銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

それが、冤罪ですか? (ブラックマン事件再考の2)

2009-11-15 13:25:33 | Weblog
 どうして冤罪を訴えた本について知っているかというと、去年かおととしに冤罪について調べた時に発見をしたのです。まだ、菅谷さんのことが報道されていない時期でしたが、なんと、このルーシーブラックマンさん殺害事件が冤罪だという、項目が、グーグルの検索で現れたのです。

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 そういえば、新宿高島屋の隣の紀伊国屋で、そういうタイトルの本を見つけて驚いた時期もあることも思い出しました。タイム社刊で、日本語で書かれているそうですが、どうも、日本人ではない人の文章のようです。私は読んでいません。
 そして、その時期は、そのまま、それについて、忘れてしまいました。

 今回、年のせいで、二つの固有名詞、織原じょうじ無期懲役囚の名前もルーシー・ブラックマンさんの名前も忘れていたので、グーグルの検索に、英国女性殺害事件として入れると、リンゼイ・アン・ホーカーさん事件だけしか出てこないのです。

 驚きました。犯罪としては、今回と比べ物にならないくらい、精神的に悪質だと感じられる事件です。そして、裏側も、絢爛豪華というには、あまりにも痛ましい事情が、たくさん隠されている劇的な事件だったのです。

 お若い方のために簡単に説明をすると、女性たちを薬で動けないようにして、いろいろ織原が喜ぶようなことを、やっていき、何人かがその過程で、なくなっている可能性すらある模様です。

 ルーシーさんの場合は、行方不明後、親が騒いだので、この事件が発覚をしました。愛されること、誰かとつながっていることは大切です。

 そして、織原じょうじ被告も、精神の病というよりも、社会現象の一種の犠牲者とも思われ、だからこそ、この事件の詳細は分析し続けられないといけないと思うのに、どうしてか、誰も手を染めず、かつ、反対に、織原被告は、冤罪であるというような本が堂々と店頭に並んでいます。

 私は、二つの事件が似ているものの、市橋容疑者は、はるかに、良心というものがまだ残っていて、今絶食をしているそうですが、更生の余地があり、リンゼイ・アン・ホーカーさんへの真の哀悼の心まで達することができると思うのです。

 そのほうが人間としての救いの感情が満たされ、日本と英国の将来のためによいのです。でも、織原被告のことは一切、続報がなされず、しかも彼が冤罪であったというような本が出ては、私たちはそこから学ぶということができません。

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 ある極端な現象が起きたときに、それを典型として、現代社会の分析に入ってこそ、私たちは、賢さというものを手に入れることができるのです。別に偏差値的に優秀な大学を出たから、私たちが賢くなるわけでもないのです。

 日々学ぶことが必要です。そのひとつの学習用の例として、『こういう事件があったのだ』という記憶を私たちの社会から抹殺してはいけないのです。

 ある一人の人間を裁くのは、今の社会では、裁判所でありマスコミではありません。リンチに近いことをやっていくのはいけないと思います。特に市橋容疑者を雇っていた建設会社が、取引先から非難を受けて受注が減っているとのこと、・・・・・・こういう現象が起きては、日本社会が幼稚すぎるということと成ります。そうしないと、誰も真実を語らなくなります。

 この項目はもちろん続きます。お待ちくださいませ。

 なお、まことに勝手ですが、本日は、14時間の隔たりを置いて、更新しました。いつもは、24時間です。で、もし、決まった時間にお読みいただく方には、下に、ルーシーブラックマン事件の一があることをお知らせしたいと考えます。よろしく。
    2009年11月14日  雨宮舜(川崎 千恵子)
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