前報から、スピンオフをして来た話です。前報に比べると、書いて居る内容の範囲が小さいというか、狭いです。でも、あの、ニューヨークで、出会った青年は、非常に気にかかるし、また、どうして彼を注目し始めたかを語るうちに、私自身を説明することが可能だと、思うので、ここで、再び、語ることをお許しください。
当時(正しくは、2000年の秋だった)の私は、ケネディ空港からマンハッタンに向かう地下鉄の、マンハッタン島へ向かって後3つぐらいの駅に住んでおりました。となりが、ルーズヴェルトアヴェニューという結構、大きな駅で、そこでは、四路線ぐらい走っているので、いわゆる日本の私鉄でいうと、急行が停まるという感じで、その一つ西側にある私が利用する駅の方は、普通だけが停まるという駅です。だから、四本も地下鉄が通っているのにもかかわらず、15分に一本ぐらい電車が通るという駅です。東隣の駅は、三分に一本電車が停まる駅です。
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副題1、『こんなに穏やかな事を書いているのに、ひしひしと、政治的弾圧を感じてしまう。怒りが大きい』
私はやはり、自分が乗った駅と、彼と一緒に降りた駅の、固有名詞を書きたいと、思いました。するとニューヨークを良く知っている人は、乗った駅も、降りた駅も、その環境が判るからです。
ところが、地下鉄路線図がありません。それは、駅で、ただでもらえるものなので、私は、六枚ぐらい持っていた筈です。しかし、パリの地図が盗まれています。これは、困っています。八重洲ブックセンターで、結構高いお値段で買った、日本語で、駅名地名が書いてあり、かつ、パリ市内が、一枚の地図に入って居るものなので、非常に分かりやすいのです。
で、ここから、ざざざっと、鎌倉雪ノ下を含む政治的現況に入って行って、それをある程度まで書いてから外出をしたのです。しかし、そこから先、3つほど、狙いすましたような妨害に出会ったので、警察や、CIA方面に、さらに、つっ込んで行かないと、いけなくなりました。それも、現時点での、今日の攻撃という物をです。それをすると、それだけで、大量の字数と、時間を必要としてしまい、本日書きたかったことが書けないのです。で、本日、本当に書きたかったことへ戻りたいと思います。シャルリーエブド事件とか、山本美香さん事件については、後ほど、別の章で語ります。
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副題2、『ニューヨークで、後日、従軍慰安婦が、問題となって居たが?????』
私が乗り込んだ駅は、ほこりっぽい町に在った。それは、最下層と言うわけではないが、ニューヨークに、1980年以降に、入って来た、人間たちが住んでいる一帯であって、建国以前に、移民として来訪した、イギリス系とか、フランス系の、新教(プロテスタントで、白人)のひとたちというわけではない。また、
ここでも政治的思い出に入るが、
東京でも、ニューヨークでも地下鉄は、どうろの下に建設されることが多い。この町には、メイン道路として、ルーズヴェルトアヴェニューと言うのが通って居た。それは、ケネディ空港から、メッツ球場の傍を通り、フォレストヒルズと言う、五嶋節・みどり母子が、最初に寄寓を求めた一家が、住んで居る、中流の人々の町も、通る幹線道路である。
もしかしたら、テニスの四大大会、アメリカ篇は、その近辺で、ひらかれるのではないだろうか? 町を散歩して長い塀があったので、その内側が、スポーツセンターである様に感じて、その後、そういう風に感じた。
ところが、ある年、このルーズヴェルトアヴェニューが、従軍慰安婦通りと、命名されるというニュースが、NHKに登場した。2008年から2012年の間で報道をされた。こういうニュースからも、自分(雨宮舜=本名 川崎千恵子)が常に狙われている、人物であると、理解する原因となっている。しかし、それを逆手にとって、”ものすごい大物だぞ”と、自分を自認しているのだ。
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副題3、『林真理子さんが、1999年の秋にニューヨークへ来たことがあったのだが?!?!?』
