銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

いや、18日の私の歌舞伎座での喧嘩の勝利の後、19日は、鎌倉が全く静かだった。+ 武部聡志、瓜南直子

2023-10-20 23:12:50 | 政治

副題1、『前報に描いたことは、19日までは、正確でした。当たっていたのです。それはね。鎌倉が静かなことでわかるのでした』

 私が、本を作っているころ、母が、老衰で、東上線ときわ台にある老人ホームに入っていました。でね。帰りがいつも遅くなりました。で、小町通りが、真っ暗です。で、真ん中あたりまで、来ると、突然、大型ランタンが4つぐらい点灯をして、工事が始まります。これは、石綿(=アスベスト)訴訟に繋がる、前田夫妻、安野夫妻擁護の、工事でした。でね。もう、バスもない時刻(=11時過ぎ)だと必ずその工事で、脅かされます。で、或る時工事主任者に、「今日は何をしているのですか?」と、聞くと、「泥の中のこ砂利を取っている」ですって。

 つまり、表向きは共同溝設置が目的ですが、2008年から、3.11で、さらに私を威圧する必要が出て来て、2015年ぐらいまで、続いたのです。だから、もうすることが無くて、泥の中の仔砂利を取っているですって。そのために、アスファルトをはがしているのでした。 

 これが、瓜南直子さんが、提唱した全日本あすハガ連の目的です。私を脅かすための行為を、瓜南さんは、毎日毎日、からかうための投稿をしてきていたのでした。まあ、ご自由におやりなさいです。ただ、2011年11月18日の、執事・金田佑子さんと、直子さんのコメントのやり取りは、佑子さんを警察のスパイとして、私に逢わせようとした作戦が、私が応じなかったので、つぶれたのです。その日、佑子さんと、直子さんは、激しい(ユーモアという意味でですが)コメントの応酬をしていて、ほぼ、エロスというか、下ネタの応酬でした。

 人(=私)が、CIAエージェント達と、その手下たる、警察に殺されかかっているのに、豊島屋の、源平巻きを種にして、下ネタの応酬です。もうびっくりして、その日以来、直子さんも佑子さんも捨てたのです。つまり、直子さんの投稿は、一切読まないと決めたのです。それが、11月18日でした。すると、12月から直子さんは、急激に痩せて来たんですって。そして、日暮文庫(居酒屋)でもスツールに座っていることが出来なくて、ソファーに寝ていたそうですよ。そして、2012年の6月に亡くなりましたね。

 私の方は、2011年の8月には、京都の坂を上がるのがきつい程度に、彼女の体が悪いことに気が付いていて、上品に、警告してあげているのに、そういう誠実な人とは、付き合わないで、伴さんとか、金田佑子さんみたいに、軽薄で、それが、極まりない人間だけと、付き合っていたから、天に見放されたのでした。直子さんの、名声に、近寄って来るのは、誘蛾灯に集まる蛾みたいな人たちです。それだけに囲まれていたのでした。私を大切にすれば、絶対にもっと長生きが出来たでしょうに、・・・・・まあ、亡くなった後での投稿の、むなしい嘘っぱちだらけの事。本当に人間の汚さを見ましたよ。

 ともかく、アスファルトをはがしては、また、形成すると言う、莫大な、無駄なお金をかけた、工事が、何年も続いたのです。ただ、ただ、脅かすために、莫大な、お金を浪費し続けていたのでした。その脅かしとは、前田夫妻と、安野夫妻を、擁護するためです。

 で、その工事による脅かしを或る晩だけ、避けたくて、五分ぐらい余計な時間は、かかるけれど、より、広い、表参道を通ったのです。すると、警察署の横に、大型オートバイが三台待機して居るのでした。・・・・・ところで、ここで、警察署と言っているのは、古い時期のもので、今はもうないです。これも、私のブログに現れたものは消し去るの典型で、鎌倉警察署は、ずっと、南に移転をしました。で、元警察署の、跡地に、メトロポリタンホテルが、建っていて、その一階は、無印の売店とレストランになっています。神奈川県立美術館も我が家から、二分、山の下へ降りると目の前(鶴岡八幡宮様の境内)にあったのに、葉山・三ケ浜という、全く持って行きにくい場所に移転をしてしまいました。高松宮様の、別荘だったそうです。元の位置の方が絶対によかったのです。八幡宮様にとっても、インテリの富裕層が来てくれるアイコンだったので、八幡宮の格式を上げていたのでした。吉田茂穂・現・宮司様は、幸運を去らせてしまわれましたね。

