この章も総タイトルを何度も変えていきます。それについては、どうかよろしく。
一番最初は、【えーっ! 麻生太郎と菅義偉の二人が現在のキングメーカーですって。本当ですか】としてあります。
いまは、26日の午前零時半ですが、二度目のものへと変更しました。
副題1、『菅義偉元首相に関する批判的な記事を本日初めて読んだ。だが、それを読む前から、私の方は徹底的に批判的だった。ただし、このブログでは、氏を主役にして書いたことはない。横浜市長選について、書いたブログで、・・・・・菅・元首相が、小此木八郎の、支援を公表したのは、小此木八郎にとって、マイナスだろう・・・・・と、書いた。それ以外はないが、私の心の中では、非常に前から、批判的に考えている・政治家・代議士ではある』
私は、1974年から1984年まで、10年間北久里浜に住んだ。で、京急を利用するわけで、野毛の丘を回ると、川を隔てて、平地(伊勢佐木町や浦舟町)を望むのだが、小此木平八郎事務所という大看板は、目についた。
私が今書きたいことは、横浜旧市街内(中区)にある、二大材木店の盛衰の話だ。私の付属中学時代の、同期生・横山和生氏は、三田会横浜支部長と、聞いているし、広い敷地内に、二棟の賃貸マンションを建てて、一棟は横浜市に、まるまる貸しているそうで、入居者と、賃貸料は安全で、かつ、奥様が優しい人(かつ)賢婦人で、お子様方四人が全部、大成功をしているという話である。
一方で、ヒンターランドを言えば(京急からも丸見えだった)、小此木材木店は、同じ中区の麦田町にあった横山材木店より、ずっと、もうかっていたであろうに、彦三郎氏(材木店店主としては、何代目かな。政治家としては、一代目であるが)が政治に手を出したせいで、今は、ひっそりとしている。
息子の八郎氏が、横浜市長選に出て、現在の市長、山中竹春氏(もと、横浜市大教授)に敗れたからだ。
私は、今は、横浜市民ではないが、父は、明治34年(=1901年)生まれで、旧制・専門学校卒後は、横浜市の石油会社に勤務し、1922年から、横浜市に住んでいたので、(ただし、一時期満鉄の調査部・中央試験所というところにいたが)ちょうど、100年、横浜と関係があることになり、(弟は、日吉の家を売ったが、今でも、横浜市に住んでいるので)横浜を愛する気持ちはあり、・・・・・今でも、・・・・昔ー、思えばー、とまやのー、けむーりー・・・・・と、横浜市市歌を歌える。平沼市長なんて、有名だったし。
Latest の、横浜市長選について、印象深いのは、
菅義偉、当時の首相が、突然に乗り出してきて、「小此木八郎を支援する」と、選挙戦後半で、言い始めた時に、「まずい、これでは、小此木八郎は、落選しますよ」と、確信をしたことだ。預言者は、世に入れられずと、言われている私の予想は、短期にしろ、長期にしろ、必ず当たる。ただし、不幸になる予言は、あまり、外へは出さない。が、その予言通りになった。小此木八郎氏は、次の予定もないらしくて、しーんとしている。よほど、傷ついたのだと思う。
どうして、今、それを問題にするかというと、誰かが書いた記事で、(実は、MSNというサイトで、紹介されていたものだけれど、読んだときは、自分が使うつもりは毛頭なくて、コピペもしていなくて、著者もメディアも、今では、わからないが)、
:::::::今は、麻生太郎と、菅義偉が、キングメーカーとして争っていて、
麻生太郎は(多分だが)、上川外務大臣をおしていて、
菅義偉は、小泉進次郎をおしていて、その二人の間に、火花が散っているという話だった::::::
ぎょっとした。私が見るところ、菅義偉と組むと・・・・・組んだ弱い方に、不幸が押し寄せてくる・・・・・そういう人物が、菅義偉である。小泉進次郎君が弱い人間かどうかは知らない。だけど、今、現在、自民党内では、菅義偉氏の方が、上なのであろう。だから、菅氏から声がかかったら逆らえないのかなあ?
