これは、予告内では、私が死に瀕した日に、渡辺幸子さんの曼殊沙華の絵が、重要なアイテムになっていて、そこまで、書くつもりでした。しかし、今現在書いて居るところだけでも、26000字になっているので、それを加筆するのが無理になりました。以下に書いて居るのは、そこに至る前段階です。
副題1,『鎌倉三の鳥居(八幡宮前の、大鳥居)前は、T字路になっていて、車にとっては、青信号になるのに、結構、待たないといけない交差点になっています。それは、歩行者が、大勢いるということと、横々(高速)へ抜ける道でもあり、進行車、右折車、左折車などが、複雑に絡み合うからです。
で、晴れた日の休日などでは、東京から鎌倉へ入る車が、長蛇の列を作って、渋滞しています。わたくしは、母に免許を取ることを禁じられている人なので、車については、ほとんど知らないのですが、その長蛇の列の中に、美しい車があると、思わず、歩みを止めて、見入ってしまいます。そして、帰ってからパソコンでお値段を調べたりしています。
で、今の名車というと、フィアット、BMV、アウディ、ベンツ、などですが、40年ぐらい前までは、ロールスロイスでした。今でも、ロールスロイスは、売っている模様ですが、街を走っているのは、私は、見たことがないのです。特に丸の内あたりは知りませんが、鎌倉では見たことがありません。まあ、道も狭いですしね。
今、ちょっと、調べたところ、四千万円以上の模様です。
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副題2、『ロールスロイスにまつわるエピソードとしては、たかの友梨さんの、BS日テレ内【おぎやはぎの愛車遍歴】の中の、ロールスロイス愛・遍歴と、その後、本業のエステサロンで、労働争議が起きたことは、忘れられない思い出の、一つとなっている』
私は車に関して何ら知識はないのに、おぎやはぎの司会する美術館訪問番組を見ているうちに、こちらの【愛車遍歴】の存在に気がついて来て、時々見る様になりました。非常に打ち解けた、サロンで、出演者(=ゲスト)が、乗りに乗ると、とても面白い話を聞くことができます。しかし、坊や(=次男)が、慶応高校野球部に入って大活躍する前の清原選手など、意外と、面白くなかったです。
さて、たかの友梨さんが、ここに出ました。
実はたかの友梨さんは子供の頃不幸な目にあって育ったそうです。それに対するコンペンセーション(補障作用)でしょうが、成功した自分へのご褒美として、事あるごとに、ロールスロイスを買うことにしているそうです。新しいロールスロイスを買う事をワンステップと考えた模様です。で、その番組に出たときに、6台のロールスロイスを既に買っているそうです。先程申し上げた四千万円クラスは安い方です。高いのは七千万円近くします。しかしその番組に出た時はまだ安かったと仮定して1台五千万円として考えると6台で3億です。これは、おぎやはぎやアシスタントの女性たちのサロン内では、大変楽しいお話ですが、それを見ているエステティシャンにとってはとんでもない話だったのですね。自分たちの重労働を搾取されていると、言う考えに至ったのです。というのも、彼女たちの作業は重労働なのです。だから「これはひどい」となってストライキが起きたので、それ以前は成功したビジネスウーマンとして、化粧業界だけじゃなく、ありとあらゆるメディアに彼女が登場することが多かったのですが、このストライキ以降、全く登場しなくなりました。でも、今、ウィキペディアを見ると、ちゃんと生きて活動続けているみたいです。引き続いて成功した人としてビジネスをやっているみたいですから、・・・・彼女も物言えば唇寒し・・・・と言うお勉強してそれ以降、洗練をされた生活を、送っているみたいです。でも、このエピソードからもわかるように、ロールスロイスとはとても高いものなのです。そのロールスロイスが渡辺幸子さんの庭に置いてあるのです。そして彼女は何度も何度もこれをモチーフにして絵を描いています。それが鎌倉の人たちにとっては、受ける要素であって、彼女は鎌倉美術家協会においてどんどん出世していきます。
