これは、17日に副題4までを書き、18日午前八時から、大幅に、加筆し、推敲をも始めています。副題4までに加筆した部分はアンダーラインを引いておきましょう。それ以降はアンダーラインなしで、書きます。
ところで、17日の深夜から18日の午後3時まで総タイトルを『安倍・橋下会談と日揮事件主犯・殺害は、安倍さんに引き続き首相をやらせたいAgentの策謀だ』としておりましたが、今、二番目のものへと変更しました。その理由は副題8~11で説明をいたします。
副題1、『今、安倍総理大臣を、称揚するのは、国際的な、許認可事項である』
今、私は安倍総理大臣を批判をしています。特に右翼的な首相だとみなされて当選なさったのに、全然違うと言う意味で、批判をしています。
でね。皆様は、それを、お信じには、ならないでしょうが、どうも、私の意見は、相当に重要視されているらしくて・・・・・したがって、安倍総理大臣を、称揚し、強化する動きが盛んです。私がそれを主導しているというわけではないのですよ。全然違いますが、私が安倍さんを批判をしているからこそ、安倍さんを<<<<<えらいのだ>>>>>と、言う必要があるのです。と言う意味で、その種の逆転現象が起きるからこそ、<<<<<私が、重要視されている>>>>>というのです。
その安倍さんを称揚し、強化する動きの一つが、橋下大阪市長との3時間に及ぶ、食事会です。
ここで、右翼の定義をしないといけません。私が見るところ、まともな意見を言う人が、今は、右翼として括られていて、迫害を受けて居ます。一方で、高橋源一郎みたいに、ぬえ的に行動する人間は、右翼ではないのです。一種の新左翼ですね。こういう人間が、今、社会的に、最も高く評価をされていて、好機に恵まれ、その実際の労働時間に比して、過大な名誉も得られるし、お金も得られます。彼らの様に、現代政治の根幹を知っていて、上手に立ち回る人間たちは、右翼ではないのです。田原総一郎、崔洋一、こういう人も、高橋源一郎と、同じで、右翼ではありません。
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副題2、『橋下大阪市長とは、愛国者であろう? ともかく、素直な人だし、根本的な問題に目を向ける人である』
副題2の二重ガッコないに書いた通り、橋下市長とは、現代では珍しくも素直な人です。小泉純一郎元総理大臣の系図を引くタイプでしょう。で、素直な人だから、結局のところ、右翼的と言われることとなります。二年前だったかな、週刊朝日で、ひどい記事が出ましたね。『なるほど。そういうことですか』となります。
で、私の敵たる鎌倉エージェントたちですが、この二人を、自分たちの支配下に置いています。大得意と言うところでしょう。で、二人を、いじめたり利用したり、いろいろなさっているみたいですが、ここでは、安倍さんを強化するために、橋下さんを利用しています。
二人は、もともと仲良しだったそうです。だから、これほど、大きく、派手な形ではなくても、内々で、いくらでも、連絡はあるはずで、ここでは、橋下市長の、右翼性が、安倍さんの、非・右翼性を、カモフラージュして、または隠蔽して、安倍さんが、又もや、右翼的政治家として、復活するのを手助けしています。
だけど、だからと言って、安倍さんが、真の愛国的政策を行う人と、なるわけでもないのです。安倍さんは、すでに、表面上右翼(または、愛国者)内心は、アメリカの代表と、なっておられます。いや、ひどい短絡的な書き方で、私らしくないのですが、72歳の身が、17日は10時間も外で歩き回ってきました。もう体力がないです。しかも朝は、午前二時半に起きています。前夜寝たのが、11時だから、3時間半で目覚めています。ただ、帰途、横須賀線の車中で、15~20分寝たので回復して、ブログを更新することにしたのですが、長い文章を書く、気持ちはありません。
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副題3、『安倍さんや、橋下さんに、こうした方がいいですよと、忠告(実際は、教唆)するのは誰だろう。飯島勲氏ぐらいだろうか?』
週刊誌って、編集して印刷をするので、ネットのニュースより遅れます。で、飯島勲氏が、先週「安倍さんの、アメリカでの演説が大評判だった」という記事を週刊文春に寄せていました。安倍さんと一緒に特別機に乗ってアメリカへ行ったのですね。名誉顧問だったか? 単なる顧問だったのか? ともかく、大切にされている存在です。小泉さんが引退した時に、『どうして坊ちゃんの秘書を引き受けてあげないのか?』と不思議に思いましたが、いつの間にか、非常に偉い人となっていたのでした。むろん、実力はある人ですが、小渕家とはまるで違っていて、お父さんの秘書は、独立した偉い人となっていたのです。
誰かが、飯島さんに、信任を与えたのです。それは、アーミテージ氏かな?
