銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

アテネの大道芸人―1

2008-11-22 16:19:57 | Weblog
 『一体、このブログはいつになったら、パリに戻れるのだろうか』と自分でもいぶかしく、思いますが、明後日だけは一回ほど、パリに戻ります。しかし、また、ニューヨークに戻り、地下鉄の話に入りましょう。地下鉄内で拾ったエピソードのうち、最上級のものをまだ、お話していません。

 ところで、今日は分岐も分岐して、ギリシャのアテネに突然飛びます。私は一回だけ、イタリアを夫婦で参加する団体旅行をしたのですが、後は、夫婦、もしくは一人の個人旅行で、海外旅行は、すべてを済ませております。ギリシャも四拍五日の独り旅行です。アテネとデルフォイだけを訪ねる目的で、特にアテネを知りたいと思って出かけました。日本から直接行くと、最初は、くたくたなのですが、パリから行ったので(後注一)、時差がすっかり解消しています。

 しかも、飛行機がパリからだとほぼ、三時間ぐらいで、エコノミック症候群にかかっている暇もない、夕方につきますし、滑走路侵入の前に、低空を旋回し青い海に数々の大型ヨットがクルージングをしているのを、眺めおろします。そんな、段階を経れば、ギリシャ観光への期待はいやがうえにも高まりました。

 機中の日本人学者から、教えてもらった、日本人経営のプチホテルに宿を取ると、すぐ、食事に出かけました。ホテルの隣に、床が土間なのだけれど、スペースだけは馬鹿に広くて、道路を挟んで二つの食事スペースがほぼ100坪ぐらい展開している地味目のレストランがありました。

 食事はバットに入っている既に出来ている16種類の料理から選ぶ形式です。料理もインテリアも見栄えは汚い。しかし、独りで食べることの気兼ねが無いのが、一番です。私はその広い、しかし閑散としているレストランで、『向こうの方にいるのは、デンマーク人だろう』などと、背の高い金髪のカップルを眺めたりしながら、大き目のピーマンの肉詰めなどをたべて、おなかを一杯にして、市街地探索へ出かけました。

 車の入らない幅が、1,5メートルぐらいの道路の両側に、溢れるほどのお土産を飾った小さなお店がずらっと、続いています。ちょっとした十字路には、小さな、しかし、本格的なレストランがたくさんあって、それこそ、メリナ・メルクーりの『日曜日は駄目よ』の世界で(いや、古いですが、あの音楽が素敵でわすれられない映画です)、恋人同士、夫婦どうして、仲間同士が延々何時間も夜の十二時過ぎだって、ワイン片手におしゃべりしまくっているのです。ドアーのふちは緑のペンキで塗られ、そこに大き目の赤の格子のテーブルかけがかかっていたりして。

 『あたった。予測は当たったわ。私がこういう社交が華麗に展開している
場所で、独り食事をするのは、つらいから、さっきのレストランが最高、明日もあさってもあそこを利用しましょうと思いました。

(ここで、後注一に入りますが、この旅行は文化庁の在外研修生で、パリへ行っていたときに、先生がスペイン旅行をなさるとのことで、「その間は工房を使わないで欲しい。僕は君の技量や性格を知らないから」と仰ったのです。それは、当然ですね。もし、机の中の書類を探るような人へ、留守中に何時にはいってもよいと言う形で、鍵をあげてしまったら先生の方が、大変ですね。

 だから、すぐ納得をして、この何も版画のシゴトが出来ない期間の間に、西欧文明の根源たるギリシャを見たいと思ったのです。そのときより、20年弱前に行った。トルコにもヘレニズム文明遺跡(エフェソッスなど)はあります。だがギリシャのものを見たいと思ったのです。

 なお、これらの旅行にはもちろん私費を使いました。当時、版画、特にヘイター方式用のローラー46万円を買ったのを含めて、私費を、200万円ほど、国費とは別に、余計に使いました。びっくりされるかもしれませんが、当時の私は、お金持ちだったのです。この私がねえ。・・・・あ、は、は、・・・・・と、ここでは、力なく、笑っておきましょう。・・・・・)

