『一体、このブログはいつになったら、パリに戻れるのだろうか』と自分でもいぶかしく、思いますが、明後日だけは一回ほど、パリに戻ります。しかし、また、ニューヨークに戻り、地下鉄の話に入りましょう。地下鉄内で拾ったエピソードのうち、最上級のものをまだ、お話していません。
ところで、今日は分岐も分岐して、ギリシャのアテネに突然飛びます。私は一回だけ、イタリアを夫婦で参加する団体旅行をしたのですが、後は、夫婦、もしくは一人の個人旅行で、海外旅行は、すべてを済ませております。ギリシャも四拍五日の独り旅行です。アテネとデルフォイだけを訪ねる目的で、特にアテネを知りたいと思って出かけました。日本から直接行くと、最初は、くたくたなのですが、パリから行ったので(後注一)、時差がすっかり解消しています。
しかも、飛行機がパリからだとほぼ、三時間ぐらいで、エコノミック症候群にかかっている暇もない、夕方につきますし、滑走路侵入の前に、低空を旋回し青い海に数々の大型ヨットがクルージングをしているのを、眺めおろします。そんな、段階を経れば、ギリシャ観光への期待はいやがうえにも高まりました。
機中の日本人学者から、教えてもらった、日本人経営のプチホテルに宿を取ると、すぐ、食事に出かけました。ホテルの隣に、床が土間なのだけれど、スペースだけは馬鹿に広くて、道路を挟んで二つの食事スペースがほぼ100坪ぐらい展開している地味目のレストランがありました。
食事はバットに入っている既に出来ている16種類の料理から選ぶ形式です。料理もインテリアも見栄えは汚い。しかし、独りで食べることの気兼ねが無いのが、一番です。私はその広い、しかし閑散としているレストランで、『向こうの方にいるのは、デンマーク人だろう』などと、背の高い金髪のカップルを眺めたりしながら、大き目のピーマンの肉詰めなどをたべて、おなかを一杯にして、市街地探索へ出かけました。
車の入らない幅が、1,5メートルぐらいの道路の両側に、溢れるほどのお土産を飾った小さなお店がずらっと、続いています。ちょっとした十字路には、小さな、しかし、本格的なレストランがたくさんあって、それこそ、メリナ・メルクーりの『日曜日は駄目よ』の世界で(いや、古いですが、あの音楽が素敵でわすれられない映画です)、恋人同士、夫婦どうして、仲間同士が延々何時間も夜の十二時過ぎだって、ワイン片手におしゃべりしまくっているのです。ドアーのふちは緑のペンキで塗られ、そこに大き目の赤の格子のテーブルかけがかかっていたりして。
『あたった。予測は当たったわ。私がこういう社交が華麗に展開している
場所で、独り食事をするのは、つらいから、さっきのレストランが最高、明日もあさってもあそこを利用しましょうと思いました。
(ここで、後注一に入りますが、この旅行は文化庁の在外研修生で、パリへ行っていたときに、先生がスペイン旅行をなさるとのことで、「その間は工房を使わないで欲しい。僕は君の技量や性格を知らないから」と仰ったのです。それは、当然ですね。もし、机の中の書類を探るような人へ、留守中に何時にはいってもよいと言う形で、鍵をあげてしまったら先生の方が、大変ですね。
だから、すぐ納得をして、この何も版画のシゴトが出来ない期間の間に、西欧文明の根源たるギリシャを見たいと思ったのです。そのときより、20年弱前に行った。トルコにもヘレニズム文明遺跡(エフェソッスなど)はあります。だがギリシャのものを見たいと思ったのです。
なお、これらの旅行にはもちろん私費を使いました。当時、版画、特にヘイター方式用のローラー46万円を買ったのを含めて、私費を、200万円ほど、国費とは別に、余計に使いました。びっくりされるかもしれませんが、当時の私は、お金持ちだったのです。この私がねえ。・・・・あ、は、は、・・・・・と、ここでは、力なく、笑っておきましょう。・・・・・)