しかも、ちょうど、私が滞在している最中に、林真理子さんがニューヨークにやって来て、一週間か、二週間滞在して、ニューヨークについてあれこれ、書いていた。また、紀伊國屋書店、ニューヨークの、カフェみたいなところで講演をしたと、週刊朝日(紀伊國屋書店、ニューヨークとか旭屋書店ニューヨークで日本語で、印刷されている雑誌類を、立ち読みをすると)に、書いてあった。
しかし、私はこういいたい。彼女は有名人だから、ビジネスクラス以上の飛行機に乗って来るだろう。そうすると、機内で、隣の人と話すチャンスがない。それから、ニューヨークでもコーオーディネーターとか通訳と常に一緒だろう。さらに、日本から秘書もつれて来ていたかもしれない。
そうすると、私の様に、機内で、となりの医療用器材や、機械を東芝と共同で開発しているビジネスマンから、9.11の時の遺体の捜索隊長が自宅の隣の人だったというような、重要な話を聞き、学びを得るとか、渡航をしてから、アメリカの美大の大学院で、いろいろな学生と素で、話し合うとか、一緒に研究しあう・・・・・という経験はない。・・・・・その様な機会は無い。また私の方は、次の年には、専門家が所属するニューヨークいち、古い版画工房で、大人の作家たち(美術系と言う事、日本では、版画家と言った方が通りが良いかな? ただ、画家も来ていましたよ)と、種々様々な接触の経験がある。
そして、私は、アメリカに入ってしまって、二か月後ぐらいには、若い日にマスターしている英語を思い出して来て、一応自由自在に意思疎通ができる様になる。今、NHK・ETVで、夜遅くに、ぶっちゃけたスラング的、会話、を教えている。ああいうのは、身について居なくて、その手の会話をするのは、無理だけど、言いたいことを言い、相手の言っていることを正しく理解することができる。で、バス停、地下鉄の駅等の、ありとあらゆる機会を利用して、これはと思う相手を選んで、会話を始める。
私は、それらをメルマガで送って居た。今、パソコンが18台は壊されたので、それらを失ってしまったが、2000年のニューヨーク経験だけは、一冊の本にまとめている。【黄色いさくらんぼ】と言う。それは、780冊ぐらいを相手に手渡し、で、配って歩いただけなのだが、アマゾンで、一時期、10800円の値がついて居た。もしかしたら、林真理子さんが、鵜の眼、鷹の眼で、探していたのではないかな?
それを原資料として、ニューヨークを舞台の小説を書く為に。今、【せごどん】が、放映をされているので、林真理子さんが、抜群のレベルで、ちやほやされている。其れも加味して、彼女は大金と名誉の両方を手にしているだろう。一方で、私の方は、このブログで、お知らせされて来る数の10倍は、読者数が居るはずだと考えているが、アフリエイトの収入は無い。と言うのも、2012年に、すでに、717万回の訪問回数を誇っていたのだから。しかし、それをここで描いたとたんに、36万回に減らされて、本日も50万回であるそうな。しかし、一応知らせがあるので(たぶん、一桁少なく知らされているが)それを積み重ねて、文末に数字として入れている。特に2010年以来の数字だと、知らせてくる側は言うので、それを断りとして入れた上で、文末に記してる。今の段階で、@@@@
しかし、こういう風に書くと、鎌倉エージェントに所属する人たちは、「ざまあ、見やがれ。おまえが書いていることが悪い事だからだよ」と言うだろう。
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副題4、『館野弘雄君の脳梗塞だが、彼が善人であったという証拠だと、思っている。死ななくてよかった。しかし、生きて居ても施設に入って居て、お嬢さんとか、奥さんが見舞いに行かないのだと、なんだか、死んでいるのと同じ様な気がする。