そうなると、非常に分かりやすいです。あまりにもわかりやすいので、私がCIAのトップだったら、もう少し目立たない人物を選ぶでしょう。そうすると、その人物は、メディアには登場しないので、私には、その個人名が解りません。
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副題4、『元毎日新聞の記者にして、アメリカ大使館とツウツウである人物がいて、その人かも、知れないなあ?』
これが、老人性、健忘症の残念なところなのですが、2011年ごろに、または、その前に、Livedoorが、紹介するブログとして、たいへん面白いと思うものがありました。その著者は、元毎日新聞記者にして、現在の年齢が、70歳程度の人です。苗字に、赤という漢字が含まれていたかもしれません。
大衆的な知名度は、姜尚中とか、田原総一郎と、比較すると、絶対に劣る人ですが、言っていることが面白いのです。どこがおもしろいかと言うと、ほとんど、私と同じことを言っているので、そこがユニークなのでした。ただ、私は、有名人ではないので、許容をされていなくて、間接的に弾圧を受けていて、その弾圧が、ひどく大きくて重くて、「五億円の被害があります」と、常に言うこととなっています。反対に、その毎日新聞の元記者は、悠々と生きていて、かつ、日本社会の、トップクラスの人物と、語り合える立場です。だから、彼は上からもたらされた情報や知識を使ってモノを語っています。
一方で、私の方は、具体的な人間(たとえば、ご近所様とか銀座で出会う画家とか)が、いじめとか嫌がらせを、やり続けてくるので、『それがどうして起きるのか」』を分析する事によって、自分が正しいことを書いているか、または、間違っているかを判断をするわけですが、それは、いわゆる下からの積み上げと言えるでしょう。
その元毎日新聞記者にして、うがったことを言い続ける人物は、情報を、『しかるべきところから、得ている』と常に言いますが、どことなくアメリカ大使館の筋からと、いう感じをうかがわせるのでした。
もし、アメリカ大使館で、その元毎日新聞の記者に対して、情報を漏らし、高度なやり方で、日本国民を支配しようとする人物が居ると仮定して、それが、誰かを、推理しないといけません。私はアメリカ大使館に住んでいて、情報を漏らす人物とは、成岡庸司君(横浜国立大学付属中学校で、私と同期生であり、次に、日比谷高校から早稲田の政経に進み、1965年から革〇の委員長をしていた)あたりではないかと考えており、彼が、実質的に日本を支配している人物の、トップではないかと感じており、メルマガだったかな? それを、一度書いたことがあります。
そのせいかなあ? その元毎日新聞記者たる人物は、ネットの世界には、登場しない様になりました。でも、2011年に、頻繁にブログを更新していて、それをLivedoorがブラウザのトップ頁で、良く紹介をしていた頃、彼は『自分には、大衆的な知名度は、無いが、それでも、自分は政治のプロ達に向けて、最高級の情報を開示している』という誇りを持っていたでしょう。
実はわたくしもそうなのですよ。同じ様に、トップ機密事項を開示しているつもりであり、そこには、大きな誇りを持っています。
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ここから先は、18日に書く部分です。
副題5、『私はこのブログを、神様へ捧げると、言っているが、本当は成岡君に読ませたいと思って書いている・・・・・ところで、ここで、まずベイカーさんについて語ろう』
皆様が知らない名前であろうが、成岡庸司こそ、伊藤玄二郎や、酒井忠康氏や、石塚雅彦氏、そして、いまだ、実際には生きている井上ひさしよりも上の位置にいる、トップエージェントでしょう。無論の事、現代日本社会に、あまねく知れ渡っているトップエージェントは、瀬島龍三(元伊藤忠の顧問)です。しかし、彼は、ある一部だけを担い、通称、瀬島機関と呼ばれる組織に、ショマショマを託していたとみなされています。
::::::(ショマショマとは、韓国語、もしくは中国語であって、私の両親が隠語としてよく使っていた言葉です。父が満鉄の中央試験所と言うところで、頁油岩(いわゆるオイルシェール)を研究していた頃、母は、中国語を、現地の人=教師=から習っていたので、二人は、よく中国語を使って、他人には、分からないように意見を交換していたものです。お手伝いさんの動きが緩慢で、あまり働かない人だと、「マンマンデーだね」とか。・・・・・ショマショマとは、雑多な諸事と言う意味です。マンマンデーとは、ゆっくりだねと言う意味です):::::::