さて、アテネの地図がまだ、しっかりとは頭に入ってはおりませんが、この賑やか極まりない低地の中央にミ(メ)トロポリス大聖堂があるのです。聖堂前の広場には、そんな真夜中には、ほとんど、人がおりません。そこだけは唯一の環境として静かなのです。ただ、後ろ側からは先ほどまで歩いていた雑踏の喧騒が、うわあーんと、まるで、大浴場に入ったときのように聞こえてきます。
しかし、その灰色の音に混じって、銀のようにたえなるギターの音が聞こえてきました。どこからだろうと思いました。ミトロポリス大聖堂の向かって右側は、私のプチホテルや、地元民もしくはバックパッカー向けのレストランがある、やや、寂れた地域です。
『そっちじゃあないわね』と判断して左側に回ると、きれいなアーケード街がありました。看板を見ると、ヴィトンとか、シャネルとかいう名前が見えて、日本で言う銀座、もしくは表参道と言うわけです。真ん中の道路は車が入らない形式のようで、しかも大理石です。上はアクリルの、透明な、屋根がついております。
すごくきれいな空間です。しかし、お店は、すべてパイプ型のシャッターを下ろし、人は誰もいないのです。通行人も無論居ません。そして、大道芸人の姿も見えません。でも、道路の大理石、そして、両側のお店が多用しているガラス類、天井のアクリルのアーケード、それらのすべてがあいまって、ギターの音量をあげ反響も効果高くしていて、素晴しい音色として、私には聞こえるのでした。
これは、どういうことなのかしら。不思議でなりません。私は謎を解くためにその誰も居ないアーケードの中に入っていきました。
この項は長くなりますので、明日へと、続くとさせてくださいませ。
2008年11月22日 雨宮舜(本名川崎千恵子)
尚、最後になりましたが、いつもより、一時間半ほど、早めに更新しています。日本時間23時以降にご覧になる方は、この下に、昨日発信したクラシックを目指すアフリカンの青年大道芸人を励ました話がありますので、どうかそれも宜しく。
ところで、今日は分岐も分岐して、ギリシャのアテネに突然飛びます。私は一回だけ、イタリアを夫婦で参加する団体旅行をしたのですが、後は、夫婦、もしくは一人の個人旅行で、海外旅行は、すべてを済ませております。ギリシャも四拍五日の独り旅行です。アテネとデルフォイだけを訪ねる目的で、特にアテネを知りたいと思って出かけました。日本から直接行くと、最初は、くたくたなのですが、パリから行ったので(後注一)、時差がすっかり解消しています。
しかも、飛行機がパリからだとほぼ、三時間ぐらいで、エコノミック症候群にかかっている暇もない、夕方につきますし、滑走路侵入の前に、低空を旋回し青い海に数々の大型ヨットがクルージングをしているのを、眺めおろします。そんな、段階を経れば、ギリシャ観光への期待はいやがうえにも高まりました。
機中の日本人学者から、教えてもらった、日本人経営のプチホテルに宿を取ると、すぐ、食事に出かけました。ホテルの隣に、床が土間なのだけれど、スペースだけは馬鹿に広くて、道路を挟んで二つの食事スペースがほぼ100坪ぐらい展開している地味目のレストランがありました。
食事はバットに入っている既に出来ている16種類の料理から選ぶ形式です。料理もインテリアも見栄えは汚い。しかし、独りで食べることの気兼ねが無いのが、一番です。私はその広い、しかし閑散としているレストランで、『向こうの方にいるのは、デンマーク人だろう』などと、背の高い金髪のカップルを眺めたりしながら、大き目のピーマンの肉詰めなどをたべて、おなかを一杯にして、市街地探索へ出かけました。