 で、その大型オートバイに乗っている人物は三人とも、真っ黒な、姿でした。まるで、現代の忍者です。

 あのね、今はね。ブログで、相当な真実を書いて居るので、物理的に殺されることはないだろうと、推察して、タクシーも利用します。が、2020年ごろまでは、タクシーの運転手が、偽装をした警官である場合が、何度もあって、(車の内部が全然違うので、すぐわかる)・・・・・このままどこかへ拉致されるのではないかと思って、タクシーが使えなかったのです。で、小町通の脅かし策を避けるために疲労困憊しているある日、表参道を使って帰ったら、警察署(繰り返しますが、今では、メトロポリタンホテルとなっている場所)の北側の、側道に、三台の、大型オートバイが、停まっていて、緊張気味に、身じろぎもせず、待機をしていました。なお、白バイ仕様ではないのですよ。洋服も忍者みたいで、オートバイも真っ黒で、警察の物とは、わからない仕様です。

 『なるほどなあ。あれが、私が家に帰着したら、走り回って、大音響を出すのでしょうね』と、考えました。その通りでした。これはね。井上ひさしが、私のブログを読む人として専任であり、細かいポイントで、これを利用しようあれを利用しようと、考え抜いて、それを警察庁、または、鎌倉警察署に提言をするのだと思います。私は、2008年に突然、送信が出来なくなったメルマガ時代に、【湘南爆走族】について書いて居るのです。

 それは、批判ではありません。漫画が、ヒットしている時代に、その二次元の世界の登場人物が、三次元の存在として、「我が家の真下を通るのです。【巨福呂坂切通】(かまくらの場合は、屋根があり、その上に土があり、木が生えている純粋なトンネルでも、切通しと呼びます。)から、その一団が入ってくると鈍い轟音が、響き渡ります。大体土曜日の深夜でした。夜の11時か12時に、横浜大黒埠頭に集合し、そこから、鎌倉を通って、江ノ島に抜けて解散だと思います。

 漫画が始まったのが、1982年ですから、少年たちがオートバイに熱中したのは、1970年代で、私が我が家の真下を通るのに、気が付いたのは、安野家の日あたりをよくするために、我が家に上る坂の周辺、及び、八幡宮様の林を大量に伐採したからでした。

 これが、対私への大変な攻撃なのですが、本日は、そこには、踏み込みません。

 ただ1970年代に、10代だったオートバイ愛好家も、私がその集団に気が付いたころは、40代に達していたでしょう。だから、音量は、台数が、数百台なので、それは、大きいですよ。だけど、鈍い音です。

 ところが、警察官が偽装した、暴走族というのは、音が鋭いのです。三台だけで、行動するので、大音量にする工夫がなされていて、ものすごく鋭い音なのです。だけど、警官が偽装をしているというのが判るのは、コースが違うのです。彼らは、「音を出せ」とだけ命令をされているので、コースについては、バク相続を真似していないのです。と伊野もたった三台ですから、北の、コブクロ坂、切通し(トンネル)から、入って、西の稲村ケ崎へ抜けるとしても、短時間で終わっちゃうでしょう。だから、彼らは、彼らなりに、15分間は、音を出さないといけないぜと、命令をされているので、どうしたらいいかを考えて、もう、行ったり来たりするのです。川喜多記念館の方を通ったり、一の鳥居まで、行って帰ってきたりします。だから、本物の爆走族とは、音が、全然違うのです。

 で、16日か、17日も、その偽爆走族が大音響を上げて、下の鎌倉街道を、北へ向かって、走ったり、Uターンしてきて、南へ向かったりして、本当にうるさかったのですよ。鎌倉って、我が家周辺では、夜は、8時過ぎには、しーんとするのが自然な事なのですが、CIAエージェントと、その手下としての警察が、『こっちが勝っているぜ』と、考えて居る時は、音がものすごくなるのです。こっちが勝つとは猿之助裁判を有罪にするる見込みが立ったからでしょう。または、第一審を行う、予定が立ったからでしょう。

