今は、8日の深夜です。夜11時から、副題8に、2000字ぐらい加筆して、この章が、3万字制限に、引っかかりそうになったので、ここで、終了とさせていただきます。そこは青の太字で、しかもアンダーラインを敷くという形で、差別化してあります。というお断りを8日の深夜に入れて、7日に加筆した、二度目の冒頭部分に入ります。
これは、100%前報(後注1)の続きです。特に蛇足と言う部分の続きです。本日は書き始めてから三日目ですが、写真を新しく、挿入させてくださいませ。これは、私のパソコンの・・・・ワード文書を開く・・・・という画面をスマホで、撮影をしたものです。赤い矢印の先をご注目ください。そこに榊原節子と言う名前が見えます。
赤い矢印で、強調している、文書を、私は、最近、開いておりません。この写真を撮影したのは、今年2018年の、3月22日ですが、6月7日の午後2時にも同じ画面でした。という事は。・・・・・榊原節子を思い出せ・・・・・と言う、攻撃だと、感じています。榊原節子さんと言う方は、皇后陛下、美智子さまの、お従姉妹です。水島三一郎東大名誉教授と言う方のお嬢様です。母君が、正田英三郎氏と、きょうだいの間柄だと、記憶してます。なお、ここ、を、14時間ぐらい、英一郎氏と誤記していました。すみません。75歳と言うのは、そういう頭になってしまうのですね。残念ですが・・・・・
今、8日の午前2時ですが、寝室にいったん入ったのに、また戻ってきました。あれを言わないといけないと気が付いたからです。それは、私はこれらの膨大な文章を全部、自分が、見た事、聞いたことから、自分の頭の中だけで、紡ぎ出しているという事です。だから、最先端の事情を書いていると、言う事です。ここに書いてある様なことは、どんな印刷物にもまだ、書いては、ないでしょう。資料を読んで書くのだと、得意になっている某・大作家様(公的には、死んだことにしているが、未だ、実際には、生きて居て、地下潜行をしていて、種々の忌まわしい謀略を紡ぎ出している、某大作家を指す。皮肉一杯に語っているのですよ)などには、やったことが無い手法で書いているのです。しかし、その一点には強い誇りがあります。そういう点で、「ここに書いてあるほど、貴重なことは無いのだ」とも、誇りを持っているわけですが、やはり加齢とともに記憶が衰えているのです。50代では、よく母に電話をかけて、教えてもらっていました。母は、90頃まで、記憶力はよかったです。
で、今は誰も頼れないのです。が、それは、それなりに、自分の頭がひそかに注意をしてくれるのです。先ほども、お風呂の中で、どこか、間違えて居る様な気がして、念のために、書いた、14時間後に、ぐぐってみると、正田氏の方の、お名前が、間違っていました。英三郎とするべきところを、英一郎と、していました。節子さんの、父君の方に、三が使われているので、正田さんの方には、三が使われていないと、思ってしまったのですね。でも、お風呂の中で、違和感を感じたので、まだ、正確に直せますが、将来は?????です。
ところで、美智子さまと、明仁親王の、ご成婚(一般の言葉でいえばご婚約)が、発表をされたときに、節子さんの方は、お茶大付属高校へ、高校から編入なさった、非常に優秀な方と、言う形で、在籍中でした。(私も分類分けとしては、同じなのですが・・・・苦笑)
新聞やテレビの報道で、大騒ぎになり、同級生が、「二階の〇組だから、見に行きましょう」と騒いでいました。が、私は、後年になって、も、大阪万博にもいかないし、愛知花博にもいかないタイプですから、無論のこと、二階に降りて、節子さんの、高校時代の姿を確認することは有りませんでした。
ところが、何としたことでしょうね。私が一浪して、国際基督教大学に入学してみると、節子さんが、同期生として入学して居ました。一学年全体が、300人弱であり、それが、一緒に、講義を受ける時間も、一週間に、3回は有ったし、四年時には、たった40人しか在籍して居ない、第三女子寮で、一緒だったので、節子さんのことは、しっかりと、認識しています。ICUは、美女がうじょ、うじょ、居る大学ですが、トップテンに入って居る美女です。今は、彼女は太ってしまっています。しかし、若い日にはスリムで、背も高く、家柄もいいので、良縁を得ました。東京女子医大で、心臓外科の名医として有名だった、榊原仟学長の、坊ちゃんと、結婚をされました。お舅さんが亡くなった後、お姑さんと、ご自分の核家族四人と、全部で、五人合わせて、撮った家族写真が、3年間ぐらい年賀状に使われていたので、坊ちゃま方が、大変かわいいお顔である事は、知っています。しかし、坊ちゃま方も、今はすでに40代でしょうが? (後注2)へ
私はどこかで、書いていますが、自分には、男性的気質もあって、女性に対して嫉妬心を持っていません。だけど、・・・・・林真理子風に活躍できたら、いいなあと、表参道のとんかつや、『まい泉』のカウンターで、絹のスーツを着ている男性を見た時に感じた・・・・・と、言う文章を一度書いているので、常にライバルが設定されます。そちらに対して、嫉妬心を抱けよ。という目的で、ライバルが、浮上し、マスコミの世界で、大変に大切にされ、出世します。
林真理子が、2004年だったかな? 朝日新聞の一面で、大量の字数を使って、ほめそやされ切って居ました。
さて、他にもライバル設定をされて、相手が、大出世したが、私の方は、取り残されていると、言う人間が、大量にいます。それぞれ、エピソード込みで、語る事ができるのですが(そして、それぞれ、リンク先があるのですが、)ここでは、名前だけられるつすれば、美術界においては、女性作家なら、馬越陽子、山本容子、渡辺幸子、一ノ瀬智恵子、瓜南直子さんが、居て、美術評論家なら、山本冬彦、開発チエ、藤田千彩がいます。最近では、山本舞子(京都大学卒)と言う女性が使われています。
いやもっと激しく使われているのは、橋本真理です。この人は、永青文庫に勤務している女性ですが、国際基督教大学卒で、しかも、高橋源一郎のお嬢さんだから、石春産業の、証拠隠滅工事が始まって以来、2,3度、NHKの画面で見ました。
一方で、同窓生も使われているのですが、2009年1月17日のクラス会(有楽町の𠮷乃翔でのことでしたが)で、榊原節子さんが大きく使われてきました。それを、この2018年6月7日に入ってから、副題8のなかで、語ろうとしています。しかし、それ以外にも毎日、開くmicrosoft word の画面でも、彼女が、脅かし用の、アイコンとして使われているのです。それが冒頭に置いた写真です。榊原節子さんに関する文章など、いつ開いたかしらと、言うほど最近はいじって居ないのです。しかし、毎日、彼女の名前を画面のトップに見つけます。
