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銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

ちょっと毒気に充てられて、普段の自分ではなくなっています。その毒気は、或る個人からではなくて、例のCIAからですが

2022-03-11 23:23:18 | 政治

 今の時刻は、13日の午前零時半です。後半黄色い罫線以降を加筆し始めます。*16)以降で、午前五時には、初日の二倍になっています。

皆様、最初に総タイトルの中に使っている【毒気】という言葉が、何を指すかを語らせてくださいませ。

 それは、世の中には、年利15%の投資策を行っている人がいるということを、本日初めて知ったから、それを指します。その後、その人と別れて、朝、家から持って出た朝日新聞を電車内で、読んでいると、某週刊誌が、「銀行は、インターネットができない人間を捨てるのだ」と、言う中づり広告を出しているのを、見つけました。

 うちの主人は、ネットをやっていないので(読むほうは、読みますが、発信は最近はやっていません。20年前はやっていました)「あなた、政府から捨てられてしまうわよ」と、二日前に主人に向かっていったばかりでした。まさしく、そうなっています。そういう風に捨てられる方の、私の目の前に、輝くばかりの大金持ちが現れて、「年利、15%で、投資をしている」という話を、ちょっとだけ、聞きました。投資信託等ではないそうです。私は彼女に向かって、「いい、いい、それは、聞きたくない。興味がないから」と言いました。だから、「ビットコインが何とか」と、ちらっと聞きましたが、本当の方策は知りません。

 ネットで、そういう広告を見るし、最近、フェイスブックの世界で、日本人女性で、若くてきれいな人が、私に、友達申請をしてくるのですが、そういう人が、すべて、金融投資を勧める人間なのです。でも、嘘だと思って、全く相手にしていませんが、実際に、この現代日本に、そういう莫大な、お金を持って運用して、莫大な利益を上げている人がいるのでした。まったくリアルな人として、そういう女性と知り合いました。それが、毒気に充てられてしまったという言い方の一つです。しかし、もっと別の面も最後の方にいくつか出てきます。毒気、毒気の連続です。しかし、彼女はボランティア活動で、そのお金を使っているそうです。私は下品な人には、興味がなくて、彼女は、上等な人間ですよ。だが、住む世界が違うタイプでした。(苦笑)

*1) 

 私はね。相手が、特別な、攻撃をしてこない限り、知り合いの事をブログ化するのは、致しません。

 しかし、本日はね。相手の人(新しい友人だが三時間も会話を続けるほど、盛り上がった女性)が、渋谷スクランブル交差点の真ん中で、ただ、一人取り残されたのです。で、私もその人を助けるために、歩みを止めて、宮益坂方向から走ってくる車を、手で、止めて、彼女を待ちました。道玄坂側(または、センター街側)から、ハチ公側に渡ろうとしていたのですよ。

 その人は、超・高齢者(89歳)ですが、健康で、エネルギー満々のご婦人です。信号が、青になってから、わたり始めた、渋谷スクランブル交差点を、わたり切れないうちに信号が、赤になるなどありえないことなのでした。

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*2)

 こういうちょっとした違和感から、私は、CIAの手下としての、特殊警察の動きを察します。そして、ひどい人権侵害だと、思い当たります。というのも喫茶店で、彼女がトイレに行ったすき、または、私がトイレに行ったすきに、スマホを通じて、彼女に、「今、話している相手とは、即座に分かれなさい」というお知らせが入ったはずなのです。それで、彼女は、私と、離れ様として、渋谷交差点内で、躊躇をしたために、遅れたのでした。だから、盛り上がって、三時間も話し合った立派な女性と二度と、私の方は、会うことはできないのでした。ひどいと、思っています。

 ただし、これは、基本的には、伊藤玄二郎とか、井上ひさしとか、安野忠彦・智紗夫妻とか、西隣の夫妻が、事前に、計画して行ったことではなくて、警視庁が、常に尾行をしているので、『これは、チャンスだ。今(=2022年3月11日の午後6時45分)に、いじめてやろう』と考えて、行っていることでしょう。

 私は、弁護士さんから、「何も心配することはないでしょう。あなたは誰も殺していないし、なにも盗んでいないのだから」と言われています。しかし、常に尾行が付いていて、チャンスをつぶされ、気分を悪い方向へもっていかれてしまいます。それを、本日は、丁寧に、かつ、瞬時(というのは、ことが起きてから、たった、五時間後)に書き表しましょう。

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*3)

 それは、我が家の東北の崖が無断で壊され、かつ、私道部分が、山の全戸の人が花畑にしているのにもかかわらず、我が家だけが、コンクリート打ちをされていて、

 その原因者たる、井戸端会議を1986年から、15年ぐらい、毎日、午後自宅前で、行っていた安野智紗夫人に起因するので、私は彼女を嫌っています。

 だからこそ、警察は、彼女を擁護していて、それを使い切っています。安野忠彦、智紗夫妻からやられてしまったことは、数知れないし、恐ろしい事ばかりです。それなのに、その門前には、

 という看板が張られていて、月給ももらっている可能性が高いし、一時金として、日当たりをよくしてもらう、費用を鎌倉市とか、鶴岡八幡宮の、お金で、やってもらっているし、

 2020年秋の屋根の工事は、公金で、行ってもらっているでしょう。公金とは市のお金か県のお金か、国庫金か、わからないということです。しかも、こういうことは、絶対に、公にはなりません。でも、私は、本当のことを言っています。

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*4)

 私が、彼女が行っている悪さとか嘘を書き表すたびに、遠くで、異様な殺人事件が起こされます。周南市の限界集落、金峰で、保美死刑囚が、五人のご近所様を殺し、放火もしたとされている事件。

 寝屋川の商店街を真夜中さまよっていた、中一の二児童が、山田浩二という死刑囚に殺されたとされる事件など、普通の日本人社会では、起こりうるはずのない異様な殺人事件を、数多く起こされています。

