副題1、『本日は、PCシステム上の、まったく新しい破壊行動に接している』
今、下の記事(後注1)にコメントが届きました。それを読んでいるうちに本文に誤変換を見つけたので、直そうと、していると、以前あったサービスが無いのです。それは、クリックをすると、その記事の、記事一覧部分に入ることができて、テキストを直すことが容易になる、メガネスィッチなのですが、本日はありません。
その上、下にあげたイスファハーンの写真(後注〇)ですが、それよりも、多数イランに関するスケッチが有る筈ですが、フォルダーそのものが瞬間的に無くなってしまいました。フォルダーのタイトルは南欧スケッチです。が、このウィンドーズ10の検索機能そのもの消えているのでした。
こういうことは、『すべてが解決してから、私はブログへ書く』と言う主義に、普段は、しているのですが、今のところ、税務申告で、時間が無いので、直さないで、放ってあります。そして、新しい長いものを書いている時間もないので、この件をご報告をさせていただきます。
午後二時に、そう言う大きな破壊に接しました。
やりたいという目的は、判ります。このブログが、人気が出たら困るという趣旨で、潰していきますね。ブログそのものではなくて、利用したい元ダネ入りのフォルダーを潰巣か、隠すかされました。普通は、別のやり方で、このトラブルを、解決してから文章を書き、ブログ化します、今日は、それをやっている時間がないので、単純に被害として書きました。
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副題2、『私に広い教養があり、いい家に育った人だと言う事を、証明する証拠が続々盗まれている。実物も、また、IT的にも』
我が家から、父に関する、写真とか資料が、盗まれています。戦前のもので、新聞記事の切り抜きです。父は、石油技師であって、満州の、満鉄の調査部、中央研究所と言うところで、今でいうオイルシェール、(当時の日本語だと、頁油岩)を、研究していました。これは、薄い頁状になっている岩(または、石炭)の間に、石油が保存をされている地層を指します。その研究は、国家機密だから、むろんのこと、新聞記事化は、為されていないわけですが、重要な研究なので、土日に休みをもらって優遇をされていました。で、土日には、母と一緒に、北京あたりまでは、旅行に行っていました。
で、当時、画家専門の人が、収入が無いので、戦争画を描いたりして、苦労をしていたのを見ているので、私が、美大とか、文学部へ進学するのを許しませんでした。父自身も、中学時代の先生から、美校(現代の芸大)に行ったら、食えないよと、さとされていたそうです。父の父がすでに、死んでいましたので、学資は、お兄さんに頼るわけなので、石油の技師(精製とか、その他の事)を学びました。実学の方ですね。今の言葉でいえば、工学部系統です。でも、絵が好きですから、週末は、絵を描きに行っていて、それは、安井曾太郎先生にべた褒めを受けていて、ラストエンペラーの宮殿や、甘粕大尉の部屋、および、満鉄理事長室などを、飾っていたそうです。
それに関する新聞記事が全部なくなっていました。戦後、数か月経って、中に入った人がいて、絵は、全部、中国人によって、切り裂かれていましたよと、教えてもらったそうです。戦争画ではなくて、すべて、中国の文明遺跡でしたが、日本人が描いたと言う事で、切り裂かれていたそうです。
泥棒にはショックを受けました。しかし、私には、・・・・・国立国会図書館には、これらの満州時代の新聞があるだろう・・・・・と言う思いもあったので、それで、安心をしていました。
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副題3、『国立国会図書館は、魔窟であるのかな?』
するとですね。【満州時代の新聞は、マイクロフィルム化される】と言う現代の新聞記事が、たくさん出ました。日経か、朝日新聞か、毎日新聞のどれかに出ておりました。が、それに対しても安心をしておりました。それで、数年後、国会図書館を訪問をしました。その時、例の鎌倉エージェントが、きりきりと、こちらを攻撃したいと、思っているとき、または、彼等の方が数段上だと、考えているときの特徴である、警察のパトカーが、二台待って居たり、早朝だと、機動隊用バスが、二台待っていて脅かされました。
なんとなく怪しいなあと、思ってはいると、どうした事でしょう。マイクロフイルム化は、第一面から、第三面までしかやっていないのです。新聞とは、追った形で、配布されるので、奇数頁とは、ありえません。つまり4頁目をすべて、削除をして、マイクロフィルム化をして、廃棄したそうです。
つまり、私が、美術の上で、遺伝子的に、とても優秀だと、言うことを証明できる証拠を、亡くしてしまおうという動きに、国会図書館は、従ったのです。三浦朱門氏が、官庁だった時代なのではないかな?