実際の私は、こういう様な措置で、ビビる事は無くて、逆張りの発想で、これを将来、使おうと、思って、写真は撮ります。それは、3月22日でした。この写真は、3月に撮って置いたのですが、本日、それを使う機会を得ました。念のために確認をすると、6日、も、同じ画面でしたよ。それが、かれらCIAの手法なので、ここで、語る必要を感じているのです。という冒頭の写真の説明を二日目に加えて、初日(=5日の深夜)書いた初稿に頭に、ここで戻って行きます。
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副題1、『60過ぎた男性の顔は、自分に責任があるという』
前報の文末に置いた【蛇足】と言う部分は、相当に、冷たい表現だったかと思います。ただ、それは、5月28日(水曜日)の考察であり、ほぼ、一週間前の思いです。それ以降、また、さまざまに考えております。
しかし、ここでは、その【蛇足】内で、英二と言う私の夫の名前をはっきりと書いていることを、主に取り上げて物を語りたいと、考えております。ところで、その英二(えいじ)と言う名前で、親戚の人間は彼を呼びません。私の事を、私の実家側の親戚の人が、老若男女そろって【ちっちゃん】と、呼ぶように、私の主人のことは、すべての主人側の親戚が、【えっ君】と、呼びます。60近くになってもそう呼ばれます。彼より若い人だって、親の呼び方に倣って、そう呼びます。
ある日のお葬式内で、親戚の女性(血はつながって居ないが、叔母に当たる)が、「千恵子さん、って、おとこ選びが上手ね。えっ君、本当に、いい顔になって来たではないの」と、言いました。これは、15年ぐらい前のことで、57歳で、転職して始めた鍼灸医の仕事で、人々を助け、奉仕していましたから、そういういいお顔になっていたのです。患者さんは、少数ですが、立派な人達ばかりで、しかも感謝されていました。患者ではない、ある人が、「私はお宅のご主人に、治療してもらっている人と知り合いだけど、そのひとが、お宅のご主人を、名医だと、言っているよ」と、教えてくれました。その時はそれほどに、いいお顔だったのですが、今は、それを辞めているし、健康の面でも、衰えていて、それほどは、いいお顔ではありません。
::::::ところで、また、ここで、挿入として、嫌な政治の問題に入ってしまいますが、何気なく書いた上のエピソードによって、その親戚の女性は、敵さんに取り込まれてしまいました。。それがこちらに判ってしまうのは、彼女が美術界に所属をしている人間だからです。美術系作家だからです。こういう事も敵さんたちは、自分達が頭がいいと、自認して行っている事でしょうが、私は深い怒りをもって、見ています。彼女本人には何も言いませんが、それが、依って来る原因が、この雪ノ下に在るので、それで、雪ノ下の、人間に対して、厳しい文章を書くという事にもなります。それに、それ以来、ものを書くのが相当に、不自由になったのも事実です。::::::::
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副題2、『しかし、或る時に、若い時期とは、くらべもののならないぐらいに、立派な体格へと、変化した友人(男性)に出会って、いささか、妻としての、自分を反省したのも事実だった』
ただ、主人がどういう男性よりも、見かけの面で、優れているとは言いませんよ。2008年から、2014年における、どこかの時点での、大学のクラス会で、本当に珍しい人物が、出席して居ました。A君とB君ですが、ふたりとも、古村浩三君と、たった、23人しかいなかった、1962年時の国際基督教大学での、同級生(という事は私とも同級生)です。とくにA君は、卒業以来初めて、しかも何十年ぶりかで、出会うひとでした。驚いたことに、ものすごく、大きくなっていたのです。前後も、左右も。決して肥満体と言うのではないのですが、昔のスリムな、詩人風とは、まったく異なって居ました。いわゆる胸板の厚いアメリカ人の体格に近いという感じ。アメリカの中流家庭の男性って、日本人とは、比べ物にならないくらい、立派な体格を持っているのです。トランプ大統領を見てごらんなさいよ。日本人の四倍以上あるでしょう。A君は、オバマ大統領ぐらいの、スリムさですが、近寄って見ると胸板の厚い事、厚い事、それには驚かされました。
彼は、社長をしています。創業者社長です。会社の固有の名前は、知りませんが、結構、はやって居る商品を、庶民相手に売り出している庶民相手の会社です。IT関連ではないので、信用が高い雰囲気を受けます。『うーん。社長として、かれは、きっと、食事の上で、ぜいたくをしているのだろうなあ。それに奥さんが賢くて、バランスが良い食べものを食べさせる様にしているのだろう』と、思いました。しかし、高級な牛肉の、ステーキばかり食べているので、大腸がんとか結腸癌にかかる人もいるのですが、彼は、罹患をしていない模様です。すこぶる健康そうでした。そしてかれの方を仮にA君呼ぶと、同じく同級生だった別の男の子B君を、近所に住まわせて、老後の面倒を見てあげるつもりらしいのです。
もともと、とても優しかった男性ですが、今でも優しいのでした。他人の老後を引き受けてあげるというのは、会社、社長として、社員の面倒を見てあげているのの延長線だと、思いました。非婚者の老後とか死は、なかなかの問題です。それを理解して手助けしてあげようとしているのでした。
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副題3、『ニューヨークで出会った二人の、有色人種の版画家と、その死の模様は、私に深い印象を与えた』
私が、自分で発刊をした6種類の本のうち、本屋で、売ってもいないのに、アマゾンで、10800円の値が、長い時間ついて居た、【黄色いさくらんぼ】には、こういう非婚の男性が二人登場します。ニューヨークでの芸術家二人です。その死のあり様を語っているのですが、非常に対照的な、人生と死だったのです。ただ一点の共通点は、二人とも、独身だったという事です。それは、二人が、有色人種なので、結婚が、難しかったのでしょう。芸術家で、優れたところをも持っているのに、有色人種であるという差別される方の、階層です。これは、何重の意味でも、結婚が難しいのです。