 さて、アテネの地図がまだ、しっかりとは頭に入ってはおりませんが、この賑やか極まりない低地の中央にミ(メ)トロポリス大聖堂があるのです。聖堂前の広場には、そんな真夜中には、ほとんど、人がおりません。そこだけは唯一の環境として静かなのです。ただ、後ろ側からは先ほどまで歩いていた雑踏の喧騒が、うわあーんと、まるで、大浴場に入ったときのように聞こえてきます。

 しかし、その灰色の音に混じって、銀のようにたえなるギターの音が聞こえてきました。どこからだろうと思いました。ミトロポリス大聖堂の向かって右側は、私のプチホテルや、地元民もしくはバックパッカー向けのレストランがある、やや、寂れた地域です。

 『そっちじゃあないわね』と判断して左側に回ると、きれいなアーケード街がありました。看板を見ると、ヴィトンとか、シャネルとかいう名前が見えて、日本で言う銀座、もしくは表参道と言うわけです。真ん中の道路は車が入らない形式のようで、しかも大理石です。上はアクリルの、透明な、屋根がついております。

 すごくきれいな空間です。しかし、お店は、すべてパイプ型のシャッターを下ろし、人は誰もいないのです。通行人も無論居ません。そして、大道芸人の姿も見えません。でも、道路の大理石、そして、両側のお店が多用しているガラス類、天井のアクリルのアーケード、それらのすべてがあいまって、ギターの音量をあげ反響も効果高くしていて、素晴しい音色として、私には聞こえるのでした。

 これは、どういうことなのかしら。不思議でなりません。私は謎を解くためにその誰も居ないアーケードの中に入っていきました。
  この項は長くなりますので、明日へと、続くとさせてくださいませ。
       2008年11月22日       雨宮舜(本名川崎千恵子)

尚、最後になりましたが、いつもより、一時間半ほど、早めに更新しています。日本時間23時以降にご覧になる方は、この下に、昨日発信したクラシックを目指すアフリカンの青年大道芸人を励ました話がありますので、どうかそれも宜しく。
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クラシックの専門の大道芸人を励ます

2008-11-22 00:58:23 | Weblog
 さてね、歌の力量と言う意味で言えば、2003年の夏、個展のために出かけたニューヨーク第一日目にして地下鉄で出会ったアフリカン(黒人系)の青年の方に、軍配が上がります。早朝一回出かけて二回目として出かけた午後の話です。日本の満員電車とは違いますが、立っている人もいるぐらいの込みようで、多分路線は、私がよく慣れているFラインだったでしょう。

 地下鉄に乗った途端に彼に出遭ったのです。遠くの方から良く響く、カウンター・テナーに近い高音でクラシックを歌って来ました。で、近づいて来ると、いかにも私をめがけて、お金を貰いたそうにします。それは、私は自分自身がセミ・クラシックの歌が好きで、それで、先ず彼の方を、注目をしたし、その上、『彼は声がいいなあ。大道芸人にしておくのはもったいないなあ』と、こちらが心の中で思ったからでしょう。

 それで、相手も、私が好意を持っていると信じて、こちらに、近づいてきて、そして、私がちゃんと、お金を用意して、彼が手に持っている帽子か何かに入れようとした、まさに、その時に、とても高尚なことを言い始めたのです。音楽を学ぶ・建・前・に近い事を言いました。それで私は、内心で、『彼は誇りが高い人間なのだなあ』とは、気がつきましたが、それは帽子を目の前に差し出している行為そのものとは矛盾するものですから、あれっ』と思って、「貴方、お金は要らないの?」って聞いてしまったのです。極く単純に。すると、かれも、「いえ、要ります」って、極く単純に答えました。。
 
 その途端、「かわいそうな事を聞いてしまった」と言う気がしました。本当は言いたくない事を、我が子に近い年齢の彼に言わせてしまって・・・・・私はそのとき、六十一歳であり、こどもは、三十を越えていたと思います。ですから目の前で立っていて、帽子を差し出している青年が、背が高い大人に既になっているとして、体格はそうであれ、心の中を考えれば、彼は、私の子どもと、言っていい年齢なのです。

