*1、ここに、この一文への導入として、書いたことは、歌舞伎とは関係がないので、三日目には、削除をいたします。ところで、三日目に、青字で、書いた部分を加筆してあります。それで、完成とさせていただき、そのしるしとして、恒例の△を総タイトル右横につけておきます。
*2、コックーン歌舞伎・第16弾は【与話情浮名横櫛=お富さん】だとは、ずいぶん前から、公表されていました。ところが配役が公表されていないので、私は、梅枝が与三郎をやり、お富さんを七之助がやるのだろうと一度推察をしています。(後注1)
しかし、一か月ぐらい前に配役が公表をされて、私の想像が、間違っていたことを知りました。与三郎は、七之助で、お富さんが、梅枝だったのです。
二日目に、少し、挿入します。ここで、こういう風に間違えたのは、二人とも女方ですが、七之助が梅枝を認めて、コンビを組んでみたいと、思ったのが、明治座での、狐・葛の葉での共演だったと、思ったし、そこでは、品の良い美形の梅枝が立ち役として、存在して居たのです。一方で、七之助は、【ほととぎすこじょうのらくげつ】で、落城寸前の豊臣秀頼をやったことは、あって、そちらも美形の立ち役でした。鎧・兜・姿の若殿様で、一瞬 『誰かしら? 誰が演じているの?』と思うほど、意外性の有る、美しさでした。
でも、江戸市井の若者の役は、梅枝の方が専売特許なのです。 ・・つっころばし・・といわれる、なよやかで、力のない男、しかし美形で、女にもてる江戸時代の、町人の若者です。特に、【髪結新三】の手代・他で、得意な役です。
しかし、コックーン歌舞伎は、十八世勘三郎が、一生懸命に取り組んでいた事だから、その次男である七之助の方が、主役(与三郎)を、になって、全編、走り回るのは、当然だったのですね。その走り回る(=疾走する)ですが、七之助は、身体能力が高い事で有名なんですって。私もマハーバーラタで、それは、感じました。
今回の、二人のコンビは、美しくて、かつ面白かったです。二人はカンパニーが違うので、共演することがあまりないのですが、コンビとして、とてもいいのではないかなあと、思いました。その際は、七之助が立ち役に成るわけですが、現在仁左衛門が演じている様な、役を、彼は、将来は、できるのではないかなあ?
七之助は、女方としては勘九郎を中心として、多士済々とコンビを組むことが多いのですが、梅枝は、松緑、菊之助、坂東亀蔵、などと、組んでいます。七之助は、女方を演じる芝居では、強い女と言う感じが強くて、キャンキャンと突っ走る感じです。しかし、立ち役を演じると、上品な、美形となり、しなやかで、ニュアンスの濃い若者となります。今回は、衣装は、汚い物ばかり着るのですが、一種の貴種流る譚なので、もともとはいいところ(上流武家)のお坊ちゃまと言う設定ですが、それがにじみ出て居ましたし。
ここで、二日目にもう一度、挿入を入れます。これは、今回の様な脚本で、この与三郎・お富のお話(原作は、与話情浮世横櫛ですが)を見たことのない人にとってはネタバレになってしまうのですが、実は、七之助は、元、若殿様と言う設定だったのです。江戸末期に書かれた原作では、そうなのですが、そこまでが、上演されることは、通常の歌舞伎公演では、ほとんどないので、誰も知らない事だったでしょう。私も、・・与三郎は、大店の、長男だ・・そして、弟に店を継がせたい理由があって、放蕩を繰り返している若者だ・・とばかり思い込んでおりました。ですから、七之助は、あの豊臣秀頼・役の時のような、気品を発揮することができて、ぴったりの、配役だったのです。
この劇は喜劇ではないのですが、5,6ッ回劇場全体が、笑いさざめいた、時があり、それは、すべて、梅枝のしぐさから来ていました。プログラムによると、梅枝は、この戯曲内では、お富さんを、一種のファムファタール(運命の女、しかも、悪女)と、とらえて演じているそうです。悪女は男をほんろうし、しかも、たらし込むわけです。それをセリフと言うよりも、ちょっとしたしぐさで、梅枝が、表現する時に、お客さんは、思わず笑ってしまうのです。「女としては、それって、ありよ」と思い当たるので、笑ってしまうのです。