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副題2、『偽救急車、も、走るのです。それから、武部聡志の捜索した、異音を流す、車も走っている』

 偽救急車も走るのですよ。偽というのは、患者が乗っていないと言う事です。普通は患者が乗っていない時は、無音で、普通車両と同じ速度で、走ります。しかし、私を脅かす為ですから、のっていないと気でも、二の鳥居あたりから大音響で、ピーポピーポとならしますし、豊島屋本店前あたりから、「左へ曲がります。左へ、曲がります」と、大音量で、放送するのです。で、干物や、山安の前あたりでは、本当は「右に曲がります。右に曲がります」と言わないとならないのですが、そこは、勘が鋭い私が、・・・・この救急車は、偽物だ・・・・・と、言う風に、見破るといけないと考えるらしくて、本当は、三の鳥居(八幡宮様の正門にあたる。くぐるとすぐに太鼓橋になる)あたりで、始めないといけない、「右へ曲がります。右へ曲がります」は、無いのでした。

 それから、このピーポ、ピーポではなくて、ぷわーん。ぽわーんと言う不思議なサイレン風の音を出す車も、通ります。これは、鶴岡八幡宮様が、プロの歌い手、平原綾香とか、その他を招いて、自由には入れない音楽祭(鶴舞音楽祭)を公演なさっていたころ、武部聡志が、シンセサイザーで、作った音でした、異音です。武部聡志が、作っていると言う事が判ったのは、土曜日が、初日の筈の、ジャパンオルフェの準備用に、なんと、木曜日から、異音が流されて。「マイクの試験ちゅう、マイクの試験ちゅう」というではないですか? 鶴舞音楽祭は、7時から始まるのに、朝の九時から、この異音が大音量で、流されて、実は町の人たちにも「この頃、八幡宮様って、うるさいわね」と、評判だったのです。しかし、それは、10時間前です。

 しかし、ジャパンオルフェは、ゲネプロが金曜日でした。その前としても、24時間+二時間=26時間も前です。そして、土曜日の本公演に至っては、50時間も前です。私はあまりのことに驚いて、下へ降りて行って誰がそれをやっているのかを確認したのです。舞殿のそばに、テントを建てて、その中で、機材を動かしてあのぷわーんとか;ぽわーんという音を出していたのは、武部聡志でした。

 なお、私は、午前二時に起きていて、すでに、23時間、起きているので、ここで、寝ます。続きは、何時か書きます。

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上條陽子さんとパレスチナ支援…そして、私のハマス分析・・・裏に歌舞伎座課長の失態がある

2023-10-20 02:14:45 | 政治

副題1、『主人が、上條陽子さんを覚えていて、わたくしに彼女がNHKニュース(23-10-2019時)で、登場したと知らせてくれた』

 私は非常に体力が弱っています。それの回復とか温存にあたって二つの試みをしているのですが、その一つが外出をすることで19日も鎌倉市街へ向けて、外出をしていました。で、帰宅をしたのが、19時40分ごろ。すると主人が、NHK Gの、サラメシ【富山県篇】を、見ている最中で、梵鐘製作者が出てきました。高岡市は、銅器の生産で有名な都市です。それを見ながら、主人に向けて、「上條さんは高岡の人なのよ。横浜に、銅器の輸出を目指して、引っ越してきた一族の人なの」と、言いました。すると、予想に反して、というか驚いたことに、主人は上條さんの名前を覚えていて、「さっきテレビに出てきたよ」と言いました。非常に珍しいことだと思いました。二つの意味で、珍しいことでした。一つは、パレスチナ側に、応援する様な、ニュースの流れにもっていくはずはないのです。大・大・NHK様がです。

 それなのに、美術界ではパレスチナ救援に乗り出していることがよく知られている上條陽子さんの、業績を、NHKが、取り上げるということがです。これについては、後ほど副題2や、3で、敷衍をします。