その瀬島機関の中で、トップの位置にいたのが、成岡庸司君であって、瀬島龍三が死んだ今、成岡君がトップエージェントになっていると、私は見ています。
ところで、成岡庸司君を説明する前に、ベイカーさんを説明しないといけません。成岡君を、育て上げたのはベイカーさんだと、私が見ているからです。で、それを今から始めます。
私がICU在学中に、金髪碧眼のイケメン・アメリカ人、ベイカーさんが留学をしてきています。ある日、彼に呼び出されて、ベイカーさんも入れて、全部で、たった、4人だけで話し合っていた事があります。その時に、成岡君と同年齢で、同じ日比谷高校卒の、S君が滔々と、考えを述べ始め、「僕はすでに、学生には失望をしている。労働者を救いたい。彼らに真実を教えたい。で、三鷹駅前でビラを配るのなんかどうだろう」と言ったら、ベイカーさんが瞬時に、「僕ね。三鷹警察署長を知っているから、そのビラ配りの許可を取ってあげるよ」と言ったのです。私はびっくりしてしまいました。そこが、私の超が付くほど、頭の良いところなのですが、なんでも瞬間的に分かるのです。
昨日録画番組を点検している間に、偶然かつ、突然に現れた、DAIGO VS ホリエモンのババ抜き作戦(番組名は、文系コロシアム)が、非常に面白くて、見入ってしまいました。竹下首相の孫(?)で、慶応大学卒のメンタリストであるDAIGOの読みには、番組に出演していた、DAigo以外の、メンバー同様、私も驚愕をしたのですが、私も絵も描かないで、版画も作らないで、かつ、文章も書かなかったら、彼くらい能力の高い、メンタリストになれていたかもしれません。(笑い) それほど勘が鋭いのです。
:::::::で、ここで、挿入的に申し上げておくけれど、銀座でも、鎌倉雪ノ下でも、自然でないことは瞬間的に分かるのです。それをすぐ、相手に告げて、喧嘩をするわけではありませんよ。だけど、結局は文章に書くこととなります。それは、私に接触する可能性のある人間には、申しあげておきたいことです。ちゃちな策謀を取らない様にと。計画をしない様にと。
または、接触する可能性が無くても・・・・・と言うのも、伊藤玄二郎なんて、逃げ回っていますので、後姿以外には、接触したことがありませんが・・・・・NHK/ニュースを点検するだけで、すべてはわかっていると、申しあげましょう。:::::::
私は、外見は、白うさぎだとか、白い羊だと、言われ続けてきたほど、インパクトがありません。だけど、目が口ほどにものを言いの類であって、相手も、私と同じレベルで、頭がいい人間だと、私の頭の良さがわかるのです。それで、ベイカーさんは、自分が、CIAであることがばれてしまったと思ったらしくて、私を殺そうと致しました。
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副題6、『旧中島飛行機と、宮崎駿氏の実家の事について』
私は、メルマガを運営していた頃、一度、痴漢に襲われたと書いています。ほとんど、殺されそうだったとも書いています。ただ、その加害者は、純粋に、日本人学生だと思っていて、メルマガの文章ではそうなっています。が、それを最初に書いた時期から、10年を経た今では、後ろから首を絞めてきた人間は、ベイカーさんだったと、理解をしています。
それは、1965年のある夜に、起こりました。私の実家は、1950年代には、すでに、貧乏でもなくなってはいましたが、日吉の実家は、急な坂の上にあったので、自転車を使う時期が無今間に、大人になったので、自転車には乗れません。ICUに在学していると、特に寮や、下宿に住んでいると、自転車は必需品です。だが、私は自転車に乗れないので、歩くわけです。昔は、夜になるとバスの便が少なかったのです。それで、チャペル前のロータリー傍のバス停から、歩き始めて800mの長さの桜並木を歩くと富士重工の前のバス停に出るので、バス便が多くなります。で、それを目指して、歩いていました。それは、旧中島飛行機の滑走路だったそうです。アメリカが、戦争に勝ったということで、旧中島飛行機は接収をされたというわけです。実は今、中島飛行機と言う項目で、wikipedia を開いたところ、佳子様ご入学式の折り、背景として映っていた、赤い色の本館は、旧中島飛行機の研究所だったそうです。参ったなあ?
