副題1、『前報に描いたことは、19日までは、正確でした。当たっていたのです。それはね。鎌倉が静かなことでわかるのでした』
私が、本を作っているころ、母が、老衰で、東上線ときわ台にある老人ホームに入っていました。でね。帰りがいつも遅くなりました。で、小町通りが、真っ暗です。で、真ん中あたりまで、来ると、突然、大型ランタンが4つぐらい点灯をして、工事が始まります。これは、石綿(=アスベスト)訴訟に繋がる、前田夫妻、安野夫妻擁護の、工事でした。でね。もう、バスもない時刻(=11時過ぎ)だと必ずその工事で、脅かされます。で、或る時工事主任者に、「今日は何をしているのですか?」と、聞くと、「泥の中のこ砂利を取っている」ですって。
つまり、表向きは共同溝設置が目的ですが、2008年から、3.11で、さらに私を威圧する必要が出て来て、2015年ぐらいまで、続いたのです。だから、もうすることが無くて、泥の中の仔砂利を取っているですって。そのために、アスファルトをはがしているのでした。
これが、瓜南直子さんが、提唱した全日本あすハガ連の目的です。私を脅かすための行為を、瓜南さんは、毎日毎日、からかうための投稿をしてきていたのでした。まあ、ご自由におやりなさいです。ただ、2011年11月18日の、執事・金田佑子さんと、直子さんのコメントのやり取りは、佑子さんを警察のスパイとして、私に逢わせようとした作戦が、私が応じなかったので、つぶれたのです。その日、佑子さんと、直子さんは、激しい(ユーモアという意味でですが)コメントの応酬をしていて、ほぼ、エロスというか、下ネタの応酬でした。
人(=私)が、CIAエージェント達と、その手下たる、警察に殺されかかっているのに、豊島屋の、源平巻きを種にして、下ネタの応酬です。もうびっくりして、その日以来、直子さんも佑子さんも捨てたのです。つまり、直子さんの投稿は、一切読まないと決めたのです。それが、11月18日でした。すると、12月から直子さんは、急激に痩せて来たんですって。そして、日暮文庫(居酒屋)でもスツールに座っていることが出来なくて、ソファーに寝ていたそうですよ。そして、2012年の6月に亡くなりましたね。
私の方は、2011年の8月には、京都の坂を上がるのがきつい程度に、彼女の体が悪いことに気が付いていて、上品に、警告してあげているのに、そういう誠実な人とは、付き合わないで、伴さんとか、金田佑子さんみたいに、軽薄で、それが、極まりない人間だけと、付き合っていたから、天に見放されたのでした。直子さんの、名声に、近寄って来るのは、誘蛾灯に集まる蛾みたいな人たちです。それだけに囲まれていたのでした。私を大切にすれば、絶対にもっと長生きが出来たでしょうに、・・・・・まあ、亡くなった後での投稿の、むなしい嘘っぱちだらけの事。本当に人間の汚さを見ましたよ。
ともかく、アスファルトをはがしては、また、形成すると言う、莫大な、無駄なお金をかけた、工事が、何年も続いたのです。ただ、ただ、脅かすために、莫大な、お金を浪費し続けていたのでした。その脅かしとは、前田夫妻と、安野夫妻を、擁護するためです。
で、その工事による脅かしを或る晩だけ、避けたくて、五分ぐらい余計な時間は、かかるけれど、より、広い、表参道を通ったのです。すると、警察署の横に、大型オートバイが三台待機して居るのでした。・・・・・ところで、ここで、警察署と言っているのは、古い時期のもので、今はもうないです。これも、私のブログに現れたものは消し去るの典型で、鎌倉警察署は、ずっと、南に移転をしました。で、元警察署の、跡地に、メトロポリタンホテルが、建っていて、その一階は、無印の売店とレストランになっています。神奈川県立美術館も我が家から、二分、山の下へ降りると目の前(鶴岡八幡宮様の境内)にあったのに、葉山・三ケ浜という、全く持って行きにくい場所に移転をしてしまいました。高松宮様の、別荘だったそうです。元の位置の方が絶対によかったのです。八幡宮様にとっても、インテリの富裕層が来てくれるアイコンだったので、八幡宮の格式を上げていたのでした。吉田茂穂・現・宮司様は、幸運を去らせてしまわれましたね。
で、その大型オートバイに乗っている人物は三人とも、真っ黒な、姿でした。まるで、現代の忍者です。
あのね、今はね。ブログで、相当な真実を書いて居るので、物理的に殺されることはないだろうと、推察して、タクシーも利用します。が、2020年ごろまでは、タクシーの運転手が、偽装をした警官である場合が、何度もあって、(車の内部が全然違うので、すぐわかる)・・・・・このままどこかへ拉致されるのではないかと思って、タクシーが使えなかったのです。で、小町通の脅かし策を避けるために疲労困憊しているある日、表参道を使って帰ったら、警察署(繰り返しますが、今では、メトロポリタンホテルとなっている場所)の北側の、側道に、三台の、大型オートバイが、停まっていて、緊張気味に、身じろぎもせず、待機をしていました。なお、白バイ仕様ではないのですよ。洋服も忍者みたいで、オートバイも真っ黒で、警察の物とは、わからない仕様です。