 ごく最近、起こされたのが、大阪梅田で、中澤弘一郎医師が、開いていた、再就職を支援する、心療内科を、絶望した患者が拡大自殺を遂げた、放火殺人事件があります。詳しい分析をまだしていませんが、同種類でしょう。

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*5)

 私は、そういうことを、2014年以来、前田祝一氏を、第一番に書き始め、順次実名で、書いています。

 それが、すべて、真実なので、外出するたびに、常に、尾行が付いてありとあらゆる場所で、脅かされ、チャンスをつぶされています。

 しかし、1965年、ICU在学中から、アメリカ人スパイ(当時は、エージェントとは言わなかった)ベイカーさんに、眉をひそめただけで、『大変頭がいい人間だ。自分がスパイであることを見破られてしまった。だから、殺さないといけないと考えられて、ICUの進入路・・・・・神社だと、参道だという部分で、国際キリスト教大学の場合は、旧中島飛行機(ゼロ戦など各種の戦闘機を戦時中に、設計した)の滑走路を利用しています・・・・・・

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*6)

 なお、余談ですが、宮崎駿氏は、旧中島飛行機の重役の息子さんです。敗戦後、中島飛行機は、スバルと、プリンス自動車に分解され、敷地の大部分は、国際基督教大学になってしまったので、憤慨があって、学習院卒なのに、一時期共産党へ入ったと、自伝か何かで、語っておられます。

 それは、それとして、個の五年以内に、京都アニメーション放火事件の八田英明社長に、「これから、こういう事件が起こりますよ。でも、びっくりしないで、こういう風に、行動をしておいてください」と、伝言をしたと、見ています。

 これはね、どういうことかというと、菊之助が、トップコートというタレントエージェンシーに所属しているということと、そこの社長・渡辺万由美氏の動きとか、菊之助が、歌舞伎版【ナウシカ】を作ろうとしたときに、起案されたことでした。それと寺島しのぶの、まほろちゃんをMと呼ぶブログを私が読んでいたことと、真帆ロちゃんと、丑之助をどう扱うか、菊五郎は悩んでいるだろう(6年ぐらい前の話ですが)という様なブログを書いているので、思いつかれたことでしょう。

 まあ、こういうことはすべて、過去に書いていますので、本日は、詳細には踏み込まず、先へ進みます。

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*7)

 なお、こういう風に私を脅かして、ブログを書くのをやめさせようとして、起こされた直近(=LATEST)の事件は、大阪梅田の、親切な先生が、再就職のためのプログラムを開いていたとされる心療内科への放火殺人事件です。

 私は、京浜急行【横須賀中央】駅のすぐそばの雑居ビル内、4階に在る、中央内科というところに半年に一回ほど、睡眠導入剤アモバンをもらいに行っていたので、

 雑居ビルの四階に在るということと、アモバン等を処方するお医者さんだということで、あの医院が狙われたのです。こういう犠牲者は、すべて、スパコンへの検索をかけて、選ばれます。ビルの四階に診療所があると、言うこととアモバンを処方していると、言うことで、検索をかけてあの医院が選ばれてしまったのでした。

 NHKが報道していることは、まるで、違うのですよ。元患者(または、現在通院中の患者)の拡大自殺だと、されていますが、全く違うでしょう。事前に周到に計画されている事件で、犯人は、これまた、適切な人間(友人へのメールで、自殺したいとか、書いたことがある人間)で、攻撃的な性格の人間が、リクルートをされたとみています。

 数日後、犯人も焼死したとされています。が、闇が深い事件です。

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*8)

 各種の異様な殺人事件で脅かされているが、特に痛ましいのが、新潟で、死後轢断死体として発見された、【おおももたまき】ちゃんである。だが、それらが、私を脅かす事件だと、わかっていても、ブログを書くのをやめない。で、ご近所様に、私を精神病院に入れる様な働きをさせようとして、【措置入院】と、言う語彙を一般社会に、広めたのが、やまゆり園事件だった。

 2021年は、公的には、自分を死んだ事としているが、実際には、まだ生きている、井上ひさしからの30本を上回る、連続コメントという形で、精神病院へ入れられそうになっていると、言うことを実感したが、

 そのために、歌舞伎にもいかれないという状況になっていた。玉三郎と仁左衛門の、【桜姫東文章】が、大人気だとは、知っていたが、ネットで、申し込むことができず、かつ歌舞伎座チケット売り場で、問い合わせても、全く買えなかった。

 しかし、私が、それを見られなかったことは、尾行によってわかっているので、なんと、小学生時代の、友人がいじめ役として動員されたのだった。

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*9)

 実は、本日知り合った女性も大富豪である。毒気に充てられたというのは、いったいこの人は、何億円、または、何十億円の、金融資産を持っているのだろう? 89歳にして、ビットコイン等の投資で、年利15%の収入があるなんてと、ただ、ただ、驚いて、それが、毒気に充てられましたと、言う話なのだけれど、

 私の小学生時代の、友人に、おお金持ちになった人がいるのです。小学校時代は、その人はお父さんがいなくて私立中学に行かれなかったので、いやな思いをしたと、思うのですよ。しかし、今では、50人のほかの旧友が誰も追いつけないほどの、おお金持ちになっています。

 それは、ご主人がゲームソフトを作る会社の重役だからです。それから、彼女自身も横浜国立大学を卒業した後というか、在学中から、塾を続けていて、大繁盛をしています。79歳の今は、辞めていると思います。が、一時期は、優秀なお子さん方だけを引き受けて、ほとんどを翠嵐高校に入れていたでしょう。

 翠嵐高校が神奈川県一優秀な公立高校になったというのも彼女のおかげかもしれません。

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*10)