:::::::::ここで、安倍さんへの考察からは離れますが、一種のスピンオフとして、宮崎駿氏の育ちについての考察に入らせてください。私は日本のアニメ映画を、劇場で見たことは、宇宙戦艦ヤマト以外は、ないのでした。で、宮崎駿氏のものは、ナウシカなど、傑作だと思いますが、ほとんどがテレビ鑑賞です。と言うのも子供の年齢が関係していて、宮崎駿氏が、映画を公開し始めたころは、うちの子は、すでに、親と一緒に映画を見に行く年齢ではなかったのです。
:::::::::あ、ここで、また、スピンオフ中のスピンオフに入りますが、今のNHK朝ドラ【まれ】で、主人公太鳳ちゃんが、父親である、大泉洋と、横浜で、同じ部屋に寝ている設定になっていますが、ああいうことは、普通はあり得ないです。あのドラマは、大泉洋を、全国区にしていくための宣伝用ドラマとなっていて、その陰に、大泉洋を主役にした映画を制作した<<<<表向きは死んだことにしているが、実際には、現在も生きて地下潜行をしていて、悪いアイデアを次から次へとひねり出している>>>>、井上ひさしのあくどい戦略を感じています。自分の映画がヒットするために、大泉洋の出番が多くなる様に、NHKにプレッシャーをかけたのでしょう。彼は、NHKに特権が利きます。特に伊藤玄二郎を通せば、なんだって可能でしょう。:::::::
で、元の宮崎駿氏に戻れば、『風たちぬ』は、大人向けの映画だと聞いたので、劇場で見ました。その時に買ったパンフレットに出ていたのか? それとも、wikipedia で、読んだのかは忘れましたが、宮崎駿氏の父親は、中島飛行機の重役だったと聞いて、仰天をしました。氏がアニメの世界に入ったのも、実家がある程度以上にお金持ちでないと無理な事であり、そこで、納得をしましたし、また、学習院卒なのに、左翼的な傾向があるのにも納得をしました。
戦時中に中島飛行機の重役であったとすれば、ゼロ戦もほとんどが中島飛行機で、制作をされたそうですから、宮崎駿氏のゼロ戦に対する思いも並々ならぬものでありましょう。また、三鷹だけで、敷地五万坪以上、もしかすると、7万~10万坪あった、中島飛行機が解体された無念も、相当なものだったと推察されます。で、ありとあらゆる意味で、宮崎駿が理解できたと、思い至ったことでした。
ICUの本館って、W.M.ヴォーリーズの設計になるものだそうです。ただし、ヴォーリーズ側のネット検索では出てきません。東洋英和、神戸女学院、豊郷小学校など、名建築として紹介されているものは数々あるのに、ICU本館が出てこないのは、それが、旧中島飛行機の研究所だったからでしょう。昔はクリーム色でした。
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副題7、『佳子様ご入学で、ICUと、東亜同文書院との、類似点を感じ始めている私・・・・・一抹の不安がある』
私は以前から、ICUの将来に一抹の不安を感じてはいました。それは政治的な使命を持つ大学の運命が、長い目で見ると、良くないからです。
1945年以前には、世界中に植民地支配を受ける国はあったのです。日本も満州、朝鮮、台湾を、支配していたのでした。ところで、中国を支配するために、満州ではなくて上海に、大学を作ったのです。それが東亜同文書院です。このブログを読んでいらっしゃる方などの中に、その実態をご存じない方も多いとは思いますが、私なんかは、友人の父親がそこを卒業をしていますという様な形で、その実態を知っている人間です。日本に存在する46都道府県から、一県につき、一人ぐらいの割合で、選別されて、送り込まれて入学をしたので、卒業生は、超が付くほど、優秀だったと言われています。
戦前には、フランスも、イギリスも、スペインも、海外に、大きな植民地を持っていました。ところで、その相手国に、東亜同文書院の様な大学を作ったかと言うと、たぶん、作っていないと思います。宣教師が、先生をする、高校まである学校を作って、そこの教師たち自身が、大学まで、発展をさせたケースはあると思います。
日本は、欧米列国の被植民地国家ではなかったのにもかかわらず、似た様な形式の学校が、この国にはあると思います。上智大学をはじめ、そういう傾向がある大学はあります。
