うから、自慢をしません。いや、60を超えたから、つい自慢をしてしまったりしたのですが、40代には、世間に対する恐れを持っていたから、自慢をしませんでした。
ここに、世間への恐れと書きましたが、ついでに、世間の本音という事も書きたいと思います。
で、冒頭に戻ります。
つまり、現代社会は、身分が流動的だからこそ、誰にでも、チャンスはある。そのチャンスを得られる道として、非常に手っ取り早いのが、ブランド学校に行くことだと、言うこと。そして、それは本音でしょう。庶民のね。だけど、親が成功していると、また、違ってきます。デザイン学校などの専門学校へ行くのは、親が成功して、既に一応のエスタブリッシュメントになっているクラスだと思います。
しかし、一般的には、名門大学を出る方が有利だと思われていて、だから、その前の中学受験も若い親にとっては重要で、今では、サラリーマン向けの週刊誌や月刊誌でも特集が多いです。朝日新聞には、新聞内にそんな記事さえあります。
でも、中学受験の成功を、他人が喜ぶとは思えない。もちろん直系の親族は喜んでくれます。おじいちゃん、おばあちゃんが、最も喜んでくれるでしょう。
でも、何度も言うようですが、現在の東京圏で、他人が喜んでくれるとは思えません。だから、それを道路っぱたで、誰にでも聞こえるように、いわってもらっている姿に、強烈な違和感を覚えました。
今思えば、諜略だったのでしょう。<私に見せびらかして、なんでも安野家の方が上だ>と知らせたかったのです。となると、あの25年前ごろから、瀬島隆三は、私のすべての電話を盗聴し、すべてを采配していた事となります。伊藤玄二郎は、元愛人の石川和子女史が、わたくしのすぐ近所、8メートルも離れていないところに住んでいることで、瀬島機関(または、フリーメーソン)にリクルートをされたのだと思います。
それ以来、彼の方は、いろいろな保護を受けてきたと思います。ポルトガル国の勲章の授与。関東学院大学の教授就任、これは、ビートたけしのフランス国からの勲章授与。芸大教授就任とまったく同工異曲であり、伊藤玄二郎の方が先です。先にこちらでトライして、うまく行ったことの踏襲がなされています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
ところで、ここから先、さまざまな方向へ、話題が分岐していきます。まず、こういう風に競争意識が強い現代社会で、うまく、しかも楽しく生きるのにはどうしたら、よいかを語らせてください。
ひとつの工夫は、二人という最小単位でもいいから、信頼できる仲良しを作ることです。これは、大勢の人がやっていることで、特に女性に多いですが、画家では渡辺豊重氏が常にとっている作法です。必ず、誰かお供を連れて行動しています。『うまいなあ。処世術が』と思います。だけど、それだけの準備をするのは普通の人には、なかなか大変なことです。
うまくいくケースは二人のコンビに、上下関係がある場合です。豊重さん(横浜のサッカー場のエントランスホールの天井画を描いた人、日経新聞の朝刊右上のコラムに時々、作品が出る)は、女性の若手作家を連れたり、娘さんを連れたりしておられます。
これは、社会的名声上の上下関係がある場合です。そして、下の人に野心がないケースです。だから、下の人が我慢をしている場合ではない。それが、長持ちの秘訣でしょう。
だけど、たいていの場合は下の人が我慢をしています。あるコンビの場合、お金もちと、普通人だったのです。私は、お金持ちの方と友達だったから、「あなた、大丈夫?」って聞いたのです。
私はさすがに、そのころはエチケットのある人、というか、おとなしめの人だったから、それだけしか言わなかったけれど、本当に言いたいことは「プレッシャーを与えていない」とか、「振り回していない」とか、「嫉妬をされていない?」という事でした。相手も賢い人だから、すぐわかって、『大丈夫、彼女は私にあこがれているから』と答えました。
