銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

東戸塚の小学生は、コロナ禍でも、良い教育を受けているだろう  +三菱地所+BCS賞 +ビットコイン+教育里子+桜田門の疑心暗鬼

2022-03-13 12:38:17 | 政治

 この章は新しく起こしますが、事実上、前報

ちょっと毒気に充てられて、普段の自分ではなくなっています。その毒気は、或る個人からではなくて、例のCIAからですが

2022-03-11 23:23:18 | 政治

の続きです。

 前報は、過去に積み上げた友人を、伊藤玄二郎を筆頭とする、鎌倉エージェント(=CIA)にことごとく、奪われ、友人たちから裏切られ続けている私が、とうとう、未知の人たち、とか、行きずりで知り合った人へ、ターゲットを移して、そういう人たちとの会話を楽しむ様になったのだが、

 そういう人さえ、たった、三時間のうちに裏切って来たのだったと、言う章です。ただ、新しいことをたくさん加筆してあります。三菱地所とか、BCS賞とか言う部分は、全く新しい、加筆部分です。原文とは、相当違ってきています。

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副題〇、『私は外出するたびに、ひとを選んで、話しかけて、有意義な会話を繰り返している。下は、その一例だ』

 前半部分を略しているが、・・・・・この様にして、敵さんは、私の友人をすべて奪っています。だまし討ちに使うので、それをブログに書くと私の方が悪者にされてしまって、友人を失うということになります。学友は、小中高大、すべて、奪われているし、結婚してから住んだ、三つの町(鴨居駅最寄り、北久里浜駅最寄り、鎌倉駅最寄り)でできたママ友たちも、奪われているし、日吉の実家近辺で、子供のころから、60年以上、知り合っている、ご近所、おばさん、叔父さんからも、すべて、裏切られています。

 でね。79歳になる今まで、付き合ってきた過去からの友人は、すべて、使えなくなったのです。で、行きずりの人との会話を楽しむこととしています。

 きっかけは相手が持っているものとか、相手の行動のどこかに素敵なところがあると、それをきっかけにします。たとえばむかしのはなしですが、半蔵門線の中でですが、非常に上等な紙に英語で、印刷をされた雑誌を読んでいる人がいたので、「それは、どういう種類の本ですか?」と、聞くと、世界中で、一種類しかない雑誌だそうです。中身は、ダイヤモンド(特に、それを売り買いする人のため)の雑誌なのですって。だから、同じ雑誌をニューヨークのLOWVEの中でダイヤモンドを売っているショップの店長も、銀座VIで、それを扱っているお店の店長も、読んでいるというわけです。一般の人はまるで知らない雑誌があるのです。驚きました。3分ぐらいの会話ですが、世の中の事がわかるので、楽しいです。自分が知らなかったことはいっぱいあります。

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副題1、『2022年3月11日に、半蔵門駅へ降りるエレベーターの中で会話が始まった、女性との、そもそものなれそめは? 彼女の真っ黒で、地味、地味なコートが、とても上等な素材と縫製のものであることに、私が、気が付いたことから始まっている』

 で本日の奥さまは、コートが超上等だったのだ。だから注目をしました。シャネルのコートというわけではない。派手さはまるでないもの。ちょっと見ると全体が真っ黒で、ちっとも上等には見えない。しかし、私は、自分で物を作る人です。そして、洋裁もできます。そして、今は、お金がないが、子供のころ、母から、よいものをあてがわれていたので、素材の良しあしも、わかる人間です。

 彼女のコートは首から足首まで覆っているのだが、生地が艶消しの絹(=もとは、着物の無地の紬?)らしいので、しっかりしているものの、軽そうだ。しかも厚めの絹を、外側へ使うと、中は、とても温かい。こういう、・・・・・流行に左右されない形の、しかも、機能的なお洋服を選ぶ・・・・・のは、相当に知性が高い人です。それで、選んで、話しかけてみました。結果、確かに上等な人だったのです。今のはやりの言葉でいえば、上級国民そのものの人物でした。

 私はエレベーターの中で、目の前にいる彼女に向かって、そのコートは「既製品ですか?」と聞いたのだった。すると、「いいえ手作りです」との答え。私は目を丸くした。非常に丁寧な細工がしてあるからだ。すると、彼女は私の誤解(例えば、銀座マギーなどの高級洋裁店で作ってもらったのだろうかと、誤解をした)をすぐ理解をして、「友達が作ってくれたのです」と言ってくれた。後で、お医者様の奥さんだったとわかったから、それなら、地域社会に根を張っているから、洋裁が上手なお友達も確かにいるでしょう・・・・・と、納得をした。

 その次に、相当な高齢者だと思うので、「私は、79歳ですが、あなたはおいくつですか?」と、聞いた。すると、「88歳よ」との答え。もうびっくり仰天。だって私より姿勢もいいし、元気な感じがあるからだ。

 あまりに驚いたので、「何か、お仕事をなさっていますか?」と聞いた。だって、普通の専業主婦が、88歳になったら、これほど、姿勢がよくしていられないし、これほど、元気ではない。それに最初は、りけじょだとも知らなかったし、お医者様の奥さまだとも知らなかったので、・・・・・非常に知性が高くて、元気だから、何か、仕事、それこそ、彼女自身が女医である、様な、仕事をしている・・・・・と考えたのだ。

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副題2、『しかし、さすがに、88歳だ。どこか、心もとないところもあって、・・・・・この人には、心づかいをしないといけない・・・・・と、最初から考えていた。それが、渋谷スクランブル交差点で、信号がすでに赤になったのに、彼女が歩みを止めたので、私が後戻りをして、彼女をはち公側に、導いた、そういう風な、一件に、その夜には、結び付いていく。しかし、どことなく、それが、変で、違和感を抱いた。赤信号なのに、ゆっくりとして、ほとんど進まないなんて、そんなお馬鹿さんではない筈だ。認知症では、無い。100%健全な人だ。

 したがって、彼女が、午後4時には、親切な普通の人だったのに、午後7時には、敵方の手が、入って、裏切った人となったのを知った。彼女は、私を振り切ろうと思っていたのだった。だから、渋谷スクランブル交差点の真ん中で、足を止めたのだった。