 私はすぐ猛反省をして、彼を慰めたくて、その為に一節歌ったのですよ。地下鉄の中で、椅子に座ったまま。曲はベートーヴェンの交響曲第六番(田園)の一節・・・・・どうしてか、今は、と言うか、最近ずっと、その軽やかなメロディーが体の中で、浮かんで、浮かんで、どうしようもないのです。
 
 これは、別に、ニューヨークの個展が決まるずっと前からですから、とても不思議ですが、大体の日常が、きっと喜びに満ちているのでしょうね。最近はどんな時でも、きっと、喜びに満ちているのでしょう。派手な事が何にも無くても。
 
 それを、座席に座っているにしては、また、練習を全然、事前にしていないにしては、大きな声で歌ったものですから、電車中がびっくりです。でも、軽蔑はされなかったので、ご安心下さい。目的が『彼を慰めたかった』と言う事ですから、こう言う時は大体神の支援が有って、うまく行くのです。そして、もちろんお金も上げました。

 彼は確かに慰められて自信をつけたようです。次の駅で、少年三人組のグループが乗って来たのですが、彼は自分の方の先有(占有?)権を主張して場をゆずりませんでした。これは、普通なら数の力関係で、この少年達に圧倒をされ、すごすごと引き下がる所でしょうから。この三人の少年達の事はデジャブーが有ります。ラジカセを大音量でかけて踊るのですが、中に一人、特別年も体も小さい子が含まれているのが、特徴です。
 
 さて、電車を降りようとしたら、例の青年が、特別にボリュームを上げて歌ってくれました。彼は、『自分が、相当能力は高い人間だ』と言う事を、クラシック好きな私に示したかったのです。細身の体にしては、大音量でしたが、もう大舞台に進出するのは無理でしょう。こう言う、すれすれの才能を持ちながら、環境のせいで、花開かなかった青年は、可哀相で仕方が有りません。

~~~~~~~~~~
 最後に少し付け加えさせてください。上の話は、五年前の出来事です。その後、私の人生にもいろいろな事が訪れていて、最近のテーマ曲は、この田園の一節ではなく、別の曲になってきています。

 それと、自分を離れて、彼について言えば、人生の成功と、不成功の境目ですが・・・・・、それに関して、生まれや環境も確かに影響があります。・・・・・彼に学費がなくて、才能はあるのに、上へ進めなかったのなら、お気の毒です。

 しかし、何事も覚悟なのです。大道芸人をするなら、大道芸人をすると、覚悟することです。そして、他の大道芸人たちみたいに、それなりに、一流になり、その路線を自分のシマとして独占するぐらいの覚悟を持つべきです。

 それが、いやなら、他のアルバイトをして、音楽はあくまでも趣味として、教会の聖歌隊で歌うなどで、声や、自分の気配そのものを汚さないことです。どちらかに、覚悟を決めて腰を据えなければなりません。難しいことだし、彼の日常生活を知らないのに、あれこれを、ここで、言うわけにもいきませんが、あそこで、彼がどんなに、立派な演説をしても、近所に座っていたニューヨーク在住の人々が、彼に学資を出してくれる可能性はなく、自分が惨めになるだけでしょう。

 それよりも、さっと、明るく歌って、「すごいわね。上手ね」と言う賞賛の気配を、電車内の乗客から貰ったほうが、愛される歌い手となれるし、将来、人に見出されて舞台に立った後でも、その愛嬌ある態度が、役に立つと思うのです。

 私自身は大道芸人ではないのですが、人への感謝の目的等で、よく歌います。ただし、必ず、二分以内にとどめるとか、さまざまな工夫をして、相手との、コミュニケーションがよく取れているかどうかは、いつも考えながら、歌います。
  2003年のことを、2008年に書く。川崎千恵子(ペンネーム、雨宮舜)
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