が、思いがけない結末が待っていたのです。貧乏な人の方が、蒸発をしちゃったのだそうです。借金か何かができて、いわゆる夜逃げをしちゃったのです。もちろん、夫に原因があるのかもしれません。夫が競馬などに凝って。でも、奥さんの方が、何か背伸びをして、ひょいとサラ金に手を出して、にっちもさっちもいかなくなるなどという事もあったと感じられます。
私はその、貧乏な方の人の、好人物そうな顔を忘れられないのです。ある人とぴったりの関係を持っていると、気がまぎれます。それに、精神的にいって、主体性のない人だと、性格の強い人のそばにいると安心だという事もあるでしょう。これは、お仕事を持っている女性には、理解できないことかもしれないけれど、専業主婦には、時間が有り余っているので、昼間一人でいる時間に間が持てないという事があるのです。そういうときに週4日ぐらい、朝から晩まで一緒にいられる人がいるという事は、心の隙間を埋めてくれます。
だけど、本当の友達だったら、そこまで追い詰められるまでに、相談をしあったり、援助を、そのお金持ちの方へ、乞う場合も考えられると思うのですが・・・・・もちろん、借金を申し出でたとたんに、友情は壊れるものでしょうが・・・・・そして、その好人物そうな奥さんは、それを知っていたのでしょう。
でもね。60近くになって、それまで、週4日か5日一緒に過ごしていた人と、急に別れるとは、切ないことですよね。
だから、私たちはできるだけ、賢い選択をしないと駄目です。さびしいことかもしれないけれど、薄い縁をたくさん持つ方が、安全パイだと私は思います。その貧乏なほうの奥さんだって、急に知らない土地へ引っ越していって、しかもご主人が亡くなったりしたら、それこそ、無縁社会の人になります。だから、週に二日ぐらい、どこかのサークルに出かけて、そこで、10人から20人ぐらいの人と、薄いが、適宜な距離をもって付き合う方が安全だと私は思います。
映画を見て、スイスにも合唱祭があるのを知って驚きました。日本がまねをしたのかも知れません。が、ドイツの方が昔、言っていましたが、俳句会みたいなものは、ドイツにはないそうです。日本は江戸時代から、サークルが盛んだったのです。茶道などもその典型です。
私は、自分が創作をするためには時間が大切なので、サークルには所属しないし、二人で、コンビを組む友達も作らないつもりでした。が、年をとってきて、『創作一途でも、いけないなあ』と感じ始めています。徐々にクールダウンすると言う感じなら、ひとりで厳しく創作の道に耽溺していた季節から、それこそ、ゆったりと、サークルとしての、勉強会に入るのも、『体力的には、適宜だなあ』と思うようになってきました。
ところで、ここから、さきに
児島先生の詩集を入れておいたのですが、別文章で独立させます。あしからず、御了承、をくださいませ。
では、2011年2月15日早朝 雨宮舜
2011年9月5日アップの、『日本の宗教音楽・・・・・酒井雅澄、横地康子、児島百代(書き直し後)』に移動をしています。グーグルの検索で、児島百代を、引き、ここへ、たどりついた方は、そちらへ移動をなさって、まず、そちらを、ご覧頂きたいと感じます。
そこでは、児島先生の、合唱指導のことしか出ておりませんが、いずれ、ご著書についても、再度独立をさせて、アップをさせていただくつもりです。その際は、その案内をここに入れておきましょう。
皆様、私は今テーマがあります。いろいろ、中途半端になっていることがあります。だけど、一万字制限で、言い残したことが気にかかります。
今日はまず、一般的な話題から、入らせて頂きます。そこは、誰にでもご共感を頂けるでしょう。
現代は江戸時代ではありません。それが、いい事か、悪い事かは知りませんが、身分が流動的です。それは、前の年のNHK大河ドラマ『龍馬伝』で詳しく語られていますが、土佐(高知)にあった上士と下士の差別から、身分制度を打破したいと願った下士たちのエネルギーが、薩長土肥で、集合して、明治維新を推進したわけです。