 それがわかったので、彼女が、・・・・・富裕層であり、ビットコインの投資などをしていて、年利15%を稼いでいることを、その日の内に、ブログ化した。そして、前報のタイトルに、・・・・・毒気に充てられて・・・・と、書いて居る。

 しかし、彼女自身を恨んだり、憎んだりしているわけではない。この日動いたのは、警視庁、または、警察庁の特殊部隊であって、それに対する怒りがあるので、この章を書き始めている。

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副題3、『私は、国立劇場には、すでに、15回ぐらい足を運んでいるが、どうしたら、一番楽に、しかも、早く到着できるかは、悩みの種だった。昔は三越前で、銀座線から、半蔵門線に乗り換えたりしたものだった。この日もそれを解決したいと願っていた。この日は、新橋で、横須賀線から山手線に乗り換え、有楽町へ行き、そこから、有楽町線に乗り換え、永田町から、国立劇場までで歩いたのだけれど、45分かかった。

 有楽町線は、後発の路線なので、駅構内に入ってから、歩く距離は長い。実は、15回の鑑賞の内、半数は、新橋からタクシーを利用していた。しかし、それを敵に、意地悪される様になっていた。最高裁入り口で、まっすぐ進まず、左側平河町の方に曲られたことがあって、往生した。舞台に、間に合わなかった。ので、タクシーをもう使いたくなかった。また、有楽町駅そば、数寄屋橋公園脇に、都バスのバス停があり、これが一番便利だけれど、便数をわざと抜かされたことがあって、これも使えない。便数を抜かされることは、横須賀平成町の島忠前とか、横須賀・舟倉のけいよーデーツー前で、しょっちゅう経験していることだった。

 したがって、国立劇場へ、行くのに、どれが、一番いいかというと、やっぱり半蔵門線を使うのが便利だった。東急の無料切符を持っているので、帰りは二子玉川を経由して帰ることもあり、それだと歩く距離が短くて、体力は、消耗をしないが、行きは、それは、時間がかかりすぎるので、無理だった』

 ところで、彼女と出会ったのは、午後四時に近い、時刻の、半蔵門駅のエレベーターだった。国立劇場の歌舞伎は、24時35分終演だ。その後、なぜ、一時間も、半蔵門でぶらぶらしていたかについては、ここで、ちょっと、語りたい。実は、半蔵門駅まで、行ったところ、国立劇場の入り口で預けたリモワを、国立劇場に忘れてきたのを思い出した。

 それで、急いで、取りに帰った。それだけで、グッと疲れてしまった。したがって、半蔵門ホテルで、昼食をとったのだった。それで、30分、使った。で、元気が回復したので、半蔵門ホテルの、駐車場、北口から、相互ビルの、駐車場も、南北へ横ぎった。

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副題4,『麹町の、小さな土地に、ビルが新築中だった。そこで、私は、しばし足を止め、三菱地所の若い社員と話し合った』

 相互ビルの、外の土地150~200坪ぐらいのを、再開発ビルを建設中で、私は、その建築確認の看板を丁寧に読んだ。注文主は、三菱地所だった。三菱地所が取り組むにしては、小さい土地だと、思った。300坪は、無いと思う。しかし、さすが麹町だ。お堀からは、ビル一つ隔てた、敷地である。三菱地所が取り組むのもあり得るのだった。

 そこの道路に若い社員が二人、立っていた。私は、昔、清水建設勤務の人とお見合いをしたことがあって、大きなプロジェクトでも、清水建設からは、数人しか出てい行かないと言う事を知っていた。で、その場にいた男女二人の若い人が、三菱地所勤務だと、見当をつけて、問いかけるとそれが当たっていた。で、彼らとちょっとした会話を交わした。

 目の前で、裏側だけ見せていて、入り口が見つからない不思議な形のビルがあった。そのビルを指して、「これは、何でしょう?」と質問をしたのだった。すると、「ワコールビルです。下着メーカーの」という答えが返ってきた。で、私は「ああ、入り口は反対側にあるのですね」と、言うと、「そうです」と答えてもらった。

 で、私は、続けて、「私って、建築に興味があるのですよ。これって、BCS賞でももらっているのではないですか?」と、ワコールビルを指すと、「そうですね。もらっているでしょう」と二人は答えた。それで、「いつごろできたのでしょうか? あれって、毎年、20個ぐらい賞をもらいますよね」というと、「10年ぐらい前でしょう」との答えだった。「ありがとうございます」と言って、彼らと別れて、ワコールビルの表に回った。表側は、真っ白な大理石を使ったヨーロッパ調のビルだった。これは、BCS賞、ありだろう。後で、調べないといけない、と、思って、半蔵門駅に向かった。

 しかし、すぐ半蔵門駅に入ったわけではない。まず、半蔵門駅の地上部分を、二回ほど、周遊をした。ホームから、ちょくせつ、B1の無人改札に出るエレベーターがあって、そこから、地上へ向かう別のエレベーターがあるのだけれど、それを利用すると、いつも方向感覚が、おかしくなって、国立劇場へ行くのに無駄な時間を使う。で、今日こそは、その方向感覚を正したいと、思っていたのだけれど、工事中の幕に隠されれていたのか、そのエレベーターが、見つからなかった。絶対に見つけたいと、思って、くるくると、二回も周遊をしたのに見つからなかった。で、あきらめて本屋に入った。歌舞伎関係の本を見つけたかったからだ。

 その後、良く、その方向性も知っているエレベーター(=B3 口)の方へ向かった。そして、そのエレベーター内で、極上のマダム88歳と出会ったのだ。

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副題5、『桜田門の、疑心暗鬼。・・・・・私は、このブログを書くにあたって、利用するのは、主に、NHKニュースとご近所様の些細な、攻撃だけである。ご近所様は、伊藤玄二郎の言うなりに動くので、そこから、大量の、情報を得られる。特にブログとの関係で、重要な事が判ってくる。富沢夫人に言っておこう。あなたがあいさつなしで、私とすれ違う際に、私は、集団訴訟(最近は、強制堕胎を訴えるのが続いているが)や、ウクライナ侵攻、北朝鮮のミサイル攻撃などが、すべて、ただしく、分析できるのだった。(苦笑、伊藤玄二郎一派は、勝つつもりで、富沢夫人を使ってくるが、50%、50%の確率で、私も富沢夫人の動きをブログを書く際に、利用するのだった。