その二人が、まったく正反対な、形の、死を迎えるというお話です。一人はペルー出身で、もしかすると、不法滞在で、長くニューヨークで暮らしている版画家です。本名ホアレスと、言います。彼は、露悪家で、しかも、私の想像外と言うほどに、貧し恣意日常だったらしく、61歳で、食べるものも無くなったらしくて、孤独死します。でも、相当以上に悪ぶって居ましたが、意外にも、長い時間で付き合ってきた、芸術家仲間には、理解をされていて、愛されていたらしくて、その死をメールで、私に知らせてくれた、若い女流芸術家(外人)が居ました。
その死には、日本人版画家ミミ(仮名・・・・・ただし、実存のひと、当時、40~45歳の間だった。いまでは、60さいをこえているだろう。賢いが自分勝手な人物ではある。そして、意地が悪い)に、責任があると、感じています。彼女が、自分が、ただで、工房を使えるシステム(モニター制度)を作ったので、まず、有力な版画家、12人の使用料が、無料化されてしまいました。私は毎月六万円を支払っていました。百坪ぐらいの部屋の賃貸料は、古い契約なので、11万円だそうです。私の6万円も大きく寄与していたと、推察しています。しかし、ミミのせいで、すべてがルーズになり、他の人もお金を支払わなくなってしまい私の帰国直後、工房がつぶれます。するとホアレスにとっては、工房が、家庭であり、そこで、稼ぐ、摺り師としての収入が、唯一のものだったので、工房がつぶれた、その8っ月後に、彼は死ぬのでした。そこが、その一冊のドラマチックな処なのです。一種のドキュメンタリーエッセイ集ですが、そういう悲劇性が、込められているので、面白いと、思っていただけたのでしょう。
特に「私が、自分が在籍していた当時、彼が非常に貧しい事には、気が付かなかった」という点もドラマ性を高めていると推察しています。彼は、昔、縁があった日本人女性から教わったらしい、一センチサイズで、角切りをしたサツマイモ入りの蒸しパンだけを、朝、昼、晩食べて暮らしていたらしいのですが、私の方は、彼が友達にそれを分けてあげているのを見て、それをおやつだと、考えて居て、主食であったことには、まったく気が、付かず、自分の方は、一食8ドルから、10ドルかけた昼食をデリで、買ってきて、工房で、食べて居た事の・・・・・済まなさ・・・・も書いています。私にとって、それほどの貧しさを、持つ人が、普通の感じで、誇りをもって、芸術家として生きている事は、想定外の事だったからです。私は大勢の死者の魂を、慰安しないといけない立場になりました。山口みつ子さんもその一人ですし、ホアレスもそのひとりです。
また、ホアレスと、対照的に、いい人だと、尊敬をされていて、ホテルチェルシー(芸術家に、宿泊代の上で、援助をして来た、一種のワンルームマンション形式のホテル・・・・ニューヨークでは一種の文化遺産として扱われている。階段ホールに多くの芸術家が寄贈した宿代代わりの作品が飾ってある、アールヌーボー様式の古い建物)で、パーキンソン氏病を患いながら最後まで、支援されながら、立派なお葬式を上げてもらった、黒人の、ロバートブラックバーン氏の、死をも、あげています。
私は、ロバートブラックバーン氏が、誰にも見せてこなかった、秘密をも知ってしまったのです。彼は、まったくの善人で、天然ぶりを発揮し続けてきたのですが、・・・・・その陰で、彼が、どれほどに、他者に気を使って生きて来たか?・・・・・つまり、天然ぶりは、一種の演技だった事・・・・・を、知ってしまい、その事に、深く感銘を受けかつ、同情をしたのでした。それを私の方は、言葉ではなくて、ただ、顔の表情の変化だけで、示したのですが、賢い彼は、私がどれほどに、深く彼を理解したかに気が付いたのです。彼の死の直前に、彼から、「ニューヨークに来てほしい」と両者の共通の友人(日本人女性版画家)を通じて頼まれたほどです。しかし、もう、鎌倉の自宅で、夜寝る生活形態に戻っていたので、とても、ニューヨークには、行かれませんでした。家族が自由を許しませんので。
ロバートブラックバーン氏の、秘めた、注意深さと、慎重さが判ったのは、2002年8月10日の午前中と、夜の、二回のほうもんの時でした。訪問と言うよりは、お見舞いです。そこで、わかった事でした。午前中は、部屋には、看護婦さんが居ました。若い女性で、私服でしたが、介護、及び、看護をしている女性です。彼女は、私(昔から知遇があり、しかもその作品をブラックバーン氏が高く評価をしている人物)が訪問をしてくると、言うので、彼(ボブとみんなが呼でいた)の、上下を、新しい真っ白な、下着へ取り換えて迎えてくれたのです。しかし、パンツに、あなが開いていたので、私は、非常に悲しく思いました。・・・・・肉親がそばに、居ないとは、こういう事なのか・・・・・と、思って、部屋を早々に、辞去して、その後で、自室で泣きました。この時、私は個展をする為にニューヨークへ行って居て、しかも、同じホテル・チェルシーに泊まっていたのでした。しかし、もしそれをボブに告げると、「毎日、来てください」と、言われると、思いました。それ以前の訪問でもボブが、既に、体が不自由で、しかも、とても、さびしがっていることを知って居ましたので。
貧しいからパンツが、切れていたのではなくて、介護の為、おしっこをさせやすくするためだと、数か月後に判ってくるのですが、それでも、それを見た時の衝撃は忘れられません。ボブの方も、私がショックを受けたことは判ったみたいで、夜に再訪をした時には、パンツの上にバスタオルを置いて隠していましたので。
私は、その穴を見た途端に涙が出そうになったので、そうそうに辞去するのですが、予定外に、短い時間で、退出するので、「夜、もう一回きますので、何を欲しいですか?」と、質問をしました。すると「全粒小麦パンを」と言いました。子供時代の懐かしい味なのでしょう。でも、そんな簡単なものでも、看護婦さんにもお手伝いさんにも、彼は頼んでいないのでした。お金が無いのか? そうは思いません。彼は、ただ、余計な手間をかけることを避けているのでした。それが、他人には、嫌われない様にするための、もっとも、基本的な姿勢だと、知っているのでしょう。とても、かわいそうだなあと、心底、思いました。私なんて、神経質だと、他人からは、思われているでしょうが、ボブ程、細かく、他人に気を使ったことは無いと思います。
