銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

アメリカの上流階級とオペラ・バッグ

2008-11-02 01:52:14 | Weblog
 今日お話しするエピソードの数回後で、重要なアイテムとなる、メトロポリタン・オペラのパンフレットがあります。
 新書版程度の小さいもので厚さも五ミリ程度ですが、小さい活字で、いろいろなデータが一杯載っており、それには大満足を致しました。裏方とか、寄付者の名簿、も、載っている。パフォーマンス(演劇とかオペラ、バレー等)は、個人が独りで作る芸術ではありません。目に見えるのは主役ですが、その裏に何十人ものスタッフが働いています。

 ミュージカル『オペラ座の怪人』は、ある意味で、セクシュアルな意味合いが、強いが、舞台裏を見せた、パフォーマンスとして意味があったと思います。日本では映画でも舞台でも主役の頁が、大きなカラー写真付きで、二頁ずつぐらい取ってありますが、資料としては全く役に立たないものが多くて、これには本当に困ります。裏方でも、働いた人、尽力をした人を、きちんとデータとして残すべきです。

 さあて、硬いお話から始まってしまいましたが、私の文章は必ず、下世話なところに帰着するのが特徴です。

 今日は、その切符のお世話をしてくださった、ちょっと、不幸せそうな感じの、しかし、ご主人の方は体格も風采も立派きわまりない、男性ですが、そういう男性を従えた、毛皮のコートの奥様の後について、行って、『いざ、メット・オペラ付属食堂へ、見参、見参』と、張り切って歩いているところまで、前回お話をしました。

 奥様には、ちゃんと、「お邪魔虫にはなりません」と、お話をしてあります。さて、食堂の入り口に着きました。すごく普通の食堂です。ガラス窓があって、明るくて、別に贅沢でもない。比較すれば、日本橋・高島屋の奥の奥にある、宴会場の方がずっとずっと、豪華な場所です。そちらには、窓はないし、赤いビロードは使ってあるし、豪華絢爛と言うものです。デザインが古いのでしょう。だから、かえってロココ調なのです。

 その後で、ホテルの宴会場が、宮中の宴会場を模して、和風の、梁(ただし、黒漆がぬってある)を見せる形式にかわってきたのです。だから、よりシンプルになってきた。

 しかし、しかしなのです。そんなシンプルな食堂で、ただ、テーブルに白い布がかけてあるのが特徴ぐらいの場所なのに、圧倒的なハイソサイエティぶりを示したと言うか、こちらが、それを察せ、させられてしまったのは、席のほとんどが予約制であり、しかも入り口のウエーターは、お客の顔と名前を覚えていた点なのでした。

 「○○○○○○様、お待ちしておりました」とボーイが言った途端、私は呆然として、その場に取り残されました。先ほどまでは、圧倒的に親切だった奥様は、『ほら、言ったでしょう。外で食べなさいと』と、思ったのか思わないのかは、こちらには判りませんが、『これ以上は、あなたを助けてあげる方法はないわ』とは思ったはずで、何の会釈もなく、すっと、食堂内に消えてしまいました。

 そのとき、私がふっと思い出したのは、ロエヴェ(LOEWE)と言うデパートのショーウィンドにおいてあった、鮮やかなブルーのオペラ・バッグなのです。その日出遭ったセレブ夫人は、そんな派手な色のバッグは持っておられませんでした。黒で統一した無難なスタイルです。

 だけど、私はよく、メトロポリタン美術館へ歩いていく事があって、LOEWEの前を通るのです。ビルが古いタイプで、石造りですから、ショーウィンドーは小さいのです。ちょっと、回りの石の色が違うので、結果としてはムードが違うが、小さいという点では、銀座のミキモト(本店)のそれに似ています。

 その一つに、白いサテンの絹が敷いてあって、そこに、パールのネックレスを添えて、幅が15センチ、高さが18センチぐらいの小さな小さな、しかし、色は(皮なのにもかかわらず)鮮やかなブルーで、その心理的な存在感の方だけは、ものすごく大きな、オペラバッグが置いてあり、そのお値段が、日本円で換算して、10年前の当時で、20万円を超えました。

 生活必需品ではありません。それに、そんな派手な色ですと、一回使ったら、もう二度と使えません。これは、派手な着物を同窓会へ着ていくと、次の回には同じ着物を着てはいけない心理と同じで、社交界の人として、(特に高額な寄付をした人として)、常に、同じメンバーと出会う、オペラハウス内で、その派手な色は二回は使えないからです。

 そして、私は、その普通の感じの食堂へ消えていった、奥様が、一種の不幸せそうな感じを示しているものの、資産とか、社会的階層と言う意味では、最上級の人であった事を知ったのでした。

 もっちろんですが、私は淡々として観察しているだけで、嫉妬もなければ、悲しみも無かったのですよ。『気がつかなかった自分が、恥ずかしいなあ』とは思ったけれど、・・・・・

 しかし、その後で、日本人に無視される事が、カフェテリアで起こって、・・・・・本当の涙に暮れるのですが、その顛末は明日にでも・・・・・

     2008年11月2日   川崎 千恵子
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