でね。身分が流動的になりましたが、一応の基準が、学歴にあったわけです。それが、壊れたという話も多いし、日経新聞などに出ている、社長就任時の経歴の欄に出身大学を明記しないケースが多くなりました。
だけど、一方では夕刊フジに高校人脈というコラムがあるように、人脈作りには、絶対に役に立つのです。この間、NHKで、乳幼児を抱えたお母さんの孤立化を問題にしていましたが、私など、学校時代の友達も相当に、信頼が置けますが、今の若い人は違うのだろうか? それは、不思議ですが、ともかく、ママである限り、子育てには近所づきあいが必要です。でも、それが、なかなか、入り込めないのは、今の若い女性が親に大切にされていて、ざっくばらんになれないことも多いからでしょう。
自分もそうだったから、よくわかります。
がいずれにしろ、男性には、会社組織とは別に、気が許せる友達としては、同窓会と、その時代の友達は重要だと思います。あらゆる意味で。ネットでつながる人脈もあるでしょうが、人と顔を接して、だべったり飲んだりした仲間は重要なはずです。
その際に、寮に入るというのも大きい形です。寮がない大学が多いと思いますが、その点では、郊外にある大学は、下宿屋が一種の寮になっているから、それも、また、人格形成には役立ちますね。
この間、銀座線の中で、青山学院の制服を着た高2の生徒が、いじめあっていて、『おやおや、こんな恵まれた子達なのに』と、驚きました。かっこよくてね。だけど、突然にひとりが、ほかの子の、髪をぐさっとつかんで、つかまれた方がとても痛がっているのに、やめなかったのです。つかまれている子の方が、体格がいいのに、どうしてか、小顔の子の方が、気が強い。そして、周りの生徒は誰も止めない。
ただ、今回は、ほかの子は追従をしなかったので、それだけは、ほっとしました。つまり、とめない事はとめないが、集団で一人をいじめる方向へは、発展をしなかったのです。
昔、横須賀線の中で、隼人学院の子達が、集団で一人の子だけをいじめていた時は、私が注意をして、ちゃんと効果がありました。が、あの時よりも、9年は過ぎているし、相手が、青山学院となると、このおばさんのいう事など聞かないだろうと思って、ただ、私の方が銀座で電車を降りる間際(というのは、いつもそうなのですが)「あなた方は、何年生」とか、「クラブはテニス?」と聞きました。どうもバドミントン部だったらしいです。ヨネックスのケースが、テニスにしては小ぶりだったから。
でも、少しは、効果があったかな? 夕方の込んでいる地下鉄の車内で、いじめあっているのは、かっこうもよくないですし、絶対にやめた方がいいです。<社会の眼が、それを批判している。学校の名誉のためにも、もったいない>という事が、少しは、わかったかもしれないから。
でもね、高校2年になっても、いじめをしあうなど幼いですが、ただ、体格はいいし、顔はいいし、元気は元気でした。一応は、成功した人生を保障されているわけです。それを悟っている。幸せさの中での、何かがそうさせる。軽い問題でしょう。
~~~~~~~~~~~~~~
だけどね。もう少し高い偏差値の学校へ行って、東大または、医学部を目指そうとしている子などに、より大きなそして、暗い問題が起きる可能性はあります。現在の時代が豊かで、ハングリー精神がないのに、親の期待が大きいから、途中でつぶれる。で、結果、結構な有名大学卒に、覇気がない。で、大学名を記さない社会が到来したのでしょう。
引きこもりが多いというのは、実は、誰(どんな家庭)でも、中学受験に走る現在の東京圏の、何らかの弊害を現しています。そこで、失敗して、幼いころから、自信をなくしたりして・・・・・
それに、孤食といって、親が忙しいと、家族一緒に食事を取らず、また、きちんと栄養のある食事を用意されないという現象もあるらしいです。時々『そういう家庭でそだったのだろうな』と、思う青少年の犯罪が出てきて、『痛ましいなあ。本当の責任は親にあるのに』と思います。