ところがボブに同乗しているのにもかかわらず、忙しすぎる私は、閉店時間までに、スーパーに行くことができず、約束の全粒小麦パンを買えなかったのです。むろん、他の物も買えません。で、どうしようかと迷いに迷って、冷蔵庫に在った、黄色いさくらんぶをもっていくことにしました。尚、アメリカの場合、異性の部屋を訪問するのは、特に夜には、同じホテル内でも、きついルールがあって、ホテルのスタッフを呼んで手伝ってもらい、立ち会ってもらいます。スタッフの方は、私とボブが、旧知の間柄で、しかも、なかなか、大切な話があるだろうとは、推察して居て、ボブをベッドから、椅子へ移した後では、退室しました。そしてもう一回、寝かせるために来てくれるのだと、思います。ボブが膝の上に、バスタオルをたたんで置いていたので、それは、スタッフが手伝って、そうしたのだと、思いました。
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副題4、『アメリカでは、サクランボの扱いが、日本とは全く違っていたのだった。佐藤錦のピカピカな様子とは、100%違っていて、すでに、つやが無くて、しわしわになって居た。五月に収穫をされるとして、私が買おうとした時点で、三か月後の、8月なのだから仕方がない』
ホテルチェルシーの隣には、ヨーロッパ風を装った高級なスーパーがありました。ZAGAT(ミシュランみたいなもの)で、高い評価を得ています。お惣菜は、ひどくおいしいし、果物も、完熟した上で、売っているので、非常においしいのです。こういう点で、アメリカは、まだ、素朴です。却って素朴な販売システムが生きています。ただし、くだものですが、味はいいが、見かけは悪いです。日本では、果物は、見かけはいいが、未熟な段階で、出荷をされるので、おいしくないです。
10日間の滞在中、そのスーパーで、いろいろな種類の果物を試したうえで、最後の買い物として、黄色いさくらんぼを買いました。それがびっくりする売り方でした、台湾にいらっしゃったことがありますか? あの国の市場では、干しシイタケを五キロか、10キロかの単位で、ものすごく、大きな袋へ入れて売っています。あれに似ています。その大きな麻袋から、お客としての私は、ひとつかみ、12粒ぐらいを、取り出して、透明なプラスチック容器に入れてレジで重さを量ってもらい、買って帰りました。帰宅して食べてみると、推察通り、おいしいのです。しかも大粒なので、4粒で、食べやめて、後は、残して置きました。
それしかボブにプレゼントするものがないので、それをもって行きました。「約束のパンを買ってこられなくてごめんなさいね」と、断る私の言葉をスムーズに、受け入れてくれた上で、ボブも一粒食べてみたのです。すると、おいしい事を感じたらしくて、突然に、「これは、エレンにあげよう」と、言いました。エレンとは、数年前の訪問の際に、私も見かけたことがあるお手伝いさんです。台所で、自宅で作ったらしい、チコリのつけもの(ピクルスでは無い発酵臭の有るもの)を、バットに入れ替えて、冷蔵庫に入れて居ました。自分の工夫も入れてお世話をしてあげている、賢そうな50代の、ボブと同じ、アフリカンの女性でした。その人に・・・・・たった、8粒の、しかも、しわしわの、さくらんぼを、・・・・・あげようというボブの、言葉に、再び涙があふれそうになったのでまた、そうそうに辞去したのでした。天然ボケみたいに振舞っているボブは、常に、他者に対する感謝を忘れないのでした。
とても、いい性格です。みんなが褒めます。しかし、私は、そのいい性格でさえ、哀しくて、哀しくて、成らなかったのです。既婚者であって、しかも、男性だったら、これほどに、細やかな、神経を他者に向けることなどは、考えられないので、・・・・・・
これが非婚である事の実態であり、2011年に私が、それを、悟った事実です。そして、私は、自分が結婚をしていることを、ああよかったなあと、感じたのでした。たしかに、私の方は、ホアレスよりも、15年は、長生きしています。ボブが幾つだったかを知らないのですが、それでも、ボブが亡くなったのは、70歳代前半だった筈です。私は、今は、75歳で、見かけ上は、健康ですから。結婚が、すべてではないが、非婚だと、他人に頭を下げる度合いが増えるという事です。気を遣う度合いが増えるという事です。
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副題5、『日本の話に戻ろう。A君が立派な体格に、変化しており、かつ、同級生の老後も見てあげるつもりだと、聞いて驚いたが、すこしB君について語りたい』
B君は体格はきゃしゃでした。これは、彼本人から、小さいころ、結核系の病気を患ったからだと、聞いています。そして、それは、私の主人も同じです。戦前の生まれの人は、劣悪な食生活を経験しているので、小さいころ結核系の病気を患った人が多いというか、そういう人が、居るのです。そして、やや、きゃしゃな感じなので、女々しい感じもあります。うちの主人も一見するとそうなので、終生「えっ君」と親戚から呼ばれることになるのですが、実際には、男性性・優位の人であり、一種の、言葉によるパワハラの人でもあったのですよ。ただ、ここでも、主人には向かわず、B君にこだわります。
A君が、かくもB君に親切なのは、若いころ、二人が、ホモセクシュアルな関係にあったかどうかですが、私は、一応それは、無かったと、考えております。ただ、ただ、A君が、もともと優しい人であるうえに、B君ともども、詩や、小説が好きなので、気が合う友達であって、それが、50年以上続いていると、考えています。
特にB君に海外駐在の経験が長いですね。外交官ですから。で、二人がホモセクシュアルな関係ではないと、断言しましょう。
ただ、ただ、友情の発露と、A君の経済的余裕がなせる業だと、思っています。A君の家には、お手伝いさんなども、居るでしょうから、そのひとか、別の、そういうタイプの働きをしている女性を、B君の家に向かわせて、洗濯やら、掃除をしてあげるように頼んであげるんは、充分に可能な事なのでしょう。私は母がそういうタイプだったので、その手の、気働きの活発なおくさまを、A君は、持っているのだと、推察もしました。