ただ、アメリカだけは、モンロー主義と言って、植民地経営には乗り出さず、したがって、東亜同文書院みたいな大学を北米大陸以外の地で、設立をしたことはなかったと思われます。ところがそのアメリカが1946年8月15日を境にして広大な植民地を手に入れました。日本では、よく終戦記念日とか言いますが、敗戦記念日と言う方が確かですね。日本は敗戦をして、朝鮮(実際は韓国)と、台湾(特に蒋介石時代)と、フィリピンは、実質的にアメリカの支配下に下ったのですが、特に強い支配を受けているのが日本です。だから、日本には米軍基地が多いし、その費用は日本人が支払っているのです。
沖縄の基地問題に関して、私が一切言及しないのも、そういう根幹が解っているから、そちらに関しては、どうしようもないと言っていいと思います。だから、言及をしません。私一個の力などたかが知れていますから、なおさらの事、意味のないことに向けては、エネルギーを割かないです。ところで、1945年8月16日以来、初めての植民地支配に取り組み始めたアメリカですが、東亜同文書院については研究をしていて、『いい制度だ』と思っていた可能性があります。で、たまたま、広大な土地を中島飛行機から取り上げてあったし、その研究所近辺の土地が、どことなく、アメリカのプリンストン大学などに似ていますので、『ここは、大学を設置しよう。優秀な人材を知米派にしていかないといけない。特に大量に人材を養成しないといけない』となって、ICUが設立されたとみて居ます。
ここで、突然ですが、日銀が株式会社だということを、皆様はご存じでしたが? 国民誰もが、これは、国家が発行をしていると思って疑わない紙幣と硬貨は、一私企業である日銀が、発行をしているのです。そうなると、最近徐々に出てきた明治維新は、フリーメーソンによって、徳川幕府の権力が、簒奪されたのだと聞くのも正しいかなと、思ってしまいます。ところで、戦後すぐの有名な日銀総裁として、一万田尚登と、言う方が居ました。
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副題8、『ここで、強烈な睡魔に襲われる。なぜだ? 一万田尚登が問題なのか? フリーメーソンが問題なのか? それとも、前日の強行軍が問題だったのかな?』
上のところまで書いたところで、午前11時になったと感じています。今朝は、4時間の睡眠時間ののちに、午前4時半で目が覚めております。だから、その時点で、起床後6時間強しかたっておりません。異常な眠気です。私はブログを書いているときに、こういう異常な眠気にたびたび襲われています。ただ、昔から、体力がなくて、色川武大氏ではないが、時と場所を選ばずに、眠くなって、ICUの同期会で、一泊旅行をした際など、まるで夢遊病者のようなありさまで、他の人についていったほどでした。寝床が変わると熟睡ができないタイプだし。それは、南方戦線で、飢餓とマラリアに苦しみながら夢遊病者の様に行軍した皇軍のありさまとか、八甲田山、死の行軍として有名で映画にもなった、雪中訓練を受けている人々と似ていると思います。
それは、ブログが緊張した場面に差し掛かった時に起きるので、関係があるかもしれないと書いたら、ある人が匿名で、阿修羅と言う原発反対者が、投稿するサイトに、似た様な事が出ていますよと、教えてくれました。昨日、私が気張ったことは確かです。朝8時半から外へ出ていて、しかも11時間も外へいました。NTTデータの株主総会のお土産の袋を持っていたら、電車(山手線や、東京メトロ)の中で、大勢の人が気楽にも話しかけてきたので、いつもとは内容の違った話をしないといけなかったし、・・・・・どこそこの会社のお土産は、よいとか、よくないとか、について、大勢の未知の人に話しかけられたのですよ。・・・・・で、元へ戻ります。
久しぶりに早い時刻に東京にいるので、秋葉原ワシントンホテルの、お昼のバイキングを試そうと、向かったら、「サービスが終わりました。食堂は朝と、夜しか開いていません」と言われ、『嘘ではないかなあ❓』と思ったりしたのも、疲労した原因でしょう。このホテルのお昼のバイキングは丁寧に作ってあって、しかもお安いので、主人を始め、大勢の人に勧めています。私は携帯を持っていますので、GPS機能を使って、どこにいるかは、警察さんは、察知しているので、先回りをして、『閉鎖中』と、言う看板を出させることはできるでしょうね。そのレストランは、三階にあるのですが、同じエレベーターに乗った女性も同じ目的で来ていましたので、17日だけ、急きょ閉鎖したのではないかなあ?
