今日は最初にちょっとお断りを致しますが、いつもより、2時間早く更新をしております。いつも、もし、日本時間の22時から、24時半ごろまでに覗いてくださる方が、おられましたら、この下に、八番街の騎乗警官と言うのがあり、今日のはそれの続きです。
・・・・・・・・・・
タイトルをこう付けると、何を選んだらよいかしらと言うほど、たくさんの事を学びましたが、ここは、その最初のアパートでの、他者との会話から学んだことを、お話をさせてくださいませ。
そこには、間借り人として、素敵な若い女性が居ました。日本で、大手企業の社長をしている人のお嬢さんでした。が、全く甘えたところがなく、お掃除もぱきぱきするし、ニューヨークでも、ちゃんとした会社に勤めている人でした。彼女が「私は、髪の毛が落ちているのが、一番嫌いなのよ」と言うのを聞いたときに、本腰をいれてお掃除をするお嬢さんだなあと、感じ入ったたものです。その後、・・・・・
その人と、一晩話し合った事があるのですが、『どうして、ニューヨークに来たかと言うと、日本の若い男性に失望しているからだ』とのことでした。『日本で、優秀だと認められている若い男の人は、実は、覇気が無い人が多い』そうです。それは、『受験競争などを、経てきているので、どうしてもそうなるのだろうなあ』と、私は考えました。
豊かな日本、そして、母親の力が・・・(ママゴンとか、言われて)・・・家庭の中で強かった時代の話です。10年前の話ですから。彼女はとても落ち着いた美しい人で、背も高かったので、『アメリカ人と結婚をしたい』というその希望が、既に、かなえられているだろうと、今の私は思います。
さて、問題は大家夫人でした。彼女は、こんな小さなお子さんがあるのに、テレビゲームなどをしているので、育児放棄をしているかのように見えました。でないと、坊ちゃんが、これほど、私になつく理由がわかりません。
まあ、私はこんな文章を書いているので、インテリぶっていると見られるのか、よく「お子さんがあるといっても、お母さんに育ててもらったのでしょう?」などと言われるのですが、違う違う、ちゃんと、布オムツの時代に、核家族で子育てをしています。ほぼ、40年近く前のことですが、小さなこどもと、猫は大好きです。
~~~~~~~~~~
ところで、ここで、突然の挿入ですが、今日、Yahoo Japan のアースプロジェクトと言う頁で、片山右京さんのインタビューがあり、その中の猫談義は、面白いです。私もその通りだと思う猫のある部分の本質が書いてあります。
~~~~~~~~~~
さて、本文の続きに戻りますと、
特に仲間のお母さんから「長い手綱で、育てているね」といわれたこともあるほど、子供が小さいころは、子どもオンリーで、すべてのご近所のお子さんがうちに集まる一種の保育所状態でした。
がみがみ言わないで、自由に遊ばせながら、常にじっとみんなを、注意深く、見ている、母親でした。危険が無いようにとか、悪い事をしないようにとか。でも、がみがみと叱らないためには、非常に労力が居るのです。疲労困憊しますよ。そして、歯を悪くしました。だけど、その経験があるから、その家の子どもと、猫にはなつかれ切りました。
私はよっぽどの事が無いと、相手に強く出る事ができません。この動き回る盛りの二歳の赤ちゃんが、帰宅すると同時にずっと、私についてきて、「遊んで頂戴」と言う、感じには参ったけれど、すぐ「これは、止めてください」と奥さんに言うのはやめて、どうしてこうなるのかを婉曲に聞いていきました。
するとね。短編小説が書けるぐらい、いろいろな理由が重複していることがわかったのです。が、そのうち、『これは、奥さんの責任ではないだろうなあ』と、思う理由が一つだけあり、それだけを、ここに書きましょう。
それは、奥さんの実家の、『実のお母さんが、偏愛の人だった』と言うことです。妹さんばかり可愛がったそうです。それで、妹さんは家事も上手で、「この前、ニューヨークにお母さんと一緒に遊びに来たが、この家全部、隅々まできれいにして帰ってくれたのよ」と、彼女が言ったときに、大きな謎が解けたのです。
妹さんの方はお母さんとの関係が蜜で、しかもお母さんが好きですね。だから、お母さんの遣ることは小さい頃からじっと見ているし、それを、尊敬しているから、お母さんのやっていることも好きになるし、身につくのです。で、家事が上手な普通のお嬢さんに育ちあがりました。
でも、ご長女であったこちらの奥さんは、何も実母に反抗をしないけれど、深く傷ついていて、それを、挽回するために、ブロードウエイで、ブレイクすることを願って、このニューヨークへきたのに、思いがけないタイミングでお子さんができて、自由を奪われた感じがしているのでした。
頭が良くて、自己分析もちゃんとできる人でした。才能もあったのでしょう。でも、まだ若くて、実体験として、今、本当は、何をやるべきなのかを、ちゃんと、把握できていないのでした。それに、実家が大変なお金持ちらしくて、それも、彼女に、危機意識を与えない状況を、つくり出しているのです。
『そうなのか、それで、やっと理由がわかった。だけど、それなら、このお子さんに、私が、なつかれることは、永遠に続くな』と思った私は、その家を出ることに決めたのです。並の覚悟で、ニューヨークへきているわけではありません。時間は非常に貴重だったのです。