 あるときに彼女が、歌舞伎座3階のエレベーターに、私と同時に乗り込んできた。その同じ時の、15分ほど、後刻に、彼女から、「玉三郎よかったわね、私四回も見たわ」と言われた。私がチケット売り場に行ったときには、「全館、全席一か月、全部、売り切れです」と、言われたのに。

 だから、玉三郎の、桜姫東文章は、前編にしろ、後編にしろ、同じものを四回も見ることは、普通なら、できないはずなのだ。だけど、彼女は、追加の席を買うことができた。だって、『よかった』と思うから、三回ほど、追加の、切符を買ったということだろうが、普通なら、「一等席もありません」と言われるのに、彼女は追加の切符を自由に買うことができた。

 ご主人が慶応大学の理事になっているそうだから、松竹に慶応卒の偉い人がいて、そのコネで、自由に切符を買えるのだろうか? 松竹は皇族、または、総理大臣が、「見たいです」と、言ってこられた時のために、ある数の切符を保持していると、思う。しかし、ご主人コネとは、違うと思う。のちに、対私への攻撃へ使おうと、考えた、伊藤玄二郎か、井上ひさしのどちらかが、彼女が、四回も見ることができる様に、手配をしたのだった。伊藤玄二郎は、有名な松竹プロデューサー山内静雄氏に取り入っている。山内氏は、小津監督作品を手掛けた人だし、里見頓の四男である。一方で、井上ひさしは、脚本を数本書いている。だから、抜群の影響力を松竹及び歌舞伎界に及ぼしている。

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*11)

 彼女のその日の目的は、私と同じエレベーターに乗り込んでも、気が付かない振りをして、無視をし続けるという策だっただろう。それには、慶応大学路線が、利いていて、ご主人が首尾を聴くべく、どこかで、待っていたと、考えられる。

 私はすべてがわかる人間だから、それもわかっていたが、最初は、その屈辱を防衛するというよりも、ただただ、茫然として、斜め後ろから彼女を見ていた。あまりにも色白で、肌にしみ一つないからだった。

 というのもワクチン接種で、ファイザーを摂種したのだけれど、二回目には、後遺症が出た。それは、蕁麻疹という形だった。で、鎌倉に引っ越してきてから、初めて、有名な原皮膚科に行ってみた。若先生に変更になっていたが、その際、皮膚科に行ったので、初めて、皮膚科の鏡で、自分の顔を見てみて、シミだらけ、いぼだらけなのを見て、びっくりしたのだった。普段は洗面所が寒いので、台所で、歯磨きをするので、洗面所の鏡など、見ていない。で、自分の顔を丁寧に見たことがなかった。それに、白内障の手術を受ける前は、いぼとかシミなど、見えなかったのも事実だった。その皮膚科で、びっくりした直後に、彼女の真っ白な顔を見て、本当にびっくりしたのだった。

 化学屋なので、しかも化粧品の特許の翻訳をしていた過去もあるので、化粧品が化学薬品で作られていることを知っているので、ほとんど化粧をしない。それをナチュラルだと、思って、自慢にしていたが、立派なエステてぃしゃんに手当てをしてもらっている人とは、かくも違うものかと、驚いたのだった。

 彼女は、子供のころから色が白かった。だが、私も肌の色が白いことで、結構有名だったのだ。母は、二つだけ、私を褒めてくれたことがある。その一つは目の事で、「あんたの目って、象さんみたいに小さいけれど、澄んでいることには驚くわ」というので、もう一つは、肌の色が白い事だった。「色の白いは、七難隠すというからね(だから大丈夫よ。大人になっても、それほど、劣等感を抱かないでもいいのよ。つまり、恋愛も自由にできるだろうし、結婚もできるわよ)」と言ってくれていた。(ここは、蛇足αに続く)

 そして、船橋市立塚田小学校から、横浜市立日吉台小学校へは、1951年の10月に転校をしたのだけれど、転校直後廊下で、上級生(女の子)から、「あら、いやだ。あの子ったら、おしろいつけて、学校へ来ているわ」と言われたほど、肌の色が白かったのだ。

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*12)

 私は、彼女が無視しているのは、こちらが、下だと思っているから無視をしているということはわかっていた。で、肌の具合だけでも、富裕層と、貧乏層ではかくも違うのだと、それは、納得をした。

 しかし、二、三年前だったか、車で、大倉山のレストランに連れて行ってくれて、ごちそうをしてくれたことがあった。それも、私が、どういう事まで(CIAのやっていること、または、その家来としての警察のやっていることの裏側)を知っているか・・・・・そういう意味での本音を探る為だったとは思うけれど、でも、ほぼ、毎年、クラス会が開かれており、顔を見忘れることなどありえなかった。それに桜姫東文章に三階の席など、余っていたはずはなくて、一等席だろうから、その日は、桜姫の演目の月ではなかったが、彼女が三階のエレベーターを使うなど、予想もできない事であって、

 これは三階のエレベーターを使う私を、無視するために、わざと同じエレベーターに乗ってきたのだし、それは、きちんと、わかっていた。最初は、彼女の美しさに呆然となったものの、そういう屈辱が、例のCIAエージェントたちの差し金で、起きていることが確かだったので、これを放っておくのは、いけないことだった。

 というのも小細工がおこなわれたときに、その裏側を、わかっていますよと、ミステリーを解いておかないと、成功したと思われてしまい、さらに恐ろしい罠が張られるからです。

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*13)

 で、私は上手に彼女を取り込んで、振り向かせて、ちゃんと友達扱いをしてもらいました。ということは、いったん、短い時間だけど、彼女が負けたわけです。無視するという使命が崩されたわけですからね。でも瞬時に彼女は立て直してきました。それが、「玉三郎よかったわね。私四度も見たのよ」という次の言葉です。

