最初に、恒例の写真を置きます。これは、以下の文中で、三代目猿之助の、エピソードを少し語っています。その実子が、香川照之です。宝塚出身の、大スター、浜木綿子と三代目猿之助との間の子供で、三代目猿之助にとっては、ただ、一人の実子です。浜木綿子にとっても。
上の書物は、中国で、彼が1998年に、経験した、過酷極まりない映画撮影の、渦中の日記を、整理して出版したものです。監督は名優でもある、〇文という人物ですが、今、IMEが効かないので、、漢字でその名前を表すことができません。
ただ、その監督の顔は、多くの日本人が知っているでしょう。山崎豊子原作のドラマ【大地の子】で、中国側の養父を演じた俳優です。
この映画は、日本でも公開された映画館が少ない模様です。私は渋谷のユーロスペースで見ました。しかし、中国では全く公開されていないそうです。それはどうしてかというと、あまりにもリアルだからです。中国の農村が、1945年当時は、非常に貧しかったということを描いているし、
登場する日本軍、八路軍(共産党側)、国民党側の、三つ巴・・・・・いや、巻き込まれる庶民を加えた・・・・よつどもえのごたごたを、諸所八方に笑いをちりばめながら描いています。その四つ巴の戦いの模様が、複雑で、かつ、庶民、または、映画鑑賞者の目からは、笑われる対象なので、私には、とても説明ができません。でも、大陸中国では、共産党一党独裁で、台湾では、国民党が強いですね。
で、共産党の無謬性は、固く信じられているので、この映画は大陸中国では上映禁止です。しかしカンヌ映画祭で、何かの賞をとりました。だから、世界中のインテリ(しかし、少数派ではある)が、見ている可能性は高いです。
あのね。より深い形でいうと、軍人たちは別にお笑い芸人風にふざけあうわけではありません。真面目一方です。ただ、指揮官が馬鹿だったりするのです。それで、勝敗が大逆転したりします。そういう場面を俯瞰的な目で見ると、笑えてくるという話です。
で、大陸、および台湾の、両方の、国で非公開なのです。日本では、敗戦ということがあったので、日本軍が、滑稽なところがあっても、鑑賞者は、別に驚かないし、ああ、これが、戦争のリアルなのだろうなあと、思うだけですが、中国では、八路軍が、庶民に笑われる様なことをするわけがないと、言う建前で動いているから、絶対に非公開でしょうし、台湾は、相当に自由でしょうが、やはり、国民党軍が笑われるのは、だめなのでしょう。
監督が心配です。ずっと弾圧されているらしいです。私より年上かもしれないので、今はすでに、鬼籍に入っているかもしれませんが、追悼の、催しもないのでしょう。とても心配です。どこの国でも、真実を語るものは弾圧をされるのですね。こんなに笑いの多い映画でも、そこに、いっぱいの真実が見つかるので、監督が弾圧されるのです。
ところで、その映画自体は、面白いが、この本も面白いですよ。私はね。この本を読んだだけで、香川照之という人間を尊敬しました。
特に今だったら、違う撮り方をすると思うのです。例えば、昼間は、ロケ地で、・わら・にくるまって、寝る映像をとる。鍋一つのおかずを少量ずつ分け合って食べるとかいう行動を映画用に、していても、夜は、ホテルに帰って、ステーキなどを食べて、ふわふわした布団に寝るとかね。
しかし、1998年の中国のロケ先(特に田舎の場面の方)では、ホテルなど、実際にないのです。だから、24時間、1945年の中国の農村とか、中国の小都市の生活者である中国の庶民そのままの、衣食住を、香川照之たちも、経験するわけです。大変な生活を経験して帰ってきたというわけです。
だから、半沢直樹が大評判をとっても、別に、驚きません。そのドラマの方は、一回も見ませんでしたが、きっといいドラマになっているのだろうと、信じていました。彼も演技が上手だし、ほかの人もそうだったのだろうなあと、思っただけです。
ただ、この本を読んでいると、香川照之が、たいへん強い意志の持ち主であることがわかり、それは、父親から、引き継いだものでしょう。三月の歌舞伎座第一部【三国志】は、病に倒れた三代目猿之助の意志を、四代目猿之助(猿翁の甥)が、見事に花開かせたと、感じています。お客様もいっぱいだったし、大満足の模様でした。