『なるほどなあ。あれが、私が家に帰着したら、走り回って、大音響を出すのでしょうね』と、考えました。その通りでした。これはね。井上ひさしが、私のブログを読む人として専任であり、細かいポイントで、これを利用しようあれを利用しようと、考え抜いて、それを警察庁、または、鎌倉警察署に提言をするのだと思います。私は、2008年に突然、送信が出来なくなったメルマガ時代に、【湘南爆走族】について書いて居るのです。
それは、批判ではありません。漫画が、ヒットしている時代に、その二次元の世界の登場人物が、三次元の存在として、「我が家の真下を通るのです。【巨福呂坂切通】(かまくらの場合は、屋根があり、その上に土があり、木が生えている純粋なトンネルでも、切通しと呼びます。)から、その一団が入ってくると鈍い轟音が、響き渡ります。大体土曜日の深夜でした。夜の11時か12時に、横浜大黒埠頭に集合し、そこから、鎌倉を通って、江ノ島に抜けて解散だと思います。
漫画が始まったのが、1982年ですから、少年たちがオートバイに熱中したのは、1970年代で、私が我が家の真下を通るのに、気が付いたのは、安野家の日あたりをよくするために、我が家に上る坂の周辺、及び、八幡宮様の林を大量に伐採したからでした。
これが、対私への大変な攻撃なのですが、本日は、そこには、踏み込みません。
ただ1970年代に、10代だったオートバイ愛好家も、私がその集団に気が付いたころは、40代に達していたでしょう。だから、音量は、台数が、数百台なので、それは、大きいですよ。だけど、鈍い音です。
ところが、警察官が偽装した、暴走族というのは、音が鋭いのです。三台だけで、行動するので、大音量にする工夫がなされていて、ものすごく鋭い音なのです。だけど、警官が偽装をしているというのが判るのは、コースが違うのです。彼らは、「音を出せ」とだけ命令をされているので、コースについては、バク相続を真似していないのです。と伊野もたった三台ですから、北の、コブクロ坂、切通し(トンネル)から、入って、西の稲村ケ崎へ抜けるとしても、短時間で終わっちゃうでしょう。だから、彼らは、彼らなりに、15分間は、音を出さないといけないぜと、命令をされているので、どうしたらいいかを考えて、もう、行ったり来たりするのです。川喜多記念館の方を通ったり、一の鳥居まで、行って帰ってきたりします。だから、本物の爆走族とは、音が、全然違うのです。
で、16日か、17日も、その偽爆走族が大音響を上げて、下の鎌倉街道を、北へ向かって、走ったり、Uターンしてきて、南へ向かったりして、本当にうるさかったのですよ。鎌倉って、我が家周辺では、夜は、8時過ぎには、しーんとするのが自然な事なのですが、CIAエージェントと、その手下としての警察が、『こっちが勝っているぜ』と、考えて居る時は、音がものすごくなるのです。こっちが勝つとは猿之助裁判を有罪にするる見込みが立ったからでしょう。または、第一審を行う、予定が立ったからでしょう。
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副題2、『偽救急車、も、走るのです。それから、武部聡志の捜索した、異音を流す、車も走っている』
偽救急車も走るのですよ。偽というのは、患者が乗っていないと言う事です。普通は患者が乗っていない時は、無音で、普通車両と同じ速度で、走ります。しかし、私を脅かす為ですから、のっていないと気でも、二の鳥居あたりから大音響で、ピーポピーポとならしますし、豊島屋本店前あたりから、「左へ曲がります。左へ、曲がります」と、大音量で、放送するのです。で、干物や、山安の前あたりでは、本当は「右に曲がります。右に曲がります」と言わないとならないのですが、そこは、勘が鋭い私が、・・・・この救急車は、偽物だ・・・・・と、言う風に、見破るといけないと考えるらしくて、本当は、三の鳥居(八幡宮様の正門にあたる。くぐるとすぐに太鼓橋になる)あたりで、始めないといけない、「右へ曲がります。右へ曲がります」は、無いのでした。
それから、このピーポ、ピーポではなくて、ぷわーん。ぽわーんと言う不思議なサイレン風の音を出す車も、通ります。これは、鶴岡八幡宮様が、プロの歌い手、平原綾香とか、その他を招いて、自由には入れない音楽祭(鶴舞音楽祭)を公演なさっていたころ、武部聡志が、シンセサイザーで、作った音でした、異音です。武部聡志が、作っていると言う事が判ったのは、土曜日が、初日の筈の、ジャパンオルフェの準備用に、なんと、木曜日から、異音が流されて。「マイクの試験ちゅう、マイクの試験ちゅう」というではないですか? 鶴舞音楽祭は、7時から始まるのに、朝の九時から、この異音が大音量で、流されて、実は町の人たちにも「この頃、八幡宮様って、うるさいわね」と、評判だったのです。しかし、それは、10時間前です。
しかし、ジャパンオルフェは、ゲネプロが金曜日でした。その前としても、24時間+二時間=26時間も前です。そして、土曜日の本公演に至っては、50時間も前です。私はあまりのことに驚いて、下へ降りて行って誰がそれをやっているのかを確認したのです。舞殿のそばに、テントを建てて、その中で、機材を動かしてあのぷわーんとか;ぽわーんという音を出していたのは、武部聡志でした。
なお、私は、午前二時に起きていて、すでに、23時間、起きているので、ここで、寝ます。続きは、何時か書きます。