******今、秋葉原と書いたとたんに、秋葉原に関する膨大な記憶がよみがえり、そちらへ方向転換したくなってしまいました。警察、井上ひさし、クローズアップ現代、などなど、ものすごいレベルで、対・私への弾圧に使われている街なのです。が、そちらへ向かうと、この文章が終わらなくなるので、鬼のごとき意思で、そちらに向かわない様に、努力をいたします。*******
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副題9、『JR横須賀線の、東京駅には、四階から五階へ降りるエスカレーターが、一基もないけれど、これこそ、井上ひさし発の、私いじめ用のアイデアでしょうね。日本人や外人に大迷惑をかけていますが、彼はそれをして、平気な人間です』
井上ひさしが、公的にも自らを生きていたことにしたのは、2010年4月9日までです。しかし、その死に際して、膨大なニュースが出た中で、三女の麻矢女史が「父は死ぬまで歩いて病院へ通いました」ですって。彼の死が嘘であるということは、100個ぐらいの理由を挙げて語ることができますが、これもその一つです。井上ひさし邸は、鎌倉の佐助と言うところにあります。非常に簡単に言うと、有名な観光地の一つである佐助稲荷の、道路を隔てて反対側にあると言ってよいでしょう。だから、駅から、歩いて15分は優にかかりますし、液から最短の病院まで、歩いたら、病人なら10分はかかります。
だから、家から、行きだけで30分以上、帰りにも30分以上かかるのに、どうして、瀕死の病人が歩いて通えますか? 馬鹿も、休み休み、言いなさいです。で、彼は死んではいませんね。でも、死んだことにしたいのなら、車を使わないといけません。しかし、タクシーを通院には、使っていないはずで、それゆえに、歩いて通院をしたことにしたのでしょう。
ただ、一番近い病院が佐藤病院です。で、私が、2010年以降、彼は死んでいないとたびたび書いていますし、その際に佐藤病院と言う固有名詞も上げているので、佐藤病院は名前を変更をさせられています。今の名前を、ふれあい鎌倉ホスピタルと言います。都立大学が、首都大学と変更になったのも、前田祝一・清子夫妻が、そこの大学院を出ていると私が書いているからですが、前田夫妻がそれを望んだから、実行されるべくもなくて、井上ひさしが、裏から手をまわして、都知事を動かしたのだと思います。名前が変更になった当時、誰が都知事だったかと言うと石原慎太郎氏、でしょうか? 彼は、芥川賞の、選考委員であって、井上ひさしが、直木賞の選考委員であったので、同じ料亭に出入りしていた間柄だから、ツウツウである可能性は強いです。
今、念のために、井上ひさし邸を、グーグル地図で、検索をかけてみると、また、見えない形に変更になっていました。これも彼が生きている証拠です。井上ひさし邸は広大な敷地を保持していて、中に、井上ひさし邸が、ふた棟在ります。生活棟と、書庫やら、書斎やらの仕事場が、別棟としてあります。完成したころに、週刊誌のグラビアに、紹介の写真が出ていましたが、結構広大な建物です。そこから、少し離れた3分程度歩く場所におくさんの姉の海原まり邸があります。今、地図を検索すると、海原邸の、四角は表出していましたが、井上邸2棟は、行方不明になっています。
常に、私の文章を研究していて、私がそろそろ、彼に触れるはずだと、気が付いているので、また、グーグル本部にお願いして、秘匿をして貰ったのでしょう。
ところで、彼の性向がとことんわかっているので、<<<<<これは、日本人全体にとって、大迷惑行為ですが、彼のアイデアだと思いますよ>>>>>と言うことのうちに、一つだけ挙げておきます。それは、JR横須賀線の、東京駅のエスカレーターですが、全部で、B1からB4までが、12基以上あると思います。B4から、B5まで、同じく、12基あるでしょう。その内、B4までは、上り下り等、まっとうな、数で、運行をされています。ところが、久里浜方面の、B4から、B5にかけて、下りエスカレーターが一基もありません。これは、新橋駅も似ています。最も南の位置にある一基だけが、下りの運行をしていますが、それ以外、いくつもあるエスカレーターがすべて、B4から、B5にかけては、上りだけなのです。
これは、小町通りの工事を使った嫌がらせと趣向がそっくりなので、これも、井上ひさし発のアイデアだとわかるのです。つまり、不二家の前では、まるで、工事をやっていないがごとく、小町通は真っ暗なのですが、途中まで、やってくると、突然に、大ランプがついて、工事音が響き始め、それで、私へ対する脅かしに役立つと考えているのです。