私は、今、例の悪人連中からの弾圧によって、大変な苦労はしているが、反対に、世の中の神羅万象は、すべて、平衡状態に達するものだから、悪魔たちにも攻撃をされるが、神様にも見守られていて、一種の宗教人となっているので、・・・・見まいに行ってあげたいものだなあ・・・・と、思っている。私は別に教祖様ではない。鎌倉のおばあちゃんで、神様と、呼ばれる人が居て、美輪明宏さんが、皮革製のパンツをはいて、来訪して居た。美輪さんご本人から、それを聞いたことがある。一車両に二人しか乗って居ないグリーン車の中で、それを聞いた。繰り返しになるが、私は、教祖様ではない。真光教の教祖様ではない。だから、館野君が寝ているベッドわきに立って、手をかざしたら、急に彼が、立ち上がり、口が利ける様になりましたと、言うわけではない。
しかし、お医者様から、「非常に悪いです。覚悟をしてください」と言われた主人は、一見すると、今は普通である。そして、一週間に、五、六回外出している。みなとみらいへパレードさえ見に行った。一人で。
私には、ここでは、比較対象例といて、主人を上げて見たい。主人は、心筋梗塞と、脳梗塞の二つを、3016年の四月に発症をしてしまったのだけれど、それも大変な重傷だったのだけど、今は、一見すると、普通人として、自宅で、暮らしている。その主人の治癒家庭が、すべて、私の貢献だと、言ったら、語弊があるだろう。しかし、どうも、すでにに気が付いてしまったのだけれど、その様に、人を癒したり、輝かせたりする力が、私には、ある。2001年か2002年ごろ、本格的な創作活動に入る修行をしていて、逗子で、一人暮らしをしていた時期に、娘がこういった。「お母さん、早く家(=鎌倉)に帰って。お母さんが家にいないと、お父さんがだめになっちゃう」と。
それに従って、帰ったわけではない。左の背中が、24時間激痛に見舞われる様になって、それを治癒してくれたのが、主人だったので、人生で、何度目かの、運命的な啓示を、感じて、『自分の側の望みを捨てて、この人の妻として生きるべきだ』と、覚悟をしたのだった。
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副題5、『私達夫婦は、口げんかを激しくする。室内が100%盗聴をされているために、それを、聞いている人間が、単純な頭脳の持ち主だと、・・・・・あそこは、非常に危ない夫婦だ・・・・・と、思うだろう。しかし、これは、私の意図的な戦略なのだ。病気になって、ある程度、弱気に主人が成っていることを利用して、真実、対等な関係にもって行きたい。で、病後回復中の彼には、その任務は重いかもしれなくて、お気のではあるのだけど、今、主人を再教育している処なのだ。(苦笑)
私の父は明治生まれ、士族として、上級の方だった。しかし明治以降は貧乏になっている。母は、大正生まれ、士族階級ではなかったが、お金持ちの家の子だった。それで、お見合い結婚をしたらしい。で、出発点は、功利的なものだったのだけれど、二人は、徹底的に対等だった。対等だから、介護をしないのかと言うとそうではない。父がパーキンソン氏病と脳梗塞を併発して、寝たきりになり、しかも話せなくなってからは、非常に深い愛情をもって母はお世話をしていた。
しかし、主人と私との間は、対等ではない。ここは、後で、蛇足にとして、書き足す予定がある。それが、困るのだ。これから、体力がなくなった私はお手伝いさん(時間給で、派遣されるタイプ。生協でも、京急とか、東急でもあっせんをしている。様々なタイプがあるらしい)などをお願いしたいのだけれど、主人が頑として、要らないと言う。また、今二つの家を保持しているのだけれど、逗子のアトリエを保持していた時期から、20年は過ぎているので、その頃、以上に、体力が衰えて来ている私には、ヘビー・デューティである。しかも逗子に行く場合より北久里浜に行くのは、片道だけで、一時間以上余計な時間がかかる。全く参ってしまう。
しかも借り手が、家賃を支払わなくなったのは、例の鎌倉エージェントの、謀略的弾圧の一つだと、思うから、「もう一度、貸しましょう」と言っているのだけれど、全くいう事を聞いてくれない。彼にとっては、・・・・・お金は、さして必要がないし、そちらの二階で、リハビリ、兼、日光浴を兼ねて、軽くベッドで昼寝をする・・・・・のが、無上の喜びみたいで、その喜びを手放したくないみたいだ。鎌倉も最近では、静かだが、そちらも、鎌倉よりも、静かで、しかも、日当たりがいい家なので、野菜や、植木は、ぼんぼん、育っている。しかし、私は、鎌倉の家だけで、精一杯になってきたのだった。三年前は「別荘ができた」なんて思って、喜んでいたが、急に、体力も衰えてきたので、そこに、手間が、掛かるのが、玉に瑕で重荷になって来た。