 または、鎌倉市内、山の下から、聞こえてくる、防災無線の内容と、鶴岡八幡宮様が、鳴らす、異様な長さの太鼓の音だけで、全部判断をしている。誰とも、連絡を取っていない。誰からも、教えてもらった情報はない。

 しかし、本当に失礼な言い方だが、桜田門内に、存在している、警察の特殊部隊の、特にホワイトカラーの連中は、どうも、それを信じられないらしい。それって、自分たちが、自主的にものを考える訓練をしていないので、自分たちには、見えない部分だろうから、私が誰かに教えてもらっていると信じるらしい。特にパスもや、スイカが無記名でも、番号が、すでに検索項目に入っているらしいので、GPS機能を利用されてしまう。それは、行き先々のエスカレーターが、高速になっていたり、私が、利用したい方向と反対だけの動きをしているので、わかるのだった。

 リモワ(アテンダントバッグ)を持っているし、高齢なので、エスカレーターが高速だと危ないのだった。で、それが嫌で、よく切符を買う。それも、彼ら、桜田門の、疑心暗鬼の的となっていて、切符を利用した日には、帰りに、横浜駅に、大量のガードマンがたむろしている。

 まあ、桜田門が、そういう風に把握しているのは、ご勝手で、それもありだろうが、真相は、まったく、違うのだ。私は、ごく普通の用事を果たすために外出しているだけだ。それと、パソコンを自宅で、使えない日もあって、そういう日は、喫茶店で、インターネットを使う。

 彼ら、桜田門のホワイトカラーエリートは、将来は、警察庁長官にまで、上り詰めるであろう階層で、東大などを出ているはずなのだけれど、非常に幼稚なのだ。それから、組織で動く日本人の典型で、ニューヨークなどで、一人暮らしをした経験が無いので、どれほどに、私がオープンマインドで、楽々と、未知の人とも会話ができるかということをも、推察さえできないらしい。

 この3月11日の彼らの動きだって、裏側は、全部わかる。しかし、それは、帰宅してからであって、現場では、そこまでは、私も気が付かなかった。その方がいい。もし、すべてを気にしていたら、がんじがらめになって、何の自由もないではないか?

 しかし、これほどの、文章、特に真実を、一人の専業主婦が、理解をしていると言う事が絶対に信じられないらしい、彼らは、疑心暗鬼に陥っていて、・・・・・私が、本当は誰と、連絡を取り合っているかを知りたい・・・・・と、思っている。だから、外出すると、横須賀線各駅のエレベーター内の監視カメラと、新橋や、有楽町から乗り換えることのできる地下鉄駅の、エレベーターの監視カメラは、総動員されて、チェックされる。

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副題6、『この日、私は、四時15分前ごろ、やっとエレベーターを利用した。で、乗った直後、88歳の、上級国民に出会うのだけれど、監視カメラとは、音声は、把握できないらしい。で、私は、非常に明るいし、人懐っこいし、適切な質問をするので、相手が相手にしてくれるのだけれど、こういう様な、性善説に基づく、楽しい会話の始まりなど、存在すら知らないらしい。誰が?というと桜田門のエリートサラリーマンがだ。で、私の方は、半蔵門駅、B3口のエレベーター内で、彼女の上等なコートをほめた、その時点では、長い会話が始めることなど、予想さえしておらず、ただ、ただ、天然自然なふるまいをしているのだけれど、

それさえも、信じられない模様である。特にクレジットカードで、【盛綱陣屋=歌舞伎】の切符を買い、半蔵門ホテルでは、クレジットカードを使わなかったので、エレベーターを利用するまで、一時間、20分の空白があるので、彼らの、疑心暗鬼は最高潮に達した模様だった。

 で、監視カメラの音声が無いだけに、彼らは、相手は誰だと、さっそく、彼女の携帯番号を割り出して、彼女の実名や、住所、そして、お子さんが医者であることまで、午後五時ごろまでには、把握していたと、今では、考えている。そしてそれ以降の二人の会話は、彼女の形態を通じて、傍受(=盗聴)をされていたと、考えられる。

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副題7,『しかし、私の方は、裏にそういう動きがあるのなど、全く気が付かず、彼女を、面白い人、会話を交わすと、有意義な内容の会話ができると、考えただけだった』

 さて、エレベーターを降りてから、ホームまで割と長時間歩く。で、私は、その間、彼女を見つめるわけだけれど、お帽子も、友達が作ったものだと、判断した・キャノチェというタイプの、ベレー帽と、野球帽を足して二で割った様なものだけれど、大島紬を使ってあるうえに、これまた、とても丁寧な縫製がしてあるものだった。それにも、驚かされた。

 高齢の女性は、どうしても白髪が、ぼうっと立ち上がり、蓬髪となって、優美なヘアスタイルからは、遠い雰囲気となる。だから、お帽子を愛用する人が多いのだけれど、オーダーメードのお帽子をかぶっている人は、少ない。

 カフェに入ったのちには、お医者さんの奥さんだとわかるので、患者さんの中に、洋裁ができる人が居たら、これほど、上等で、込み入った、作業をお願いできる・・・・・と、わかってくる。しかし、お医者さんの奥さんだったら、誰にでも、それが、可能だとは限らない。後で、私の方が、こういった。「私の母ってね。まったく威張らない人なのよ。だけど、不思議なことに、他人に、言う事を聞かせられるの。つまり、あっさり言うと、ひとを使うことが出来るのよ。私の方は、それが、まったくだめなの。でも、あなたも、そういう風に他人に・・・・(上手に、支配しているとも思わせないで)、命令できる人らしい」というと、彼女は、「そうよ」と答えた。

 大変、自信のある人だった。それと、個性というか自主性のある人だった。で、私は、88歳にもなっても、仕事をしている人だと、判断をして、「お仕事をなさっていますか?」と、問い合わせたのだった。しかし、彼女は、こう答えた。「あら、仕事なんてしていないわ。ボランティア。ボランティアばかりですよ。今も、そういうお仲間との、会議からの帰りです」