さて、しかし、心理学的に言うと、渡辺幸子さんにとってのロールスロイスとはやはりコンペンセーションではなかったかなぁ?と思うんです。彼女がどんな苦しみを負ったかと言うと、子供の頃ではありません。20歳位の時ですね。正確にはその時期を知りませんが、ともかくお父様が破産をなさったのです。それ以前は鎌倉のお嬢様として、12歳の時から、フェリスにも行きました。公立の中学校に行かないで私学中高一環教育校。しかも神奈川県では女性には大変人気のあるフェリスに行って、そしてその当時、これまた大変人気があったICUへご入学です。ただしICUが知られていたのは、一部の人にだけですね。1億2000万人の日本国民全体に知られていたわけじゃない。ミッションスクールの通学者、または大学附属高校の通学者、または高校時代アメリカに留学済み(=AFSの経験者)、または両親が海外に仕事を持っている帰国子女、こういう人たちに大きな人気のある大学でした。フェリスからそこに入るって言う事は、私も出ているICUですが、もうほんとに順風満帆の人生です。ところがお父様の破産と言うことが起きた。ここでね、学費が払えないから中退した。そして高卒の資格で。どこかの会社に採用されて月給現在の貨幣価値で言十五万円円位もらえました。となると、惨めです。
しかし彼女には、見事な、プラスアルファがありました。彼女が、この父親の破産のケースを電話で私に、心おきなく語ってくれると言う事は、一種の誇り高き経験だからです。大学を中退して入社したのが日本航空であり、職種が当時は大変人気があったスチュワーデスだったからです。だから、私に語ったのだと私は感じています。
そして、ご両親とお姉さんの生活費を、彼女はスチュワーデスの給料で養ってあげていたと思います。で、私に対しても、「あなたって、どうしてこういう無駄なことに、お金を使うの? 理解ができないわ」と言われていました。
なんで彼女に叱られたかと言うと、私が文章を彼女にも送っていたからです。私は今はパソコンで、書いて居ます。しかし、1998年から、2003年ごろまでは、手書きの方がパソコン入力より早くてね。・・・・・というのもキーうちだけは、早いものの、それ以外の部分がまだ、わからなかったからです。ワードの使い方や、パソコンの使い方などが、わからなくて、それに時間を取られるのが嫌だったからです。で、手書きでエッセイを書いていまして、それを、コンビニでコピーを取り、郵便で読んでもらいたい人に送っていたのです。だからね。一回のエッセイを他人に読んでもらうために、自分の方が一万円ぐらいを、払っていたわけです。
でもね、私にとって最もやりたいこと、そしてやらざるを得ないことがそれでした。まるで呼吸をするように、やらざるを得ない事は、ものを考えると言うことなのです。そして考えると言う事は、いったん、紙、または、パソコンに書き下ろさない、と先に進めないんですね。同じテーマを考え続ける、堂々巡りの苦しさを味わう事になります。
だから必然的に文章を書くようになります。私の文章は注文を受けて書いている文章じゃないです。自分の心と体から自然に湧き起こってくるものを、書くわけですが、小さい頃から「表現力がある、または文章が上手だ」と先生や友人に、言われていたので、自分の書くものを他者に読んでもらうと言うことには、全く恥じらいも劣等感もなく、もうほんとに読んでもらえることを信じ込んで、送っていました。
一方、二十歳前後という若いみそらのご自分の給料で、両親と姉とが構成する一家を養っていた渡辺幸子さんは、お金の使い方にはとてもシビアで、・・・・・画家としての出世には、全然役に立ってないものに、なんでこんなにお金を使うの?