この間、彼の入院中に、長兄が、「あれも、思い込みが激しいので、千恵子さんは大変でしょう」と言われたので、大いに心が、慰んだ。また、続けて、「だけど、千恵子が心配だとも、言っていましたよ。あれが心配だから、死ねない」とも・・・・・と。其れにも大いに心が慰んだ。これは、心臓に大きな血栓ができて、それをカテーテル手術で、散らした後で、そのかけらのうちの一つが、脳にまで運ばれてしまい、そこの血管を詰まらせて、心筋梗塞に引き続いて、脳梗塞を起こしたのだけれど、その間の一週間以内に、主人が長兄に語ってくれたことなのだ。
しかし、抽象的な部分ではそうであっても、日常生活では、パワハラの連続だった。だから、58歳から、60まで、逗子で、一人暮らしをして、海外修業に行ったのはよかった。一人暮らしをしなければ、絶対に海外になど、行かれなかったと、思う。ただ、周辺からは私の方だけが、わがまま一杯に行動をした様に見えたであろう。でも、それを気にしなかった。そして、今では、『あれがあるので、よかった』と、思っている。あれが、あったので、今、落ち着いて居られる。
妻は不満を抱いたままで、老後を迎えてはいけないのだ。それは、激しい形での認知症につながる可能性があるからだ。
昔電車の中で、隣の人が、人品骨柄いやしからずの、典型なのだけれど、どうしてか、幽霊みたいに力が無いのに気が付いた。そそけだって居て、存在感がない。それで、不思議に思って、思わず話しかけた処、奥様が認知症で家事一切が、自分にかかってきているのだけれど、それだけではなくて、奥様が「自分の、腕を、噛んだりするので、つらい」とおっしゃる。「先憂後楽の反対です」と、仰った。
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副題6、『私は、上の話を聞いて、ああ、お見合い結婚をしなくてよかったと、思った。私のお見合い相手は、超のつくエリート様で、無論東大卒。あの頃は三十代だったが、その男性が、60過ぎになったら、大会社の重役になって、会社四季報に名前が載っているだろうと言う様な人たちだった。私は、結婚前も結婚後も、ほとんどの場合で、いい子ちゃんで過ごしたのだから、そういうエリート家庭の主婦も、できないことはなかったであろう。しかし、上のケースと、似た結果になりそうな予感が、自分側に、20代にして、すでに、あったのだ。上のケースでは、奥様は、閉経とか、体力の衰えを感じて、しかも、死が近いと感じた時に、今までの、人生に、実存的嘘があった事に、急に、気が付いたのだろう。それを夫に説明をして、再度、生きなおすなどと言う、会話を作り上げる、可能性が無かったのだ。あまりにも形だけ整えすぎてきたので、真実を語りあうために、喧嘩もいとわないという経験が過去になかったのであろう。
で、何故か、人生に疑問を抱いた時に、それが、本能として、一発逆転して、夫を恨んで噛むという形で暴発をしている模様だった。突然に、理性の人から野獣に移行をしてしまった。自分が抱える悩みとか矛盾を言語化する訓練が無かった女性なのだ。それまでの、ほぼ、40年間は、・・・・・女性は、考える必要などない。奉仕のだ・・・・・という価値観に、自分も夫も浸りきって来たと、思われた。
私が今般、大原光孝と言う人間に対して、コテンパーに分析しているのは、15年前に似た様な事があり、その時も怒って、・・・・・あの家庭には、嘘がいっぱいあって、実存的仮面夫婦だと、言っている。其れなのに、その経験からは、何も学んでいない・・・・・から、余計、激怒したのだった。