でも、彼本人に人気があり、総裁選に勝利し、次に総理大臣になるかもしれない。だけど、ここで、菅義偉氏と組めば、目に見えない部分で、不運や、不幸が押し寄せてくる・・・・・と、私は思っている。
私は普段は、こういうことを口外しない。だがこの春(だったと思うが、税務申告を見てみると、わかるはずだが、今手元にないので、正確な日付を言えないが)横須賀市三春町の、ビル二階(多分、そのビルはまるまる、小泉家のものであろうし、上階に、純一郎氏と、その姉一家が住んでいると、推察しているが)の、鉄製扉の前で、小泉進次郎事務所の、若い女性スタッフに何を説明しても、純一郎氏に、渡してもらいたいという、
宛名が、マダム瀬味(25年前は・瀬味証券印刷株式会社、社長夫人だった、小泉純一郎元首相のいとこ)になっているはがきを、受け取ってもらえなかったときに、
あ、この女性が、こういう態度をとるとは、小泉進次郎って、もう、CIAエージェントの支配下にはいっているのですね。・・・・・と、判断をして、その時に彼を捨てたのです。
%%%%%罫線以下に、どういうことが、父、小泉純一郎氏、瀬味(証券印刷会社社長)夫人、斎藤敏江さん、私の四者間にあったか? 書いてあります。
小泉純一郎氏が、ポロ・ラルフローレン(鎌倉支店・・・・ただし、撤退して、SMBC銀行が入り、その後、その銀行も撤退した、今では空き家となって居る、内部が、超・美しいビル内の、一階と二階を使っていた)で、ブルーのシャツを、買って、アメリカで、ブッシュ・ジュニア大統領と、別荘でキャッチボールをしたことがあるでしょう。あの時ですが、あのシャツをポロ・ラルフローレン鎌倉支店で、買ったことを教えてくれたのも、斎藤敏江さんで、小泉純一郎さんは、お正月、賀詞交歓会を鶴岡会館で、催していたので(ただし、中選挙区時代です)その前後に八幡宮に詣でて、その散歩途中で、ポロ・ラルフローレンでは、いろいろ、買い物をしたかもしれないのですね。あの青いシャツ以外にも。
そういうことを全部知っている斎藤敏江さんと、ほぼ、二日に一回は、小泉純一郎政治について、電話で討議を重ねていた間柄です。私がアメリカへ自由に修行に行くために、それを許さない家族と別れて逗子で一人暮らしをしていた最中は、お互いに独身だから、夜中、三十分以上話をしていても、だれからも、文句を言われない、間がらでしたから。
斎藤敏江さんの言葉の中で、印象深いのは、「大丈夫よ。株価が高値安定しているでしょう。だから、メディアが、どんな悪口(例えば、田原聡一朗などが、映画【靖国】を大支援しているときなどでも)を言っても株価が安定しているという事は、政治がとても良いという証拠です。小泉さんは、国民から信頼をされているのです」というものです。
でね。そのキャッチボールの渡米前(多分渡米前ですが、もしかすると、帰国後、メディアに要請されて、再現ドラマ風に、キャッチボールをして見せたのかもしれませんが、私は、タイミングが、どっちだったかを今では、忘れています。)をして見せた時に、私は、こっち側は、新次郎君だろうと考えました。
ところがテレビカメラが、全く映さないのです。多分美形だから、小泉首相の人気が高くなるとして誰かが、映さない様に命令をしていたのだと思います。私の方は、そういう悪意は、瞬時に分かります。でもね。もしかすると三兄弟のうち、この子は、ブ男なのかしら?と、思ったりしましたが、言え、言え、最も美形だったのでした。
なお、ここから先、アメリカと、太洋丸事件、それから、アメリカは、能力の高い人に対しては、謝罪の意思を示すこと。で、太洋丸事件で、夫を失った、斎藤敏江さんには、アメリカ大使館、館員という名誉と、報酬の高い職を与え、同じく、夫を失った、高木きよ子文学博士には、スタンフォード大学日本研究所に、職を与えます。
さらに、いろいろ、書きたいのですが、本日は、もう時間がないので、ここまでにします。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%
前報内で、小泉進次郎に触れている部分
B-1, 私と斎藤敏江さんの関係、 斎藤敏江さんは、お茶大付属高校の先輩で、私より24歳年上で、朝ドラ【寅と翼】の主人公三淵嘉子よりも七歳年下です。元アメリカ大使館、館員ですが、その就職の前は、旧制横須賀第一高等女学校(現在の県立大津高校)の先生でした。
その時の教え子が、瀬味夫人です。なお、瀬味夫人は、瀬味印刷の社長夫人とのことで、瀬味印刷について、蛇足1というところで、google 関連資料からコピペしておきます。未上場だけど、有名な会社です。これが、去年から出ていたら、小泉進次郎オフィスを訪問することもなかったのです。残念。
瀬味夫人のいとこが、小泉純一郎・元、総理大臣です。わたくしは自分の旧宅が北久里浜にある横須賀には結構用事があって、その日も市役所に行って、その帰り郵便局によりました。で、小泉元首相のお宅はどこですか? と、郵便局の窓口で、聞いたのです。
彼は、「その道を、三分ぐらい進んで、右へ曲がると、何とかビルがあって、その二階です」と教えてくれたのです。
それが盗聴をされていたのか? それとも警察が尾行をしていて、小泉進次郎事務所に、私に対して取り合わない様に電話で言ったのか?