なお、この映画のタイトル(日本語訳)が、【鬼が来た】となっています。これ、全くダメです。日本で、これを見ている若い人には、100%誤解をされ、つまらない映画だと、思われてしまいます。鬼子来了 (だいたいの、発音は、クィズ・ライラです。)ではないとだめです。私は、母が、中国人(満鉄の中央試験所の勤務者)に中国語を、習っていたし、自分もICU時代、王義之(おおぎし)の、子孫だと、言う教授に倣っていたので(ちょっとですが)、中国語は、大体、発音できるのですが、クィズライラで、いいのです。日本人は、当時、中国では、トンヤングィ(東洋鬼)と、呼ばれていたのです。だから、【鬼子来了】で、日本軍が来たと、言う意味になります。
その中国語をそのまま使った方が、意味が、通ります。『なるほど、そう呼ばれていたのか』と、若い人も、日本が、当時は、中国を植民地支配をしていたと言う事への、理解が深まるでしょうし、絶対にその方がいいのです。その日本が、現在では、反対に、某国の植民地支配を受けていて、習近平など、「ざまーみろ。今は、反対になっているのだよー。日本人のばかめ!」と思っているでしょう。そして、その某国の中枢部と、習近平が、裏でというか、隠れて、手をしっかり、結んでいるので、日本人は、本当に大変です。日本人が住んでいる日本という国も大変です。
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副題1、『本日(22-3-27)の私は、リモワのアテンダントバッグにパソコンを入れて外出しました。で、東京からの帰途、主人へ向けて、お手紙を、パソコンで書き始めました。たいていは、政治的な困難を打ち明けるものなので、手書きにします。しかし、今回は、45分で、&&&&罫線に挟まれた部分を書いたわけですが、そこまでだと、何の問題もない(という事は、自分にとっての危険性が、無いという事なので、それは、公開をさせてくださいませ。ただ、反発を食らうことは、承知です。
だってね。28日の月曜日、11時から始まる芝居を、日曜日の夜、10時に紹介したって、誰もいかれないでしょう。主人だって、行かないと言っていましたし。
ところで、普段の読者様におかれましては、反発も多いでしょう。なにさ、きゅう、きゅう、きゅう、きゅう、きつい、きついと、言っていて、歌舞伎なんか見てさあーと、言われちゃいそうですね。でもね。これが、私のリセット法の一つなのです。生きていく気力は美しいものを見る事で涵養されます。画廊巡りを、40年間やって居たので、ずいぶんと、それを、よみがえりとさせていただきました。
しかし、最近は、歌舞伎座の帰りにさえ、画廊によりません。ひとえに、体力の問題です。三年ぐらい前までは、歌舞伎座の帰り、南に向かうのなら、5丁目から、7丁目までの画廊を、もし、京橋の、東京スクエアーガーデンで、何かを食べたいなと、思っている時は、歌舞伎座から、北へ向かい、4丁目から、京橋三丁目にかけての画廊に、寄ったものです。しかし、今は、その体力がありません。
ところで、明日終わってしまう三国志が、意味があるのは、猿翁の、強い・歌舞伎界、改革の意志が、歌舞伎座でも、花開いたという事なのです。それは、感動を与えます。
猿翁の、意志とは、主に、役者の登用法に、発揮されたのですが、一方で、演目についても、改革をしました。革命的な発想による、娯楽性の強い歌舞伎(スーパー歌舞伎と名付けられていた)で、それは、新橋演舞場でだけ、公演をされていたのでした。歌舞伎界の、他の面々に、肯定されていなかったので。ウィキペディアをご覧いただくと、どれほど、強い反発を受けていたかが、お分かりになります。
歌舞伎に詳しくない方のために、少し、説明をさせていただくと、猿翁とは、三代目猿之助の事で、大河ドラマ【風林火山 】で、その後、後継者として、4代目を引き継ぐ、亀次郎(当時の役者名)が武田信玄を演じていたころ、・・・・・実際にはその出演オファーが来た、2004年ごろ、・・・・・脳梗塞を発症し、舞台を降板して、その後、再び舞台に立つことはないのでした。あいさつ程度では、亀次郎の4代目・猿之助襲名
+ 香川照之の、中車襲名、香川の息子の團子襲名の際に、舞台に、たった模様ですが、役を演じるという事はありません。
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副題2,『わたくしが高校生のころ、浜木綿子は、大スターだった。その浜木綿子と三代目猿之助は結婚をして、香川照之が生まれる。しかし、猿之助は、この結婚の前から16歳年上の、藤間紫が好きであり、浜木綿子を、たった三年で捨てるのだった』
私は、三代目猿之助には、まったく興味がありませんでした。というのもお茶大付属高校では、宝塚の名・娘役だった浜木綿子は圧倒的なスターであり、そんな大スターを、・・・・・どうも三年で、捨てたらしい。しかも、不倫で・・・・・というわけですから、三代目猿之助は、まったく、脳みその圏外に去ったわけです。
