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銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

LA抗議デモ、14日の軍事パレードに合わせたデモに、厳重警戒へ。

2025-06-14 20:44:07 | レストラン

LA抗議デモ 14日の軍事パレードにあわせたデモに厳重警戒へ

アメリカ西部ロサンゼルスで、トランプ政権の移民政策への抗議デモが続く中、14日には首都ワシントンで予定されている軍事パレードにあわせて、全米2000か所以上でデモが呼びかけられています。ロサンゼルス市警のトップは「群衆は空前の規模になるかもしれない」と述べ、厳重な態勢で警戒にあたる方針を示しました。

 

ロサンゼルスでは6月6日以降、移民の一斉摘発への抗議デモが続いていて、13日も、中心部のダウンタウンでは平和的なデモが行われました。

一方、トランプ大統領が派遣した海兵隊の兵士200人が、この日、中心部から離れた場所にある連邦政府の庁舎の警備につきました。

トランプ大統領の誕生日でもある14日は、首都ワシントンで予定されている軍事パレードにあわせて、「ノー・キングス」=「王はいらない」と題した抗議デモが全米2000か所以上で呼びかけられています。

これについて、ロサンゼルス市警のトップは13日の記者会見で、デモの規模について、「ソーシャルメディア上の呼びかけは、これまで非常に活発に行われている。群衆は空前の規模になるかもしれない」と述べ、厳重な態勢で警戒にあたる方針を示しました。

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ニュージャージー州と、プリンストン大学という平和境、ロスやシアトルに比較してね

2025-06-14 14:19:52 | 子育てモノ

 私は今、入院中です。でね。自宅にいる場合に比較すると、時間があるようで、無いのです。それは、ルールとスケデュールに縛られているので、ここまで、書いてしまうまでは、やめないで、おこうと言う仕事のやり方が取れないからです。

 でね。テーマがあっちへ、飛んだり、こっちへ飛んだりしますが、以下の一文は、

夏の名残のばら・・・・・【黄色いさくらんぼ】の裏側の話       2025-06-08 21:05:04 | 子育てモノ

の補足説明にあたるものです。黄色いさくらんぼというのは、ニューヨーク一古い版画工房でのお話です。主に登場するのはアーチストです。夏の名残のばらの方は、その時、お借りしていたアパートの大家さんの話です。それから、25年は経っているとはいえ、ご存命中の一家の、苦しみを書いているので、非常にあいまいなぼやかした書き方になっています。でも、お嬢さんが14歳にして家に帰ってこなくなったのは、無論両親の側に原因があるのです。

 それが、現在日本で子育て中の、40代のご両親に、何らかの、ご自分反省のヒントを与えるのではないかと、考えて書いています。現代の日本には、50万人以上の引きこもりの人がいると言われています。これは、上は、大体50代までを指し、親が生きている段階を指すのでしょうが、裕福なご家庭では、引きこもりの子供が、70代だとかそれ以上だと、言うケースがあるのですよ。女の子の方は、引きこもりというよりは、親が望まなかった性を売る仕事についたりするケースが考えられますが、そちらも入れれば、100万人ぐらいの、20~50までの、ひとが、親の期待に反した生活を送っていると言う事となります。

 まあ、親は何を期待しているかというと、普通の生活です。普通とは何を指すかというと、就職をしてお給料をもらっている。結婚をしている。子育てをしている。家(マンションでもいいが)を買っている。などと言う生活を指します。男女ともに、ここまで到達して居れば、親は、まあ安心できます。 

 子供が男女どちらでもいいのですが、40代後半になっても、ここまで、到達していない場合は、親は、心配します。すごく頭の良い両親がいて、子供が精神病であると言う認定をもらって、国家または、県などの公的機関から生活費をもらえる措置をとってやったんですって。だけど、普通のサラリーマンが親である場合、そういう細工はできないでしょうから、悩みは深いでしょう。私は常に言っています。保育所で、育てることが親子双方にとっての第一の失敗だったのよと、常に言っていますが、子供は経験不足で、自信のない、青年として育ちあがり立ちだし、親は親で、正しい助言とか、導き方を知らない親になりがちです。