 私は、「うわあ。すごい。そのお話は聞きたいわ」と言った。すると、電車がやって来たので、お互いの、行く先を聞いたのだが、彼女はあいまいなまま、行先については答えず、ただ、単純に、私と一緒の電車に乗ってきた。これは、私の質問がいいからだ。私は、所謂、講師役の人に、いつも、圧倒的に頭が良いと言われる。それは、質問が適切だからだ。相手が思わず、その先を話したくなる様な、質問を、繰り出すからだった。

 「あのね。ボランティアと言っても、行政がね」と、彼女は言った。私は、思わず、身を乗り出して、「一緒に、すこし、お茶でも、しませんか?」と言った。この時に、彼女が未亡人であるかどうかはまだ知らなかったけれど、これほどに、自主性と個性のある人だったら、急に予定変更をしても、家族は、許すはずだった。私の方は許されなくて、帰宅したら、大声で怒鳴られたけれど。それは、後で丁寧に、語るが、主人には、夜九時になるまで、連絡ができない事情があったから、仕方がなかった。(苦笑)

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副題8,『お茶をどこでしましょうかという論議になって、私たち二人は、結構、右往左往した。それも、桜田門にとっては、攪乱戦術に見えて、疑惑を深めたのだと後で、わかってくるが、私にとっては、すべてが自然の出来事だった。』

 さて、どこで、お茶するかに関してだけれど、彼女はさすがに高齢者で、詰めが甘いところがあった。私の方は、新橋駅の、横須賀線出口前にあるエクセルシオール程度を想定内に入れた。歩きたくなかったからだ。で、半蔵門線に乗って、長津田方面に向かっているのに、「銀座線に乗り換えましょうよ。そのためには、表参道で降りた方がいいわ」と言った。

 ところで、私は、彼女に会う前から表参道に行きたかった。それが、なぜかをここで丁寧に、語りたい。この日、行きは、有楽町線を利用して45分もかかった。駅構内に入ってから歩く距離が長いからだった。で、もし、新橋駅から、銀座線で、表参道まで行って、表参道で、半蔵門線に乗り換えて、半蔵門駅から、国立劇場まで、歩くと何分かかるかを確認したいと、思っていたのだった。もし、それも、、45分程度だったら、そっちを利用した方が、歩く距離が少なくて、体力の消耗が少ないのだった。

 私は、彼女に出会う前は、そういう計画を持っていたのだけれど、面白そうな話をしてくれそうな人でもあり、88歳でも、かくしゃくとして、元気いっぱいだし、彼女に寄り添ってみよう・・・・彼女の意思を尊重しようと改めて、決意し直したのだった。

 彼女から、プライバシーについて、なにも教えてもらっていない段階から、『きっと一人暮らしでしょう』と考えており、彼女の方に、時間的な余裕があることは、わかっていたからだ。すると彼女は、「青山一丁目で、おりましょう。ここで、銀座線に乗り換えられる」と言った。私は、それは、知っていた。しかし、表参道の方が、駅構内を、よく知っているし、駅構内が明るいので、好きだったのだ。だけど、こんなことで、喧嘩をするわけもなく、一緒に、青山一丁目の、ホームへ降り立った。

 彼女は後程、「私ってね。住まいという意味では、だんだん落ちぶれていったのよ」と言った。私がきょとんとしていると、「最初は、〇〇に住んでいて、これは、港区ね」と言った。で、私も「そうね。港区って、住んでいる人の収入が現在、日本で、一番高い地域でしょう」と、言った。「次に、△△町で、中央区」と。それで、私も、「今、勝どきあたり、人気があるでしょう」と相槌を打った。中央区は銀座を抱えているので、ひとは、ほとんど住んでいないと思うが、それでも、・・・・・泰明小学校の制服がアルマーニで、8万円もする・・・・・というのが、だいぶ前にニュースになったほどだから、住民はいるのだろう。彼女はさらに続けて、「その次は、◇◇町で、文京区」と言った。私は、本当に笑った。

 落ちぶれたというのは、超・上等なジョークである。文京区の住民の所得は、確かに、港区よりは低いだろう。しかし、東大と、お茶大と、医科歯科大学を内部に抱え、何よりも、お子さんを親が入れたいと思う、お茶代付属・幼稚園・小学校と、筑波大付属小学校がある。裕福な家では、賃貸マンションを、仮寓の家として、借りて、住所を移動させて、受験をするらしい。それについては、寄留という語彙さえできているほどだ。

 まあ、こういうジョークを言うほどだから、東京の中央部分を渡り歩いている、超・都民だけど、高齢ゆえに、女性が二人で、静かに長時間、話をできる最適な場所を、彼女の方は、特定できなかった。ただ、彼女は、富裕層なので、渋谷ヒカリエは、よく利用するようで、「そこに行きましょう」と、再提案をされた。ただ、私の方は、ヒカリエは、嫌だった。そこには、自由に長時間、話をできる場所があるとも思えなかった。テナント料が高いと、思うので。

 私は若い時の化学実験の影響で体がひどく弱い。この日は、国立劇場に入る前に、有楽町線の乗り換えで、30分以上歩いていたし、歌舞伎を見終わってからも、半蔵門駅の周辺で、30分以上歩き回っていたので、もう、疲れ切っていた。だけど、彼女は、88歳だと聞いていたし、自分より、上等で、高価なお洋服を着ているし、尊敬すべきだった。その上、彼女のボランティア活動については、どうしても聞きたかったので、全く逆らわなかった。しかし、結局のところ、「青山一丁目では何もできないわ」と彼女が言いだして、彼女の方から、渋谷、ヒカリエへの、移動の案が出てきたのだった。それで、もう一回半蔵門線へ乗った。これが、桜田門には、攪乱戦術で、行先をごまかしていると、見えた可能性もある。しかし、それに気が付いたのは、12日、以降の事だった。11日の、午後四時ごろには、そんなことには思いも及ばなかった。

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副題9,『半蔵門線、渋谷駅に降りた。そこで、私が、気が付いたことを、ここで、語っておきたい』