伊藤玄二郎は、鎌倉の文化人として、三浦朱門氏と、親しいので、裏から、こういう手配をして貰ったと、思われます。
これは、今は、使っていない方の、スマホi-phone 4から、計算機が消えて、一時期却って復活していて、さらに、消えてしまった問題とか。
片山祐輔君の、古村浩三君の問題とか、種々の想い問題を、ぶり返さえされる、現象です。私は、後注2に、置いてある、文章内で、来る、3月26日の、国際基督教大学、桜祭りの、裏側を書いています。(後注2)それで、もしかすると『ここまで、書くのなら、来ないだろうと、見て、古村君が、また動いていますか??』
じゃあ、彼に質問をするために、行かないといけませんね。『あなたが、やっている。それとも、やっていませんか?』と、質問をしないといけません。ここでは、彼がこれをやっているとは、断定はしないで置きます。しかし、今までの、数多くの同窓会の、写真は、すべて彼が管理をしていて、たいへん複雑な形で、配布をされ、私が、開けなくて、質問をすると、超不親切だったのですが、(幹事としては、変ですよ。古村君。その態度って!)、ともかく、彼がインタ0ネットと、JーPEGとの、受け渡し技術においては、超練達した人間であることは確かですから、質問をしておかないといけません。
さらに言えば、今ポインターが激しくも不随意に動いて、テキストが、入力しにくい事おびただしいのですが、これは、何万回と、やられてきている妨害の、一つであって、それこそ、古村浩三君が、第一次フェイスブック時代に、同じく同級生の榊原節子さんの頁を利用した、そう言う時期にも頻繁に起きてきたパソコンシステム上の、妨害です。
と、青字の部分を書いて、1時間ほど、置きました。そのうえで、もう、一回ほど、あっちこっちを、探しますと、見つかりました。『ふん、ふん、なるほど』と、思います。今回は、見つかりやすい形式で、見つかりました。と言うのは、他のフォルダーへ、このフォルダーをサブフォルダーとして、入れ込んでしまうという形式です。しかし、それなら、先ほど、パソコン全体に対して掛けようとした、検索機能で見つかるはずですね。先ほどは、その検索機能そのものが見つからなかったのですよ。だから、12時間程度、この問題をブログとして、はっきり書くまでは、破壊工作は、実行をされていたのです。もし検索機能ですっと、瞬間的に見つかったのなら、私が、気が付かないうちにマウスソーサをしたという形になりますが検索機能で、見つからなかったので、確実に悪意は、示され、実行活動として、フォルダーは、消えていたのでした。正しい【南欧スケッチ】と、いうタイトルを入れて、検索していますので。
この破壊工作は、圧縮機能が使われるのではないかと、推察しています。それで、見えない形になっていたのだと思います。しかし、後刻、こういう形で見つかると。こういう手法は、初めて見つけた、攻撃ではないとは、思いあたります。となると、これを、やった人間は、古村君ではないかもしれません。だが、ここまで、回復したのは、
・・・・・・国際基督教大学に、3月26日に行かないといけなくなりました・・・・・・と書いたからかもしれないのです。古村君は、380万円集まったという寄付金の発起人なので、ぜったいに来ている筈です。で、会えるでしょう。いろいろな、形式を駆使して(つまり、彼を、実行者として、決めつけないで)、質問をできることは、いっぱい、有ります。やはり、行くべきかな?
今日のフォルダー紛失の件は、非常に大きな問題です。そして、国立国会図書館の闇の問題は、川名昭宣君へ、言を及ぼさないとならなくなる程の大問題です。後で、続きを書きましょう。
なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、3411401です。完成したら、日付と署名を入れます。
後注〇
イスファハーン(イラン)の、広場
後注1、
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