ひっかけですね。私は、疲れているときにはタクシーを拾ったり、または、バスを使ったりします。それは、自分の肉体へ問いかけて、その結果、決めます。だが、私の敵たちは、そう考えておらず、私がそのひっかけに驚いたり、怖がったりして、嫌がっているから、若宮大路を通って帰るのだと考えていたみたいで・・・・・トカゲの脳味噌よのう。恥ずかしいよのう・・・・・この入口では、とおり全体が真っ暗に見えるが、途中400mぐらいまで進んだら、そこに立っているガードマンが携帯で連絡を入れるのでしょう。突然に、大ランプがついて、工事が始まるのでした。この道路工事と言うのは、2007年から、ごく最近まで、何百回と使われた脅かし策で、そのために、土木建設業組合には、緊急出動用車両が、要請されていて、まるで、救急病院みたいに、順番が、決まっているみたいです。税金の無駄遣いですね。
こういうのが、井上ひさし等のアイデアなのです。
で、小町通りを進んできて、内心で、『バカげた工事をしているなあ』と、笑いながら、それでも、斎藤建設の現場監督に「今日は何の工事をしているのですか?」と、質問をすると、「砂の中に挟まっている石を探してます」ですって、バカみたいでした。これが安野夫人と前田夫人が藤本夫人と喧嘩をして(私の見るところ悪いのは前の二人でしたが)その結果、わが家の土地が盗まれて崖が勝手に無許可で崩される、事の結果ですから、私が、怒りに怒って、安野智さ夫人と言うのは、後ろから見ると、お尻をフリフリ歩いているまるであひるさんだし、頭が大きくて、六頭身だなあ。これは、きっと、三代か、四台前は、相当にランクの低い家庭ではなかっただろうか? とまでいうこととなるのでした。
ずいぶん下品な文章ではありますが、ここまで書いてやっと安野夫人も、『あれ、自分の方、勝っているつもりで、攻撃していたつもりだったけれど、そうでもないかもしれない』と思い始めたみたいで、少しは静かになりました。彼女が、自分が勝っていると思っている時期など、この山は、昼間っから、まるで夕方の銭湯みたいな、うるささで、うわーんと音がこだまする感じでした。井戸端会議がうるさくて、うるさくて、とんでもない下劣な場所だったのです。
だから、藤本夫人が土地を違法に使っている前田家を、訴追する処置に出たのです。前田夫人のけたたましい声は、本当に神経に触りました。そのうえ、女特に専業主婦なんて、こんな話題でいいんでしょう❓』と言うみくびりの気持ちがあったらしくて、話題だ低劣な事、低劣な事。それが、また、全山にこだまする様な、地形(ギリシャの円形劇場そのもののすり鉢状になっていて、ちょうどその舞台の場所で、井戸端会議が毎日開かれていたのだった)の為に、ほとんど、すべての人に内容が聞こえてくるのでした。
藤本夫人が、前田夫人をいさめる方法は、法的な、訴追では無くて、実質的に道路を使わせないという措置に出たのでした。だから、前田夫人が菓子折り等をもっていって、心の底から謝罪をすれば、それで、済むことだったのですよ。そこを、こちらが犠牲になって、救ってあげたのに、まったく感謝の念がないし、それどころか、反対に殺人未遂風な嫌がらせを繰り返して、くるのですから、そりゃあ、鶴岡八幡宮の大銀杏も倒壊しますよ。どういうことかと、さらに丁寧に、言うと、鶴岡八幡宮様の推薦で、前田夫人は、國學院大學の講師になれたらしくて、また、それを尾羽振りかざすがごとく、見せびらかす人ですからね。
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副題10、『坂本龍馬が、フリーメーソンだったという説が、あるが、それも本当かもしれないと、井上ひさしを観察しているうちに、思えてくる』
フリーメーソンの研究をしている人たちが、テレビカメラの前でも、明治維新の元勲は、フリーメーソンだった可能性が高いと言っています。で、『坂本竜馬は、暗殺はされていなくて、イギリスの某所に逃れて、一生を終えた』と、言う説があります。私は、井上ひさしについて、とことんに研究させていただいた結果、坂本龍馬、イギリス滞在で、生存していたという説を支持しています。井上ひさしは、まったく同じ手法を取っているとみなせるでしょう。公には死んだことにしていて、身を隠しています。だが、この人は、妻もいて、子供もいるので、そういう家族に囲まれて、かしずかれている方を好んでいるので、イギリスへ移住をしていないだけでしょう。それに、今では、衆人環視の目と言うのがあります。
まさか、政府専用機、または、自衛隊機、または、米軍機を利用して、イギリスへ逃れるわけにもいかないでしょう。彼ほどの有名人となると、その顔は、全日本人に知られているので、どこかで、誰かに見つかってしまうのは、必死だからです。で、グーグルの地図がその存在を、緑色で、塗りつぶして隠している、二つの棟がある、・・・・・敷地が広くて、三方を崖で、下界から、目隠しをされている、ので、より容易に、隠れることのできる・・・・・鎌倉佐助の自宅で、地下潜行をして、居ながら、種々の諜略的行為(=罠)を考え出しているのですが、公的にも生きていると、世間が見ていた時期に、私の方が、彼を、とことんのレベルで、観察をさせていただきました。
