60年前の今日 やはり暑い日だった
私は小学校入学の前年で 東京空襲を避けて親戚に疎開していた
新潟県のS市だった
おかげさまで 恐ろしい思いの経験はなかった
当時の記憶はおぼろげだ
近所の同年であろう子どもたちと 自然を相手に遊んでいた
畑のスイカ トマト きゅうり等を自由につかみどり
叱る大人もいなかった
8月15日の記憶は ある意味で鮮明だ
親戚の長老 おじいさんが庭にラジオを持ち出した
家にいた10人以上のものが ラジオの前に並んだ
ラジオから流れる声 音の記憶はない
それを聞いていた大人たちの反応も定かでない
ただ 放送が終わって みなが解散しようとしたとき
「日本負けた 日本負けた!」
大声を出して 駆け出した子どもがいた
長老が 厳しい表情でにらみつけた
その少年が私だった
なぜ 大声を出して駆けたのか
理由もわけも 記憶の底にある
ただ いままで見たこともない 長老の怖い顔
ふだん やさしくしてくれたおじいさんの あの顔だけは鮮明に憶えている
東京へ戻ってからは 千葉県通いが続いた
食料の買出しだ 知り合いになった農家へ 母とよく行ったものだった
ここでも記憶と思い出は 夏の暑さと一面の畑
これは いまでも忘れられない風景だ 帰り道の夕日 カラスの鳴き声
しっかり 憶えている
60年後の今日
やはり 畑にいる
畑が ほとんど雑草に塗れていた 雨が続いたのでいつもより ひどい状態だ
1時間の草刈で なんとか少しきれいになった
戦中 戦後にわたってなん10年と まったく縁のなかった 畑だった
それが なんとか生きてきた結果 いまここでの畑作業 草刈をしている
不思議に思わずにはいられない 今日1日でした
雑草を取り除かれた 茄子のうれしそうな「顔」です
やはり 平和が一番ですね
私は小学校入学の前年で 東京空襲を避けて親戚に疎開していた
新潟県のS市だった
おかげさまで 恐ろしい思いの経験はなかった
当時の記憶はおぼろげだ
近所の同年であろう子どもたちと 自然を相手に遊んでいた
畑のスイカ トマト きゅうり等を自由につかみどり
叱る大人もいなかった
8月15日の記憶は ある意味で鮮明だ
親戚の長老 おじいさんが庭にラジオを持ち出した
家にいた10人以上のものが ラジオの前に並んだ
ラジオから流れる声 音の記憶はない
それを聞いていた大人たちの反応も定かでない
ただ 放送が終わって みなが解散しようとしたとき
「日本負けた 日本負けた!」
大声を出して 駆け出した子どもがいた
長老が 厳しい表情でにらみつけた
その少年が私だった
なぜ 大声を出して駆けたのか
理由もわけも 記憶の底にある
ただ いままで見たこともない 長老の怖い顔
ふだん やさしくしてくれたおじいさんの あの顔だけは鮮明に憶えている
東京へ戻ってからは 千葉県通いが続いた
食料の買出しだ 知り合いになった農家へ 母とよく行ったものだった
ここでも記憶と思い出は 夏の暑さと一面の畑
これは いまでも忘れられない風景だ 帰り道の夕日 カラスの鳴き声
しっかり 憶えている
60年後の今日
やはり 畑にいる
畑が ほとんど雑草に塗れていた 雨が続いたのでいつもより ひどい状態だ
1時間の草刈で なんとか少しきれいになった
戦中 戦後にわたってなん10年と まったく縁のなかった 畑だった
それが なんとか生きてきた結果 いまここでの畑作業 草刈をしている
不思議に思わずにはいられない 今日1日でした
雑草を取り除かれた 茄子のうれしそうな「顔」です
やはり 平和が一番ですね