1998年の秋にパリで過したときはおおむね、皆さんに親切にしていただきました。そのレベルですが、『ちやほやされている』と言ってもいいほどの、過剰な親切もありました。だけど、『これは、文化庁の在外研修制度を利用して行ったからだろう』と私は考えました。その制度を利用するためには試験に受かる段階が厳しいが、受かってしまうと、ちやほやされるというほど、相手先から大切にされます。
しかし、次年度のニューヨークは私費で行くので、あまり、他人の親切を期待してはいけないと覚悟を決めました。大勢の人が私費でわたるニューヨークですから。・・・・・それであらゆることを自分で始末する覚悟は決めました。
ただ、行きたい場所が版画工房です。これは、特殊な行き先なので、日本で手に入る、案内書(観光やら、留学先についての)を見ても、出ていないことも肝に銘じており、先ず、そちらを探すのに奔走をしました。
すると、幸いなことに銀座の画廊で出遭ったアメリカ人(アート関係者?か、アート好きな日本在住の人)が、PRATT INSTITUTEの名前を教えてくれました。「そこなら、版画が制作出来るはずだ」と。これで、先ず、第一課題をクリアーできました。
次に住まいです。その頃は日本橋の丸善本店に『OCNニュース』と言うニューヨークの在住邦人向けの新聞がおいてありました。週刊誌なのですが、ニューヨークに普通にあるタブロイド版をちょっとまねしていて、小さな広告がたくさん載っています。
それで、アパートも、見つけました。43rd street です。大家さんは日本人で、ファックスやら、直接の電話では、有名な42nd street のすぐ傍で、交通至便なところだと仰います。
ところで、この42とか、43とか言う番号は東西に走る道路についている番号で、南の方が若くて、北へ行くほど、番号が増えて行きます。この40番台から50番台はミッドタウンと言って、もっとも、賑やかな地帯ですが、私が行く先は、その西側の方で、「有名なバスターミナルのすぐ傍で、しかも、テレビによく映る、タイムズスクエアーには、二分で行かれます」とも聞きました。
それで、私は夢や希望を膨らませました。ただ、パリでも悪人たちに出会った事が二回ほどあり、郵便局なども窓口が頑丈に防衛されているし、ビルもほとんどが、ビルそのものに鍵が無いと入れない形になっているので、ニューヨークの治安については不安があり、それについて、知人に問い合わせをしました。
すると、その人は、口ごもる感じを電話口で見せながら、「ううん。でもね、ニューヨークって通り一本違うだけで、町の雰囲気がガラッと変るのですよ」と仰るのです。
そして、実際に渡航をしてみて、その通りでした。42nd の方は、ここら辺りは、8th Ave. (南北に走る大きな道路で、五番街と日本語に翻訳されている中心の通りが一番有名であり、この辺りは西のはずれである。だから、中心ではない)に近いと言っても、
まだ、ユージン・オニール劇場があったりして、まあまあ、賑やかなほうなのですが、たった一つ番号がふえるだけの、こちらの43rd の方は、夜は真っ暗で、危ない通りだったのです。日本に居る、ニューヨーク帰りの知人が教えてくれた通りだったのでした。
しかも、ホームレスの給食車が停まる場所でした。
ホームレスが給食を貰っている映像は、テレビで何度も見たことがあり、特に冬は、心温まる、美しい風景です。それを、とやかく言うのは、私の人格が単なるブランド好きのスノッブでしかなく、低いことになります。
しかし問題は別のところにあるのでした。つまり、彼らは待っている間に、おしっこをしてしまうのです。だから、その通りは全体におしっこのにおいに満ちているのです。
また、その通りのその辺りには、一階にお店が全くないのです。その上、私が住まうビルは、一階が壁だったか、シャッターだったかで、人の出入りの雰囲気が全く無いので、それも、格好のトイレ化を招いており、臭いこと臭いこと、たまらないのでした。
それは、南側にある、ビル化している大きなバス・ターミナルの、こちら向けの壁に、窓がなく、ここで、おしっこをしても、人目につかないという事とか、公衆便所がないとか、どのビルも鍵が無いと入れない形式だから、とかで、仕方が無いのでしょう。そうなると、ますます、借り手が、お店として、この通りを使うのを避けるようになるせいか、悪循環になるのです。
まあ、日本でも、ごみ処理場や火葬場が近所に来るときに、大反対署名運動が起こったりするのと、同じ発想ですが、この近辺には、住まいとして利用をしている人が少ないので、署名運動など起こらないのでしょう。
それに、欧米の人は、基本的に、キリスト教の精神があるせいか、パリでも、弱い人に対しては優しいのです。だから、誰もホームレスの人に対して文句を言ったり注意したりはしないようです。特に、生理的要求に対して、あれこれ言うのは、それこそ、人権の基本にもとることになりますね。
ただ、大家さんの特にご主人の方から、治安について、防衛するように、何度も注意を受け、帰宅も出来るだけ、給食車が来る六時以前にするように言われたには、随分と影響を受けました。
最後になりましたが、通り一本分、ワンブロック歩くのに、10mでは足りないかもしれません。ただ、タイトルが長くなりすぎるので、この10メートルという誇張を利用させて頂きました。よろしく。・・・・・この項は続く。