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 さてもう一ついけないのが、出世を願う事です。子供が上流階級とか富裕層になる様に親が願う事です。そのために小さい時から、勝ち組になる様に仕向ける事。常に他人に勝つ様に仕向ける事。これもまずい方向です。その種の親御さんは、何かについて、過剰とか、しつこいと言う傾向を持って居ます。

 それを、ちょっとだけ、書いているのが、夏の名残のばらです。そこでは、四畳半程度の広さのお部屋が居間兼食堂になっています。そこにあるものが電灯の笠、カーテン、テーブルクロス、床材(リノリウム)壁紙などが、夫々、高価らしいが、全部違う花柄で、埋められているのです。

 パリでお借りしたアパルトマンは、日本の有名女流画家の持ち物で、そこには、細長い形で、24畳程度の、居間があるのですが、カーテンも無地、壁紙も無地に近い小さな柄模様でした。唯ね。富裕な方だったので、暖炉の上の花瓶には、日本でいえば、2000円から3000円の生花を飾る様に命令をされていました。その暖炉の上には、大きな鏡があって、生花を写すので、花が二重に見えて華やかです。さすが成功した女流・日本人・アーチストの、家です。

 一方、ニューヨークのお宅では、せっかくお茶を頂いているのに、もう、頭が痛くなりそうで、この部屋で、中一のお嬢様が、「学校で、いじめられている。肌の色の事で」と、お母さんに、打ち明けられるだろうか?と、考えて、それは無理でしょうと、思いました。

 日本の禅宗の考え方って、非常に大切だと思います。深い思考とか深い知恵というのは、静かで、地味な環境でこそ、生まれるのです。派手で、うるさい環境の中では、うまれない。

 ところで、アメリカには、禅宗の考え方が見えるところなんてないのです。しかし、プリンストン大学の食堂には、驚きました。静かで、地味だと言う環境があるのです。それを、いかに書きます。実は、2024年2月7日に投稿をしたものですが、その意味をさらに強めましたし、推敲もしてあるし、誤変換も直してあるので、どうか、もう一度お読み唯期待と存じます。

 

1)【ニュージャージーでは、川の護岸工事がしていなかった。】

2)【フィールズ賞授賞式が行われるPrinceton大学の食堂では、静謐な雰囲気の会話を、ポスドクらしい人たちが四人で交わしていた】

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副題1、『アメリカでは、田中角栄が、行った列島改造は、行われていなかった。土木工事が、行われていない。川の場合だけど』

 私は、1999年謝礼を出して、日本人ミュージシャンに車を運転してもらって、ニュージャージーに在るレンブラント(画材店)の、倉庫を訪問しました。非常に大きい施設です。しかし、グーグル検索に出てこない。これも、私が大物である証拠と、みなしていますが、まあ、先へ進みましょう。

 それは、ニューヨークの中心から南西へ向かって、20キロぐらいのところに在るのですが、お礼を500ドル(当時のレートで、62000円出しても、あれをやってよかったと思う旅でした。

 ニュージャージーと言うのはニューヨークマンハッタン島の西に在る州なのですが、田舎です。マンハッタン島を出発して、二時間(直線距離にすれば、20キロぐらい)走ると、見渡す限りの牧草で、人家は、一軒もないし、牛も見えないのです。ジャージー種と言って、薄い茶色の皮膚の牛で、ミルクをよく出す種類の、有名なところなので、牧場ばかりなのは、わかりますが、牛も人間もいない。そして、追い抜く車はないし、対向方向から走ってくる車もないのです。

 最も驚いたのは、川です。道路の東側60mぐらいのところに川が流れているところに差し掛かったのです。道路は、川と並行するので、10~15分ぐらい川を眺めていたのですが、大きな石がごろごろしていて、それには、まず、驚きました。日本だと、そういう石は、山の中の川でしか見られません。そして、急流です。川下りが観光事業化されているそういう川にしか大きな石は、無くて、多摩川の、二子玉川とか丸子橋程度の平野に差し掛かると、大きなしかも尖った石なんか、絶対にないし、堤防がないと言う事もないし、堤防の中に、野球場があって、巨人軍が練習をしていたりします。