そして、このケースを思うと、1960年代に、国際基督教大学を選んで入学した少年少女に固有の、独特の、ありかたを、感じるのです。どこか、優しい、そして、どこかで、無償の愛とか、神様の愛とかを信奉しているところがあるのです。全員ではないですよ。でも、40%の学生は、そういう他者尊重・他者への無償の愛の実践の、姿勢を持っていたのでした。これは日吉と縁があり、慶応の学生の、会話をレストランなどで、そば聴きする事のある私の、心からの実感です。
私は、最近では、スタップ細胞疑惑にソーピーと言う、1965年時に同級生だった女性が深く絡んでいるだろうと、言ったり、古村浩三君がわたくしのパソコン内に侵入していると言ったり、川名昭宣君が、伊藤玄二郎と親しくて、私の手のひらを爪で、ひねりあげた・・・・・などと言う、ひどく、汚い話を描き続けていますが、それは、ベイカーさんとか、テリーとかが、原因であった、私への1965年時における殺人未遂事件とか、
北久里浜における、地籍変更届を利用した、2400坪の、広さの山林の、無償での、私有地化(こちらは瀬島龍三と、彼の帝国軍人時代の、軍の参謀同士での親友、益山重夫と、京急、及び横須賀市の幹部が組んで行った実質的な、大犯罪・・・・・ただし、書類と言う形は整っているので、犯罪として、裁判に持ち込むことは不可能である)の、真実を語り始めているから、すべて、対私への弾圧要員として、動員をされ始めた、人員たちであると、考えており、全体的に見れば、いい人が多いのですよ。
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副題6、『A君の方についてもう少し語りたい。彼は、若い日に私に向かって、小さんの落語を聞きなさいとか、空を見上げてごらんなさい。空は青いですよと、言ったのだった。それを、どこかで、最近、語っているので、利用された感じがあると、思っている』
さて、以前どこかで、ちらっと語っている入江多喜雄君と言う人物がいます。この人も大変重要な人物です。が、変死(川に落ちた事故とされている)したと、言われていて、それも・・・・おかしいなあ?・・・・と、私は、思っていて、したがって、まだ、語り始める事さえ、出来ない人物の一人です。その入江君の死亡を、私は、心配して、川名君ではない、別の人物に、「事故の詳細な真相を知っていますか?」と、悩む形で、電話をかけております。いや、川名君に、手のひらを痛めつけられた後に、別の人物に電話で問い合わせたのかもしれません。
今、この・・・・・入江君の水死事故はおかしい・・・・・と書いた時点で、久しぶりに、パソコンにシステム異常が起きました。したがって、この推察は真実であり、・・・・・入江君も、例の連中に、殺されたのだ。理由は真実を語り出しかねないからだ・・・・・笹井芳樹さんと同じ流れだろうなあ・・・・・と、推察しています。そして、その裏側(=真相)を、熟知して居る川名君が、私が原因だと、考えて、私の手のひらに、他の出席者が、誰も気が付かない形での拷問的痛みを加えたのだと、思っています。
これが、きっと正しいのですよ。したがって、河出書房新社の編集者としての川名君と知己の間柄にある、池内紀氏が、BSプレミアムとか、NHK-ETVに、最近、頻繁に、登場するのは、私に対する脅かし(または、威圧をもってする嫌がらせ)の一種だと、推察しています。最近、池内紀氏は、私が録画をして置いて、必ず、見る筈の日曜美術館に、登場しましたし、BSプレミアムでヨ-ロッパを、氏が、蒸気機関車を訪ねて歩く、特別番組が制作され、放映をされています。彼等鎌倉エージェント(CIA)は、メディアを私物化し、駆使しています。上等な文筆家であるという自信はあるし、一方で、あまり、お顔がきれいでもなくて、それを自覚をしている客観性は、持って居る人であろうから、今までは、テレビの世界には出なかった池内氏が、最近、頻繁にテレビの世界に出るのは、偏に、川名昭宣を、かばおうとしている動きの一つなのです。それを内々で了承し、池内氏は、テレビに出ているのだと、思います。
しかし、ここで、私が語りたいことは、青字の部分ではなくて、これから書き始める黒字の部分なのです。A君についての、続きです。その為に入江君が必要だったのです。入江君は、1962年の秋に、謄写版刷り(今でいう、シルクスクリーン)で、クラス全員の、お互いを紹介するパンフレットを作りました。そこには自己紹介を自分で書く、部分もあったのですが、他人が、その主役に対して、どう感じているかを書く頁もあったのです。入江君は、他の学生より、三つぐらい年上なのと、英語が、からっきし駄目だったので、こういう形で挽回して、三歳も年上である自分が、クラスのリーダーシップを取りたかったのだと、思います。
そこに、A君が、この節の二重ガッコ内に書いた、感想を私に対して向けてきたのです。私はその文言にも、あっけに取られて、恥ずかしいなあとは思いました。今は前歯を、直していて、白い歯に変化していますが、前歯に金冠をはめているというのは、一種の身体的障害に近くて、大きな負担を私に、与えていたのです。劣等感があり、ガッチガチに、緊張をしていて硬かったのだと、思います。
しかし、今の私は、あの頃から見ると弾圧のせいで、すさまじい鍛錬を受けて居て、圧倒的に変化をしているので、はっきりと、それを言いますが、「A君の観察眼も、成って居ないなあ。あなたは、表層的に、私を見ていますよ」となります。私はバスの中で、入江君にショックを与えた様に、すでに、主人と手紙の交換をしているプラトニックラブに陥って居て、それをだれにも隠すほどの、慎重なる、しかし、非常に乙女チックで、夢見る夢子さんの、代表例だったのです。子供のころから、考え事をするのが大好きだったので、若い日には、運転免許を取るのを、母から禁じられています。「きっと、事故を起こすから、免許を問ったらだめよ」と言われています。そして、私も、自分でも、『きっと目の前の現象に対する集中力が途切れ、別の事を考え出す瞬間があるだろう』と、思っているので、免許は取りませんでした。
A君はこのブログを読んでいないと思います。しかし、もし、このブログで時々書く、歌舞伎とか、クラシック音楽に関する評論を読めば、きっと、思い直してくれるでしょう。それらは、実は専門家もうなる程の、深いレベルに達していると、思いますよ。あまりに、弾圧が激しいので、美術評論を文章で書くのは止めてしまっていますが、それも、もし書かせたら、2006年までのものに、引き続いて、すごい内容のものを書くと思います。