なお、今日の版画は、文章の情景には、まったく関係がありませんが、次の年にニューヨークで摺ったものの一部なので、利用をさせて頂きました。
2008年11月12日 川崎 千恵子
しかし、次年度のニューヨークは私費で行くので、あまり、他人の親切を期待してはいけないと覚悟を決めました。大勢の人が私費でわたるニューヨークですから。・・・・・それであらゆることを自分で始末する覚悟は決めました。
ただ、行きたい場所が版画工房です。これは、特殊な行き先なので、日本で手に入る、案内書(観光やら、留学先についての)を見ても、出ていないことも肝に銘じており、先ず、そちらを探すのに奔走をしました。
すると、幸いなことに銀座の画廊で出遭ったアメリカ人(アート関係者?か、アート好きな日本在住の人)が、PRATT INSTITUTEの名前を教えてくれました。「そこなら、版画が制作出来るはずだ」と。これで、先ず、第一課題をクリアーできました。
次に住まいです。その頃は日本橋の丸善本店に『OCNニュース』と言うニューヨークの在住邦人向けの新聞がおいてありました。週刊誌なのですが、ニューヨークに普通にあるタブロイド版をちょっとまねしていて、小さな広告がたくさん載っています。
それで、アパートも、見つけました。43rd street です。大家さんは日本人で、ファックスやら、直接の電話では、有名な42nd street のすぐ傍で、交通至便なところだと仰います。
ところで、この42とか、43とか言う番号は東西に走る道路についている番号で、南の方が若くて、北へ行くほど、番号が増えて行きます。この40番台から50番台はミッドタウンと言って、もっとも、賑やかな地帯ですが、私が行く先は、その西側の方で、「有名なバスターミナルのすぐ傍で、しかも、テレビによく映る、タイムズスクエアーには、二分で行かれます」とも聞きました。
それで、私は夢や希望を膨らませました。ただ、パリでも悪人たちに出会った事が二回ほどあり、郵便局なども窓口が頑丈に防衛されているし、ビルもほとんどが、ビルそのものに鍵が無いと入れない形になっているので、ニューヨークの治安については不安があり、それについて、知人に問い合わせをしました。
すると、その人は、口ごもる感じを電話口で見せながら、「ううん。でもね、ニューヨークって通り一本違うだけで、町の雰囲気がガラッと変るのですよ」と仰るのです。
そして、実際に渡航をしてみて、その通りでした。42nd の方は、ここら辺りは、8th Ave. (南北に走る大きな道路で、五番街と日本語に翻訳されている中心の通りが一番有名であり、この辺りは西のはずれである。だから、中心ではない)に近いと言っても、
まだ、ユージン・オニール劇場があったりして、まあまあ、賑やかなほうなのですが、たった一つ番号がふえるだけの、こちらの43rd の方は、夜は真っ暗で、危ない通りだったのです。日本に居る、ニューヨーク帰りの知人が教えてくれた通りだったのでした。
しかも、ホームレスの給食車が停まる場所でした。
ホームレスが給食を貰っている映像は、テレビで何度も見たことがあり、特に冬は、心温まる、美しい風景です。それを、とやかく言うのは、私の人格が単なるブランド好きのスノッブでしかなく、低いことになります。
しかし問題は別のところにあるのでした。つまり、彼らは待っている間に、おしっこをしてしまうのです。だから、その通りは全体におしっこのにおいに満ちているのです。
また、その通りのその辺りには、一階にお店が全くないのです。その上、私が住まうビルは、一階が壁だったか、シャッターだったかで、人の出入りの雰囲気が全く無いので、それも、格好のトイレ化を招いており、臭いこと臭いこと、たまらないのでした。
それは、南側にある、ビル化している大きなバス・ターミナルの、こちら向けの壁に、窓がなく、ここで、おしっこをしても、人目につかないという事とか、公衆便所がないとか、どのビルも鍵が無いと入れない形式だから、とかで、仕方が無いのでしょう。そうなると、ますます、借り手が、お店として、この通りを使うのを避けるようになるせいか、悪循環になるのです。
まあ、日本でも、ごみ処理場や火葬場が近所に来るときに、大反対署名運動が起こったりするのと、同じ発想ですが、この近辺には、住まいとして利用をしている人が少ないので、署名運動など起こらないのでしょう。
それに、欧米の人は、基本的に、キリスト教の精神があるせいか、パリでも、弱い人に対しては優しいのです。だから、誰もホームレスの人に対して文句を言ったり注意したりはしないようです。特に、生理的要求に対して、あれこれ言うのは、それこそ、人権の基本にもとることになりますね。
ただ、大家さんの特にご主人の方から、治安について、防衛するように、何度も注意を受け、帰宅も出来るだけ、給食車が来る六時以前にするように言われたには、随分と影響を受けました。
最後になりましたが、通り一本分、ワンブロック歩くのに、10mでは足りないかもしれません。ただ、タイトルが長くなりすぎるので、この10メートルという誇張を利用させて頂きました。よろしく。・・・・・この項は続く。
なお、今日の版画は、文章の情景には、まったく関係がありませんが、次の年にニューヨークで摺ったものの一部なので、利用をさせて頂きました。
2008年11月12日 川崎 千恵子