栄養のある食事が、子供に与えられないという一方で、テレビにグルメ番組が横溢しているのも変だと思います。不思議です。何らかのカーストの分離が起きていて、ああいうグルメ情報を喜ぶ富裕層と、追い詰められている家庭とが両極に分かれているのかしら。
私は自分だけが、得をしたくはないです。みんなが幸せになって欲しいので、何らかの余裕が、社会全体に欲しいです。で、心だけでも豊かであってほしいのに、都心の地下鉄で、有名高校の生徒がいじめをし合っていて、ほかの子が、誰も注意できないのには、悲しみを覚えるし、こういう現象を生むのも、マスコミがいつも、その時期の弱者を苛め抜くのが、大きな影響を与えているとあると思っていて、マスメディアには、抗議をしておきたいです。
~~~~~~~~~~~~~
ところで、話がまた、自分に帰ってきて申し訳ございませんが、
前報で、「国立大学付属高校へ、ご入学おめでとう」と言って、菓子折りを持参した石川和子女史に強烈な違和感を持ち、それ以来、彼女が、『何も知らないひとなのだ。強烈なレベルで教養がないとわかった』といっています。で、そのとき、もうひとつ、大きなことがわかってしまったというのが、今日の文章を書き始めた動機です。
それは、「安野夫人が実母ではない」という確信を二度目とか、三度目として抱いたという事です。特別な示威行動なんか、しなければいいのに、それをするから、かえって、わかってしまいました。それは今でも同じです。もし、私に何らかの落ち度があるとすれば、いつも、徹底的に見えてしまう眼を持っていることです。何もかも見えてしまう眼があります。
そのときも、それを説明するのはなかなか、難しいのですが、実母ってひたすら謙虚なものなので、こんなに大げさに、かつ麗々しく、他人に祝ってもらうのはおかしいと直感したのです。実母なら、<自分の子って、自分たちにしか、大切ではない>という事を、ちゃんと知っていてわきまえているものなのです。
だって、簡単に言ってしまうと、セックスの結果、生まれるのが子供です。だから、自分たちにとっては、子孫継続の証で喜ばしいが、他人にとっては、「それが、何なの?」と言う存在です。これは、同窓会では、既に暗黙のルールとして、証明をされているみたいです。そこでは、子供や孫のことは話さないこととなっているみたいです。だけど、私自身失敗しちゃいました。三年か、五年ぐらい前まで、子供の結婚式の写真を持っていってしまったりして。あ、は、は。恥ずかしい。他人の事なんか、あげつらっては、いられませんね。批判をしては、駄目ですね。あ、は、は。
ただね、『ああ、やっと育児が終わった』と思って、そのホッと感を聞いてもらいたかったのでしょう。今はね、絶対に甘えません。あれから、数年で非常に鍛えられました。苦労はしてみるものです。
だから、去年の同窓会にも、孫の写真など持参しませんでした。だが、独身の弟によいお嫁さんでも来てくれたらいいなとおもうから、同窓会ほど派手な席で葉なくて、個人的に、お世話好きな方に、お葬式の写真を見せたりしています。弟自身は、そえを、わずらわしがっていますが、性格のよい紳士へと成長していたのが母の死をきっかけにわかったので、こんな人間が独身ではもったいないなあと思ったりして。特に遺産相続が何の問題もなく進行したのは、弟の尽力と賢さが大きかったです。
でも、子供や孫を見せびらかすのは、他人には、面白くないことだとわかってきました。それほど、今は、子供たちが結婚をしない時代なのです。というのは、インテリのご家庭で、お子様もインテリだと、結婚をしていないケースも多くて、昔は単純だったことが、今は、単純でなくなっているのです。
その、昔は単純だったことが、今は単純ではないという事のひとつに、孫が生まれないというケースもあります。
女性が働いていて、高度な仕事をしていると、ストレスで妊娠しにくくなるのかな? それと、新聞などを見ていると、仕事をやめるのが怖いので、子供は一人だとか決めたとか言うのも見ますしね。でね、うかつに孫自慢などしてはいけない時代なのです。