ただね、A君は、1962年には詩人に見えましたが、2000年頃にはすでに確実に社長になっているでしょうから、起業家であり、実業家なのです。
それにね、A君が売っている商品を、脇からサポートするための、映画がシリーズ化されても居て、その監督(しかし、第一作だけだけど)も、国際基督教大学卒ですから、『なあんだ!』と、言うほどに、いろいろつじつまが合ってくるのです。慶応大学も三田会を通じて、卒業生同士が助け合っているそうですが、ICUも規模は、一万分のいちぐらいでも、お互いの助け合い精神はバッチリと豊かなのです。
シリーズ化されている映画作品としては【寅さん・シリーズ】が有名ですが、似たような作品です。こんど、DVDでも、借りて来て、エンディングロールに、A君の経営している会社の名前が、支援企業として、出ているかどうかを確かめておきましょう。
だから、A君は、実態としては、見かけほど、詩人ではなかったのです。実業家として成功するほどですから、太っ腹だったのでしょう。割と鈍感かな? で、私に関して、正しい理解ができなかったというか、誤解をしたのは、仕方がないでしょう。で、この観察類と比較をすると、・・・・・私が、自分に懸想をしていると、誤解をした・・・・・しかも、具体的にグサッと、切ってしまうと、彼女は深く傷つくだろうと考えて、迂遠な方法をとった館野君の方が、・・・・・私の内面に、ロマンチックなものが満ちているのを見破っているわけで、・・・・・・人間観察が鋭い・・・・・と、言えるほどです。・・・・・さすが、日本橋の御曹司ですね。祖先から歌舞伎など、ずっと見てきているだろうしと、思います。ただし、A君も、とても優しいのですよ。非婚で、独身であるB君の、老後を、引き受けてあげると、言っているのですから、一般の日本人と比較すると、繊細で、優しい情感を持っている、男性なのです。
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副題7、『しかし、A君の、・・・・・卒業以来、初めての同窓会出席・・・・・には、大いなる政治的意味があったのだった。それを当時から推察していたが、書き表す=言語化する≒のは、本日が初めてである』
あのね、同窓会は、ずっと、開かれておりませんでした。しかし、或る時に川名君が、音頭をとって、大きな同窓会が開かれました。これは、その詳細はまだ語れないのです。どうしてかと言うと、川名君を分析し、入江君のあれこれを語るのは、ずっと後にしたいからです。A君やB君の話よりも、複雑で、政治的意味も高いので、もっと、地平を固めて、しっかりさせてから語りたいのです。そこまで、取って置く話ですが、この種の行動をとる事ができるのも、・・・・・・川名君の裏に、伊藤玄二郎が、居て、二人がすでに、二十年以上前からツウツウであったので、可能なのではないか?・・・・・・と、感じているところです。それが、CIA関係者の大特権と言う話に繋がるので、川名昭宣と言う人物が、とても、重要になります。ただ、ここでは、読者の皆様におかれましては、『今は、ちんぷんかんだけど、ずっと、読んでいると、いつかは続きが出てくるのだね』と、思って、今の不備を見逃して置いていただきたいのです。
さて、川名君は、もう一つ桜井真理子さんが、東大教授になる前の、まだ、学芸大学の教授だった時代に、彼女の学術発表会を催しています。が、それも、川名君が、自身CIAエージェント化しているか、または、伊藤玄二郎と、その頃から、非常に親しかったことを暗示しています。ところで、川名昭宣君に関しては、かように、不十分な文章だてなのに、総タイトルにその名前を入れています。その理由は、彼が明瞭に、私への被害を与える側の人間だから、名前を入れているわけであって、この章の主人公は、本当は、A君です。引き続き、彼と古村浩三君が主人公です。
同窓会の開催問題へ戻ります。川名君は、その二回だけ開催して、その後、古村浩三君が開催する様になりました。何故、古村浩三君がそれほどに大きな力を持っているかですが、それもむろん、政治的裏があります。しかし、煩雑になりすぎるので、ここでは、そのあたりは省きます。
同窓会そのものの形式に入ります。川名君と、古村君の同窓会は、形が非常に違っていました。川名君は、学術関係のホール等に出入りしている経験が多いので、大きなホールで、たくさんの人を集める形での、同窓会を開き、食事の方は、おろそかですが、古村君の方は、日本ユニシスで、大学、及び大学院・新卒時の勤務め始めたサラリーマンなので、サラリーマンの忘年会風の、クラス会を催すのでした。彼は、中央線を利用するので、主に新宿の、宴会用・個室・座敷を持っている居酒屋が使われました。
A君(起業家にして、大社長にすでになっている)が初めて同窓会に出席した日も、新宿の居酒屋で、開催されたと、覚えております。が、いつもより、出席者が多かったと、覚えております。と言う事は、古村君が頑張って、いろいろな筋に電話を掛けたり、メールを送ったりして、勧誘を強く行ったのだと、考えております。
しかし、古村君がそれほどに頑張ったのは、幹事としての自分の優秀さを誇示したかったからではなくて、A君を誘い出すのが、主な目的だったと、思われます。そして、A君みたいな、普段全く顔を出さない人間が出席して居ても、それが、不自然に見えない様にするために、古村君は、日ごろは出席しない連中も誘って、大きな会にしたて上げていたのでした。それを当時から、私の方は、推察して居ました。
理由は二つあって、A君に関して上の、「空をごらんなさい」と、若い日に私の方が、言われたという、ブログを、すでに、私が、書いているから、彼に対しては、私が、好意を持っていて、胸襟を開き、彼の、言う事なら聞くだろうと、言う思惑があったという事。
もう一つは、2011年の暮れから、私は古村君の裏側の仕事===(私のパソコンへのハッキングと、私のパソコンのシステムを、いちいち、破壊していく作業)===に気が付き始め、それを、もしかすると、既にブログで、実名こそは上げて居なくても、友人が行っているという風に書いていた事。それに対する、一種の・・・お撫で・・・・行為だと、思っていました。つまり、上品な形で、「もう、それについては書くなよ」と言う命令だったと、思います。