つまり、電車の中でであった、7000万円程度の退職金を、官庁や会社から、などももらった、大エリートさんの、30年前の、30代、とか、40代の姿を、大原一家に見ていたのだった。整えられすぎている家庭。「上流階級でありますわよ」と、言う、というただ、一点で、まわっている家庭。しかし、内実を言うと、誰かが、我慢をしている人間関係があって、大人同士の間柄が、対等ではない家庭だった。そして、対等ではないうえに、心の交流が無かった。心情的な結びつきが、お子さんを中心として、扇状に、発展は、しているのだが、うちわの、要近くに、横に渡してある糸があるが、ああいうものが無かったのだ。
別に盗聴をしているわけではない。また、特に激しく、注目をしているわけでもない。しかし、彼は、いわゆるおっちょこちょいであって、しかも、会社勤めが無くて、人間関係が薄くて、この山の主婦連中とお付き合いをするのが大好きだから、山を登ったり降りたりする際に、きゃあ、きゃあ、と、ご近所主婦と、話しながら、登ったり降りたりしているので、それが判ってしまったのだが、
お子様に対して異様なレベルでの執着があるのだ。「もう中学生になっているのだから、そこまでしたら、お子さん側にとっては、迷惑ですよ」と言うぐらいの形で、べたべたしている。それで、気が付いたのだけれど、・・・・・大原家にいる大人三人の、唯一の結びつきが、一人っ子の、お子様に目を向け、愛を注ぐことなのだ・・・・・と。
それは、一見すると悪い事ではない。しかし、そこまで、お子さんに集中しないと、一家がばらばらになってしまうほど、大人三人の間が、空疎なのだ。大人三人の間に、心情の交流が見られない。
かれは、この山の町内会を【うぐいす村】と呼び、・・・・・みんなが仲良くしている・・・・・と、思い込んでいる。しかし、NHKニュースが家庭内まで、飛び込んできている現代だ。また、山を下りれば、至近距離、およそ100mの処に小町通りがあり、年間、2000万人が訪れるというが、その手の、一般の日本人と出会う事となる。そうすると、現代日本社会の潮流とも、無縁では生きられない。で、現代日本社会の潮流とは何かというと、政府でさえ、働き方改革を推進して、1070万円以上の人を線引きして、エリートとして、社会的に認めようとしているのだ。安倍内閣がそれをやっている。永田町で、それを通している。で、結果としてどうなるかと言うと、二極・分離化の、進捗だ。それは、庶民のまなざしとか、ボディらんぐぇっじに反映をしてくる。
この間、【探検バクモン】が、GINZA6を訪問をした。それについても書くつもりがあったが、まだ、取り組んでいない。その番組内で、フランクミューラーと言う時計店が出て来た。その時計店が、新しい顧客を開拓するために、テーブルウエアを、開発して、それを若い人に買ってもらいたいそうだ。テーブルウエアなら、時計より安いので、とっつきやすいと、言う事らしい。しかし、いっきゃく分が、大倉陶苑とか、ノリタケよりも高そうだった。番組の方向性が、100%、年収一千万円以上の人向けに作ってあった。
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副題7、『1998年、1999年、2000年と秋の三か月間だけ、欧米で過ごしてみて、ひしひしと感じたのは、欧米の庶民(特に中流階級)の底流には、まだ、キリスト教が色濃く残っている事だった。で、・・・・・神が、自分のすべてを、・・・・・見ているという規範があり、・・・・・神の愛を求めるためには、やっていけない事とか、やっていい事の二つがあり、それに、従っていると、感じた。・・・・・西隣の、以前の、住民が、毎日、庭ごみを、我が家に掃き落とした・・・・・などと言う事も、キリスト者だったら、やってはいけない事となる。ところで、あそこの家では犬を飼っていたが、日当たりの悪い庭に、つなぎっぱなしで、一度も、散歩に連れて行っては、居なかった。
もし糞を、あの犬が庭の中にしていて、それをあの奥さんが、我が家に、毎日、履きこんでいたとなると、『これは、ひどいですね』と、言うほかはない。ありとあらゆる意味で、骨惜しみの人だった。だからなのか?、この前、駅前ロータリーの一角を占める不二家の前で久しぶりに出あったら、今では、小錦以上に太っていた。が、お嬢さんが、妙本寺のお嫁さんになったそうだ。不思議な話だけど、無論、裏に鎌倉エージェントの術策があるだろう。あの骨惜しみの遺伝が、数代後、妙本寺さんに、出現する?????