この屈辱に対して、こういいましょう。「わたくしを邪険にすると、必ず、悪いことが起きますよ」と。そして、安倍晋三元総理大臣と同じく、滝川クリステルとの結婚が、踏み絵だったのですねとも、いいましょう。今回の立候補も田原聰一朗が、動いて(森喜朗氏を動かして)決まったと、メディアで読みました。CIAとは、関係がない政治家だと思っていたのに、すでに、CIAのかわいこちゃんになっていたのです。ざーんねん。
斎藤敏江さんは、逗子で、一人暮らしをしていたころは、ほとんど、本当の母親以上の愛情をもって会話を交わしてくださった方です。毎夜、電話で、二人で、小泉純一郎政治を論じあいました。斎藤敏江さんは元アメリカ大使館員だけど、真実大物でしたよ。日本の将来を、本当に大切に考えている方でした。そして、それは、小泉純一郎氏に、確実に届いていたのです。
今、彼女は、106歳の筈です。老人ホームか、天国なのか? 知りたいと思っていますが、こういうブログを書いたら、もう、瀬味夫人にも連絡は取れないですね。瀬味証券印刷の、会社の住所が、ウィキペディアで分かっても。
私が死後、黄泉の国で、会いたいのは、斎藤敏江さんと、山口みつ子さん、月岡節さん(芸大金工科卒、新塊樹社の重鎮)佐久間操さん、北久里浜でのピアノの先生、調律師、依田さん、石倉操先生。野口先生、森本先生、石渡先生などと、武田秀人さんのご長男です。天国があるのなら、そして、そこで会えるのだったら、死ぬことも楽しい未来です。ただ、まだ、やることがあるけれど。
%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%
副題2、『なぜ、小泉進次郎の女性スタッフが、はがきを受け取らなかったかの二つの理由のうち、もし、小泉進次郎がオフィス内にいて、私が訪問をすると、警察から、尾行とか、郵便局員の、小泉さんの家は、そこの道路を進んで、ちょっと右に回るとXXXビルがあって、その二階ですと、言う教えを、盗聴して、そこから、連絡が入って、小泉進次郎自身が、私との会話を避けたとしたら、それも大問題ですが、彼がオフィスにいなかったとして女性事務員だけがいて、その女性事務員が、警察の、言うことを、全面的に聞くタイプだとしてですね。尾行の人間から会うなと言われた通りに行動をしたと仮定したら、これもまた、大問題としないといけないのです。
というのは、私は三回か、四回ほど、置き引きほかの手法で、全財産(を二回、一回目は、ブログ化していないが、津田沼駅で、二回目は、ブログ化しているが、紀尾井ホールで、銀行の通帳四通を盗まれて)、三回目は、鎌倉駅ビル(二階建てだが、CIALではある)の外側にある、障碍者用トイレの、流しに置いたのを、たった4分間で盗まれて、夏の夜の7時です。普通の人がトイレに入って発見をしたのだったら、すぐ、そばのNEWDYか駅員に届けるでしょう。なお、交番は、どあっまども締まっていました。普通は窓だけは開けることができて、警察署に電話を掛けられるのに、それが、できなかったのは、警察が盗んだという一つの証拠です。
そして、その日は、2024年8月2日で、主人は入院中でした。この入院中に、鍵だけで、知チェーンがかかっていない我が家から、いろいろなものが盗まれ、かつ、嫌がらせや、脅かしようの古い書類や、写真が入れ込まれています。水沢勉氏からの古い手紙(すでに盗まれているもの)も、再度入れ込まれていました。