 私はむろん、グーの音も出ませんでした。上で、言ってるように当時は、井上ひさしがコメントという形で、お前を精神病院に入れてやるぞと言って居ましたので、書き残していたことを書こうと思って必死だったからです。

 今も同じで、書き残していたことを書こうとして必死です。だから、総タイトルに、今日は、普段の自分ではないと書いているのは、書き残したことを書くのではなくて、本日、旧に出会った、超が付く、お金もち、ご夫人との会話と、それが、一気に全部チャラになってしまった話を書きたいわけで、西隣の工事から、派生してくる、CIAエージェントが過去にやったこと、あれこれを、今日は書けないというわけです。

 今、思うと、その玉三郎を四回見たと、友人に言われた日は、結構みじめな、日でしたが、私は、少しでも努力をしておきたい人なのです。それで、彼女に、一緒に帰らない。私ね。横浜まで、東横線を使ってもいいからと、言いました。本当はダメなのです。心臓病を患った主人は早く寝たがっていますからね。でも、失地回復をしたかったからです。

 日比谷線、東銀座駅から、中目黒まで行き、そこで、東横線に乗り換えて、今度は日吉まで行きます。全体で、50分ぐらいです。しかし、彼女は、だめなの、用事があるから」と言いました。その時間帯では、お店は開いていません。買い物をするわけではないし、女性の友人と待ち合わせるわけでもないです。ズバリ言えば、どこかのホテルのロビーで、ご主人(プラス慶応大学卒で、私を攻撃している人たち)が、待っていて、今、起きていることを詳細に報告することを求められているのでしょう。でも、彼女のスマホが盗聴装置となって、そこで、待っている人はすでにすべてを知っているのですがね。私は彼女に向かって、「ご主人が待っているのでしょう」とは、のどまで出かかっていましたが、声にはしませんでした。

 で、帰ってから、これをブログで書こう。そうすると、小学校時代の友達を全部失うかもしれないけれど、78歳の今は、それで、いいでしょう。ともかく、連中が企画したことはすべて、見破っていますと、言っておかないとだめなのだからと、思って、実際に書いています。

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*14)

 この様に、敵さんは、私の友人をすべて奪っています。だまし討ちに使うので、それをブログに書くと私の方が悪者にされてしまって、友人を失うということになります。学友は、小中高大、すべて、奪われているし、結婚してから住んで、三つの町でできた友人、日吉の実家近辺で、知り合っている、おばさん、叔父さんからも、すべて、裏切られています。

 でね。79歳になる今まで、付き合ってきた過去からの友人は、すべて、使えなくなったのです。で、行きずりの人との会話を楽しむこととしています。

 きっかけは相手が持っているものとか、相手の行動のどこかに素敵なところがあると、それをきっかけにします。たとえば半蔵門線の中でですが、非常に上等な紙に英語で、印刷をされた雑誌を読んでいる人がいたので、それは、どういう種類の本ですか?と、聞くと、世界中で、一種類しかないダイヤモンド(特に、それを売り買いする人のため)の雑誌なのですって。だから、同じ雑誌をニューヨークのLOWVEの中でダイヤモンドを売っている人も、銀座で、それを扱っている人も、読んでいるというわけです。一般の人はまるで知らない雑誌があるのです。驚きました。3分ぐらいの会話ですが、世の中の事がわかるので、楽しいです。自分が知らなかったことはいっぱいあります。

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*15)

 で本日の奥さまは、コートが超上等だったのだ。だから注目をした。シャネルのコートというわけではない。派手さはまるでないもの。ちょっと見ると全体が真っ黒で、ちっとも上等には見えない。しかし、私は、自分で物を作る人だ。そして、洋裁もできる。そして、今は、お金がないが、子供のころ、母から、よいものをあてがわれていたので、素材の良しあしも、わかる。

 彼女のコートは首から足首まで覆っているのだが、生地が艶消しの絹(=もとは、着物の無地の紬?)らしいので、しっかりしているものの、軽そうだ。しかも集めの絹を、外へ使うと、とても温かい。こういう、流行に左右されない形の、しかも、機能的なお洋服を選ぶのは、相当に知性が高い人である。それゆえに話しかけた。結果、

 確かに89歳でも、四年制の大卒で・りけじょ・だった。しかもお医者さんの奥さんだった。活発なのは、未亡人だから。しかも、35年も前にご主人が無くなったので、勉強する時間が、たっぷりあって、国家資格三つ、その上、運転免許は、日米、二つ。

 今は、お医者さんの妻としての任務は無い。だから、きわめての自由人。

 私はエレベーターの中で、目の前にいる彼女に向かって、そのコートは「既製品ですか?」と聞いたのだった。すると、「いいえ手作りです」との答え。私は目を丸くした。非常に丁寧な細工がしてあるからだ。すると、彼女は私の誤解をすぐ理解をして、「友達が作ってくれたのです」と言ってくれた。後で、お医者様の奥さんだったとわかったら、それなら、地域社会に根を張っているから、洋裁が上手なお友達も確かにいるでしょう・・・・・と、納得をした。

 その次に、相当な高齢者だと思うので、「私は、79歳ですが、あなたはおいくつですか?」と、聞いた。すると、「88歳よ」との答え。もうびっくり仰天。だって私より姿勢もいいし、元気な感じがあるからだ。

 あまりに驚いたので、「何か、お仕事をなさっていますか?」と聞いた。だって、普通の専業主婦が、88歳になったら、これほど、姿勢がよくしていられないし、これほど、元気ではない。それに最初は、りけじょだとも知らなかったし、お医者様の奥さまだとも知らなかったので、・・・・・非常に知性が高くて、元気だから、何か、仕事、それこそ、彼女自身が女医である、様な、仕事をしている・・・・・と考えたのだ。

 これ以降が、二日目の、13日の零時半に加筆し始める部分です。

*16)