と言う疑問を抱いた模様です。その時ね。私は・・・・・渡辺幸子さんと、自分とは、なんと違うことだろう。心や体の根幹が違うのだなぁ・・・・と思いました。私にとって絵を描く事は出世の道具じゃないんです。まぁより大勢の人に見てもらう方がいいから、それは有名になったほうがいいですよ。
私はコピー代とか郵便代でお金を使うことを全く無駄なことだとは思いませんでした。渡辺幸子さんと私の目指してるものが大きく違うと言う事。これは望月画廊での大きないじめが始まる前から、私の方は気がついていて、彼女から電話で、打ち明けられる話は、全部受け止めて聞いていますが、自分の方の話は、ほとんどしないと言う・・・・・そういう流れになっていました。
私はもう絵の世界、特に公募団体展での、出世と言うのは諦めていました。
国画会における御大として隠然たる力をもつ島田章三さんが、ずっと、それを書き続けている北久里浜の・大・大・実質的・詐欺事件の、首謀者たちの1人である、女性、杉本正子さんと、その夫から、大金(=横須賀市の公金)を注がれている事が、国画会内部での、諸種のいじめで、わかって来ていたからです。
このシリーズは、全体で、六万字ぐらいになる筈です。で、すでに、下書きとして、26000字(と、グーブログは言う)は、書いてあるのですが、スマホの音声入力を利用したので、誤変換満載です。
ところで、普段だと、それでも、良しとしてしまうのですが、この章の主人公、渡辺幸子さんは、国際基督教大学の先輩です。六期上です。ただし、私が浪人して入学しているので、年齢差は、五歳、私の方が下となります。また、彼女は、鎌倉在住です。それで、気を使うという側面もあるのですが、
私はね。彼女を、ある程度以上に好きなんです。何とも、子供っぽいなあと、思っていてね。また、いじめられていて大損失を与えられているのにもかかわらず、何か、いちいち、子供っぽいので、かわいいなあなんて、思ってしまうのです。それはね。おなじCIA仲間の栗田玲子さんなどとは、違う側面なのです。それとね。意外と小心な部分を持っている事も知っている。したがって、一種の感情移入があるので、誤変換を残したままの文章をさらけ出したくないのです。
なお、総タイトルにあるロールスロイスとは、渡辺幸子さんが庭に保管をしている車です。そのロールスロイスを捨てないという部分も、彼女の子供っぽさを表現をしていると思うのです。20歳のころ、父君の破産で、急に味わったであろう貧乏になってしまう恐怖。そこから脱出した後でも、富裕層しか買えない「ロールスロイスを、私は、持って居ましたよ」と、言う誇示を、つづけている姿勢。その車ですが、昔は、、動いて居たのでしょうが、今は、動かないものでしょう? 一種の鉄くずとなってしまったロールスロイス。それでも、それを庭にきーぷしつづけている彼女。なんと子供っぽいのだろうと、思います。 彼女は実際には、日本車を乗り回しています。
それで、総タイトルに、ロールスロイスとでてくるわけです。
それとね。物事って、すべて、双方向性があるでしょう。私は、彼女、及び、その背後にいる酒井忠康氏にいじめ切られてしまったので、美術ではなくて、文章を、書く方向へつよく進みました。しかも、孤独極まりない、ブログの世界へ、逃げることとなりました。しかし、それが、自分に合っているのです。孤独は気にしない。
それにね、酒井さんが敵である・・・・・とか、ICU同窓会が敵であるとか、島田章三さんが敵である、と言う事は、非常に弱い、みじめな境遇だとも言えますが、一方で、誰に対しても遠慮しないでいい・・・・・と言う事でもあるのです。
国画会に出品しなくなったからこそ、横須賀市の、旧水道山をめぐる、実質的大詐欺事件についても、堂々とかける様になったわけです。それを、よく思い返している私です。
私のブログはね。自分の命を懸けて、独自の世界を切り開いていっています。そこに深い誇りを感じています。
というわけで、すべては、双方向性を持って居ると言う事です。自分のブログ一章内では、それを表現できなくても、書く方の、私は、それに対して、常に、思いを寄せています。