 全く違うのです。アメリカは広い。と、感じました。映画、【パリ・テキサス】でも、砂漠化した平野の中に人家は、一軒もないと、言う映像を見ましたが、北部の、非乾燥地帯でも、人間の数が、圧倒的に少ないのでした。どこと比較してと言えば、無論、日本です。

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副題2、『時々ネットで、世界の大学ランキングというのを、見る。私はああいうランキングを信じているわけではない。しかし、東大が、低い。それについて、まあ、学食を比較すると、そういわれても仕方がないだろうと、考える』

 私は、東大の学生だったわけではなくて、勤務者です。でも、数か月に一度、学食を利用させてもらっていました。量は多い、そして、お値段は安い。しかし、プリンストン大学のそれと比較をすると、圧倒的な、違いがあったのです。

 むろん、私がアメリカの方を、見たのは、1999年だから、それ以降変化した可能性はありますが、ほとんど、変化していないと思います。それは、どうしてかと言うと、敷地が、100倍程度広いので、平屋建て木造で、窓が多くて、その窓に、布製(赤白のギンガムチェック)のカーテンが下がっている事。いわゆるearly american home という感じのしつらえです。同じ布で、テーブルクロスもできていて、それが、四人掛けのテーブルすべてにかかっている事。そして、何よりすごいのは、木の床です。オイルも塗っていない。もちろんニスも、塗っていない。それから日本のように、紙のように薄いものに印刷した素材を板の上に貼ってある、模造フローリングでもない。むしろ、しろっぽくて、ほこりっぽい。しかし、足に当たる感じがやさしいのです。冷たくない。硬くない。そして、滑らない。

 しかし、その、プリンストン大学の、学食は、あれから、24年は経つが、ほとんど、変化していないだろうと、考えるからです。東大の方は、わかりません。相当に変わった可能性を感じています。と言うのは、通学している学生の両親が、富裕層が多いでしょう。すると、子供も素敵な家具を見て育っていますよね。だから、デコラ張りの長テーブルは、剥くの木のテーブルに変わったかなあ?

 しかし、木綿+麻の混紡らしい、テーブルクロスがかかっている四人掛けのテーブルは置いて居ないでしょう。そして、一人分が、プリンストンの場合は、底辺が1m50㎝ぐらいの、正三角形です。正方形のテーブルを四人で、分けるのです。東大の場合、私が居た時代は、一人分が、50cmx40㎝の長方形分だった。そして、椅子が折りたたみ式のパイプ椅子。プリンストンの方は剥くの木材で出来た肘掛け椅子。

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副題3、『私の父は自然志向だった。築土は大谷石で、白木志向。掃除が大変で、1980年からニスを塗ってしまったが、最初は柱も、ふすまの桟も白木。ふすま紙は、しろの和紙(紋は入っているが、絵は描いていないもの)二間幅の、平床の、床柱は、細目の北山杉で、そこに一服の掛け軸と、地窓があるだけ。テーブルは、自分で営林署で見つけて来ケヤキのこぶを、家具店で、足をつけてもらって、うっすらと、ニスを塗ってある。家具店で、既製品として売っている、ピカピカ、てかてかの、ケヤキのこぶのテーブルとはまるで、違う。

 この家に、国際キリスト教大学構内で、低血圧に陥った私を看護または、お世話しながら、家まで、送ってくれた、アート部の所属だったフェリス出身のお嬢様が「なんて、きれいなおうちなの!」と言ってくれたのだった。質素極まりないが、ミニマルアートっぽい家。だけど、これをブログで、書いているから、鶴岡八幡宮様は、旧近代美術館本館を、大谷石張りから、新建材で、囲ってしまった。鶴岡八幡宮様は、対私という意味では、ひどいことを数多くなさっている。だから、一般民衆のお賽銭の入りが少なくなったと、私は、考えて居る。‥‥のです。鶴岡八幡宮様は、ご自分のお名前が、総タイトルに乗っていなくても、私のブログを隅から隅まで、お読みになって、頭に入れておかれる方がいいです。そうしたら、酒井忠康氏、伊藤玄二郎、鎌倉警察署の生活安全課の課長、もしくは警察署長の、おすすめが、すべて、対、私攻撃の用途があると、お気づきになるでしょう。私を攻撃なさるとだめなのよ。必ず、ご自分に損が回ってきます。