その泥棒が、いやで、そのトイレのあるビルと、同じビル内にある、Deli France という、山崎製パン経営のカフェで、25X10X18cmの【シマエナガ】が描かれている白い帆布でできた、トートバックに、アテンダントバッグと、今まで、使っていた京橋、ARTISON美術館で買った、ブランクーシのデザインのトートバッグに入っていた(いや、山種美術館で、買った小林古径の猫のトートバッグだったかもしれないが・・・・・なお、このバッグも主人入院中に盗まれているが)
に分散して入れておいた大切なものを全部集約したのです。それを尾行は、見ていて、さらに尾行を続けると、デリフランスから、10mいないのトイレから出てくるときに、それを持っていないのに気が付いて、(つまり、82歳だし、中野泌尿器科で、ウロガード(尿袋)の新品をもらうにあたって、それが、退院の印らしいと、8月31日にやっと、わかったが、湘南鎌倉総合病院からは、退院という正式な発表は妻である私には来ていないことを、考えて、どうしたらいいかを考えていたのです。こういう措置は、手術が二度も延期をされて、妻も夫も悩んだように、CIAエージェントの、Mr木村か、伊藤玄二郎がさい配しているいじめです。しかも、7月31日には、「値段がわからないのです」と、中野泌尿器科に言われたウロガード付属チューブのお値段を、二日後の金曜日に約束通りに聞きに行って支払おうとしたら、間に、48時間も入っているのに、30分以上待たされるのです。
これは、SMBC銀行で、通帳の再発行だけで、1時間待たされたのと同じ種類のいじめです。紀尾井町の紀尾井ホールで、自分たちが、盗んでおいて、再発行で、苛め抜く、あの日窓口に座っていた女性は、SMBCの人間ではなくて、婦人警官でしょう。いち、いち、後ろの壁の内部に引っ込んで、上司らしい人に質問をしていましたので、絶対にそうです。銀行にきんむの普通の女性で、窓口に座っている女性が通帳の再発行手続きを知らないわけはないです。
こういう時にいじめを突破できる手法は、お歌を歌う事です。わたくしは天与の美声を持っているといわれ、圧倒的な美しさで歌えます。中野泌尿器科のドクターと奥様が、伊藤玄二郎から、何を聞かされていようとも、中野先生ご夫妻がご自分を恥ずかしいと、お思いにならざるを得ない、そういう声の持ち主なのです。したがって、48時間と、30分かかった、ある特殊なプラスチック製器具のお値段が、やっとお知らせをされ、支払いを済ませて、その足で、デリフランスに入り、荷物整理をしたわけでした。
ところで、なぜ、中野泌尿器科の、ドクターご夫妻は、意地悪をしたのでしょうか? それは、その家が、コシノジュンコさんの家でもあるからです。ドクターとコシノジュンコさんの関係は、wikipedia
等では、わかりませんでした。ただ、コシノジュンコさんは、ここ【鎌倉駅から徒歩4分)に自宅(むろん、東京にも、パリにも拠点はあるでしょうが)があるという事で、いわゆる鎌倉エージェントに、過剰にちやほやされている女性です。わたくしはだいぶ前にコシノジュンコさんを批判しています。多分、警視庁か、自衛隊の、儀仗兵の制服をコシノジュンコがデザインしたというNHKニュースを見て、
(蛇足1)、
日本人が全然知らなかった菅義偉「家の事情」…決して姿を見せない妻と突如浮上した“問題長男”
『週刊現代』2021年4月3日号より
その記事の中から、特に引用したいのは、次の三行です。
「当時、小此木事務所には『秘書』の肩書で出入りする若者が男女10人近くいて、菅さんは後ろから数えて2番目くらいの末席でした。当時は、地味で暗い奴だな、という印象だったね」