銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

悲劇の父の希望と遺産・・・・・ブラックマン事件ー3、

2009-11-15 22:38:47 | Weblog
 さて、織原被告が、どうして、そんな事件を起こしたかというと、とても特殊な生活を送っていたことと関係があります。彼は田園調布にある、敷地が、330平米の豪邸にお手伝いさんと二人だけで高校時代から住んでいて、大学を卒業した後でも、何も働かなくてよかったのです。

 つまり、プラスの方向で、自分の能力とか、エネルギーを使う場が無かったのです。それで、マイナスの方向、で、しこたま研究を重ねてしまったのでした。ゴッホなどとは、まったく正反対の生活を送っていたのでした。

 昔、高等遊民という言葉がありました。ナンバースクールから、どこかの帝大を出て、働かないでよくて、文学やら芸術に耽溺できた人たちです。織原被告も、そういう状況になれる可能性がある財力を持っていたのです。

 が、今回はじめて知りましたが、(当時は、その件は、報道をされなかった)父親が香港で殺害をされたそうです。まるで、香港ノワール(映画のこと)みたいな環境にあったのでした。それが彼を相当異質な世界へ、いざなってしまったと考えられます。男の子はモデルとしての父親が必要であるみたいです。または代理父。

 しかし、お手伝いさんしか同居をしていなかったかれには、15の時から、母親も祖父母も、モデルとはなり得なかった環境に住んでいたのでした。

 こういう織原被告の特殊性は、他の人間にとっても役に立つのですから、今回、市橋容疑者の逮捕を、パンとサーカスの対象とするだけではなく、深い分析として、こちらの事件の続報というか、再考も望むのです。マスコミに対してね。

 だけど、それが無いとすれば、織原被告に対しても、また、親子関係の問題の一例として、まったくの直感に基づいて、考察を重ねて行きたいと考えます。興味本位で言うのではないです。親であり、子である限り、私たちは日々考察を重ねて生きていかなければ成らないからです。

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 どうして、たった、15歳のときから、東京の田園調布で、一人暮らしを送っていたかのポイントについて、例の私固有の、見てきたようなうそを言いで、分析をしてみたいと思います。

 つまり、ここにも生活のアンバランスの問題があるのです。織原被告は小さいころから頭はよくて、どこかの大学の付属中学校の出身のはずです。しかも東京の名門私立高校へ入学できました。

 こうなると親は期待をするでしょう。普通の家なら、医者になれというところですが、織原被告の父親は、この次男に財界名士になることを期待をしたのだと、私は想像します。ここで、はっきりと明かしてしまえば、彼は、塾高と内部で呼ばれている慶応高校に進み、自動的に慶応大学へ進学したのでした。

 慶応大学は、財界へ名士を多数送り出しているでしょう。父親は財力という意味ではまごうかたなき、一流の人間だった模様です。しかし、在日であり、かつ、パチンコ等の遊享(または遊興)・関係の、ビジネスをやっていたのです。だから、そこにアンバランスがあって、それをくつがし、一種の地位のマネーロンダリングをするために、次男の頭脳に期待をしたのだと考えます。

 そのための装置としての田園調布の豪邸の用意でした。
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 この、私でさえ最近のウエブ上の案内で知った『父親の香港での他殺』という事のの、起こった時期がわからないのですが、彼が慶応高校か大学に在学中に起きた模様です。それが無ければ、彼は絶対に就職をして、社会人となっていたでしょう。で、ブラックマンさん事件も起きなかったはずです。

 父の死の影に、南北朝鮮の問題が関与していたりしたら、織原被告もそのなぞやら、苦しみやら、悲しみを、外に出せない事情となったのかもしれませんね。複雑怪奇な背景が、この時点で、すでに存在したのでした。

 で、彼に残ったのは、莫大な遺産と、父親の支援が無い状態での就職ということで、彼は、そこで、挑戦すらしないで、あきらめたのだと私は想像します。慶応大学はブランドが高いです。だからこそ、ブランドの高い会社に入りたいが、その前に、在日というくびきと、片親だというくびきが横たわっていては、当時では、一流会社への就職を困難にしていたと感じます。

 父親が生存していたら、その父特有のコネやら政治力を使って、十分に一流企業へ就職ができたと思います。彼の父が他殺で、亡くなっているというのは悲劇でしたね。

 だから、すべての犯罪者に見られる、その事件の前までは一種の被害者であったは、織原じょうじにおいても当てはまります。

 普通の家庭で育った人が得られる就職口とか、普通の結婚とか、が、与えられず、求めることさえ放棄してあきらめた日々が、事前にあったであろうと考えると、彼もまた、時代と社会の被害者でもあります。
2009年11月13日に書き、14日に送る   雨宮舜(川崎 千恵子)
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