 長津田方向の半蔵門線の、最先端に乗っていたので、降りると目の前に、エレベーターがあった。最近東京メトロがよく、ホームに設置しているタイプで、エレベーターを上がると、無人の改札口へ出るもの。彼女は、それに乗るのをいささか、躊躇した。ヒカリエには、行きにくくなることを知っていたのだと、思われる。しかし、私はリモワのアテンダントバッグはあるし、彼女もアテンダントバッグを持っているのだから、ちょっと、強引に「乗りましょう」と、促した。

 さて、無人の改札口であるのにもかかわらず、B1まで、あがると、ガードマンが二人もいた。これが、また、警視庁が、派遣をした、ガードマン(または、特殊警察の変装者だった)と、後では、わかるのだけれど、そのガードマンのうちの一人が意外にも親切で、「そこのエレベーター(A6a )を使うと、スクランブル交差点に出ますよ」と教えてくれた。私は、ともかく、地上に出れば、椿屋コーフィー店には近いだろうと思っていたので、そこがいいと、思っていた。いわゆる喫茶店の方が、ヒカリエ内のレストランやカフェより、長居ができるのだった。そして、そのガードマンが、そんなにも親切だったので、この時点で、すでに、警察の特殊部隊に、二人の行動が監視されていたなどとは、夢にも思わなかった。

 地上に上がると、目の前に、【フルーツパーラー西村】があった。私は、国立劇場がはねた後で、半蔵門ホテルで、昼食をとっていた。だから、本日は、お小遣いを使い過ぎなので、それこそ、エクセルシオールぐらいで、済ませたかった。エクセルシオールだったら、400円で済むところがここだと、完璧に、1500円以上はかかる。

 普通の主婦が、世間話をする場所として、2021年の、12月12日、合い鍵付きの、定期入れがが置き引きの手法で、品川駅の、新幹線ロビーで、盗まれたので、それに、気が付いたのだけれど、新幹線に、乗りもしないのに、品川駅の新幹線客用ロビーで、3時間以上話し合っている主婦二人を見つけたことがあるが、・・・・・

 私の感覚としては、フルーツパーラー西村は、その日の私には、ぜいたく過ぎた。しかし、二人とも高齢者で、私は、すでに疲れ切っているので、「うわあ、良かったわね。ここへ入りましょう」と提案した。下が、果物店で、二階が喫茶室なのだけれど、エレベーターを利用して二階に上がった時に、その時、エレベーター内部に監視カメラがあったかどうかは覚えていない。

 私は幸せだった。これから、ボランティア活動の話を聞くことが出来るのだった。私は、横浜の、ある子ども食堂に、何回か、食料品を送っていた。それが、コロナ禍で、閉鎖になっているらしいので、中断をしている。しかし、彼女のボランティア歴は、長そうで、しかも、「行政がだめですからね」という言い方には、経験している人特有の真実味があった。だからこそ、詳しい話を知りたかった。

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副題10、『さて、会話が始まった』

 私は、常に、自分の事よりも相手のことを心配する。だから、できるだけ、監視をされたり、盗聴をされない方がいい。それに最近は、非常に内容を気を付けて話をしている。できるだけ相手の言う事を聞こうと思っている。面白い話題を提供してくれる人には、それを感謝しないといけないからだ。

 でも、2006年ごろまでの、私は、結構、自分の愚痴を言っていた。何の愚痴かというと、・・・・・実家の父と比較すると、古臭すぎる夫の愚痴とかだ。彼は、自分では気が付いていないが、女性の権利を認めていないで、私の海外修行へ行きたがっているという、自由を許さない・・・・・そういう、夫への愚痴とか、

・・・・それから、「どうも、周辺に、盗聴や、ハッキングなどの、異様な気配がある様で、これは、北久里浜の大詐欺事件の、真相を知っているからでしょう」とか。

 しかし、瓜南直子さんと金田佑子さんが、組んで、とてもひどいこと(私の本心を語らせようとして、デートに誘ってくるという罠が、はられた。その罠に引っかからなかったら、侮辱の極みのジョークをぶつけてきた。金田佑子さんがデートに誘ってきたのだが、それを裏から命令したのが、瓜南直子さんだったので、二人は、露骨にいじめてきたのだった。お互いに、意味深で、エロチックなジョークを豊島屋のお菓子、源平巻きを間に挟んで、交わしていた。ひどい人たちだった。

 伊藤玄二郎から頼まれたのだろうとは思うが、「他人に対して罠など、かけてはいけませんよ。金田佑子さん」と言いたい。「あなたが、20%ぐらいの原因者として、瓜南直子さんは、死んだのですよ」とも、ともかく、二人は、組んで、非常に恐ろしい意地悪を、2011年の、10月の末から、11月18日まで、やって来たので、

 その時以来、リアルな会話の中では、絶対に、この・・・・・CIAによる、ひどい弾圧・・・・を語るまい・・・・・と、決意をしている。電車の中で、知り合った人とは、電車の中だけでは、割と、重い話をするが。それは、電車内では、電車の騒音やら、動くと言う事で、盗聴が不可能だろうと、思っているからだった。

 さて、この88歳のボランティアに、そのボランティア活動を聞くために、フルーツパーラー西村に入ったのだった。彼女は長い間、スリランカ人への教育里子をやっていたそうだ。それは、優秀だが、大学へ行く費用を親が出せない少年少女へ、高等教育を受けさせる仕事だと、思う。

 しかし、彼女は、だんだん、日本の子供に目を向ける様になり、今は、日本の子供への支援をするボランティアをやっているそうだった。しかし、この話が出たのは電車の中でだけで、フルーツパーラー西村へ入った後では、彼女自身の事と、それに、関連して語る、私自身の事へ話題が移って行ってしまった。*17)で、書いて居る、「移転のたびに、落ちぶれていったのよ」というジョークも、西村で、聞いた話だった。

 まあ、それは、私が鎌倉に住んでいると、言ったから出た話なのかもしれなかった。彼女もブランド力が、高い住宅街に、住んでいるというわけだったから。ところで、彼女が文京区の東大傍に住んでいると聞いたので、「昔、東大に勤めていたことがあるのよ」と言った。「東大卒ではないのですけれどね」と。