 ところで、彼女と出会ったのは、午後四時に近い、時刻の、半蔵門駅のエレベーターだった。国立劇場の歌舞伎は、24時35分終演だ。その後、なぜ、一時間も、半蔵門でぶらぶらしていたかについては、蛇足1で語りたい。というのも、それもまた、警視庁が、彼女を売らぎりの友とさせてしまう、原因になっていると思うからだ。ただし、警察に関する部分が判ったのが、午後19時ごろ以降だったので、その部分に関しては、蛇足1として、語りたい。私の目には見えていなかったのだから、別の舞台として、語りたい。

 さて、エレベーターを降りてから、ホームまで割と長時間歩く。で、私は、その間、彼女を見つめるわけだけれど、お帽子も、友達が作ったものだと、判断した・キャノチェというタイプの、ベレー帽と、野球帽を足して二で割った様なものだけれど、大島紬を使ってあるうえに、これまた、とても丁寧な縫製がしてあるものだった。それにも、驚かされた。高齢の女性は、どうしても白髪が、ぼうっと立ち上がり、優美なヘアスタイルとは、ならない。だから、お帽子を愛用する人が多いのだけれど、オーダーメードのお帽子をかぶっている人は、少ない。

 カフェに入ったのちには、お医者さんの奥さんだとわかるので、患者さんの中に、洋裁ができる人が居たら、これほど、上等で、込み入った、作業をお願いできる・・・・・と、わかってくる。しかし、お医者さんの奥さんだったら、誰にでも、それが、可能だとは限らない。後で、私の方が、こういった。「私の母ってね。まったく威張らない人なのよ。だけど、不思議なことに、他人に、言う事を聞かせられるの。つまり、あっさり言うと、ひとを使うことが出来るの。私は、まったくだめなの。でも、あなたも、そういう他人に・・・・(上手に、支配しているとも思わせないで、命令できる)人らしい」というと、彼女は、「そうよ」と答えた。

 大変、自信のある人だった。それと、個性というか自主性のある人だった。で、私は、88歳にもなっても、仕事をしている人だと、判断をしたのだった。しかし、彼女は、こう答えた。「あら、仕事なんてしていないわ。ボランティア。ボランティアばかりですよ。今も、そういうお仲間との、会議からの帰りです」

 私は、「うわあ。すごい。そのお話は聞きたいわ」と言った。すると、電車がやって来たので、お互いの、行く先を聞いたのだが、彼女はあいまいなまま、行先については答えず、ただ、単純に、私と一緒の電車に乗ってきた。これは、私の質問がいいからだ。私は、所謂、講師役の人に、いつも、圧倒的に頭が良いと言われる。それは、質問が適切だからだ。相手が思わず、その先を話したくなる様な、質問を、繰り出すからだった。

 「あのね。ボランティアと言っても、行政がね」と、彼女は言った。私は、思わず、身を乗り出して、「一緒に、すこし、お茶でも、しませんか?」と言った。この時に、彼女が未亡人であるかどうかはまだ知らなかったけれど、これほどに、自主性と個性のある人だったら、急に予定変更をしても、家族は、許すはずだった。私の方は許されなくて、帰宅したら、大声で怒鳴られたけれど。それは、後で丁寧に、語るが、主人に連絡ができない事情があったから、仕方がなかった。(苦笑)

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*17)

 さて、どこで、お茶するかに関してだけれど、彼女はさすがに高齢者で、詰めが甘いところがあった。私の方は、新橋駅の、横須賀線出口前にあるエクセルシオール程度を想定内に入れた。歩きたくなかったからだ。で、半蔵門線に乗って、長津田方面に向かっているのに、「銀座線に乗り換えましょうよ。そのためには、表参道で降りた方がいいわ」と言った。

 ところで、私は、彼女に会う前から表参道に行きたかった。それが、なぜかを(蛇足2)で語りたい。

 彼女に、時間的な余裕があることは、ちゃんとわかっていたからだ。すると彼女は、「青山一丁目で、おりましょう。ここで、銀座線に乗り換えられる」と言った。私は、それは、知っていた。しかし、表参道の方が、駅構内を、よく知っているし、駅構内が明るいので、好きだったのだ。だけど、こんなことで、喧嘩をするわけもなく、一緒に、青山一丁目の、ホームへ降り立った。

 彼女は後程、「私ってね。住まいという意味では、だんだん落ちぶれていったのよ」と言った。私がきょとんとしていると、「最初は、〇〇に住んでいて、これは、港区ね」と言った。で、私も「そうね。港区って、住んでいる人の収入が現在、日本で、一番高い地域でしょう」と、言った。「次に、△△町で、中央区」と。それで、私も、「今、勝どきあたり、人気があるでしょう」と相槌を打った。中央区は銀座を抱えているので、ひとは、ほとんど住んでいないと思うが、それでも、・・・・・泰明小学校の制服がアルマーニで、8万円もする・・・・・というのが、だいぶ前にニュースになったほどだから、住民はいるのだろう。彼女はさらに続けて、「その次は、◇◇町で、文京区」と言った。私は、本当に笑った。落ちぶれたというのは、超・上等なジョークである。文京区の住民の所得は、確かに、港区よりは低いだろう。しかし、東大と、お茶大と、医科歯科大学を内部に抱え、何よりも、お子さんを親が入れたいと思う、お茶代付属・幼稚園・小学校と、筑波大付属小学校がある。裕福な家では、賃貸マンションを、仮寓の家として、借りて、住所を移動させて、受験をするらしい。それについては、寄留という語彙さえできているほどだ。