しかし、私は、元来、中国には興味があり、香川照之が、主演した、【鬼子来了】は、宮益坂上のユーロスペースまで、見に行きました。白黒スタンダード版だけど、非常に面白かったのです。その後、香川照之が、この映画の舞台裏を書物にしたものを、読みました。すると、旧日本軍兵士を演じるために、12時間(❓・・・・今は、正確な数字は忘れたが、ものすごい長時間)、横に、一列になって、直立不動の姿勢を取らされたそうです。しかも、当時の日中の差が、食事とか、寝る場所についても、あって、相当な苦労をしたらしいのです。
へー、あの浜木綿子の息子が、と、驚きました。そして、これほど、気概があるのですか?と、浜木綿子に問いたいぐらいです。
それは本当に驚きです。しかも、彼って、東大卒ですよね。普通は、エリートとして、ふんぞり返っていて、地を這う様な仕事は、拒否するはずなのに、ほとんど・・・・極貧の環境の中で、(セットではない)、地をはう虫みたいな環境の中で、耐え抜いたのでした。これは、本当に驚きです。その後、堺雅人との共演(半沢直樹)で、一般社会に大ブレークをしたみたいですね。(ただ、私は民放のドラマはほとんど見ないので、そのドラマで、彼が、どれほど、すごかったかは知りません)
それで、香川照之の【鬼子来了】ラインから、三代目・猿之助に入っていくこととなります。
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副題3,『香川照之は、三代目猿之助が、健康だったころ、一回、猿之助に、会いに行って、厳しく、拒絶されているらしい。それに、彼は、45歳まで歌舞伎の舞台には、立っていないので、門閥出身の役者ではないと、私は考える。そう考えると、・・・・・なんと、なんと、総勢50人は出演するこの舞台に、
親が、有名な歌舞伎俳優である人は、たった、四人しかいないのだった。ほかにセリフがある役者が25人程度いて、後、20名ぐらいが、後ろで、セリフがないまま、家来として立っていて、戦闘シーンなどで、チャンバラをする。または、侍女として、お姫様に、付き従う。ともかく、その四人+、中車(香川照之)と、その息子團子を入れると、50人の出演者のうち、セリフのある人、のうち、五分の四は、親が、歌舞伎俳優ではない、役者だった。
すごい話だった。
三代目猿之助、および、四代目猿之助の方針は、・・・・・自分が歌舞伎が好きで、この世界に入ってきた、・・・・門閥以外の、役者に、希望を与える。・・・・・というものだ。だけど、なかなか、そのチャンスが巡ってこないので、待てなくて、新派へ走った役者もいる。
ここで、疲れ切ったので、電車の中で、書いていた、主人への手紙を転用させてくださいませ。その中でもこの芝居のどこがよかったか、悪かったかを少し、書いてあります。
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〇〇(主人の名前が、ここに入る)さま
電車の中に、パソコンを持ち込んでいるので、パソコンでお手紙を書きます。
今日は黙って出たのですが、それは、歌舞伎に行こうと思っていてね。日曜日なので、切符が手に入らない場合もあるので、黙って出ました。
実は、金曜日に、第一部の切符を電話予約済みだったのですが、キャンセルして、人間国宝・仁左衛門と、同じく、人間国宝・菊五郎の芝居を観たのです。二人は、それぞれ、別の芝居の主役です。実は、仁左衛門は、長兄が、体が悪いし、次兄が亡くなっています。それで、ご本人も、すべての演目をこれが最後だと、思って演じています。その厳しい覚悟を、難しい演目をやるときには、外へ表明しています。
一方、菊五郎は、孫二人の、将来を案じているので、死ぬなんて、考えてもいない模様です。
で、後で、ブログを書くために、いつもの事として、資料としての、プログラムを買います。
それを読むと、第一部も見るべきだと、感じました。
なぜ、良かったかというと、豪華絢爛なのです。衣装がね。でね、美術家としては、大変楽しむめました。
でね。本日急遽、間を一日開けただけで、歌舞伎座に行って、第一部を、見たのですが、やっぱり『みてよかった』と思いました。それでね。あなたにも、お勧めします。
明日が最後です。千秋楽なので、明日行かないと、見られません。