 東大の方で、私が経験したのは、デコラ張り(=プラスチックの天板)の長い、テーブルで、食べる形で、パイプの折りたたみ椅子が組み合わせてある形式です。私の母校ICUの学食も、テーブルは、プラスチック製の天板が乗っているタイプですが、二重にテーブルが置いてあるので、対面の学生と、十分な距離があります。

 私が勤務していたころ、「教授が東大の学生一人を養成するのに一帯いくらかかるか、知っているかね」と、おっしゃいました。無論、私は知らないので、先生のお答えを待っていると、「4000万円かかるのだよ」とおっしゃいました。1960年代の話です。だから、今では、5000万円から、6000万円かかっているのではないかなあ?

 しかし、4000万円かけているのにも関わらず、学食の雰囲気は、プリンストン大学の、暖かさと、比較すると、圧倒的に冷たいのでした。赤塚不二雄のギャグ風に表現すると、学食のおばさんが、こういっているみたいに感じます。

 「はい、栄養は、つけてやったんよー。だーから、これから、夜10時まで、研究しろー。ともかく、混んでいるんだから、早く、帰んなー」と言う感じです。そういう感じで、追い払われる。

 芸大の食堂もテーブルとイスは同じです。ただ、窓が、きれいです。たぶん水族館で、使っているアクリルと、同じもので出来ていて、天井から、床まで、素通しで、太陽光が入ります。そして、食堂の、西に植わっている樹木を見ながら、お昼を食べることができるし、広いので、追い出される感じが少ないので、昼食後、歓談しているグループもいます。

 しかし、その部屋に自動販売機が置いてあります。これが、その部屋の高貴さを、失わさせています。プリンストンの方で、目立つのは赤白格子の布だけです。建物の外にも中にも、自動販売機など、置いて居ない。後は白木(床も厚手の白木)だけ。ともかく、ナチュラルで、人工的なものがないのです。窓から見えるのは、東側は樹木、西側は、サッカー場三面位の広い芝生です。

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副題4、『私がそこに、特に感銘を受けたのは、うちの父も白木派、そして大谷石派だったからだ』

 我が家の和室を見たフェリス出身の、美的センスの高い同期生が、「なんてきれいなおうちなの」と言ってくれたことがあります。それは、ナチュラル志向で、あまりものを置いて居ない6畳間だったからです。二間長さの平床には、細目の北山杉と、掛け軸一幅、地窓、だけでした。花瓶も置ていない。ふすまは白木の桟に、模様が描かれていない白い紋入りの和紙。母が、音を上げて、とうとう、柱と、床にニスを塗ったのですが、1960年代には、まだ、白木の部分が大量に残っていたのでした。テーブルは営林署で、自分で見つけて来たケヤキのこぶ。それを家具店で、足をつけてもらって、うっすらとニスを塗ってあります。木目が指の腹で、確かめられるほど、うっすらです。

 たんすなども置かせない。プラスチックの箱なども、押し入れ以外の目立つ場所においてはいけなかったのです。生活するために、4畳の、納戸と、長さ二間の広縁がものを置く場所でした。が、視界には、入らせない形で、そこに置かせていたのです。洋間(=居間)のどこかに、海外旅行のお土産な置くのももってのほかでした。ただ、よく訪問をしてくるお客さんからもらったものは、本箱の中に飾っていました。洋間だって、額一つだけで、カレンダーだって貼らせない主義でした。