 まあ、こういうジョークを言うほどだから、東京の中央部分を渡り歩いている、超・都民だけど、高齢ゆえに、女性が二人で、静かに長時間、話をできる最適な場所を特定できなかった。ただ、彼女は、富裕層なので、渋谷ヒカリエは、よく利用するようで、「そこに行きましょう」と、提案された。私は内心で嫌だなあと、思った。ヒカリエまでは、半蔵門線渋谷駅から、だいぶ・歩かないといけない。私は若い時の化学実験の影響で体がひどく弱い。この日は、国立劇場に入る前に、有楽町線の乗り換えで、30分以上歩いていたし、歌舞伎を見終わってからも、半蔵門駅の周辺で、30分以上歩き回っていたので、もう、疲れ切っていた。だけど、彼女は、88歳だと聞いていたし、自分より、上等で、高価なお洋服を着ているし、尊敬すべきだった。その上、彼女のボランティア活動については、どうしても聞きたかったので、全く逆らわなかった。

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*18)

長津田方向の半蔵門線の、最先端に乗っていたので、降りると目の前に、エレベーターがあった。最近東京メトロがよく、ホームに設置しているタイプで、エレベーターを上がると、無人の改札口へ出るもの。彼女は、それに乗るのをいささか、躊躇した。ヒカリエには、行きにくくなることを知っていたのだと、思われる。しかし、私はリモワのアテンダントバッグはあるし、彼女もアテンダントバッグを持っているのだから、ちょっと、強引に「乗りましょう」と、促した。

 さて、無人の改札口であるのにもかかわらず、ガードマンが二人もいた。これが、また、警視庁が、派遣をした、ガードマン(または、特殊警察の変装者だった)と、後では、わかるのだけれど、そのガードマンのうちの一人が意外にも親切で、「そこのエレベーター(A6a )を使うと、スクランブル交差点に出ますよ」と教えてくれた。私は、ともかく、地上に出れば、椿屋コーフィー店には近いだろうと思っていたので、そこがいいと、思っていた。いわゆる喫茶店の方が長居ができるのだった。そして、そんなにも親切だったので、この時点で、すでに、警察の特殊部隊に、二人の行動が監視されていたなどとは、夢にも思わなかった。

 地上に上がると、目の前に、フルーツパーラー西村があった。私は、国立劇場がはねた後で、半蔵門ホテルで、昼食をとっていた。だから、本日は、お小遣いを使い過ぎなので、それこそ、エクセルシオールぐらいで、住ませたかった。普通の主婦が、世間話をする場所として、新幹線に、乗りもしないのに、品川駅の新幹線客用ロビーで、3時間以上話し合っている主二人を見つけたことがあるが、・・・・・

 私の感覚としては、フルーツパーラー西村は、その日の私には、ぜいたく過ぎた。しかし、二人とも高齢者で、私は、すでに疲れ切っているので、「うわあ、良かったわね。ここへ入りましょう」と提案した。下が、果物店で、二階が喫茶室なのだけれど、エレベーターに監視カメラがあったかどうかは覚えていない。

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*19)

 私は、常に、自分の事よりも相手のことを心配する。だから、できるだけ、監視をされたり、盗聴をされない方がいい。

 で、2006年ごろまでの、私は、結構、愚痴を言っていた。何の愚痴かというと、実家の父と比較すると、古臭すぎて、女性の権利を認めていないで、私の海外修行へ行きたがっているという、自由を許さない・・・夫への愚痴とか、

・・・・それから、「どうも、異様な気配が周辺にある様で、これは、北久里浜の大詐欺事件の、真相を知っているからでしょう」とか。

 しかし、瓜南直子さんと金田佑子さんが、組んで、とてもひどいこと(罠に引っ掛けようとしたし、引っかからなかったら、侮辱の極みのジョークをお互いに、意味深で、交わしていた。ひどい人たちだった。伊藤玄二郎から頼まれたのだろうとは思うが、他人に対して罠など、かけてはいけませんよ。金田佑子さん。あなたが、20%ぐらいの原因者として、瓜南直子さんは、死んだのですよ)を、2011年の、10月の末から、11月18日まで、やって来た時以来、リアルな会話では、絶対に、この・・・・・CIAによる、ひどい弾圧を語るまい・・・・・と、決意をしている。電車の中で、知り合った人とは、電車の中だけでは、割と、重い話をするが。それは、電車内では、電車の騒音やら、動くと言う事で、盗聴が不可能だろうと、思っているからだった。

 さて、この88歳のボランティアに、そのボランティア活動を聞くために、フルーツパーラー西村に入ったのだった。彼女は長い間、スリランカ人への教育里子をやっていたそうだ。それは、優秀だが、大学へ行く費用を親が出せない少年少女へ、高等教育を受けさせる仕事だと、思う。

 しかし、彼女は、だんだん、日本の子供に目を向ける様になり、今は、日本の子供への支援をするボランティアをやっているそうだった。しかし、この話が出たのは電車の中でだけで、フルーツパーラー西村へ入った後では、彼女自身の事と、それに、関連して語る、私自身の事へ話題が移って行ってしまった。*17)で、書いて居る、「移転のたびに、落ちぶれていったのよ」というジョークも、西村で、聞いた話だった。

 まあ、それは、私が鎌倉に住んでいると、言ったから出た話なのかもしれなかった。彼女もブランド力が、高い住宅街に、住んでいるというわけだったから。

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*20)

 次に、彼女は、学歴等を、言ってくれた。それから、国家資格を、三つも持っていると言う事と、運転免許は、アメリカと、日本と両方を持っていると言う事も。

 国家資格の内、鍼灸医の資格には、話が弾んだ。私は、・・・・背中が、異様に痛くて、しかも24時間、連続して痛かったのに、主人が、三か月間、東洋医学で施術してくれたから治癒した・・・・・と、話した。それで、彼女も急に、「自分は、鍼灸医の資格を持っている」と、話してくれたのだった。