私はね、3.11後、急にブログの読者が増えておりました。と言うのもその頃、それについて書いていた、ブロガーなどのうちで、科学的にも、政治的にも、最も正しい文章を書いていたと、自認をしております。3月16日の時点で、すでに、『メルトダウンであり、水素爆発ではない」と、発言をしております。したがって、読者数は急激に増え、訪問回数も・・・・・敵が油断をしていたのか、正しい数が、出てきていて、・・・・・2011年の12月には、717万回を数えて居ました。だから、今の正しい訪問回数は、三千万回を超えていると、感じています。しかし、違う数字が知らされていますので、仕方がないので、そちらを利用していますけれど。
今、私が文末に添えている数字は、実態数より、はるかに低い数だと、おもっております。
しかし、いよいよ、実力を発揮でき始めた、そのころこそ、四方八方から弾圧を受ける事が始まりました。岩手の女性からも、FBでは、直接の攻撃を受けるという始末であり、FBでやり取りをしたうえで、段ボール一杯の毛糸を送ったのに、電話で応対した時点では、親切だったのに、モノがついても、お礼一つ来ないという様に、変化していくのです。岩手の方は、タウン誌を発行している女性なので、その縁で、伊藤玄二郎が、いじめの手配を行ったと、思っています。
また、疲労困憊をしておりました。安藤てる子さんと言う女性刑事が変装した友人が、急に、近づいてきて、振り回され切ったのもこのころでした。ただ、今よりもに、体力があったので、なんとかブログを書くという点では、無事に乗り越えられたのだと、思いますが、クラス会に、出席をするにしても、ブログとか、フェイスブックの投稿の方が優先事項であり、遅刻をしてしまうのが常であり、このA君が珍しくも出席した日も、私が遅刻して、到着した途端に、一次会は終わりました。
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副題8、『この会の前に、暗示的に、古村君が行っているパソコン内侵入について、すでに書いていたと、記憶している。だから、一次会にせよ、気分の良い応対を受けるはずがないと、考えていたので、遅刻をして、ゼロの、収穫でも仕方がないと、事前には、考えていた。
*メモの1 二次会への出席が、請われた。そこで、私の右側に、榊原節子さん、左側に古村浩三君、対面にA君、その向かって左側にB君が座った。後、二人ぐらいいたが、覚えて居ない。しかし、この出席者だけで、私には、古村君が、この会を開き、そこに私を導入した目的が解りました。榊原節子さんは、素の人物としては、とてもいい人です。本当にいい人です。私は心臓病の事で、お世話になったことがあります。だから、個人的に電話を数回交わしています。しかし、個人的にお茶する様な関係ではなくて、たった、7人ぐらいが残る、二次会で、たった、二人だけの女性のひとりとして彼女が、残り、私の、右隣に座る程には、親しくは無いのでした。
『これは、非常に上品な形ではあるが、本質的に言うとやはり、脅かしですね。または、いやがらせと言うか、何かですね』と、感じた次第です。しかし、リアルな世界での、喧嘩をしない、タイプの私は、古村君が、『こう、もって行きたい』と思っている通りに動いて、一応、和気あいあいとして、過ごし、横浜駅まで、A君ともB君とも一緒に帰ってきたのでした。
ここから先は、9日に書きますと、お約束を午前中にして外出しました。さて、夜帰宅して、よく考えて見ると、後、制限字数としては,2500字しか残っておりません。その字数で、この本と、その2009年1月17日に起きたことを正確に語るのは無理です。超簡単に言うと、この、黄色い表紙の本を使って、私がとことんいじめられたという事なのですが、しかし、そんな単純な話だけでは終わらない、恐ろしいステリーが裏に隠れているのです。したがって、この本については、将来秋山裕徳太子氏の著書【ブリキ男(晶文社刊)】と絡めて、詳細に語るつもりです。
こういう風に後日へ、ペンディングとして残す話題は、この章では、二つ目ですね。川名昭宣君と、入江多喜雄君に関しては、まだ書けないと言っています。榊原節子さんの背景は、すでに書きました。上流階級の人です。しかし、こちらの本については、まだ、しっかりとは書けないのです。
私の小学校時代のお友達の死と関係があるので、とてもではないが、まだ、しっかりとは書けないのです。
パソコンへのハッキング及び、他人のパソコンを操作できるシステムを利用した、非常に悪意ある、仕組みが、お友達のパソコンにも行われた可能性があるのです。もちろんのこと、榊原節子さんが、それをやっているのではないのですよ。しかし、PHP刊行となると、そこへ行きつくのです。山口みつ子さんの死を、書き表すのに、7年間かかっています。私は、最近は、相当強くなっているし、このブログ内で、相当に深い真実を書いています。しかし、
このPHPと、晶文社を利用した恐ろしい仕組みについては、まだ、まだ、絶対に書けないのです。小学校時代のお友達は、山口みつ子さんよりもさらに身近ですからね。書けないです。まだ、まだ、書けないです。
すべてはわかって居るのですよ。ただし、脳内から外へ出して、言語化することは全くできない段階です。こういう事がいっぱいあります。だから、五年ぐらい前には、いつも、「本日は、45%の開示です」などと、言っていたわけです。まあ、お待ちいただきたく、存じます。・・・・・大原光孝、及び柄沢斉、及びシロタ画廊の件など、こちらに比べると、ずっと、軽いお話です。だから書いているわけです。・・・・難しい現象を、書けるかどうかについては私の意志だけではなくて、他者の動きというダイナミズムも、影響してきます。
山口みつ子さんの死が、やっとこさっとこ、書けたのは、ギャルリーユマニテが、引っ越しさえ教えてくれなかったというほどに、バカにして来たから、推進力が出ました。その手のダイナミズムも、影響しますが、ともかく、今は、小学校時代の友人の死については、それが、一種の暗黙裡の、他殺であるとは、わかっては、居るが、まだ、書けません。それは、パソコンいじりを、行った人々にとっては、わかって居る事でしょうね。PHPと、晶文社が、大きなヒントですから。
この章は、一般の方は、面白くも何ともないと、お思いでしょうが、国際基督教を舞台とした言論弾圧の実態に触れる章なので、私としては、丁寧に書きたい部分なのです。