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副題11,『彼女は、自分の方の学歴とか、職歴を語ってくれた。新卒時、薬剤師として、聖路加病院に勤めたそうだ。だが、やがて、お医者さんと、お見合い結婚をして、大変忙しい生活に入ったそうだった。しかし、彼女が、51歳の時に、ご主人が、クモ膜下出血で、急逝されたそうだ。それ以降、37年間、彼女は、独身で、過ごしてきたのだったが、お勉強が大好きみたいで、

 国家資格を、三つも持っていると言った。それに、運転免許は、アメリカと、日本と両方を持っていると言う事も。77歳まで車も運転していたとも』

 国家資格の内、鍼灸医の資格には、話が弾んだ。私は、・・・・背中が、異様に痛くて、しかも24時間、連続して痛かったのに、主人が、三か月間、東洋医学で施術してくれたから治癒した・・・・・と、話した。それで、彼女も急に、「自分は、鍼灸医の資格を持っている」と、話してくれたのだった。

 私は、びっくりしながら、(だって、お医者さんの妻という立場はとても忙しいと聞いていたからだ)、「どこの学校に行ったの? うちの主人は、この渋谷にある学校よ」と、言いつつ、さらに質問をすると、彼女が通った学校は、当時は、代々木にあったそうだ。

 私は懸念として常に持っている、「西洋医学の専門家は、東洋医学、特に鍼灸医を軽蔑しているのではないか?」と言う事を質問をしてみた。すると、「違う。違う。東洋医学は、すごいわよ。だけど、医者(西洋医学の方)はね。鍼を打ってはいけないことになっているの」と彼女は言う。それで、私が、「そうね。日本って、規制、規制の国ですものね。アメリカなどと、まるで違う」と言った。

 この鍼灸医の話なのだけれど、彼女の側の話はさらに発展をしていった。或る時、ニューヨークで、鍼灸医医院を開いている日本人から、引継ぎを頼まれたそうだ。高校の先輩後輩の縁で、頼まれたそうだった。私は思わず、身を乗り出して、「引き受けたの?」と聞いた。すると、引き受けなかったそうだ。私は、一人で、ニューヨークへ二回行っていて、二回とも三か月暮らしてきたのだったが、誰の援助も受けず、アパートを探し、版画修業ができる場所を探して、生きていった。だが、それが、どれほどに、高い、エネルギーを必要とするかを、経験上知っているので、診療所をそのまま、引き継ぐことが、翻って、どんなにラッキーなことだか、わかっているから、すごくいい話だと、おもったのだった。

 しかし、彼女は、この時すでに、大学もしくは専門学校の、講師をしていたらしいので、そちらをやめられないという事情があったのか、引き受けなかったそうだ。超がつくほど、もったいない。

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副題12、『この後、私の方は、孤独死に入って行った』

 この時、私の方は孤独死の話に入って行った。「私はね。ニューヨークへは、絶対に修行に行きたいと思っていたのだけれど、主人が許さないので、一時期一人暮らしをしていたの。そして、お金もあるし、ニューヨーク事情もよくわかってきたので、ずっと、向こうに住んで、アーチスト生活をしたいと、思っていたの。で、グリーンカードをとるぐらいのところまで、発展をしたいと思ってね。

 でも、あの痛みを治癒してもらったので、大芸術家に、なるっていうのはあきらめたのよ。でもね。その背中の痛みの前に、肺炎になったのね。一日を三つに分けで、五時間仕事(または、修行)をしたら、三時間寝る。また、起きて、五時間仕事をして三時間寝る・・・・・とそういう形・・・・・

 但し、それがあるので、今、ブロガーをやっていられるのですよ。ただ、ただ、専業主婦のままだったた、ニューヨークでどんなに貴重な体験をしてきていても、それを文章として他人に、見せる技術など、獲得できないでしょう。・・・・・・

 ・・・・・でね。その肺炎にかかった時に、お医者様が、「死にますよ」とおっしゃったので、料理を作らないことにしたのです。ただ、大型暖房機を入れていて、それを、26度に設定して、ジャンジャン連続運転をしたのね。そうしたら、24畳もあるのだけれど、マンションだから、気密性が高くて、ずっと、三日間、暖かかったので、三日目ぐらいから、何かが、臭いのです。あまりに臭いので、ネズミでも死んだのかと思って必死で探しました。間取りは、12畳と6畳二間ですが、アトリエって、ものが大量にあるのです。版画を作る機械。版画を入れておく鉄製の引き出し、油絵も描くので、100号のキャンバスが30枚程度。で、探すのが大変なのだけれど、必死で探しました。すると、玄関に置いてあったキャベツが腐っていたの。レジ袋に入れたままだったから、キャベツが、玄関に置きっぱなしだと、言う事を忘れていたし、気が付かなかったのね」と。

 すると彼女が、「溶けていたでしょう」というのです。で、「違う。違う。まだ、しっかりしていました。でも外側の部分が真っ黒になっていました」と。すると彼女が、「孤独死がだめだっていう人は、そういう風に、何かの実体験があるみたいね。それが、有ると、孤独死はだめだと、判断するみたいですよ」と言いました。「そうね。それ以前は、天才的なアーチストになろうと思っていたので、天才に、孤独死はつきものだって、考えていたけれど、キャベツが腐っただけで、あれほどの、異臭がするんだったら、人間が腐ったら、どれほどのものか、想像ができますからね。家族がいる方がいいのです。孤独死は、しないから。孤独死は、ご近所迷惑、それから、親、兄弟、子供へも迷惑です」と続けました。

 ここで、彼女もりけじょ、私もりけじょなので、以下、$$$$$罫線で挟んだ部分を口には出しませんでした。自明の理だったからです。しかし、りけじょではない方には、それを説明をさせてくださいませ。

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キャベツとは、分子に分解すると、炭素、水素、酸素で出来ています。(C6H10O5)n

これらは、分解すると炭酸ガスとか、メタンガスCH₄になります。メタンガスが臭かったのでしょう。

 ところが、人間の体というと、窒素とか、リンとか、カルシウムとか、硫黄とか、いろいろ入っているのです。タンパク質って、分子式では表せないほどに、分子量が巨大です。それが、大量に入っている一細胞が、60億個か、60兆か、人間の体にあるのですよ。だから、どれほどに、複雑なガスが出て、複雑な、においになるか、想像できないほどに、ひどい匂いになる筈です。だから、孤独死はだめです。