 で、この節では、主人と私の関係に戻ります。主人は、最近は私のこのブログを読んでいません。それで、お互いの間に齟齬が起きることがあり、口喧嘩はしょっちゅうです。最近だって、上條陽子さんが、大変、大きなアイコンとして、このブログに登場するのに、それを読んでいません。それなのに、上條陽子という名前が、ちゃんと出てきたことに驚いたのです。1990年代には、わたくしは、上條さんのために大きく時間を使いました。で、伊豆の池田20世紀美術館とか、相模原市の何とかセンターとか、での、上條さんの展覧会に行くと、ほぼ、一日中の時間を使う外出となります。で、出かける前に、ちゃんと断って出かけますので、彼は、上條陽子という名前を憶えていたのです。しかし、彼自身は、一度もあったことがない女性です。それなのに、ちゃんと認識をして、わたくしに教えてくれたことに驚嘆をしたのです。

 最近のブログでも、上條さんが登場するといっています。ただし、文字数を使ってはいないのですよ。だけど、渡辺幸子さんが、CIAのかわい子ちゃんとなり、美術界で、出世しまくるのは、2001年に開かれた望月画廊での、大学同窓会展に私が100号の作品を出したことを、彼女が、わたくしの裏切りと誤解をして、怒りまくり、いじめまくったことが端緒なのです。だから、こそ、CIAは、彼女を出世させ、そのことで、わたくしが苦しむだろうと、彼女に大金と名誉を与え続けています。だから、渡辺幸子さんを分析すること(途中で、違うことに乗り出していますが、)大きな政治的課題であるのです。で、渡辺幸子さんが、このブログに登場する限り、独立のスター画家である上條さんが、大きなアイコンとなるのでした。

 どういうことかというと、望月画廊とは、独立画家協会に所属する画家(または、会員にまだなっていない段階で、会員になろうとしている人たち)が、よく個展をする、画廊なのです。

 私は、その年(2001年)から、上野の公募団体展をやめることを、内心で決意しています。国展も女流展もやめると決意しています。ところが、ああいう団体って、足抜けすると、ひどくいじめられる場所なのです。まるで、芸者の世界ですが、事実上はそうなのです。で、この決意は、他人には、絶対に話すことができない問題でした。事前にも時後にも話すことができない問題でした。刻画会からは、その後13年間、出品の応募用紙が届いていました。病気か何かで、休んでいるのだろうと、推察されていたと、思います。

 このことを幸子さんに特に、言えなかったのは、彼女が新制作に出して居て、神奈川県内では、(お互いにいっぱしの画家として)、共通の友人がたくさんいたので、絶対に事前には話せない関係でした。

 一方、幸子さんは、事前に電話で私に「あの会って、別に重要なところではないから、鎌倉で発表をした小品を出すわ」と言っていたのです。それなのに、わたくしが大作を出したので、裏切ったと思ったのでした。どういう裏切りかというと、その会で、わたくしが一番になろうとしていると、言う形で、自分を負かすつもりだろうと、彼女が邪推したのです。困った人です。だから、そうではないという印として、その会をやめました。

 ところで、上條さんが、どうして重要かというと、彼女は、人気が高い人なので、大勢の画家から「個展を見に来てください」と誘われる人なのです。で、美術家連盟の理事として、票を集める必要もあるし、相手に対する友情もあるしで、週に一回は、銀座に来る人なのです。特に望月画廊は、独立と関係が深いです。したがって、上條陽子さん、一人がターゲットとしてでもいいからと、言う思いで、国画会に出す予定で、制作をしていた大作を、望月画廊の大学同窓会展という幸子さんに言わせると、つまらない展覧会に出したのでした。

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副題2、『では、なぜ、20日の7時のNHKニュースに、CIAエージェントたちは、上條さんを出したのか?・・・・・理由は、18日月曜日の歌舞伎座にあった』

 私は、渡辺幸子さん分析の第三弾として、朝日新聞外信部の野村彰男さん(現在79~80歳の筈)との青山国連大学前でのエピソードを出すつもりでした。これは、渡辺幸子の第三弾という別章を立てて、そちらで詳しいことを展開します。そこで、書くことは、日本の大メディアは、自己規制をしていると、言うことです。アメリカが大切です。そのアメリカの大統領ではなくて、中枢の軍産共同体が大切です。その人々のために動く、CIAも大切です。