何で、観察をできるかと言うと、対・私への攻撃策で、です。おお相撲壊滅作戦と言うのは、ほぼ、一年間も続いたのですが、その時に彼固有の、嘘ニュースの作り上げ方、が、あって、その時節(2009年)に、彼の事は、ほぼ80%のレベルで、理解ができました。
で、井上ひさしの手法から敷衍をすると、坂本龍馬も、イギリスからの密命を帯びていて、江戸幕府を倒壊させたと、みなすことができます。丁度、今の成岡庸司君みたいに、実質的には、日本最高の特権階級であり、実力者なのですが、だからこそ、身を潜めて、隠していて、余計な、ストレスを浴びない様に努めていたのだと、思います。
大衆に自分の姿を露出させることは、有名になるための途中の手段としては有効ですが、特権階級になってしまえば、あとは、哀愁に自分をるしゅつさせない方がベターなのです。井上家でも、ゆり夫人との間にできた息子の方は、一切テレビカメラの前に出さないでしょう。
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副題11、『ヴぉリーズの、ちいさい【ぉ】が、どうしてもカタカナ変換ができず、その時点でおかしいなあと、思っていたら、強烈な睡魔が襲って来た』
私がそこで学んだ、校舎・・・・・床が常に、ピカピカに磨き上げられていた、ICUの本館が、ヴォリーズの設計によるものだとは、風の便りに聞いていました。で、本日、ヴぉリーズの、wikipedia を開いて見たのですが、ICU本館設計と言うことがどこにもないので、
ICU本館側に、第二次大戦とは、日本が敗戦となった暁に、旧中島飛行機の、研究所を流用(払い下げを受けた)しているという後ろめたさがあって、資料的には、どこにも、ヴぉリーズ設計とは、書いていないのだと、分かってきました。
ところで、なぜ、こういう事実が出てきたかと言うと、ベイカーさんと言うアメリカ人学生が、1965年にすでに、CIAとして、ICUに赴任をしてきていたのだという事を語りたいからでした。特に、私は中島飛行機が、滑走路として使っていた、チャペル前の、まっすぐな、進入路で、ベイカーさんと思われる人物に首を絞められて危うく殺されそうになっています。それを語るために、ここまで、スピンオフを繰り返しながらやってきたのでした。
で、いつの間にやら、スピンオフ自体が、重要になってきました。と言うのも秋篠宮佳子様がご入学あそばしたことが、ICUにとって、プラスもあるけれど、マイナスももたらすだろうと、以前から推察していたことが、秋篠宮が、日本動物園水族館協会の総会で、演説なさったその内容によって、マイナスの方向への振れが感じられたから、『おや、これは、大変だ。もしかするとICUが、消滅するぞ』と、そんな予感も持ったのでした。
眞子さまのご入学は、これほどの、政治的な意味を感じさせませんでした。眞子さまは、お上品な上流階級のお嬢様と言うポイントで語ることのできるお姫様です。で、あまり問題がない。けれど、佳子様には、大衆的人気がある。これは、非常に危ういです。
で、私は何となくですが、ICUも東亜同文書院と同じ運命をたどる様な気がしてきました。もちろん、そうならないことを願います。母校ですからね。だけど、設立の主意がたいへん似ているから、心配になりました。
そのうえ、一万田尚登氏が、フリーメーソンだった可能性も高くなりました。ともかく、私は、前夜、午前零時に就寝をして、朝の4時半に目覚めました。それが、たった7時間後の、午前11時に眠くなるとは、変です。私はブログを書く際は、緊張して、ピシッとしているのが普通なので、睡魔は襲ってこないのです。で、非常に単純なパソコンゲームをして頭脳の緊張をほどいて寝るほどです。四川省とか、スパイダーソリティアと言う単純なゲームです。
この続きは、明日19日の夜に書かせてくださいませ。今、17日分の、4倍になっていますが、終わりそうにもないのです。では。
メモ、・・・・・今はサラリーマンでも、6人に一人は必ず、アテンダントバックを持っている。特にパソコンを所持している人は、必携の道具で、丸の内あたりだと、この比率はもっと大きくなるだろう。井上ひさしは、日本社会の、現状を全く知らない。そして、全日本人、特に優秀な勉強家に対して、この様な意地悪をしている。だが、いずれ、真実はばれて来るだろう。
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