 私は、びっくりしながら、(だって、お医者さんの妻という立場はとても忙しいと聞いていたからだ)、「どこの学校に行ったの? うちの主人は、この渋谷にある学校よ」と、言いつつ、さらに質問をすると、彼女が通った当時は、代々木に学校があったそうだ。さらに怪訝に思うと、ご主人が、彼女が51歳の時にくも膜下出血で、急逝をされたそうで、その後の、37年間を、彼女は、お勉強・他をして過ごしてきたのだった。

 で、鍼灸医の資格も取ったというわけだった。私は懸念として常に持っている、「西洋医学の専門家は、東洋医学、特に鍼灸医を軽蔑しているのではないか?」と言う事を質問をしてみた。すると、違う。違う。東洋医学は、すごいわよ。だけど、医者はね。針を打ってはいけないことになっているの」と彼女は言う。それで、私が、「そうね。日本って、規制、規制の国ですものね。アメリカなどと、まるで違う」と言った。

 この鍼灸医の話なのだけれど、或る時、ニューヨークで、鍼灸医医院を開いている日本人から、引継ぎを頼まれたそうだ。高校の先輩後輩の縁で、頼まれたそうだった。私は思わず、身を乗り出して、「引き受けたの?」と聞いた。すると、引き受けなかったそうだ。私は、一人で、ニューヨークへ二回行っていて、二回とも三か月暮らしてきたのだったが、誰の援助も受けず、アパートを探し、版画修業ができる場所を探して、生きていくことがどれほどに、エネルギーを必要とするかを知っているので、診療所をそのまま、引き継ぐことがどんなにラッキーだかわかっているからだった。

 しかし、彼女は、この時すでに、大学もしくは専門学校の、講師をしていたらしいので、そちらをやめられないという事情があったのか、引き受けなかったそうだ。

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*21)

 この時、私の方は孤独死の話に入って行った。「私はね。ニューヨークへは、絶対に修行に行きたいと思っていたのだけれど、主人が許さないので、一時期一人暮らしをしていたの。でも、あの痛みを直してもらったので、大芸術家に、なるっていうのはあきらめたのよ。でもね。その背中の痛みの前に、肺炎になったのね。一日を三つに分けで、五時間仕事(または、修行)をしたら、三時間寝る。また、起きて、五時間仕事をして三時間寝る・・・・・とそういう形・・・・・但し、それがあるので、今、ブロガーをやっていられるのですよ。ただ、ただ、専業主婦のままだったた、ニューヨークでどんなに貴重な体験をしてきていても、それを文章として他人に、見せる技術など、獲得できないでしょう。・・・・・・

 でね。肺炎の時に、お医者様が、死にますよ」とおっしゃったので、料理を作らないことにしたのです。ただ、大型暖房機を入れていて、それを、26度に設定して、ジャンジャン連続運転をしたのね。そうしたら、24畳もあるのだけれど、マンションだから、気密性が高くて、ずっと、三日間暖かかったのです。でね。三日目ぐらいから、臭いのです。あまりに臭いので、ネズミでも死んだのかと思って必死で探しました。間取りは、12畳と6畳二間ですが、アトリエって、ものが大量にあるのです。版画を作る機械。版画を入れておく鉄製の引き出し、油絵も描くので、100号のキャンバスが30枚程度。で、探すのが大変なのだけれど、必死で探しました。すると、玄関に置いてあったキャベツが腐っていたの。レジ袋に入れたままだったから、キャベツが、玄関に置きっぱなしだと、言う事を忘れていたし、気が付かなかったのね」と。

 すると彼女が、「溶けていたでしょう」というのです。で、「違う。違う。まだ、しっかりしていました。でも外側の部分が真っ黒になっていました」と。すると彼女が、「孤独死がだめだっていう人は、そういう風に、何かの実体験があるみたいね。それが、有ると、孤独死はだめだと、判断するみたいですよ」と言いました。「そうね。それ以前は、天才的なアーチストになろうと思っていたので、天才に、孤独死はつきものだ何って、考えていたけれど、キャベツが腐っただけで、あれほどの、異臭がするんだったら人間が腐ったら、どれほどのものか、想像ができますからね。(家族がいる方がいいのです)、孤独死は、ご近所迷惑、それから、親、兄弟、子供へも迷惑です」と続けました。

 ここで、彼女もりけじょ、私もりけじょなので、以下、$$$$$罫線で挟んだ部分を口には出しませんでした。自明の理だったからです。しかし、りけじょではない方には、それを説明をさせてくださいませ。

キャベツとは、分子に分解すると、炭素、水素、酸素で出来ています。(C6H10O5)n

これらは、分解すると炭酸ガスとか、メタンガスになります。メタンガスが臭かったのでしょう。

 ところが、人間の体というと、窒素とか、リンとか、カルシウムとか、硫黄とか、いろいろ入っているのです。だから、どれほどに、複雑なガスが出て、複雑な、においになるか、想像できないほどに、ひどい匂いになる筈です。だから、孤独死はだめです。

 でも、ご飯を食べないと、ミイラ化しますね。即身仏は臭くないと思います。母は三か月自分の意思で,ご飯を食べませんでした。精神は、普通でしたが、お顔は、ミイラみたいに黄土色になっていました。でも、93歳に後一週間でなるという状況だったし、老人ホームで、ちゃんと見ていただいているわけだから、孤独死にはぜったいにいたらないし、私も前夜、11時までいて、母は、午前7時のみまわりでは、すでに、亡くなっていたので、すごいと思うほど、立派な死でした。しかし、二週間前まで、ご飯を食べていた人が孤独死をすると、それは、それは、大変なことになると思います。

 この日の三時間程度の会話の中で、彼女が肯定してくれた話題の一つです。その次に肯定してくれた話題が、英語と日本語の違いでした。

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*22)