本当は、ついて行ってあげると、いいのですが、泥棒の事もあるし、高いお値段の、切符を二度も買うのもあれですから、行く場合は、一人で、行ってください。いろいろ、丁寧に説明をするので、9時ぴったりに出て、余裕をもって当日の切符を買い、当日券で、見てください。その切符の買い方の説明は、後で、します。内容他の、説明を先にします。(これは、どうして、こういう風に書くかというと、以前行ったときは、私が、全部手配をしての、事だったので、主人は、切符の買い方さえ、知らないと、思うから、こういう風に書いて居ます)
どこが、いいかというと、先代猿之助の志の高さが、見えるので、そこがいいのです。役者を、実力優先で使うとか、先代猿之助とは、いろいろ、改革をした人で、したがって、普通の歌舞伎役者からは、浮き上がっている人で、したがって、今までは、歌舞伎座で、こういう種類の新作歌舞伎(特にスーパー歌舞伎と名付けられている)は、演じられるチャンスがなかったのでした。歌舞伎座は、歌舞伎を上演する劇場の内、もっとも、地位が高い方で、したがって、ゲテモノと考えられていた時代には、歌舞伎座を使うことが出来なかったのでした。
スーパー歌舞伎(ただし、最近の歌舞伎座は、二部制ではなくて、三部制になっているので、【三国志】は、さらに、短縮をされているし、四代目・猿之助の教養の高さが随所に、見られる、上品なものとなっています。だから、かもしれないし、4代目猿之助は、三代目猿之助程、改革者としての、意向を前には、打ち出しません。で、それが、幸いをしたのか、スーパー歌舞伎が、初めて歌舞伎座へ、乗り込んだのです。それを、周辺が許す環境が整えられてきた・・・・・のでしょう。そうだそうです。
お客さんは、いっぱい入っていて、満足そうでした。
タイトルは【三国志】です。筋としては、2時間にまとめているので、面白いというほどのものではありません。
ただ、豪華絢爛たる衣装です。娯楽として、自分を、楽しませる意味では、筋よりも、目が楽しむ芝居です。「これほどの、豪華さは、宝塚でもないかもね」というほどに豪華です。装置は場面転換が早いので、シンプルです。
刺繍を用いている衣装。色を考え抜いている衣装。ともかく、衣装は、素晴らしいです。衣装担当は、毛利臣男という人。
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さて、衣装とは、別に、もう一つ、重要な意味があります。現在の猿之助の叔父(先代猿之助)が、作ったスーパー歌舞伎という形式の芝居で、西洋音楽や、水を使ったり、宙乗りがあったりします。20年近く前に、大金持ちの方(病院経営者でもあり、かつ、画家でもある女性)の方が誘ってくださって、そのスーパー歌舞伎【ヤマトタケル】(二作目か、三作目)を見たのです。大評判だったけれど、私には、受け入れられませんでした。
どうしてかというと、その頃は、歌舞伎座の普通の歌舞伎すら見ておらず、小さい時(未就学児か、小1まで・・・・妹が生まれる前)に連れて行ってもらった、勘彌、梅幸、松緑(先々代)時蔵(三代目)、海老蔵(九代目)【もしほ(のちに17代目勘三郎となる)】などの印象が強く残っていて、【やまとたける】は、あまりに違いすぎていて、全く受け入れられなかったのでした。まず、西洋音楽がだめだし、水を使うけれんについても、歌舞伎座のそれをまだ見ていない時期だったので、比べようもないし。
しかし、本日の、【三国志】は、6作目だと、言うことで、新規さが、だいぶ薄れていて、私の様な古典歌舞伎を好きな人間にも、十分に受け入れられました。または、当代猿之助が、コロナ禍の仲での、歌舞伎公演という事で、もともとは、三時間だったものを、二時間に短縮しているので、それで、かえって、私には、見やすかったのかもしれません。
以前の、新橋演舞場公演を知らないので、何とも言えませんが、
さて、もう一つあります。中車(=香川照之)が、プログラムの中に、書いているのですが、「歳月の、移り変わりに感慨が深い。私が演じる役は長らく猿弥さんが、やって居たものですが・・・・・うんぬん」と、
::::::::私は歌舞伎座で買うプログラムには、大いなる批判を持っています。つまらないです。演技者へのインタビューが特にマンネリで、つまらないです。もっと、活字の大きさ(パソコンでいうとフォント)を、小さくして、取り上げる役者の数を多くしないといけません。
今回も、一部だったら、尾上右近、二部だったら, 三部だったら、
ごめんなさい。ここまで、電車の中で書いて帰って来t、今、続きを書く体力がありません。ここで、三代目猿之助(=猿翁)様、良かったですねと、言って、終わりとさせていただきたいです。