しかし、アメリカでは、貧しい層には、大いなる乱れはある。いたずら描きの横行とか、その他、教育も受けておらず、日がな一日、道路ッパタに座って時を過ごす階級(カラードが多い)も、居る。
@@@@@@ここまで、推敲が済んでいます。以下は、本日の夜か、明日行います。今は、5日の午後三時半ですが、用事をし始めますので。
一方で、日本における、宗教観とは何だろう。仏教があり、神道がある。この間殺人事件が起きた神社があった。ああいう神社ではなくて、ちゃんとしたお寺さんとか、神社が、何を教えてくれるのかを語ろう。現世利益というものは、もちろんある。しかし、最も大きいのは、死を迎える準備なのではないかしら? 死ぬときに、右往左往、みっともない形をとって死にたくない。慫慂として乱れず、死にたい。滝業にしろ、座禅にしろ、そういう事が目的だと、思います。それは、他者への同情などとは、違った世界であり、峻厳なせかいです。カンブリア宮殿に出てくる様な社長さんは、社員を家族同然に愛しているケースがありますが、一般の日本人は、真実の愛情など、他人に対して持っておりません。
その代わり、他人に負けてはいけないという、恥の感覚は有ります。で、経済的にも年収の高い側、お金のある側は、気にしないが、無い方は、ひしひしと感じて防衛をします。大原光孝さんも、ひしひしと、それを感じて居て、たくさんのケースで繕っています。実情よりも、飾り立てて、真実を隠しています。ただし、その具体例は書けません。それを描いたら、私の方が・・・・残酷な人・・・・となりますから。
だけど、ご近所とは、そういう事が判ってしまう間柄だから、気を付けないといけないと、いつも言っているところに落ち付きます。どうして、彼には、それが判らないのか、本当に不思議です。何度も行って居ますが、盗聴などしていないのです。ただ、お子さんに対する態度で、すべてがわかってしまいます。家族が繕って上流社会を演じているがお互いの間がスケスケであると言う事がです。
館野弘雄君の奥様が軽井沢に引っ越してしまい、東京の施設に入って居る館野君を、もし、見毎に来て居ないのだとしたら、館野君の40年間の結婚生活は、スケスケだったという事となります。??????
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副題8、『最初はブログで書かない筈だった、フジ子さんが、教えてくれた館野ヒロオ君の闘病生活も、夫婦って、何なのだというポイントで考え始めると、彼に若き日に、ソーピーと2人でプソイド恋愛遊戯を、見せ付けられているからこそ、
あれ、それって、エフゲーニオネーギンの世界ではないですかと、成る。館野君が、あんたは、妻としてはだめなんだからと、婉曲にでも、言ったのは、前歯に金冠をはめていたから、仕方がなかったとしても、私は、一般的には見えない形で、夫を守り、包んでいるのだから。警察を、中心として、モノを盗まれるほどの、被害に遭いながらも、
常に、いいことを行いたいという、宗教心が、夫を包み込んでいるからだと、思っている。
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副題9、「ぶっちゃけた話、私は、5月30日(水曜日)の深夜、以下の様にメモ書きして置いた。読者の皆様が、「あなたは、きついわね。心が冷たいわね」とおっしゃっても構わない。私は、いったんは、以下の様に、書いている。
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クラス会で、全く珍しい人である、林不二子さんが来ていた。ふっくらとした感じで、良いご家庭の奥様であると、感じる。彼女は館野家と親しいそうだ。今は、館野兄の息子さんが社長を、しているそうである。竹本油脂の事。