しかも、ここで、用いられている手法は、CIA特有の、手法ですから、美術界でも、同じ現象がみられるし、かまくら雪ノ下の、ご近所様でも同じ現象が、みられるので、ここをきちんと分析しておく必要は大きいのです。絶対に取り組んでおかないといけない部分です。
さらに、重要なことは、この様な慰撫行為が、行われても、結局のところ、得をするのは、古村君であって、私の方には、イチモンの得もないという事です。むしろ、損失に対する賠償にもなって居ません。その時点(2012年の初夏だったかな?)で、書き止めれば、彼等の工作に、私はまたも、踊らされた・・・・・に過ぎない事となるのでした。相変わらずの、虫けら扱いなのです。
これ以降は、メモですが、政治的には、非常に重要なものなので、お読みいただいておくと助かります。
私は、私のパソコンに侵入して、一種の破壊行為とか、梅森伸一と言う、北海道在住の画家に、なりすまして、毎晩、私を苦しめている存在が、古村浩三君である事、や、すでに東大教授になって居た桜井真理子さんから、一月六日と言う、時点で、電話で怒鳴り込まれたことがあって(後注3)、その事案の裏にも古村浩三君が居ることを確信をしたのだった。
A君が久しぶりに出席をしたのは、====「ほら、覚えている。A君って、あなたにやさしかったでしょう。その彼が、こんなに立派になって、上大岡に住んで居るのですよ。あなたが、古村浩三君について、書くと、A君はあなたを捨てるでしょう。そして、彼と仲良しのB君も捨てるでしょう。たった、23人が在籍していた、セクションFで、未だに、大きな動きをしている、この二人+古村浩三君を敵に回したら、セクションFだけではなくて、ICU1966年度卒業生、もしくは、1967年度卒業生すべてを敵に回すのですよ。そして、彼等はあなたを捨て去るのですよ。あなたは、それが判らないほどのバカですか?」====と、言われている事と同じなのだった。
私は無論のこと、その意味が分かった。しかし、シャルリーエブド事件が起きて、西隣の白井小野寺邸と、と前田祝一清子宅から、激しい形で、天井灯を使った、いじめ行為が起きて居た。それと似たケースでの弾圧行為は、全部で、20方向ぐらいから来ていた。もし古村浩三君の、私のパソコンへの、攻撃(それが、どうして可能なのかは、kamakura cottageに、置いてあるルーターを経由して可能になるとは、何度もかたってきている)を、一つだけ、角野を辞めにしても、それで、他の方向が、収まって、縮小する可能性は、無かった。むしろ、あ、勝ったぞ、勝ったtぞ、と思われて、さらに、攻撃が深くなることを、信じた。
それで、古村君がフェイスブックを利用して行ってきている破壊行為・他を、描き続けたら、片山祐輔君のなりすまし疑惑が起きて、来た。これも、無論謀略の一つである。片山祐輔君の父はIBMに勤務していたそうで、どこかで、古村君の、威令が利く間柄だったと、思われる。
*2、メモの二、・・・・・A君とB君は横浜の、上大岡に住んで居る。この地名は、京急切っての高級住宅街である。そこで、24時間も運転をし続けたという88歳老人が、暴走事故を起こして、小学一年生の男の子が亡くなった。しかも、老人は、書類送検で終わったそうだ。碑文谷で、いけに、80歳の老女が投げ込まれて死亡をした。それは、近所だが、東横線ではない路線を使う、20代の、男性が逮捕されたが、こちらも謀略行為だと、思っている。
明日、9日に嫌な事ですが、メモを膨らませます。
ただね、今までよりも、私は精神的に、余裕があるので、深い形で、物事を書き始めているのです。上大岡に住んで居て、起業家にして、ものを実際に作り売って、利益を上げて居る会社の社長をしているA君は、一度も、同窓会に出席したことがないのに、なぜ、私と、たった、7人ぐらいのお茶飲みを一緒にやったのか? こういうことは大事件とは、関係がないので、今までは、語る余裕がなかった事です。でも、今、心に余裕があるので、語り始めた事なのですよ。
昨日から、おおももたまきちゃん事件が再燃して居ます。それは、私が、日大アメフト問題の続きを書いていないので、逃げている弱気になっていると、見て、再開された悪の仕組みです。でも、私は昔ほど、焦らないのです。彼らは、すさまじい人数の人員を使って悪事を行うのですから、勝負に出たって勝ち目はありません。・・・・『負けたぜ、あいつ』、と思うのなら、そう思わせておきましょう・・・・と、覚悟を決めているのです。いつか、さらにひどい事が、私の身の上に、起きたら、または、子供や孫の身の上に起きたら、この社長(A君)と外交官(B君)の、実名もさらします。
彼ら二人は悪人ではありません。しかし、彼等を巻き込んで、利用する、鎌倉エージェントの手法には激しい怒りを感じて居て彼等を、叱り、たしなめるために、その実名を曝す可能性はあるのです。大原光孝に対して、あなたの実名は、シロタ画廊と関係があるからさらしませんよ。合い鍵をもらっていて、額を斜めにする嫌がらせを繰り返しているみたいですが・・・・・と書いているのに、さらにひどい事をやってきているので、到頭、柄沢斉と、シロタ画廊にも実名で、言及することとなりました。
ここでは、彼等と、私のどちらが、頭が良いかの戦いとなっています。私は、何度も、「すべてはわかって居ますよ」と、言ってきているのに、さらにバカげたこと、・・・・・最近では、新潟小2殺害事件とか、日大アメフト問題・・・・・を起こしてくるからです。
なお、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は、4696965です。完成したら、書いた日付と、署名を入れます。
2018年6月5日の深夜から、9日に書けてこれを書く。雨宮舜(本名 川崎 千恵子)
後注1
青春は遠く過ぎ去りー4、・・・・・従軍慰安婦問題、林真理子インNY、大原光孝、働き方改革、妙本寺 2018-06-04 21:09:28 | 政治
後注2
榊原節子さんは、何故、中学時代のお子様方を四国へ?+ 川名昭宣、渡辺幸子、栗田玲子、山本容子、三輪喜久代、おきょうさん、テリー。 2017-09-30 10:34:46 | 政治
後注3、
桜井万里子(当時は東大教授)さんから、書くのを禁じられたことを思い出す。▲ 2012-07-28 02:30:44 | Weblog
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