にこにこして、聞いてもらっていても、内心では嫌われていて、そこで、点数を落としているケースもあるのです。難しいものです。ただ、年取ってくると、自分に対して厳しい注意を課すのが億劫になってくる面もあって、「まあいいじゃあないの」と自分で自分に向かって言う場合もあります。いわゆる子供帰りです。
だけど、40代までの母親って、とても敏感で、大きく気配りをします。それは、自分の子供には、まだ、越えるべき人生の関所が、何箇所もあることを、自覚しているからです。大学入試、就活、婚活。昔は、世の中の景気がよくて、就活なんていう言葉はなかったけれど、それでも、大変で、見守るしかないから、じっと我慢の時代です。
いやあ、おやって、子供がうえの年齢になれば、なるほど、難しいところがあるのです。今は結婚しないというケースもあるけれど、離婚をするというケースも多いだろうから、親は、60とか、70になって、悩みを抱える事となったりします。
でね。自分の子の喜びごとなんて、他人には関係がないと思うから、自慢をしません。いや、60を超えたから、つい自慢をしてしまったりしたのですが、40代には、世間に対する恐れを持っていたから、自慢をしませんでした。
ここに、世間への恐れと書きましたが、ついでに、世間の本音という事も書きたいと思います。
で、冒頭に戻ります。
つまり、現代社会は、身分が流動的だからこそ、誰にでも、チャンスはある。そのチャンスを得られる道として、非常に手っ取り早いのが、ブランド学校に行くことだと、言うこと。そして、それは本音でしょう。庶民のね。だけど、親が成功していると、また、違ってきます。デザイン学校などの専門学校へ行くのは、親が成功して、既に一応のエスタブリッシュメントになっているクラスだと思います。
しかし、一般的には、名門大学を出る方が有利だと思われていて、だから、その前の中学受験も若い親にとっては重要で、今では、サラリーマン向けの週刊誌や月刊誌でも特集が多いです。朝日新聞には、新聞内にそんな記事さえあります。
でも、中学受験の成功を、他人が喜ぶとは思えない。もちろん直系の親族は喜んでくれます。おじいちゃん、おばあちゃんが、最も喜んでくれるでしょう。
でも、何度も言うようですが、現在の東京圏で、他人が喜んでくれるとは思えません。だから、それを道路っぱたで、誰にでも聞こえるように、いわってもらっている姿に、強烈な違和感を覚えました。
今思えば、諜略だったのでしょう。<私に見せびらかして、なんでも安野家の方が上だ>と知らせたかったのです。となると、あの25年前ごろから、瀬島隆三は、私のすべての電話を盗聴し、すべてを采配していた事となります。伊藤玄二郎は、元愛人の石川和子女史が、わたくしのすぐ近所、8メートルも離れていないところに住んでいることで、瀬島機関(または、フリーメーソン)にリクルートをされたのだと思います。
それ以来、彼の方は、いろいろな保護を受けてきたと思います。ポルトガル国の勲章の授与。関東学院大学の教授就任、これは、ビートたけしのフランス国からの勲章授与。芸大教授就任とまったく同工異曲であり、伊藤玄二郎の方が先です。先にこちらでトライして、うまく行ったことの踏襲がなされています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
ところで、ここから先、さまざまな方向へ、話題が分岐していきます。まず、こういう風に競争意識が強い現代社会で、うまく、しかも楽しく生きるのにはどうしたら、よいかを語らせてください。
ひとつの工夫は、二人という最小単位でもいいから、信頼できる仲良しを作ることです。これは、大勢の人がやっていることで、特に女性に多いですが、画家では渡辺豊重氏が常にとっている作法です。必ず、誰かお供を連れて行動しています。『うまいなあ。処世術が』と思います。だけど、それだけの準備をするのは普通の人には、なかなか大変なことです。