 だから、アメリカ 対 アラブの問題は、絶対にアメリカに、富豪が大勢住んでいるユダヤ側が、大切です。アラブ側に、味方をする記事を書いてはだめなのです。そういう観点からすると、パレスチナ支援をしている上條陽子さんを、ここでNHKが、表に、出すのは、おかしいのです。

 しかし、私には思い当たる節がありました。は。ハーン、18日に私が歌舞伎座四階で、大立ち回りを演じたせいですねと、理解しているからです。

 なお、大立ち回りと言っても、ダイアローグだけで、ですよ。別に殴り合いをしたわけではない。しかも、生涯で、たった三回目の喧嘩です。そして、前二回もそうですが、勝ちましたよ。徹底的に自信を持ちました。子供時代には、喧嘩などしたこともない私ですが、言葉だけで勝てるのです。

 で、今回は、鎌倉エージェントの伊藤玄二郎と、まだ生きている井上ひさしと、彼らの言う事を聞いて、私をいじめて来る、築地警察署(多分、生活安全課の課長)+桜田門の、警察庁長官、及び、歌舞伎座、及び、松竹をコテンパーにやっつけてしまいました。

 その詳細は、今は、書きません。というのも、これは、おいしい種だからです。どうしておいしいかというと、課長は、消防法(特に劇場法)というのに基づいて、私をいじめてよい(つまり、その日、四階席で、対私に対して行ったひどいいじめは、ただしいのだ』と、言いました。だがね。そんな法律は、今のところないのです。詐称です。つまり、嘘をついたのです。ただし、伊藤玄二郎が近々、作るかもしれません。だったら、官報を、見せてもらわないといけませんね。こういう時に紙の資料が大切になります。官報第何号に載ったかが大切になります。

 で、なぜ、警察庁長官をやり玉にあげるかというと、歌舞伎座に到着する前に、横須賀線が遅延したのです。連動しているいじめです。JR東日本は、なぜ、15時26分発の、横須賀線を、品川到着直前に、停車させたのですか?

さて、上の文章を書いた二日後、又歌舞伎座に向かって居ます。これは一幕見の切符を朝早く申し込んだので、敵さんたちには、見え見えのことです。インターネットで、申し込みますのでね。で、二日前と全く同じ事をやってきたのです。二日前の遅延は、私いじめだと書いて居る私に対して、違うんだ。しょっちゅう起きるのだ。という形にもっていくために、起こしたというのが、一つの考えです。二つ目は、お前をとことんいじめてやるさ。今日も遅刻して、30@うんの一幕見を、15分は、見せなくしてやるさと、考えて居るから遅延をしたのかもしれません。どちらにしても私狙いであることは確かなのでした。で、いじめ切ってやろうじゃ無いの、と言うわけでしょう。しかし、あゝ、そう言う感性の人たちなのだ。と思って仕方がないと思うのです。ところが、五分後に出発したところ、凄まじいスピードで走るのですよ。それでね、新橋には予定通り到着させるつもりなのだと感じます。是じゃあ、今日の運転手さんは事故でも起こしかねないわね。JR西日本の福知山線事故は、上司にいじめぬかれていた運転手が、遅延を恐れて、カーブでスピードを落とさなかったそうですけれど、あれと同じことが起きるのではないかしらと、思ったほどです。横浜駅を、出た後で東神奈川を過ぎたあたりで、停車して、7分ぐらい待ったのに、新橋駅では、4分の遅れになっていたから、運転手は、頑張ったのです。これはね、命令している側が、どうとでも逃げられる様に、両刀遣いをしたなあと思いました。

 もちろん、警察庁からの命令を聴く様に、社長命令が、常に横須賀線には、降りているからでしょう。でないと、おかしいですね。だから、この件を正式に取り上げると、50万字ぐらいかかるし、JR東日本と歌舞伎座と、伊藤玄二郎と、井上ひさしが行って来た数々の謀略が全部語ることが出来ることとなります。

