AMASHINと戦慄

~STARLESS & AMASHIN BLOG~
日々ブログレッシヴに生きる

ファウスト三部作

2012年07月19日 | 二酸化マンガ
前回、ロシア映画『ファウスト』の感想文を書いたので、私の性分からして、その時にちょっと触れた手塚治虫のファウスト作品三部作を紹介せずにはいられなかった。

手塚先生は生前、主人公も時代背景も全く異なる3ヴァージョンのファウスト作品を描いておられる。
第一作が先生が21の時に描いた1950年刊行の『ファウスト』。
一言で言うと、これはゲーテの原作『ファウスト』をマンガ化したもので、21歳の若さでこのような戯曲をマンガ化しようという発想自体すごいんだけど、絵のタッチはまだ初期のディズニーアニメに影響受けまくりの頃で大人が読むには稚拙すぎるし読みづらく、原作に忠実がゆえのミュージカル風なこの物語の展開は、子供が読むにしてもちとテーマが難しすぎるかと。
まぁコレクターズアイテム、または原作『ファウスト』の大まかな粗筋を知るための概要書といったところか。




第二作は、1971年作の時代劇ヴァージョン『百物語』。
これは中期手塚作品の中でも上位に入る傑作で、小学生から大人まで楽しめる作品だと思う。
主人公はウダツの上がらない下級武士の一塁半里。一塁=ファースト→ファウスト+半里=ハインリヒと、この辺の遊び心が楽しい。
ちなみに妙薬で若返った後の名前は不破臼人(ふわうすと=ファウスト)。

ここでのメフィストフェレス役はスダマという女妖怪で、一塁が切腹寸前のところで出現し、「満足な人生をすごしたい」「天下一の美女を手に入れたい」「一国一城のアルジになりたい」という3つの願いをかなえるという条件で魂の譲渡契約を結ぶものの、生まれ変わっても以前の不甲斐ない一塁のままの不破に業を煮やし、良きアドバイザーとなり献身的に尽くすという、悪魔とも思えない愛らしくて魅力的なメフィストが描かれている。




しかも最終的には相思相愛の仲になっちまい悪魔が不破の魂を救済しちまうという、原作の設定を根底から覆すトンデモ展開に!
飽くまで原作の主要な場面や話の流れに忠実に、そこに戦国時代の下克上や妖怪変化といった日本特有の要素を巧みに取り込むという見事な構成力は、やはり天才というほかない。



(『百物語』は朝日文庫の『ファウスト』にカップリング収録されております。)


『百物語』は、実は私が初めて読んだファウスト作品で、まぁ当時はこれがゲーテの『ファウスト』をモチーフにした物語って知らずに読んでて、それにハタと気づいたのは晩年の作品『ネオ・ファウスト』を読んだ時だった。
展開があまりにも一緒だったからだ。


『ネオ・ファウスト』は、近代版ファウストといったところで、舞台は学生運動真っ盛りの1970年の日本。
作品全体にアカデミックな雰囲気が漂っており、かなりコアな内容となっている。
遺伝子工学による新生物創造の研究(『ホムンクルス計画』)、五画形の魔方陣による大悪魔ルシファー召喚、ホテル・ワルプルギスでの理事長と政治家との贈賄スキャンダルなど、なかなかオカルト趣味が濃厚でこの辺が『ファウスト』という作品に興味をそそられた部分でもある。




『百物語』のスダマ同様、この物語においてもメフィストは女性であり(だから“牝フィスト”と自称していた)彼女の場合は悪魔らしく残忍な気性の持ち主なのだが、ここでもやっぱり若返った雇い主の坂根第一に惚れたり嫉妬したりと、人間の女性みたいな部分を垣間見せる。
手塚先生はこの設定が気に入ってたんかな。
サスペンス性に富み、文学性に溢れ、複雑雑多な人間模様と魔界の魑魅魍魎とが絡み合う壮大かつ緻密構成なるこの『ネオ・ファウスト』、おそらく手塚治虫の遺作と呼ぶに相応しい一大傑作となっていたことだろう。

そう、完成していれば・・・

『ネオ・ファウスト』は、第二部連載はじめで手塚先生が病に倒れ、1988年12月、とうとう絶筆となってしまったのだ!
まさにヘビの生殺しである。

ここまで読ませといて、そらないで先生!!

あまりにもムゴすぎら!!


まぁ手塚先生が晩年描いてた作品には、全くテーマの異なる未完作品がけっこうあって、ベートーベンをサスペンスタッチかつコミカルに描いた『ルードヴィッヒ・B』、日本商社マンの数奇な運命を活劇風に描いた『グリンゴ』、戦後日本のシガラミから這い出てきた青年の生き様を描いた『どついたれ』(これは早くに打ち切ったんだっけ?)と、『ネオ・ファウスト』同様いずれも引き込まれずにはおれない展開の良作品ばかりである。

しかし、これだけの濃い内容の作品を同時進行で描いてたってのが、他の作家とはケタが違いすぎるほどに創作意欲に底のない天才であったと同時に、先生の死期を早めた原因にもなったのかと思うと残念でならない。
返す返す思うことは、他の作品はいっさい手をつけんでもええから、せめて一本だけでも完結させてほしかったということである。


原作『ファウスト』第一部のラストをモチーフにしたこの場面が最後となった。



このあと、クローン人間の培養、水晶玉に映っていた絶世の美女の正体、ヒロインの兄である刑事との対決など、手塚先生の頭の中ではおそらく壮大なスケールの展開が用意されていたに違いない。


まぁ、手塚治虫ほどの創作力と構成力を持ったマンガ家(作家)は、今後現われないとは思うけど・・・・

だれかお願い!『ネオ・ファウスト』の続きかいてー!


今日の1曲:『It's Too Fast』/ Tica
コメント (10)
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