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 でも、一つだけ、家族がいない人で、介護をうけて、いない人でも、救いがあります。ご飯を食べないと、ミイラ化しますね。即身仏は臭くないと思います。母は三か月、自分の意思で,ご飯を食べませんでした。精神は、普通でしたが、お顔は、ミイラみたいに黄土色になっていました。でも、93歳に後一週間でなるという状況だったし、老人ホームで、ちゃんと見ていただいているわけだから、孤独死にはぜったいにいたらないし、私も前夜、11時までいて、母は、午前7時の、みまわりでは、すでに、亡くなっていたので、他人が見ていない時間は、8時間だけだったのです。その間、死を迎える瞬間も、呻きもせず騒ぎもせず、ただ、ただ、静かにあの世に行ったのでした。すごいと思うほど、立派な死でした。しかし、二週間前まで、ご飯を食べていた人が孤独死をすると、それは、それは、大変なことになると思います。

 この日の三時間程度の会話の中で、彼女が肯定してくれた話題の一つです。その次に肯定してくれた話題が、英語と日本語の違いでした。

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副題13、『彼女が、深く同調をしてくれた話題は、英語と日本語の違いだった。りけじょだが、アメリカに何度も言っているので、英語は、上手に使えるみたいだった』

 彼女は、自分の学歴や職歴を披露してくれたので、どこか、私の学歴を聞きたいと、促す雰囲気がありました。私は、躊躇しました。横須賀時代の、ご近所様など、国際基督教大学の名前など、全く知りませんでした。彼女は、88歳でも、四年制の大学を出ていて、しかも・りけじょ・で、大学もしくは、専門学校の講師をしていたわけですから(未亡人になってからだと思うが)、知識人です。しかし、いかんせん、彼女が大学進学をした同じ年の1952年には、ICUは、一期生を募集しているぐらいの若い学校でした。だから、絶対に知らない筈なのです。でも、促されている感じがあったので、渋々という感じで、「新しい学校なので、知っていらっしゃるかなあ。国際基督教大学っていうのですよ」と答えると、「ああら、知っていますよ。あなたって、英語の専門家なのですね」と言われて、

 「いいえ、そんなことはないんですよ。でも、行くと、一か月目は全くダメなのですが、二か月目からは、自由に話せる様になります。日本では、全く勉強していないのですよ。でも、現地に入ると、二か月目からは、自由に話せる様になります。でも、ジョークとか、かんとう詞はだめですね」とこたえました。

 しかし、引き続いて、次の表現が出てきました。それは、上の*20)で書いて居る、規制、規制の国日本と、自由がいっぱいあるアメリカとの、比較を思い出して、「あのね、英語で、take という動詞を使う場合、それは、学術論文でも使えるし、日常会話でも使えるのですよね」というと、彼女も「得たりや、応」という感じで、「そうですよ。英語だと、get have take の、三つの言葉を使えば、ほとんどの事を説明できますよね」と答えてくれました。

 これは、ね、英語が簡単だと言っているわけではありません。アメリカ人を軽蔑しているわけではありません。だけど、日本人って、特に美術評論家って、難しい語彙を使うのを得意としているでしょう。中保者としては、誰にでもわかる言葉を使って、美術を、または、美術品を説明するべきだと、思っています。難しい言葉を使うのは、自分をえらく見せる為だろうと、考えています。したがって、私は、ブログに、難しい語彙とか、凝った修辞は、入れません。

 アメリカ人とは、そういうシンプルな語彙を使って、複雑なことを表現しているわけだから、日本語に直すと、どういう事を言っているのかなと、考えてみる必要があります。翻訳の際は、そこらあたりが、大変重要なところです。

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副題14、『ここで、日本語の語彙が、複雑で多岐にわたるという話と関連して、2010年四月5日着で、瀬木慎一さんから、告訴しますと言う脅かしの手紙をもらったことを語らないといけない。しかし、私が、おとがい(=顎)という語彙を知っていただけで、その訴訟云々は消え去った』

 私に対して、森さんが、持ち掛けてきた、企画展(2010年4月5日から、10日まで)は、私をつぶすというか、消耗させて、殺す目的があったと思います。

 その4月3日、飾りつけに向かう電車が、北鎌倉と、大船の間で、一時間半も、何の説明もなしに、止まってしまって飾りつけをなおざりにする人だと、言う評価を森さんに与えたし、森さんが飾りつけを全部やってしまったので、私としては、不満な方向性があった。

 しかも、その月曜日に、午後零時出発という形で、森さんに挨拶い言ってもらった。企画展だから、お礼を言う必要があったと言う事と、これが最後の、個展だと考えたので、主人に、きちんと銀座の個展というのを見ておいてもらいたかったのだ。

 しかし、主人がいない、午後三時ごろ、額田病院から、電話で、「10月にご主人が、受けたガン検診の結果を聞きに来てください」と、言われた。それは、本当にひどい。10月の検診の結果をよりによって、6か月後の、私の個展の初日にぶつけて来るなんて。

 まるで、主人が【がん】で、でもあるかの如く、脅かすもので、これは、伊藤玄二郎が、額田病院に働きかけて、そういう脅かしをかけてきたことだと、思っている。

 これは、この章で、登場する、医者の未亡人が、夜7時近くになって、急に裏切ってきた話と通じるので、ここで、このエピソードを公開しておきたい。

 また、上の節の、語彙の問題に戻るが、同じ日に、封書で、瀬木慎一さんから、「あんたを告訴する」という手紙が来た。私は瀬木さんと、もめ事を起こした記憶はない。ただ、瀬木さんが、中央大学法学部政治学科の卒業なので、伊藤玄二郎に頼まれて、脅かしてきたと、思っている。