2008年11月14日 川崎 千恵子
・・・・・・・・・・
タイトルをこう付けると、何を選んだらよいかしらと言うほど、たくさんの事を学びましたが、ここは、その最初のアパートでの、他者との会話から学んだことを、お話をさせてくださいませ。
そこには、間借り人として、素敵な若い女性が居ました。日本で、大手企業の社長をしている人のお嬢さんでした。が、全く甘えたところがなく、お掃除もぱきぱきするし、ニューヨークでも、ちゃんとした会社に勤めている人でした。彼女が「私は、髪の毛が落ちているのが、一番嫌いなのよ」と言うのを聞いたときに、本腰をいれてお掃除をするお嬢さんだなあと、感じ入ったたものです。その後、・・・・・
その人と、一晩話し合った事があるのですが、『どうして、ニューヨークに来たかと言うと、日本の若い男性に失望しているからだ』とのことでした。『日本で、優秀だと認められている若い男の人は、実は、覇気が無い人が多い』そうです。それは、『受験競争などを、経てきているので、どうしてもそうなるのだろうなあ』と、私は考えました。
豊かな日本、そして、母親の力が・・・(ママゴンとか、言われて)・・・家庭の中で強かった時代の話です。10年前の話ですから。彼女はとても落ち着いた美しい人で、背も高かったので、『アメリカ人と結婚をしたい』というその希望が、既に、かなえられているだろうと、今の私は思います。
さて、問題は大家夫人でした。彼女は、こんな小さなお子さんがあるのに、テレビゲームなどをしているので、育児放棄をしているかのように見えました。でないと、坊ちゃんが、これほど、私になつく理由がわかりません。
まあ、私はこんな文章を書いているので、インテリぶっていると見られるのか、よく「お子さんがあるといっても、お母さんに育ててもらったのでしょう?」などと言われるのですが、違う違う、ちゃんと、布オムツの時代に、核家族で子育てをしています。ほぼ、40年近く前のことですが、小さなこどもと、猫は大好きです。
~~~~~~~~~~
ところで、ここで、突然の挿入ですが、今日、Yahoo Japan のアースプロジェクトと言う頁で、片山右京さんのインタビューがあり、その中の猫談義は、面白いです。私もその通りだと思う猫のある部分の本質が書いてあります。
~~~~~~~~~~
さて、本文の続きに戻りますと、
特に仲間のお母さんから「長い手綱で、育てているね」といわれたこともあるほど、子供が小さいころは、子どもオンリーで、すべてのご近所のお子さんがうちに集まる一種の保育所状態でした。
がみがみ言わないで、自由に遊ばせながら、常にじっとみんなを、注意深く、見ている、母親でした。危険が無いようにとか、悪い事をしないようにとか。でも、がみがみと叱らないためには、非常に労力が居るのです。疲労困憊しますよ。そして、歯を悪くしました。だけど、その経験があるから、その家の子どもと、猫にはなつかれ切りました。
私はよっぽどの事が無いと、相手に強く出る事ができません。この動き回る盛りの二歳の赤ちゃんが、帰宅すると同時にずっと、私についてきて、「遊んで頂戴」と言う、感じには参ったけれど、すぐ「これは、止めてください」と奥さんに言うのはやめて、どうしてこうなるのかを婉曲に聞いていきました。
するとね。短編小説が書けるぐらい、いろいろな理由が重複していることがわかったのです。が、そのうち、『これは、奥さんの責任ではないだろうなあ』と、思う理由が一つだけあり、それだけを、ここに書きましょう。
それは、奥さんの実家の、『実のお母さんが、偏愛の人だった』と言うことです。妹さんばかり可愛がったそうです。それで、妹さんは家事も上手で、「この前、ニューヨークにお母さんと一緒に遊びに来たが、この家全部、隅々まできれいにして帰ってくれたのよ」と、彼女が言ったときに、大きな謎が解けたのです。
妹さんの方はお母さんとの関係が蜜で、しかもお母さんが好きですね。だから、お母さんの遣ることは小さい頃からじっと見ているし、それを、尊敬しているから、お母さんのやっていることも好きになるし、身につくのです。で、家事が上手な普通のお嬢さんに育ちあがりました。
でも、ご長女であったこちらの奥さんは、何も実母に反抗をしないけれど、深く傷ついていて、それを、挽回するために、ブロードウエイで、ブレイクすることを願って、このニューヨークへきたのに、思いがけないタイミングでお子さんができて、自由を奪われた感じがしているのでした。
頭が良くて、自己分析もちゃんとできる人でした。才能もあったのでしょう。でも、まだ若くて、実体験として、今、本当は、何をやるべきなのかを、ちゃんと、把握できていないのでした。それに、実家が大変なお金持ちらしくて、それも、彼女に、危機意識を与えない状況を、つくり出しているのです。
『そうなのか、それで、やっと理由がわかった。だけど、それなら、このお子さんに、私が、なつかれることは、永遠に続くな』と思った私は、その家を出ることに決めたのです。並の覚悟で、ニューヨークへきているわけではありません。時間は非常に貴重だったのです。
2008年11月14日 川崎 千恵子