館野ヒロオ君は、五・六年前に脳梗塞を患い、施設に、入所中との事、不二子さんは、言う。奥様は、軽井沢に引っ込んだとの事。フーム? 私は、英二さんを施設に入れてはいない。日吉の、ミエ子母の父・介護への、頑張りを見ているし、「病の時こそ、相手を大切にする」という、神様の教えを、実践的に、ははから、見せられているから。相当に頑張るつもりだ。英二さんより私の方が先へ行くだろうと、思っているほど、彼を大切にしている。それは、この家を盗聴している連中にはとてもわかるまい。この山で、胡乱な、夫婦愛の中で、生きている連中にも、とてもわからない境地だと、思う。だけど、数軒だが、本当の夫婦愛に満ちて、一生を送り、その結果、相手が亡くなっているご家庭もある。
ひろおちゃんとソーピーに手ひどくからかわれた、1965年があるが、私の方が奥さんとしては、上等だ。もし、ひろおちゃんと、結婚をしていたらと言う仮定の事ではなくて、一般論として、いうが、私の方が、人間として、素晴らしく深いレベルで基本ができているのだ。こういう人間を見つけて結婚をしないといけないのに、・・・・・ヒロオちゃんの奥様は、お嬢様育ちであって、耐える力が弱いのだろうか? ソーピーなんか、結婚もしていないと聞く。子供もむろんいないのであろう。どんなに、偉い人とパーティをしていても、結局のところ、あだ花の人生だ。
私は、別に自分をえらい人とは思わないけれど、私と結婚した人は愛や、幸せや天国への道が用意されている。日吉の母が最期に、それを認めてくれた通りだ。ひろおちゃんが、施設で死を迎えるのではなくて、リハビリの結果、家庭にもどり、おく様とかお嬢さんと一緒に暮らせる様に、祈って置こう。本当は私が見舞いに行ったら、ぐっと大きな、幸運が、天から下りて来るのに、病院名を、知る由もない。ここらあたりは、両者にとって、悲劇だと、思う。たとえ、榊原節子さん(美智子さまの従姉妹)が、3万円の花束を持って見舞いに行ったとしても、私が行くケースと比較をすると、五分の一にもならない、レベルでの、支援だろう。
ソーピーは昔も今も、私よりも自分をえらいと思っているだろう。だが、私に言わせると、彼女は、「女子と小人は養い難し」の典型だ。ただ、善人が、悪人と共調して、行動をすると、死が訪れるの典型と、ひろおちゃんがなって行くと、それは、かわいそうだけど、誰が、ひろおちゃんを悪の道へと、協力せよと、説得したのかな? 誰が使者となって、巻き込んだのかな? ソーピー? それとも節子さん? それとも、康彦君? だれだ? それとも、じょりパスタの経営者? 高須クリニックの院長?
こうなると、竹本油脂が、特殊にして高価な、化粧品を作っているという事が、確かになるかな? 昔だったか、最近だったか、時期は覚えていないが、ひろおちゃんから、50cmぐらいの近さで、面と向かって、しかし、あまり意地悪では無い感じで、「あなたは思い込みが強いからね」と言われた。しかし、私が見る処、ソーピーとか、古村君の方が、はるかに思い込みが強い。凝り固まって居る。私に言わせると、「みんな、真実を知らないのだ。ただ、神様だけは、真実を、ご存じだ」となる。
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副題10、『ひろおちゃんを、巻き込んで、自分達が助かるための道具として、使役をしたのは誰なんだ?』
@@@@@@@すみませんが、ここから先は、後で、書きます。5日の深夜は、ここで、寝ます。
さて、私が、何故、弾圧を受けるかと言うと、それは、すでに書いているが、重要人物としては、1960年代ICUに留学をしていた、ベイカーさんと、私の少学校と、大学の両方で、先輩にあたる、石塚雅彦さんと、最近使われ始めた、大宅映子さんと、大前勇介さんなどの年上のひとと、年齢は如何か、知らないが、同期卒業生である、秋山豊寛、川名昭宣、古村浩三、などが、非常に大きなことをやってきているのだが、
二次的に、瞬間的に、悪・利用をされたのが、野々村康彦君tか、館野弘雄君なのだ。
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