 ::::::::ここで、挿入ですが、残念至極なことに、そういう父について、文章を書いているからこそ、鶴岡八幡宮様は、旧、近美本館が。元は大谷石で出来ていたのに、外壁を、新建材の物で、覆ってしまわれたのです。一見すると、ひどく、きれいですが、元の建物を覚えていた私にしてみると、ぐっと、不自然度がまし、周囲との調和が失われています。その上、お客の入りも減ったでしょう。しーんとしていて、活気がないです。対・私いじめの為に、芸術作品のオリジナリティを損壊なさったからなのです。坂口準三の、オリジナリティをです。この問題は、白い小箱と言う書物が、焚書坑儒の対象になっていて、この世から、消えてしまった事、や、(白い小箱は、求龍堂から、高いお値段で、再刊され、私は、近美別館で、二冊目の本として、それを買ったのにまた、盗まれています。

 八幡宮を根城に、自分の格上げを図っている武部聡志の、これまた、ぴゅわーん、ぴゅわーんという朝九時からの、ひどい音源発生など、に続きます。今の朝ドラ『ブギウギ』は、武部聰志を使っているから、朝ドラ【ブギウギ】は、人気が出ないのですよ。彼の名声を上げることに、税金に等しい、視聴料をとっているNHKは、協力をしてはだめなのです。彼を、音楽担当者として、採用してはだめなのです。彼は、かかわるものすべてに、損失をもたらす人物です。

 と、言いながら、ここで、二年後の、ブギウギ、主人公の恋愛問題に入ります。彼女のお相手は、寅と翼で、ブレイクしたミュージシャンで、美形の男の子ですが、以前の愛人が、お金を分捕られたと、言っているらしい。困った事でしょう、両親にとっては。ところが、この騒動を機縁に、ブギウギは、人気があったことになっています。おやおや。ブギウギが、人気があったと言うネットニュース関係は、すべて、私をやっつけようとする人間たちが投稿したと言うか、作り上げたニュースでしょう。まあ、もう、過ぎた事だけど。

::::::::::::::

 元へ戻ります。そういうミニマムアート主義、または、自然志向主義と同じ気配が、プリンストン大学の食堂にはあったのです。日本でいうと、10畳が縦長に四つ並んだ様な、細長い建物でした。そこに、20個ぐらいの正方形のテーブルが置いてあるのです。が、一部(最南端)だけは、スキップフロアーになっていて、30㎝高いのです。そこに、三つの正方形テーブルが置いてあるのですが、その一つに、四人の、如何にも学者らしい若者たちが、座っていたのでした。助教授(男性)、助手(または、今では、助教と言うのかな?)(男性)、ポスドクらしいメガネをかけた、女性が二人で、四人のお茶のみ、会ですが、本当に静かなのです。ケーキやコーフィーも、もうおいて居なくて、彼らがランチ後、二時間以上話し合っているのを感じました。

 私を車で運んでくれている日本人の人は、この食堂を使うのを嫌がったので、私は、一人で、その四人を観察しました。

 誰かが二行ぐらいのセンテンス(英語)を、発すると、それを、聞いた他の三人は、二分か三分黙っています。その沈黙ののちに、誰かが、今度は、一行ぐらいの長さのセンテンスを、発し、そののちまた、沈黙が訪れます。私は、文学ではないだろうと、まず、思いました。だって、アメリカ映画、

小説家を見つけたら』(Finding Forrester)は、2000年アメリカ映画ショーン・コネリー主演、ガス・ヴァン・サント監督。   F. マリー・エイブラハム 共演なんて、

 には、膨大なセリフがありますから。

 次に理科系でもないなあと思いました。それは、実験装置のある場所で、会話を交わすはずだからです。

 最後にたどり着いたのが、数学です。NHKテレビで,数学の番組を連続して放映した時期があって、それには、プリンストン大学の、大・階段教室がたびたび登場したのです。上下する黒板が、四面ある教室です。NHKテレビから元の、1999年のプリンストン大学に戻ります。

 彼らと、私との間は、5mぐらいの、距離なのです。しかし、会話は、聞き取れません。とても、小さい声である上に、技術用語が、わからない。で、『きっと数学よ。プリンストン大学って、数学のメッカだから』と、結論を得たのです。

 なお、私は、静けさが、特に、好きです。

    2025-6-14  雨宮舜、(本名、川崎千恵子)

 

 

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