AMASHINと戦慄

~STARLESS & AMASHIN BLOG~
日々ブログレッシヴに生きる

グラーキの黙示録 その他の恐怖

2013年09月09日 | ルルイエ異本
昨夜、期限切れ間近のドリンクバーの無料クーポンを消化すべく、仕事帰りにガストに寄った。
店内はちょうど夕食時で家族連れなどで喧々としており、ひとりドリンクバーでまったり過ごすには環境が劣悪だったが、私には春に手に入れた耳栓代わりのi-phone(ただし電話、メール機能は使用不可にしてある)と、そして2ヵ月前に購入して忙しさの中なかなか読むことができなかった扶桑社刊行の『古きものたちの墓 クトゥルフ神話への招待』があった。

このアンソロジーは、クトゥルフ神話にまつわる英国作家の作品が4編オムニバス形式で収録されており、コリン・ウィルソンの表題作をはじめ、ブライアン・ラムレイの作品が一点。そして、ラムジー・キャンベルの長年未訳であったブリチェスターもの2作品「ムーン・レンズ」、「湖畔の住人」が収録されていることがなによりも心騒がされる。
「ムーン・レンズ」は先月すでに読了しており、シュブ=ニグラスの化身にまつわる奇譚だが、これはラヴクラフト御大がもし読んだなら、床に投げ捨てていた(もしくは大幅に添削していた)であろう陳腐極まりない内容であった。
その夜、ドリンクバーのホットミルクをすすりながら私が熟読したのは、本オムニバス大本命の「湖畔の住人」。そう!いよいよあの淡水のオールド・ワン、“グラーキ”が登場するのである。

ま、話は病んだ画を得意とする幻想画家が、霊的インスピレーションを求め人里離れたいわくつきの土地に引っ越し、そこで毎夜不気味な出来事(悪夢、物音など)に見舞われるといったよくあるパターンの話。今回の舞台はイギリスのセヴァーンヴァレーの湖畔。
その土地の朽ち果てた一軒家に、前の住人が残した手記や書物などが見つかり、その中のひとつが、あのおぞましい『グラーキの黙示録』という訳だ。

『グラーキの黙示録』は全部で十一巻あり、原本を旧式のルーズリーフに複写したもので、さながら許可なく写し取った海賊版といったところ。しかし、これが世に出た唯一の完全版らしい。
本書には、グラーキの生態のほか、「ヴルトゥームはまだ幼年期にある」という種族のことや、吸血鬼の起源や、月の裏側にある黒い都市を歩きまわる青白い亡霊のこと、スグルーオ人との交信を可能にする異次元通信機のことなどが詳しく述べられているという。
『グラーキの黙示録』は1800年頃から勢力をのばしはじめた異教徒たちの間で代々書き継がれ、1865年頃、欠落のある九巻本の海賊版が出版されたものの、組織の外に出ることはなくほとんどが信者の手に渡り、その九巻本も今ではほとんど入手困難だという。
問題の異教団体はセヴァーン湖に棲んでいる何かを崇めていた。その崇拝している対象については、詳しい説明はあまりない。玉虫色の生物という描写があるだけで、イラストなどもついていなかった。トマス・リーによる図を参照のことと脚注があったが、イラストははぎ取られてしまったらしい。鋭い棘を生やしているという説明が繰り返され、それについては何人もの人間が詳しく語っていた。
実は、私はこの湖に棲んでいる何かの似姿の図を、偶然立ち寄った書店の棚にあった『クトゥルフ神話超入門』という書物の中で目撃しているのだ!

    

地球にグラーキが出現した経緯については、周辺の住民の話によると、数世紀前、宇宙空間をさまよっていた隕石とともに地球に落下してきたというのが通説になっている。あのセヴァーン湖は、その時の隕石落下によってできたクレーターに数世紀に及び水が溜まったものだという。
一方『グラーキの黙示録』には、「さまざまなエジプトのミイラにあの棘が埋め込まれているのが発見されているので、古代エジプトのセベク神殿やカルナック神殿の司祭たちが<タグ=クラターの逆角度>と呼ばれる呪文によってグラーキの潜む小惑星を呼び寄せグラーキが大昔から地球に飛来していた」と主張する異端の説も書かれている。

『グラーキの黙示録』には、グラーキがいかにそこに棲む民をゾンビ化させ、おのれの僕と化していくかがこと細かに記されている。
グラーキはまず、湖に近づいてきた者に睡眠中、波動を送って夢を見させ、疑似体験をさせるのだという。その夢にはある異教団体の入信儀式の光景が映し出される。
グラーキ崇拝に参加する新人は入信の儀式をおこなう決まりで、魔女のしるし伝説にも似た、独自の信教上の段取りを踏まねばならなかった。
新入りは(望むと望まざるとにかかわらず)グラーキが水の底から現れるまで湖畔で信者たちに捕えられている。グラーキは棘のひとつを生贄の胸に突きたて、怪物の体内からそれを経由して体液が流し込まれる。生贄となった新入りが注入を拒んで棘を抜けば、どうにか人間として死ぬことができるが、もちろん怪物はそれを許さない。注入された体液は全身にまわると棘は抜け、刺さった部分から出血することはない。グラーキの脳から発生する電波が磁力の働きにより、生贄の人間は生きながらも完全に怪物に操られてしまうのだ。
『グラーキの黙示録』によると、怪物が電波を発していないときは、生贄はわずかながら自発的に行動できるという。半分死んでいるような状態が60年もたつと、強い日光にさらされたときに<緑色崩壊>が起きるような体質になってしまう。
あと、ハイチのゾンビ話も、グラーキの僕になった初期の信者が太陽の光を浴びたときの恐ろしい姿がもとで誕生したものではないか、とも書かれているそうな。

近年のゾンビ映画ってのは、ほとんどが米軍かどっかの組織が秘密裏に開発した人間をゾンビ化させる生物兵器のガスかなんかの漏出が原因で発生するという設定が主流である。私は学生の頃深夜テレビでたまたま放映していた『バタリアン』を鑑賞して以来、この設定に嫌悪感を抱くようになり、ヴァンパイアやゾンビ映画自体嫌いになってしまった。あのしつこさが面倒くさいというか。
でもこのラムジー・キャンベルの『湖畔の住民』を題材にこのグラーキ設定で、サム・ライミあたりが監督して映画撮ったら、斬新で面白いものが出来るんじゃないかなぁ~なんて、ガストのドリンクバーのマズい煎茶をすすりながらボ~っと考えていた。


すると突然、外からドーーン!!という音とともに、奈良の夜空に張り裂ける邪悪な光をガストの禁煙席の窓ごしに目撃した。
なんのことはない。それはただの打ち上げ花火であったが、もうとっくに夏も終わっているのに、このような奈良市内の街中で、いったいどこの酔狂めいた私設団体の仕業なのだろうと不審に思えてならなかった。
しかし、しばらくして、窓の外の夜空に舞いあがったものが、棘々とした不気味なウニ状の形に変化したとき、(ちょうど『グラーキの黙示録』の記述の箇所を読んでいたこともあって)それをあの<湖の住人>と錯覚し、私は人目もはばからず、こう叫んでしまったのであった。


窓に!窓に!



今日の1曲:『Zombie Ritual』/ Death
コメント (4)
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