うまくいくケースは二人のコンビに、上下関係がある場合です。豊重さん(横浜のサッカー場のエントランスホールの天井画を描いた人、日経新聞の朝刊右上のコラムに時々、作品が出る)は、女性の若手作家を連れたり、娘さんを連れたりしておられます。
これは、社会的名声上の上下関係がある場合です。そして、下の人に野心がないケースです。だから、下の人が我慢をしている場合ではない。それが、長持ちの秘訣でしょう。
だけど、たいていの場合は下の人が我慢をしています。あるコンビの場合、お金もちと、普通人だったのです。私は、お金持ちの方と友達だったから、「あなた、大丈夫?」って聞いたのです。
私はさすがに、そのころはエチケットのある人、というか、おとなしめの人だったから、それだけしか言わなかったけれど、本当に言いたいことは「プレッシャーを与えていない」とか、「振り回していない」とか、「嫉妬をされていない?」という事でした。相手も賢い人だから、すぐわかって、『大丈夫、彼女は私にあこがれているから』と答えました。
が、思いがけない結末が待っていたのです。貧乏な人の方が、蒸発をしちゃったのだそうです。借金か何かができて、いわゆる夜逃げをしちゃったのです。もちろん、夫に原因があるのかもしれません。夫が競馬などに凝って。でも、奥さんの方が、何か背伸びをして、ひょいとサラ金に手を出して、にっちもさっちもいかなくなるなどという事もあったと感じられます。
私はその、貧乏な方の人の、好人物そうな顔を忘れられないのです。ある人とぴったりの関係を持っていると、気がまぎれます。それに、精神的にいって、主体性のない人だと、性格の強い人のそばにいると安心だという事もあるでしょう。これは、お仕事を持っている女性には、理解できないことかもしれないけれど、専業主婦には、時間が有り余っているので、昼間一人でいる時間に間が持てないという事があるのです。そういうときに週4日ぐらい、朝から晩まで一緒にいられる人がいるという事は、心の隙間を埋めてくれます。
だけど、本当の友達だったら、そこまで追い詰められるまでに、相談をしあったり、援助を、そのお金持ちの方へ、乞う場合も考えられると思うのですが・・・・・もちろん、借金を申し出でたとたんに、友情は壊れるものでしょうが・・・・・そして、その好人物そうな奥さんは、それを知っていたのでしょう。
でもね。60近くになって、それまで、週4日か5日一緒に過ごしていた人と、急に別れるとは、切ないことですよね。
だから、私たちはできるだけ、賢い選択をしないと駄目です。さびしいことかもしれないけれど、薄い縁をたくさん持つ方が、安全パイだと私は思います。その貧乏なほうの奥さんだって、急に知らない土地へ引っ越していって、しかもご主人が亡くなったりしたら、それこそ、無縁社会の人になります。だから、週に二日ぐらい、どこかのサークルに出かけて、そこで、10人から20人ぐらいの人と、薄いが、適宜な距離をもって付き合う方が安全だと私は思います。
映画を見て、スイスにも合唱祭があるのを知って驚きました。日本がまねをしたのかも知れません。が、ドイツの方が昔、言っていましたが、俳句会みたいなものは、ドイツにはないそうです。日本は江戸時代から、サークルが盛んだったのです。茶道などもその典型です。
私は、自分が創作をするためには時間が大切なので、サークルには所属しないし、二人で、コンビを組む友達も作らないつもりでした。が、年をとってきて、『創作一途でも、いけないなあ』と感じ始めています。徐々にクールダウンすると言う感じなら、ひとりで厳しく創作の道に耽溺していた季節から、それこそ、ゆったりと、サークルとしての、勉強会に入るのも、『体力的には、適宜だなあ』と思うようになってきました。
ところで、ここから、さきに
児島先生の詩集を入れておいたのですが、別文章で独立させます。あしからず、御了承、をくださいませ。
では、2011年2月15日早朝 雨宮舜