 だから、おいしい種なのです。うれしいです。歌舞伎座の課長か、松竹の課長かは知りませんが、ともかく、小川氏には大感謝です。

 私は、消防法に私が違反をしているのだったら、第何条ですかと、質問をしても答えられないので、瞬時に嘘をついていると理解して、消防庁のホーム頁を開き、スピードを上げて斜め読みをした上で、そんなものはないのだと確認をして、さらに、電話で、問い合わせて劇情報など、無いことを確認しました。世界のニュースをこの指先で、作っている私です。しかも、1977年に、CIAe-jentoの、日本代表瀬島龍三を、うち破って、鎌倉に引っ越して来ている私です。

 私は、彼を見ていて、覚悟のうえでも、法律の知識の上でも、他人との交渉能力の上でも、自分より、力が、相当に下だと、思いました。本当に、かわいそうなぐらいでした。私と喧嘩する様に仕向けられたりして、バカみたいな役割です。その上、私が、その時に、考えた事は、おやおや、是もまた、警察が出てきたとなると、例の雪の下の安野夫人とかかわりますね。で、彼女を助けようとする仕組みを実行する人物は、バカ化すると、よく言って居ますが、この人もその典型ですねと、思い至った次第でした。

 ここですが、初稿では割と突っ張った言い方をしています。それは、ですね。秋山祐徳太子が、ギャラリー山口で、保坂涼子さん(当時は、名前として、航子は、まだ使っていなかった)に向かって、雨宮舜、何するものぞと力んだというエピソードを思い出して使っています。

 でね、窮した彼は、「警官を呼びます」と言いました。これは、2016年、西隣の白井夫人が使ったセリフと同じです。私は頭の中で、・・・・・あら、うれしい。あれを再現できるわ。そして、雪の下の連中も木っ端みじんにやっつけてやれるわ・・・・・と、思い直し、内心で、にこにこしながら、

 「じゃあ、時間がかかりそうだから、トイレに行かせてください」と頼んだのです。そして、それから、トイレに行って居るたった、二分ぐらいの間に、上にいる人物の方針が変わったらしいのです。「早く追い出せ」となったらしいのです。で、私は、これまた嘘をつかれて、一階まで、誘導をされてしまって、外へ出されてしまったのです。そこで、彼らは、豹変しました。突然に、「業務がありますので、これ以上は付き合って居られません」と、言って消えました。

 あのね。これも警察が絡んでいる限り、雪の下二丁目の、安野智紗夫人が過去に行って来た数々の蛮行(というか、ばかげた嘘の数々)を、隠ぺいするための所業です。そして、彼女を救うために、CIAエージェントたちが、数多い謀略事件を起こして、たくさんの人を殺していますね。平成の八墓村事件の老人五人を始め、寝屋川のアーケードで、深夜遊んでいた、二人の中一児童、それから、新潟市で、死後轢断事件として、発見をされたおおももたまきちゃん、それらも全部、安野智紗夫人の過去の蛮行を、隠ぺいするために、

 私のブログをつぶせばいいと考えて、私が、精神病院に入る様にするために、私を脅かし続けるために、行われたのです。そして、夫々、嘘の犯人に、罪を擦り付けています。保美死刑囚、山田浩二死刑囚、植松聖死刑囚、山上徹也容疑者、青葉真司容疑者、・・・・・

 しかし、私は、19日、一日中、この問題には、触れませんでした。ビビっているからではなくて、他のことを書きたかったからです。でね。前から、準備をしておいたであろう、上條陽子さんの、パレスチナ支援を、7時のニュースで流したのです。

 私がそれに飛びついて、長い文章を書くはずだと、推察されてです。

 ここで、本日の章は、終わっておきます。各事件について、往時、書いて居たリンク先を探しておかないといけませんし。

渡辺幸子、石塚雅彦、伊藤玄二郎、酒井忠康、栗田玲子、宇都宮和代・・・・この23年間、私をいたぶり続けた人物たち     2021-06-11 00:23:32 | 政治

  鎌倉、ロールスロイス、渡辺幸子さんの嫉妬と、彼女の曼殊沙華の絵で、私が死に瀕した話ー1     2023-10-09 21:26:55 | 政治 

渡辺幸子さんとの確執ーその2・・・林真理子の奇跡を、小関利雄先生と・熊沢淑女史の関係から読み解けば、Mr田原はMrs博子との再婚を後悔して居たはずだ    2023-10-13 21:41:58 | 政治 

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