劇場には、七之助のファンが多くて、女のお客様が多いですから。・・・・・
梅枝は、身を捨てることができるのです。『あの若さで、どうして、それが、できるの?』と、思うくらい、自意識を捨てることができるので、結果として『うまいなあ』と言う事となります。で、一般大衆には、知名度が低くても、プロが尊敬する役者なのだと、思います。
【あらしのよるに】では、獅童に、一目置かれていると見えましたし、今般は、七之助に、頼りにされているみたいです。
同じ女形であるにもかかわらず、いろいろなところで、七之助の方が、「女形とはスゴイものだ」と、言って居ますが、それは、梅枝の表現力を高く評価していることを指しているでしょう。
私は歌舞伎座では、海老蔵と、玉三郎で、この有名な戯曲の二場面を、見ています。こちらの二人も、むろん、美しいのですよ。顔がまず、遺伝的に美しいです。七之助と梅枝の素顔写真と、かれらのそれとを、比べると、海老蔵、玉三郎コンビには劣ります。
しかし、好きあっている同志としての美は、こちらのカップルの方が上でしたね。無論戯曲や演出の問題もあるでしょう。今般の戯曲は、非常に新しい感じで、補てんをされているそうですし。
ともかく、七之助と、梅枝は、体がしなやかです。そして、細身です。だから、二人が、べつに腰を密着させるわけでもないし、キスしあうわけでもないのに、漂ってくるのですよ。好き合って居るムードと言うのが。『本当に、好き合っているのだろうね』と言う感じがあるのです。細身でしなやかな体型が、そっくりだし、年齢的にも一歳しか違わないので、カップル形成にぴったりなのです。しかも若さを感じさせるので、更に美しさが増すのです。
梅枝は、歌舞伎夜話(レクチュアー)で、ファンを相手に、こう言っています。「僕は、娘役には向いていないのです。米吉君とか、梅丸君なんて、見るからに娘役ですよね」って。
いや、やればできるのですよ。たとえば、【瞼の母】では、玉三郎の娘を演じて居ました。娘に諭されて、いったんは、母であるという名乗りを拒否した玉三郎が、息子・中車を、探しに行くのですが、中車は、すべてをわかった上で、梅枝が、良い結婚をする為に、二人から去って行くという、哀しい筋です。大切に育てられた娘で、まっすぐな気性です。
一方で、小栗判官ものでは、時蔵の娘として、同じく大切に育てられた挙句、わがまま一杯になってしまい、尾上右近と尾上菊之助が、結婚するのを嫉妬して、菊之助を、呪う役をやっています。で、菊之助は、呪われた結果、足腰が立たなくなってしまうのです。だから、いわゆる演技力が、必要となるわき役(=嫌われる方の役)も、すでに、やってきているのです。で、今回のファムファタール(運命の女、しかし、悪女)役は、満を持して取り組んでいると、思いますが、『きっと、彼なら、うまくできるよ』と、七之助が、まず、思ったのでしょうね。
梅枝も身体能力が高いのですが、それは、疾走する身体能力ではなくて、自らにため込む力だと、思います。そして、女性とはどういう物かを、研究しつくしていると、思いますよ。彼の細い腰の、たおやかな事、浮世絵の・なかの・おんな・そのものだし、・夢二の表現する女・だとも言えます。180cm前後の身長があって、ああいう女を演じられるのだから、凄い訓練を経ているのです。梅丸も米吉も背は低いです。だから、さして、工夫をしなくても、娘に成れるのですが・・・・・
私は、きれいなものが大好きだから、本日は、本当に堪能しました。衣装などは、一見すると汚いのですよ。与三郎は、どんどん、落ちていくのです。生活レベルの上では。でも、現代アート風にそれを、見ると、舞台装置とも相まって、統一が取れて居て、とてもきれいなのです。そして、木組みを生かしたシンプルな装置も、秀逸だと、思いました。その装置の組み合わせで、場面転換を図るので、待たされる時間が少なかったのも、見ている方では、集中力が途切れないで、済んだと、思います。