 で、火曜日に、外の公衆電話から瀬木さんに電話をかけた。瀬木さんは、私から、その日に電話がかかってくるとは、予想もしていなかったらしくて、出た。で、瀬木さんに、いろいろ、説明をしたが、「ともかく、こういうお手紙をもらう、いわれはないのです。が、もしかしたら、伊藤玄二郎から頼まれましたか?」と、質問をすると、、瀬木さんは、急におとなしく、弱気になった。無論、「伊藤玄二郎なんて知りません」と、一応の否定はしてきたけれど、私の指摘は、図星だったらしくて、少しの沈黙の後で、「あんたは、僕のことを知っているの?」と質問をしてきた。それで、「ええ、知っています。・お・と・が・い・の小さな方ですよね」と答えた。すると、次に、「あんたは・お・と・が・い・という言葉を知っているの?」と問われたので、「ええ、知っています」と答えた。それっきり、訴訟云々の話は消えた。

 これは、教養が身を助けると、言う典型だった。

 伊藤玄二郎がどれほどに、ひどい讒言を、瀬木さんに入れたかが判る。・お・と・が・い・という語彙を知っていただけで瀬木さんは、びっくりして、自分がどれほど、ばかげたことをやっているかを、認知したのだった。

 今、(=2022-3-13)に瀬木慎一画像検索を、開いてみた。すると、瀬木さんの顔が四枚映っている。だが、顎が細くない。これは、二つの可能性を感じさせる。2010年4月以降。瀬木さんが、あごの骨の、美容整形をした可能性がある。医院は高須クリニックであろう。ただ、2011年3月15日に死去というのは早すぎる。まあ、病院で、肺炎で亡くなったそうである。他殺ではないとは思うが、口封じのために、殺された可能性も感じている。というのも瀬木さんって、陽気で、楽しい人で、私が、もし、オープニングパーティで、瀬木さんに挨拶でもしたら、瀬木さんは、「あんたが、川崎千恵子ですか?」と、言って、絶句すると思う。私は、伊藤玄二郎が説明をしたたぐいの人間ではない。自分で、それを一手はおしまいだが、上品で、静かな人間だ。実物の、私を見た時の、その瀬木さんの、驚きの表情を見ているだけで、瀬木さんの告訴云々が、伊藤玄二郎から、頼まれたものであることは、全く正しかったと、判断するだろう。私は必ず、そうする。だから、口封じのために、殺された可能性をも、感じている。

 いったん、鎌倉エージェントと関係を持つと、かれらと、仲良くしていても、殺される可能性がある。その人が善人だと殺される可能性がある、瀬木慎一さんは、善人だった。

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副題15、『彼女は、さらに、いろいろなことを話してくれたのだけれど、お子さんに関することは、ここでは書けない。ただ、彼女が、東戸塚にあった大学(もしくは、専門学校)へ、教えに行っていた話は、或る感慨を私にもたらした。特にコロナ禍で、顕著になった小学生の、教育格差と絡めて』

 彼女は公衆衛生学とか、その他の学科を教えに行っていたそうです。その当時(それは、25年は前の話であろうが)学校は、東戸塚にあったそうです。

 私は、いろいろな意味で、感慨が深かったです。ただ、まず、「東戸塚って、きれいでしょう」とは言いました。すると、彼女は、「ええ、そうね」と言いました。ここらあたりで、窓の外が暗くなったし、時計を見ると7時過ぎだったので、会話を終わらせましょうと、提案をして、東戸塚については、二人では、何も語っていません。

 しかし、一人になると、東戸塚については、いろいろ語ることがあります。

 まず第一には、そこがきれいなわけは駅周辺の土地を持っていた、地主がタダで、寄付したそうで、立派なロータリー等ができていますし、元は、畑だったので、区画整理がきちんとできていて、11階建ての、マンションがずらっと立っているし、その周辺には、個人の住宅がたくさんあります。商店街は、特徴が無く(横浜に近いので、そちらにお客をとられると思うので)タワーマンションがあるわけでもないので、

 話題に上ることが少ないのです。しかし、それは、売る人が少ないから、そうなっているわけで、十年後、二十年後には、横須賀線随一の、高級住宅街になると、思っています。建物が立派だと、言うよりも、住民の、民度が高いという点でです。住民が、大企業に勤めている度合いが、大きいと、言う事です。

 ほとんどの家が大卒のサラリーマンが主人(夫とか、父親が)である家庭の筈で、母親も大卒の家庭は、多いでしょう。だから、有名私立中学の制服を着た子供が、乗り降りをする駅でもあります。

 横須賀線では、今のところ、武蔵小杉が、華やかです。しかし、20年後には、タワーマンションを買った人々は後悔をするはずで、『まあ、いいや、退職金をもらったら、親の家を解体して、新しい家を建てればいいさ』などと思っている三十代、四十代の、ひとが大量に出てくるはずです。東戸塚は、そのころ、住民の年齢が、50代から、80代に移行をしているはずですが、タワーマンションではないマンションの方が、コンクリートの量など、多く使ってあるはずで、かつ、一戸建ての家(45坪~55坪程度)が多いので、それを、分割するのは不可能ですね。狭少住宅は都心には、在るでしょうが、東戸塚に作っても売れないでしょう。したがって、分割をされない筈で、そこに、世代交代を果たして子供たちが、しゃれてた家を建て直すと、高級住宅街化します。

 逗子が、葉山も含めて、高級住宅街化しています。現在は、北鎌倉か、逗子か、というほど、充実した、住宅街です。鎌倉よりも、住民の、実質収入は大きいと思いますよ。しかし、20年後は、今の鎌倉と同じような高齢化社会になっているはずで、住民の収入は低くなっているはずです。そして、入れ替わる様に、東戸塚が、格を上げていくでしょう。

 この88歳マダムは、たまたま都心から東戸塚(郊外)へという、反対方向へ勤務に向かったのでした。しかし、東戸塚とは、彼女は、なんと恵まれている人生を送っているのでしょうか?

 

 しかし、そういう素敵なマダムに立った、三時間のうちに裏切られたのですよ。警視庁が、医者を動かしたのです。お子さんがお医者さんなので、そのルートを通じて、その人(=川崎千恵子)と別れなさい」と、言われたのでした。ただし、この部分には、今日は踏み込みたくありません。すでに、27時間連続して起きているので、頭が、弱っていると思うので。

 

 

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