 彼女は、自分の学歴や職歴を披露してくれたので、どこか、私の学歴を聞きたいと、促す雰囲気がありました。私は、躊躇しました。横須賀時代の、ご近所様など、国際基督教大学の名前など、全く知りませんでした。彼女は、88歳でも、四年制の大学を出ていて、しかも・りけじょ・で、大学もしくは、専門学校の講師をしていたわけですから(未亡人になってからだと思うが)、知識人です。しかし、いかんせん、彼女が大学進学をした同じ年の1952年には、ICUは、一期生を募集しているぐらいの若い学校でした。だから、絶対に知らない筈なのです。でも、促されている感じがあったので、渋々という感じで、「新しい学校なので、知っていらっしゃるかなあ。国際基督教大学っていうのですよ」と答えると、「ああら、知っていますよ。あなたって、英語の専門家なのですね」と言われて、

 「いいえ、そんなことはないんですよ。でも、行くと、一か月目は全くダメなのですが、二か月目からは、自由に話せる様になります。日本では、全く勉強していないのですよ。でも、現地に入ると、二か月目からは、自由に話せる様になります。でも、ジョークとか、かんとう詞はだめですね」とこたえました。

 しかし、引き続いて、次の表現が出てきました。それは、上の*20)で書いて居る、規制、規制の国日本と、自由がいっぱいあるアメリカとの、比較を思い出して、「あのね、英語で、take という動詞を使う場合、それは、学術論文でも使えるし、日常会話でも使えるのですよね」というと、彼女も「得たりや、応」という感じで、「そうですよ。英語だと、get have take の、三つの言葉を使えば、ほとんどの事を説明できますよね」と答えてくれました。

 これは、ね、英語が簡単だと言っているわけではありません。アメリカ人を軽蔑しているわけではありません。だけど、日本人って、特に美術評論家って、難しい語彙を使うのを得意としているでしょう。中保者としては、誰にでもわかる言葉を使って、美術を、または、美術品を説明するべきだと、思っています。難しい言葉を使うのは、自分をえらく見せる為だろうと、考えています。したがって、私は、ブログに、難しい語彙とか、凝った修辞は、入れません。

 アメリカ人とは、そういうシンプルな語彙を使って、複雑なことを表現しているわけだから、日本語に直すと、どういう事を言っているのかなと、考えてみる必要があります。翻訳の際は、そこらあたりが、大変重要なところです。

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*23)

 私に対して、森さんが、持ち掛けてきた、企画展(2010年4月5日から、10日まで)は、私をつぶすというか、消耗させて、殺す目的があったと思う。月曜日の額田病院からの、電話・来信で、「10月にご主人が、受けたガン検診の結果を聞きに来てください」と、言われたのは、本当にひどい。まるで、主人ががんでもあるかの如く、脅かすもので、これは、伊藤玄二郎が、額田病院に働きかけて、そういう脅かしをかけてきたことだと、思っている。

 これは、この章で、登場する、医者の未亡人が、夜7時近くになって、急に裏切ってきた話と通じるので、ここで、このエピソードを公開しておきたい。

 また、上の節の、語彙の問題に戻るが、同じ日に、封書で、瀬木慎一さんから、「あんたを告訴する」という手紙が来た。私は瀬木さんと、もめ事を起こした記憶はない。ただ、瀬木さんが、中央大学法学部政治学科の卒業なので、伊藤玄二郎に頼まれて、脅かしてきたと、思っている。

 で、火曜日に、外の公衆電話から瀬木さんに電話をかけた。瀬木さんは、私から、その日に電話がかかってくるとは、予想もしていなかったらしくて、出た。で、瀬木さんに、いろいろ、説明をしたが、「ともかく、こういうお手紙をもらういわれはないのです。が、もしかしたら、伊藤玄二郎から頼まれましたか?」と、質問をすると、、瀬木さんは、急におとなしく、弱気になった。無論、「伊藤玄二郎なんて知りません」と、一応の否定はしてきたけれど、私の指摘は、図星だったらしくて、少しの沈黙の後で、「あんたは、僕のことを知っているの?」と質問をしてきた。それで、「ええ、知っています。おとがいの小さな方ですよね」と答えた。すると、次に、「あんたはおとがいという言葉を知っているの?」と問われたので、「ええ、知っています」と答えた。それっきり、訴訟云々の話は消えた。

 伊藤玄二郎がどれほどに、ひどい讒言を、瀬木さんに入れたかが判る。おとがいという語彙を知っていただけで瀬木さんは、びっくりして、自分がどれほど、ばかげたことをやっているかを、認知したのだった。

 今、(=2022-3-13)に瀬木慎一画像検索を、開いてみた。すると、瀬木さんの顔が四枚映っている。だが、顎が細くない。これは、二つの可能性を感じさせる。2010年4月以降。瀬木さんが、あごの骨の、美容整形をした可能性がある。医院は高須クリニックであろう。ただ、2011年3月15日に死去というのは早すぎる。まあ、病院で、肺炎で亡くなったそうである。他殺ではないとは思うが、口封じのために、殺された可能性も感じている。というのも瀬木さんって、陽気で、楽しい人で、私が、もし、オープニングパーティで、瀬木さんに挨拶でもしたら、瀬木さんは、「あんたが、川崎千恵子ですか?」と、言って、絶句すると思う。その表情を見ているだけで、瀬木さんの告訴云々が、伊藤玄二郎から、頼まれたものであることは、全く正しかったと、判断するだろうから、口封じのために、殺された可能性をも、感じている。いったん、鎌倉エージェントと関係を持つと、かれらと、仲良くしていても、殺される可能性がある。その人が善人だと殺される可能性がある、瀬木慎一さんは、善人だった。

 これから、先、まだ、まだ、たくさん書きたいのだが、午前三時になった。昨日も午前五時になったので、主人が激怒をしている。いのちをちどぢえめるとおって。 

 

 

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