*3、音楽の事と、演出と戯曲の事。
この三つの項目も、今般の劇(または、パフォーマンス)の成功をもたらしていると思います。あえて言えば、芸達者な、片岡亀蔵の良さが、いかされる場所が無かったかな? 妾宅の場面では、いろいろ、省略をされていましたし。全体が長大なので、よく知られている場面は、却って削ってあります。
その代りの、・・・与三郎の、人生記録・・・と言う、首尾一貫性の確保があったわけで・・・・・
また、途中で、気が付いたのですが、いわゆるkiyomotoとか、浄瑠璃という物が一切使われて居なくて、音楽は両袖に、観客に見える形で、陣取っているジャズ陣が演奏しているそうです。私はジャズは苦手な方ですが、あまり、けたたましくないジャズで、それには、好感を持ちました。
演出と戯曲に関しては、私は、素人なので、論評する言葉を持ち合わせて居ないのですが、歌舞伎座での演目が、最近、細切れにすぎると、思っていた(2017年度は、特にそう思っていた)身からすると、今回の芝居は、一種の通し狂言の形をとって居て、知らない場面が、数多く、あったので、それも面白かったです。それと、何らかの思想性や哲学をもって、演出と、戯曲が組み上げられているので、それも、観客の知的な部分を刺激して、満足度を高めていたと、思います。
軽薄な様で居て、軽薄ではなくて、シルバー世代や、プラチナ世代にも満足を与えていた模様です。左隣のご夫婦は、私と同年齢か、それ以上だと、思いましたが、初めてコックーン歌舞伎を見るそうです。無論、満足しているお客さんの一人でした。二階だけで、十席程度の空白がありましたし、『おせっかいながら、皆様にも、お勧めしたい』という気持ちになりました。ただし、予約券、もしくは当日券が買えなかった場合ですが、立見席と言うのも、当日に売るそうです。80席ぐらいだとか。ただし、歌舞伎座のシステムとは、相当違う模様です。一幕見と呼ぶ歌舞伎座は、椅子が、80席はあるので、早く行けば、確実に座れます。こちら、BUNKAMURAは、純粋に立ち見だそうです。但し、3時間以上で二階は、3500円と、三階は2500円とは、お安いです。でも、脇で、立つという形なので、みにくい席だそうではありますが、
まあ、最後に、簡単にまとめると・・相当に・・上・等な・・出し物・・だった・・と言う感じでは、ありました。
私は演劇分野を、全部見ているわけでは、無いので、「2018年度で、一番だろう」などと、言うわけにはいかないのですが、予想よりもよかったです。
流れが緻密で破たんが無かったし、ともかく、全員の一体感がすごいです。だれもが、居場所を得て、生き生きと活躍して居ました。カーテンコールが、あるのも、お客側の、満足感を高めました。14日は、拍手に誘われて、全員が、二回出てきました。
【蛇足、・・・・女形と言うのは、骨から、体を、動かすのだそうです。だから、すさまじい我慢と、記憶のこもった、からだなのだそうです。ほぼ、肩を脱臼せんばかりにして、なで肩にするとか?そこまで、しているのだという事を、国立劇場か、どこかのレクチュアー(萬太郎の解説だったかな?)で知りました。大変に長期の訓練を重ねて出来上がった体形であり、しぐさなのですって。それについて、普段は、女方なのに、今回は、立ち役を任じている七之助が、梅枝に、たいして、一種の尊敬を込めて、簡単にですが、「女形は、すごいなあ。頼りになります」と、語っています。プログラムか、記者会見場での話です】
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2018年5月14~15日に掛けて、これを書く。さらに、16日に青字の部分を加筆する。
雨宮舜(本名、川崎 千恵子)
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