車の入らない幅が、1,5メートルぐらいの道路の両側に、溢れるほどのお土産を飾った小さなお店がずらっと、続いています。ちょっとした十字路には、小さな、しかし、本格的なレストランがたくさんあって、それこそ、メリナ・メルクーりの『日曜日は駄目よ』の世界で(いや、古いですが、あの音楽が素敵でわすれられない映画です)、恋人同士、夫婦どうして、仲間同士が延々何時間も夜の十二時過ぎだって、ワイン片手におしゃべりしまくっているのです。ドアーのふちは緑のペンキで塗られ、そこに大き目の赤の格子のテーブルかけがかかっていたりして。
『あたった。予測は当たったわ。私がこういう社交が華麗に展開している
場所で、独り食事をするのは、つらいから、さっきのレストランが最高、明日もあさってもあそこを利用しましょうと思いました。
(ここで、後注一に入りますが、この旅行は文化庁の在外研修生で、パリへ行っていたときに、先生がスペイン旅行をなさるとのことで、「その間は工房を使わないで欲しい。僕は君の技量や性格を知らないから」と仰ったのです。それは、当然ですね。もし、机の中の書類を探るような人へ、留守中に何時にはいってもよいと言う形で、鍵をあげてしまったら先生の方が、大変ですね。
だから、すぐ納得をして、この何も版画のシゴトが出来ない期間の間に、西欧文明の根源たるギリシャを見たいと思ったのです。そのときより、20年弱前に行った。トルコにもヘレニズム文明遺跡(エフェソッスなど)はあります。だがギリシャのものを見たいと思ったのです。
なお、これらの旅行にはもちろん私費を使いました。当時、版画、特にヘイター方式用のローラー46万円を買ったのを含めて、私費を、200万円ほど、国費とは別に、余計に使いました。びっくりされるかもしれませんが、当時の私は、お金持ちだったのです。この私がねえ。・・・・あ、は、は、・・・・・と、ここでは、力なく、笑っておきましょう。・・・・・)
さて、アテネの地図がまだ、しっかりとは頭に入ってはおりませんが、この賑やか極まりない低地の中央にミ(メ)トロポリス大聖堂があるのです。聖堂前の広場には、そんな真夜中には、ほとんど、人がおりません。そこだけは唯一の環境として静かなのです。ただ、後ろ側からは先ほどまで歩いていた雑踏の喧騒が、うわあーんと、まるで、大浴場に入ったときのように聞こえてきます。
しかし、その灰色の音に混じって、銀のようにたえなるギターの音が聞こえてきました。どこからだろうと思いました。ミトロポリス大聖堂の向かって右側は、私のプチホテルや、地元民もしくはバックパッカー向けのレストランがある、やや、寂れた地域です。
『そっちじゃあないわね』と判断して左側に回ると、きれいなアーケード街がありました。看板を見ると、ヴィトンとか、シャネルとかいう名前が見えて、日本で言う銀座、もしくは表参道と言うわけです。真ん中の道路は車が入らない形式のようで、しかも大理石です。上はアクリルの、透明な、屋根がついております。
すごくきれいな空間です。しかし、お店は、すべてパイプ型のシャッターを下ろし、人は誰もいないのです。通行人も無論居ません。そして、大道芸人の姿も見えません。でも、道路の大理石、そして、両側のお店が多用しているガラス類、天井のアクリルのアーケード、それらのすべてがあいまって、ギターの音量をあげ反響も効果高くしていて、素晴しい音色として、私には聞こえるのでした。
これは、どういうことなのかしら。不思議でなりません。私は謎を解くためにその誰も居ないアーケードの中に入っていきました。
この項は長くなりますので、明日へと、続くとさせてくださいませ。
2008年11月22日 雨宮舜(本名川崎千恵子)
尚、最後になりましたが、いつもより、一時間半ほど、早めに更新しています。日本時間23時以降にご覧になる方は、この下に、昨日発信したクラシックを目指すアフリカンの青年大道芸人を励ました話がありますので、どうかそれも宜しく。